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6/23/2017

教育実習における指導教員の当たりハズレに関する考察 --ゴキブリは死なず。ただ逃げ隠れするのみ--

本年度の教育実習訪問指導キャラバンが終了した。ふたりでそれぞれ8校、一緒に行った学校もあるので、あわせて十数校は訪問した。

振り返って感じるのが表題の「当たりハズレ」である。教育実習のパフォーマンスの質は(1)我々送り出す大学側の指導と(2)当該学生の力量そして(3)実習校の指導教員の方針と力量、の3つの要素が複雑に絡み合って決まる。

実習生に、とにかく頑張ってすべて英語で説明させるべくスクリプトを書かせ、前日に泣きながらでもそれを暗記させて授業に臨ませる指導教員もいれば、生徒の発話ゼロ、先生の英語による解説はおろか音読さえもゼロ、授業はひたすら教員の言うことや板書することをノートに書き写させる自らの授業を模倣することを求める指導教員もいる。

後者のような授業を目の当たりにすると、一概にいいとはまったく思わない文科省の「英語の授業は英語で」という押し付けも、必要な押し付けなのかもしれない、という気がしてくる。

しかし、「ザ・訳毒授業」みたいな授業も、全国の高校現場にはいまだにゴキブリのごとくたぶん大量に生き残っているのだろうな、ということを実感するキャラバンであった。

と同時に、そういう当たりハズレの中で、うちの学生たちはそれぞれ、できる範囲で、許される範囲で目の前の生徒のためにできるベストな授業をすべく、果敢に挑戦していた、ことを嬉しく感じるキャラバンでもあった。

6/22/2017

教員採用試験の英語問題を解いて暗くなること:出題(者)の質

毎週、教育採用試験の対策で、各都道府県の英語の問題を学生と一緒に解いているのだが、学生には言わず、ひそかにひとりで暗い気持ちになっていることがある。それは、ど~も微妙におかしい問題が結構ある、ということだ。

問題としておかしい、つまり妥当性があるとかない、という高級なレベルの話ももちろんだが、それ以前に、おそらくはその県の英語教育関係者である出題者が書いたのであろう、問題の指示文の英語、および多肢選択肢の英文が、英文としてビミョーに、しかし絶対におかしい、というケースが散見されるのだ。

英文としてもちろん非文ではないのだが、問題文のパッセージをきちんとわからずに、表面的な部分にもとづいて選択肢を書いている、というのもある。

多肢選択の誤答が妙におかしいのは100歩譲って許容するとして、正答の選択肢がいまいち、というのはダメでしょ。文章のポイントとしてあっているものをひとつ選べ、という問題で、「正答」が、問題文の要旨としてはポイントをちょっとずらしている、のではねぇ。消去法でしか選べないようでは。。

差しさわりがあるので具体例は出さない・出せないので説得力はないと思うが、ま、確かなことだと思います。

英語テストを作成にも携わることになる英語教員候補を選抜する英語のテストは、英語テストとして内容的にも形式手にも模範的、理想的でなければダメなはずだが、現実はとてもとてもそうはなっていない。

みやぞんの聞いた「バーム」さん

イッテQで、芸人のみやぞんさんがアメリカに行って、昔マンモスを倒したいわれる槍状の武器アトラトルを、100m先の的に当てるのを挑戦する、という企画があった。企画自体は結構見ごたえがあり、みやぞん氏の運動神経に感嘆したのだが、きょうの話はその中でのひとこま。

現地についてみやぞんさんが、アトラトルの技術指導をしてくれるBobという男性と対面する。男性が、

My name is Bob.

というと、みやぞんさんは通訳(もしくはコーティネータか)氏に、「え?バームさん?」「バーブさん?」と問う。

通訳氏から「いや、ボブさんです」と言われると、みやぞんさんは「え、ボブ?あのボブなの?」と意外そうに言う、

というシーンが印象に残った。

なお、「あのボブ」というのは、「私たちが名前としてよく知っているあのボブという名前」という意味である。

ここから得るべき教訓はなにか。
(1)Bobの、oの部分の母音は、日本人が思っているよりもかなり長い、ということ。

(2)つぎに、音価がかなり「ア」に近いということ。

(3)そして、最初みやぞんさんに、語尾が「ム」だと感じられたのは、Bobの語末を開放しなかったからなので、開放されない閉鎖音を聞き取らせる練習が不可欠だ、ということである。

つまり、生徒にBobを発音させるときも、「バーb」と言わせることが必要なのである。

往々にして生徒の耳は合っているのだ。心にある単語の音声イメージのほうが間違っていることのほうが多い。だから、聞こえた音声イメージに合わせて、心的辞書のなかの音声イメージを修正してゆく必要があるのである。

ということを感じさせる番組であった。

6/18/2017

ライティングの指導はどうしたらいいですか?

