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12/31/2019

授業では4技能を鍛え、入試では2技能を測る、でよい

英語は4技能を高校の授業でしっかり鍛えよう。大学の授業でも4技能をしっかり鍛えよう。その間の入試では公正に確実に信頼性を持って採点できる2技能を評価しよう。で良いと思います(勿論しっかり採点できる所は4技能でも良いですが)。入試に出ないものは大切じゃないわけじゃないので。
(昨日、twitterに投稿)

「脱ネイティブ信仰」?

よく脱ネイティブ英語信仰と言いますが、ネイティブの英語をモデルにする場合と通じる英語をモデルにする場合で努力のベクトルの方向が違いますか?方向は同じでベクトルの長さが違うだけですよね。だからネイティブの英語をモデルにして、結果的に通じるレベルを達成する、に過ぎないのだと思います。(昨日、twitterに投稿)

12/29/2019

なぜ私は「発音問題」がないほうがよいと考えるか

いわゆるセンター試験の英語から「発音問題」がなくなったことの是非が議論になっています。そのようになった経緯や理由づけはどうであれ、私個人は英語の試験から「発音問題」がなくなったことは良いことだと考えています。理由は一言でいうと、紙と鉛筆の「発音問題」は、習得すべき発音技能を矮小化してきており、益よりも害が大きかった(大きい)と考えるからです。

よく知られているように「発音問題」の典型的な形式とは、4つの単語を示して下線部の音が違うものをひとつ選べ、といったものです。この問題は、当然ながら、以下のようなケースをピックアップして出題します。

(1)同じスペリングでも、発音が異なる:  hunger  vs. range 
(2)異なるスペリングでも、発音が同じである:     bet   vs.  sweat 

こういう問題には、すくなくとも以下の弊害があります

(1)英語の綴りはデタラメで丸暗記しかないのだ、と学習者をミスリードすること

こういう発音問題では、「同じ文字は、ほぼいつも同じ音で発音する」ようなケースは決して出題されません。問題にしようがないからです。

しかし英語全体でみると、そういうケースのほうが子音を中心に圧倒的に多いわけです。ごく少数の黙字などを除き、bはいつでもbと発音され、kはいつでもkと発音され、fはほぼいつでもfと発音され、vはいつでもvと発音され、rはほぼいつでもrと発音され、thは有声音・無声音の違いはあってもいつでもth音で発音され . .などなど。

子音を中心に、英語は(英語も)、ひとつの文字は、いつも同じ一定の音を表していることが圧倒的に多い言語であるわけです。ところが上で述べたような「発音問題」」は、「英語は、スペリングと音が一致しないことが多く、すべてひとつひとつ覚える必要がある」という誤解、すくなくとも印象を生み出します。これは大きな害毒です。

大学生になっても、「初めて出会った英単語は辞書を引くか、教師に教えてもらわないと発音はわからない」と思い込んでいる学習者は残念ながら珍しくありません。英語に出会った中学生のころに、英語の綴りは発音を表しているのだ、という当たり前の事実を教えてもらわなかった、あるいは意識するよう仕向けられなかったためでしょう。それに加えて、スペリングが違っても同じ音とか、スペリングが同じでも違う音とか、そういう例外部分だけをねらった「発音問題」にこれでもか、と繰り返しさらされてきた影響も無視できないのではないでしょうか。

(2)発音について習得すべき/教えるべき重要ポイントについて、学習者と教師をミスリードすること

発音についてテストに出題されるのがああいう「発音問題」つまり、「スペリングが同じで音が違う、音が同じでスペリングが違う」ことだけであると、教師も生徒も次のような誤解をしかねません。

「英語学習において、発音に関して押さえるべきは、どういう単語でスペリングが同じで音が違うのか、音が同じでスペリング違のか、を覚えることなのだ。」

そして、そういう発音問題に頻出する語の発音を丸暗記し、そういう問題で得点できるようになった生徒、得点させられるようになった教師は次のように思いかねません。

「僕は英語発音の重要な点はマスターした。」「私は教師として英語発音の重要な点は教えることができた。」

いうまでもなく、これはまったく当たっていません。英語の発音に関して学習すべき知識、習得すべき技能とは、少数のどちらかといえば例外的な「スペリングと音の不一致のパターン」など(だけ)ではなく、たとえば以下のような事柄です。


