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10/18/2018

Writing Facilitator 改訂版できました!!

今年に入ってからずっと作業をしていたプロジェクトのひとつ、

構造から学べるパラグラフ・ライティング入門[改訂版]
Writing Facilitator [Revised Edition]
(松柏社)

がついに完成し、本日、できたてのホヤホヤを入手しました。2019年度新刊のライテイング教科書としてご利用いただけるようになります。



これは2003年新刊として発売された同名教科書の改訂版です。この初版は実に今から15年前に世に出させていただいた教科書ですが、有り難いことに、なんといまだにライティング部門でトップの採用部数を保っている、とのことです。

2003年度新刊の初版

毎年100冊単位で新刊教科書が出され、とにかく新刊に対するニーズが高い大学英語教科書の業界では、かなり珍しいことでしょう。

とにかく、教科書の指示のままにステップを踏んでいけば、とりあえずパラグラフの形が書けてしまう、というコンセプトが指示され、リピーターを掴んだのだと思われます。採用してくださっていた先生がた、本当にありがとうございます。

しかしながら、15年の時を経て、題材内容の点(「携帯電話の通話が電車でうるさい」等)で、流石に無理がでてきた部分もありました。

そこで、ロングセラーとして慣れ親しんでいただいているフォーマットおよび timelessな題材はそのままに、部分的に新しい題材に差し替え、評価の分かれていた(?)迫力のあるイラストを、洒落たテイストのフォトグラフに変え、装丁も一新したのが今回の改訂版です。黄色に黒のコントラストがおしゃれですよね!カッケー!

前作を上回るご愛顧のほど、よろしくお願いします!!







10/16/2018

1年目教師からの便り

教師になってしばらくは部活が忙しくて、教材研究をする余裕がなかったが、最近は余裕がでてきた。授業では厳しく発音指導を行っている。コーラスリーディングでも「違う」音が聞こえるとすぐに中断して指導する。繰りかえし指導しているうちに、生徒は正しい音を覚え、最近は徐々に発音がよくなってきた、と実感している。

という趣旨の便りを、昨年1年間だけ教えた1年目教師からもらった。ちなみに勤務は公立中学である。始まって半年でこういう実感を持てるというのは、状況として大変幸福なことだ。その調子でやっていってほしい。

10/13/2018

新潟合格しました!

おおおおお!

これで大東第1次靜ゼミから通算5名が専任教員になりました。

スピーチコンテストに出すのなら指導すべし、特に日本人教師が。

英語教師が自分の生徒を英語スピーチコンテストに出す場合に、最低限の音素の区別はできる状態にせず出すのはあり得ない、というかあってはならない。

が、現実には、LとRがごちゃごちゃなような状態でコンテストに出てくる生徒が少数ながら、いる。

いったいなぜだ。

生徒本人はおそらく自分がそういう状態だということがわからないのだから、それを指摘してやって直してやって、そうでない状態にしてやるのが指導教員の義務である。

イントネーションや、文ストレスは、我々非母語話者教員には微妙な部分があり、十分に指導できないのは、我が身に照らしても、あり得ると思う。

しかし、LとRや、BとVや、THとZのような、白か黒か、1か0か、舌とか唇が特定の箇所に接触しているのか接触していないのか、は、電流回路のスイッチのようなもので、微妙さはない。接触していれば電流は流れ、接触がなければ流れない。中間はないのだ。明かりがついているの、ついていないのか、のどっちかしかない。こういう微妙さのない部分は、非母語話者にも十分に指導ができるし、むしろ分析的・意識的に指導ができるのは非母語話者の強みであるとも言える。

スピーチコンテストの引率にALTが目立つのは良いことでもあるが、良くないことでもあるのかもしれない。スピーチの指導にALTに関わってもらっているのは良いことであるが、日本語母語話者教師がスピーチ指導の主導権をALTに渡している、ということの表れなのだとしたら、それはあまり良くないことであるし、そんなことはないと信じたいが、仮に「丸投げ」しているようなことがあれば、それは非常に良くない、情けないことである。

一般論として、ALTで発音を厳しく指導してくれる人は少数派ではないか、という印象を私は持っている。どうせノンネイティブだからそこまでは求め(られ)ない、と思っている人もいるだろうし、多少妙な発音でも許容するのがこの World Englishesのご時世には「正しい」態度なのだ、と思っている人もいるだろうし、音が変なのはわかっても、どういうメカニズムでそういう音が出てくるかはわからないから結局指導はできない、と諦めている人もいるのだろう。

原因がいずれであっても、現実に、(きちんと指導されていない、という意味で)「残念な」状態でステージに上ってくる生徒はいる。それは可愛そうなことである。

特にそのスピーチに何度も出てくるキーワードにLが含まれていて、それをいつでもコンスタントにRで発音するようなことがあれば、それはもう致命傷である。たった一語であれば大勢に影響しないようなミスも、ダメ押しのように何度も何度もミス発音を聞かされれば、印象は最大限に悪化する。

そもそも流音が1つしかないという点では世界的にもかなり珍しい日本語を母語にする者が、世界の多くの言語と同じく流音が2つある言語である英語を学習するときに、2つの流音をきちんとマスターしていない、というのは、基本のキができていないことであり、文法にたとえれば、一般動詞とBe動詞の区別がわかっていないか、それ以上にヒドイことである。私はテニスが好きですを、I am tennis like. と言っているのと同じくらいヒドイ。

英単語の子音のミニマル・ペアの中では、L/Rのペアが最も多い、と言われるのだ。日本人学習者には絶対にできるようにしてやらねばならぬ区別なのだ。

よって、私の採点基準では、L/Rの区別ができないスピーカーは、「発音」コンポーネントの得点は、30点満点の0点である。

日本語母語話者英語教師には、責任を持って自分の生徒をもっときちんと教えてもらいたい。




10/12/2018

鹿児島合格しました!

やった〜!!

10/11/2018

シラバスはくだらん

シラバスにああいう文言入れろ、こういう文言いれろ、という圧力が日本中の大学にかかっている。

私の考えでは、シラバスの文言を改善することで授業の内容を改善しようとすることは、指導案を改善することで授業の内容を改善しようとすることと同じくらい馬鹿げている。

両方とも基本的に発想が間違っている。

指導案が良くなかったために良くなかった授業を見たためしがない。指導案に美辞麗句が連なっていてもどうしようもない授業はそこいらじゅうにあるし、フォーマルな指導案などなくても素晴らしい授業はいくらでもある。

シラバスがダメだから学生のためにならない授業がそうそうあるとは思えないし、シラバス文言を変えたからクオリティが上がることは1000%ないと思う。

Trying to improve a course by window-dressing its syllabus is as ridiculous and misguided as trying to better a class by stuffing its teaching plan with beautiful, timely -- so inevitably futile -- phrases.

またシラバス通りに実際に授業が行われているかチェックしよう(チェックさせよう)という動きもあるが、これもまた馬鹿な話である。

実際の学生の反応に応じて変幻自在に自由自在に臨機応変にやるのが授業というものである。人間の教師が授業をやる意味はそこにあるのだ。

それを実際の学生の反応がどうであれ、半年以上も前に書いたプランに固執してそのとおりに進めていれば良くて、プランから離れていれば悪い、などとは愚の骨頂だ。

どうしてそういうくだらない作業に貴重な税金と時間をかけるのかわからん。

お前は馬鹿か〜??(出川哲朗氏風に)

10/08/2018

恥を知れ!

(というのは、私の最初の勤務先の校訓である。)

若い女性教員をイジメる男子クラスの男ども、お前ら恥ずかしくないんか!?

恥を知れ、恥を!