Q:

中2を教えています。研究授業をすることになり、ライティングをやってみてはどうかと言われました。他の3技能はある程度できていると思いますが、ライティングはあまりやっていません。書くことの指導をどうしたらいいでしょうか?(2年目教員)

A:
まず基本的に中二なので、書くことを特別な活動とみなすのが間違い。話す練習を十分したことを文字に書き付けるのがライティングだ。

だからその授業で十分インタビュー活動などをやった結果を3~5文程度でまとめればそれが立派なライティングだと思う。

その際、正しいスペリングにこだわりすぎないことが大切。たとえばfriend をfrend と書いても発音が正しいのだからそこはスルーし、とりあえず、必要な単語がただしい順番で書けていることに意識を集中するといい。もちろん本当に正しいスペリングは後で確認させるにしても。

そういう意識を持っていれば、よく聞く「うちの生徒は話せるけど、書けない」ということはありえないことがわかる。話したことをそのまま書くのがライティングなのだから、スペリングを度外視すれば、話せることはすなわち書けることだ。それができないというなら、話すときにも出来ていない(単語が足らない・おかしい、語順がおかしい)はず。

その書いた3~5文はまた発表させよう。話したことは書く。書いたことは話す。友だちが話していることを、聞き取って書く。そういうスキルの立体的な組み合わせが大切。

6/17/2017

3人目、出て来~い!

ことしの教育実習訪問指導キャラバンも終わりが見えてきたが、埼玉大時代から数えて8年間の私にとっての実習生授業ベストツーは、いまだに




である。

虎の目、のほうのブログポストには、じつは当初、「この実習生の授業をずっと受けたほうが、指導教員の授業を受けるより生徒は幸せだ」的なことを匂わす1文を正直に書いて物議を醸し、後から削除した、という経緯もあったほどだ。(当時私は埼玉大学に在籍していて、埼玉大学附属中学に実習生を送り込んでおり、かつ埼玉大学附属中学の授業プロトコルに不満があった、という構図の中での発言でした。)

改めて考えてみると.... やっぱりどちらもグルグルをやっている。虎の目のヒョーちゃんはコワモテの長身美女(本人談)だったのに対し、サッカー少年は満面の笑みを絶やさない人なつっこい好青年、と外見上にはかなり違うだが、生徒の口に注ぐ鋭~い視線は共通だ。そしてあの時、どちらの授業も生徒たちは教師のオーラに引き込まれ、おそらく、全員が彼女と彼のことが大好きだった。

はやくこの二人に並ぶ授業をする学生に出てきて欲しい。「ベストツー」が「ベストスリー」になる日を... ♪わたし待~つ~わ、いつまでも待~つ~わ、8年後に定年になる日ま~で~♫


教えられること、教えられないこと

教えて教えられることと、教えたくても教えられないことがある。

訓練によって向上できる部分と、ほとんど向上できない部分がある。

体格や容姿はもちろん、もって生まれた声の質、などは後者に入るだろう。話し方は変えられても、根本的な声質は変えられまい。

そういう複数の資質が合わさり、生徒を前にした時の「華」、教室の雰囲気を一瞬で自分色に染め変えてしまう、教師としてのオーラ(のもと)となる。

これらを実習生のうちから身につけている学生は幸運である。そういう学生はhead startしているのだ。

あとは改善できる部分を改善してゆくのみ。

6/16/2017

音声を一言も発しない、むむむ。。。な中1授業 (原題:史上最大のガッカリ授業)