  • vという文字をみたら、下唇が上前歯に接触し、有声摩擦音を出せる
  • thという文字をみたら、舌先が上前歯に接触し、無声もしくは有声摩擦音を出せる
  • r という文字をみたら、舌先をどこにも接触させずに、半母音が出せる
    (などなど。。。)
  • 不要な母音を挿入せずに、音節数を適切に、単語が発音できる
  • 意味のかたまりであるチャンクのなかでは、語と語をリンキングして発音できる
  • 適切なイントネーションで発話できる
  • ストレス拍リズムで発話できる
  • 情報構造に即して、新情報や聞き手に注目させたい部分に卓立をおいた発話ができる

あんな重箱の隅をつつく的はずれな「発音問題」をやる暇があったら、いつでもどこでも適切に、たとえばVの音やRの音が調音できる「技能を」自動化するまで訓練することをやるべきだし、やらせるべきです。

私の印象では、日本の高校を卒業する学生で、自動化どころか、たとえば最高に注意を払っても  / r / の音が発音できる学習者、というのはかなり少数派ではありませんか? L/Rのミニマル・ペアはミニマル・ペアのなかでも最も多いと言われている時に、それは優先順位が大きく間違ってはいませんか?「非母語話者だからこれだけでいいよ」必須発音習得項目リストである、ジェンキンズのリンガフランカコアのなかにも、日本人が苦労する音素はほぼすべて残っていますよ。

もちろんああいう「発音問題」で問われていた知識も、発音に関して身につけるべき事項に含まれていたことは間違いはありません。しかしあれだけの貧弱な内容しかないくせにエラそうに「発音問題」などという看板を掲げて、学習者と教師をミスリードするくらいであれば、いっそのことテストから全廃してしまい、「このテストでは英語発音はいっさい測定されていない」ことを明確にするようがまだ害が少ないでしょう。

紙と鉛筆のテストで発音を測る必要はないのです。基本的に測れません。測りたければ普段の授業で教室で対面で測ってください。入学のテストで測る必要はないのです。

しかしテストに出ないことがらは、学習しなくてもよい、わけではもちろんありません。大切なことのすべてをテストで測ろうとするのは土台間違っています。テストに出題させようがされまいが、大切なことは大切なのであり、学習すべきことは学習すべきです。

自分が担当するすべての生徒に適切な英語音声技能を身に付けさせることは、英語教員の務め(の大きな一部)です。



12/24/2019

ツマラナイ文法問題でもオモシロく扱えるシンプルな方法

文法の教科書を使って授業をしていますか。文法の問題集を使って授業をしていますか。多くの場合、文法の解説は退屈なものになりがちで、文法の問題集の授業は単なる答え合わせになりがちでしょう。(文法の解説を「感じる英文法!」とかでオモシロクする方法はあると思いますが、それは今回は放っておいて、答え合わせをオモシロクする方法を提案します。

それは答えを言わせる生徒・学生に、テキストを見せずに答えさせる。ただそれだけです。

たとえば次のような問題があったとします。

274  The teacher told some students (     ) had made mistakes in their spelling to remain after class.
① which  ② who  ③ whom  ④ whose


ダメな授業は次のように進むでしょう:

教師:次、274番。佐藤。
佐藤くん: ②
教師:そうだな。

もうすこしマシな授業なら次のようでしょう:

教師:次、274番。佐藤、正解を入れて音読してみろ。
佐藤くん:The teacher told some students who had made mistakes in their spelling to remain after class.
教師:そうだな。

しかしこれでもまだ退屈かと思います。そこで次のようにしてみましょう:

教師:次、274番。佐藤、立って向こうを向け。
(佐藤くん、起立して教室の後ろを向く。)
教師:何も見ずに繰り返せよ。The teacher told some students
佐藤くん:  The teacher told some students
教師: had made mistakes in their spelling
佐藤くん:had made mistakes in their spelling
教師:to remain after class
佐藤くん: to remain after class
教師:空欄に入るのは?
佐藤くん:who
教師:そうだな。じゃあ全部一気に言ってみろ。The teacher told some students who had made mistakes in their spelling to remain after class.
佐藤くん:The teacher told some students . . .who had made mistakes in their spelling. . . to remain after class.

要は、指名した生徒にやらせることのハードルを上げるということです。単調な文法問題でも、単に見ないでその文を言うことにするだけで、ずいぶんチャレンジングになります。上の最後の、一気に言うステージは現実的でないなら省略しても構いません。目の前の生徒にちょうどいいレベル(=頑張ればクリアできるが、頑張らないとクリアできないレベル)になるようハードルを調整しましょう。

ひとしきり一対多でやったあと、ペアワークで同じことをやらせても教室は活気づきます。

これで文法授業でも寝る生徒はいなくなります。

Mとかマ行は両唇閉じて、という意識はないのかな?