今回の実習生の訪問指導は、タイトルのような結果となった。100点満点で、甘くつけて30点、というところである。

そしてその30点は、我々指導教員二人の2年半にわたる指導効果に対してつけられた点数でもあるのだ。

「俺たちは英語教育概論で、教科教育法で、何を教えてきたのだ。あれだけ濃密に教えてきてこの結果ということであれば、これから何をどう教えてゆけばよいのだ。」

そのような重い問いを突き付けられる結果となった。

<生徒:中1、19名>

(1) 冒頭のあいさつ

How's the weather? と言っているつもりが、theを気にするあまり直前の歯擦音zが言えず、How the weather?になる、というよくある発音ミスでスタート。

(2)スペリング想起ゲーム
※ちなみに、綴りのことを「スペル」と書く人が多いが、spell は動詞、spelling が名詞である。「綴り」か「スペリング」のどちらかにせよ。

生徒を3つの班に分ける。生徒は手元の教科書を見て、既習の単語の意味と綴りを一生懸命確認している。各藩からひとりずつ教卓に行くと、3つのカードに3つの和訳が書いてある。たとえばA班用は「私は」B班用は「友だち」C班用は「みんな」。その和訳に対応する英単語を黒板に書く、というゲーム。つまり、既習の単語に関して、和訳から綴りを思い出して正しく書ける数を、班で競う、というものだ。

生徒は結構苦戦し、frend とか、goob(あとでgoodに訂正)、「私は」に対してMiとかがでる。注目すべき誤答は、

ともだち frend
私は Mi
彼女は she's
みんな evriyone

である。

5分経過して、教師が答えをひとつひとつ、確認していく。「これ合ってる?教科書で確認してごらん」生徒:「合ってる/合ってない 。。が足りない」 教師が赤で訂正し、班ごとの得点を集計し、「きょうはA班が優勝!イェ~い!」

■問題点:
教師の姿勢も、生徒の姿勢も、「つづりを目でよく見て覚える」というもので、〇〇という音の単語だからこういう綴りになっている、という「音を覚えて、それを表している綴りがかけるようになる」という姿勢がない。

いちがいに「綴り間違い」として切り捨てられがちな、生徒のスペリングをどう処理するか、でその教員の力量はおおむねわかってしまう。

frend という綴りは、friendの音を的確にあらわしているという点で、ある意味正しいのである。この生徒はフレンドという音は覚えているのかもしれない。そのことを認めて、褒めてやらねばならなかった。

Miも単に切り捨てるのではなく、「これ何ていう発音だと思って書いたの?」と聞き、もし「マイ」だと思っていたら、褒めなければならなかった。ただし、「マイ」は「私の」で、「アイ」が「私は」だよ、惜しかったね、と言う必要があった。

evriyone も切り捨ててはいけなかった。evriの部分は、あるいみ、everiよりも、本当の発音に近い。eを入れなかったのは、発音に対する鋭敏さの証かもしれなかった。

そして、最終的に答え合わせがおわったあと、せめて教師が、綴りの該当箇所を指し示しながら、ゆっくりはっきり発音し、生徒にも、綴りと音の対応を意識しながらリピートさせる、という仕上げを絶対にやるべきだった。

そういう音声はいっさいなく、空虚な「だからA班が〇点で優勝!」という仕上げ。

「スペリングは目でよく見てそのまま覚える」という最悪の学習ストラテジーを中1に刷り込んでしまっている。オーマイガー(涙)!!

なおここまでで25分経過。

(3)一般動詞の導入としての自己紹介

パワポをつかって教師が Hi! My name is XXXX XXXX.  I like English. I study it every day. I like music, too. I play the piano every morning. という自己紹介をする。視線はほとんど手元に落ちている。パワポのスクリーンもみず、生徒の顔もほとんど見ていない。それを2回だけ、繰り返した(だけ)。文ストレスもマズイ点があり、I study IT every day. と it を強めるというあり得ないモデルの提示。

2回聞かせただけで、「何を言ってた?グループで話し合ってみて」と生徒に投げる。

「英語が好き」「音楽がどうの」「ピアノをやる」などの断片的な答えを引き出したところで、スクリーンでスクリプトを出す。そのスクリプトは何を思ったか、

Hi! My name is XXXX XXXX.  
I like English. 
I study it every day. 
I like music, too. 
I play the piano every morning.


と、センターぞろえになっている。馬鹿者。英語はセンター揃えで書く、と教えたいのか?左端から書くのではないのか?

これを提示したらあとは日本語による説明をえんえんと始めた。every は「毎」です。dayは「日」です。だから、every day は、「毎日」です。的なもの。

■問題点
説明しすぎ。訳しすぎ。英語を言わなすぎ。
「意味がわかった?」じゃなく、意味がいやでもわかるように、わかるまで英語で演じろ。表情を使え。ジェスチャー使え。パワポの絵だってあんだろ。気合で意味を、全身をつかって伝えろ。

 あのせっかくの自己紹介をなぜたった2回、しかも通しで聞かせただけで終えるのか、意味が分からない。生徒に音声を聞かせるというつもりがないのか。私の英語を聞きなさい、私の音を聞きなさい、私の口を見なさい、意味がわかるでしょ、ほら私の表情を見てごらん、とばかりに、なぜ生徒に迫らない?なぜ生徒にアピールしない?

また、スクリプトを見せたあとで、スクリプトをなぞりながらもういちど音声を聞かせることもやらなかった。スクリプトなしでなんとなく聞いていた英語を、もういちど文字と音を対応させながら聞く、という貴重な機会をなぜ作らなかった?

生徒になかに音と意味とスペリングを一致させてやろう、という気持ちが根本的にないのではないか?

パワポの提示も工夫せよ。たとえば、

第1段階では、

Hi! My name is XXXX XXXX.  
I like English. 
I like music, too. 

という提示をして、名前、好きなもの1、好きなもの2、という最低限の骨組みを見せ、第2段階で、

Hi! My name is XXXX XXXX.
I like English.  I study it every day.
I like music, too.  I play the piano every morning.

という、好きなもの1+補足説明  好きなもの2+補足説明

とすれば、談話の構造が明確に意識させられたし、その後あるいはその前に、



といったような、非言語的要素を使った視覚補助を見せながら、英語を提示することもできた。

(4)プリントを使った説明と穴埋め

動詞がbe動詞と一般動詞に分かれ、それには何があるか、などのの説明のプリントを実物投影し、教師が日本語でえんえんと解説しながら赤で空欄を埋めてゆき、それをひたすら生徒が書く写す。例文が書いてあって、日本語訳もあるのだが、その音読はゼロ。教師も音読しない。生徒も音読しない。

■問題点
まるで塾の授業だ。文法用語を覚えるのが文法であるような雰囲気と、適切な日本語訳をあてることが英語学習も目的である、ような雰囲気がぷんぷんする。

「be動詞」とか「一般動詞」とかの用語、ラベルはどっちかっていえばどうでもいいことのなのである。知っておいたほうがゆくゆく便利だが、いま大切なのは基本的な I like ... とか I play ... の文を何度も聞かせ、何度も言わせ、意味の理解をともなって耳にしみこませることなのだ。

(5)自分のことを書く

最後に、「では自分のことを書いてみましょう」といって、各自、プリントに My name is ...    I like ... などと書かせる。

■問題点
ここまでくると言語道断である。生徒はただの一度も自分の口から音声を発したことのない、文字の羅列を、書き写すという作業をさせられている。案の定

I ilke .... などと書いている子もいた(という淡路先生の観察あり)

まずは聞かせる。つぎに言わせる。何度も言わせる。言えるようになったら、その音を文字に書きつけてみよう。という手順を踏まない限り、もはや言語としての英語ではなく、音のない記号の暗記大会だ。

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もちろん上で書いたようなことは私も淡路先生もこの2年半、手を変え品を変え、教えてきた(つもりである)。それが。。。

英語での説明に果敢にチャレンジしてうまくいかなかった学生は過去にもいた。リズム音読にチャレンジして自滅する学生は過去にもいた。それらは心意気やよし、としたい。しかし今回の授業は、音声言語として英語を口にさせるという試みさえしようとせず終わった、という、逆に、超レアな授業である。しかも中1!

往復500キロ超の長旅は、東京駅で別れる際の、

「まあ、あまり気を落とさずに(また頑張っていきましょう。。。)」

というおじさん同士の、ほろ苦い慰めあいで終わったのだった。

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くぉら~!お前は反省文出せ、反省文!(怒) 改善した授業をビデオに撮って帰ってこい!