先日、フランス語専攻の大学1年生に、赤鼻のトナカイをグルグル形式でひとりずつ歌わせていたときのこと、.... used to laugh and call him names のところを、used to laugh and call hin namesと歌う女子学生に遭遇した。あえて性別を書くのは、そういう現象は女子に多いような印象があるからである。要は、 mの部分できちんと上唇と下唇を合わせないで発音する現象、ということである。

「ほら!m言ってないじゃん!」

「はい、みんな注目!  はい、もう一回歌ってごらん。みんな、彼女の口を見てて〜!」

「え〜!!公開処刑!! ♫All of the other reindeer used to laugh and call hiン names .....」

「ほらね!him で唇じてないよ」(周囲からは、なるほど、たしかに閉じてないね、という納得の声が)

(意外そうに)「閉じるんですか?」

「そらそうだよ、マ行なんだから」

こういう やりとりをしながら、 マ行、mとか、バ行、パ行では両唇閉じるんだよ、という意識は普通の学生、生徒たちには希薄なのだろうか。。。と改めて訝った次第。

12/23/2019

あっち向きリピーティング・トランスレーション・パラフレージング

最近使っている技。名付けて「あっち向きリピーティング・トランスレーション・パラフレージング」。生徒・学生の実力に対して、教材英文のレベルがちょうどよいか、やや易しめくらいのときに使えます。

一人指名して、立たせますが、「あっち向いて」と指示し、教室の後方を向かせます。状況としては私の授業では教室前方のスクリーンに英文が投影されていますので、他の生徒は英文が見えていて、指名された生徒だけは見えていない、ということです。

その状態で、私が1文英語を音読します。1文と言ってもある程度の長さで区切ってですが。たとえば、次は某県の教員採用試験の長文の冒頭です。

What makes people happy? The question, which has been debated by philosophers for centuries, now is being tackled by international bureaucrats and the results are interesting, to say the least.

これを、以下のように私が音読し、それを立っている学生が「あっち向いて」リピートします。つまり音だけでリピート。他の学生は英文が見えているのが味噌。

教師:What makes people happy? 
[学生リピート]
教師:The question, which has been debated by philosophers for centuries,
[学生リピート]
教師:now is being tackled by international bureaucrats
[学生リピート]
教師:and the results are interesting, to say the least.
[学生リピート]

でこれができたらその学生に「あっち向いた」まま、日本語で意味を言わせます。

教師:What makes people happy? 
[学生:訳]

教師:The question, which has been debated by philosophers for centuries,
[学生:訳]

教師:now is being tackled by international bureaucrats
[学生:訳]

教師:and the results are interesting, to say the least.
[学生:訳]

ひとつの文が終わったら、その学生は座らせ、別の学生を指名して次の文も同様にやります。

これがすらすら行くならオーケーですが、リピート時に明らかに無理があったり、訳にも明らかに無理があったならば、そこでタオルを投げ、「じゃあいいから前を向いて、その上で答えてごらん」と、英文を見ながら答えるのを許可します。

当たり前ですが、目で見てわからない英文を、耳で聞いてわかることはほとんどありません。その学生とその英文のレベル的相性の瞬間的見極めが大切です。

逆に、さらに難易度を上げたいときは、日本語で意味を言わせた後に(あるいは日本語で意味を言わせる代わりに)より「平たいイングリッシュ」で意味を言わせてみます。

教師:What makes people happy? 
[学生:When do people feel happy/happiness? ]

教師:The question, which has been debated by philosophers for centuries,
[学生:Philosophers have been thinking and talking about this for hundreds of years . . .]

教師:now is being tackled by international bureaucrats
[学生:But today, international officials are trying to find answers to this question]

教師:and the results are interesting, to say the least.
[学生:and what they have found is very interesting.]

なんどかやっていますが、一斉授業のなかの活動としては、引き出しの一つにあってよいものだと感じます。当たった学生はある程度のドキドキ感がありますし、見ている学生は、当該学生がどういうところでリピーティングできないかから学ぶものがあります。また聞く力と読む力と文法力と単語力(もちろん発音力もですが)のすべてが動員されますので、技能統合的な活動とも言えます。

シンプルですが、やってみてください。

言わずもがなですが、リピーティング時の発音は厳しく指導します。というか、英文を見せた状態で音読させるのと違って、キューは教師の音声だけなので、耳を頼りにその音声を真似することに成るので、変な発音は抑制されるように思いますね。





12/21/2019

リスニングテストで音源を1回流すか、2回流すか、に関する考察

リスニングテストの音源再生回数の影響とは

昨日の1220文科省前抗議の中で、松井孝志先生が、英語テストに的を絞って鋭い論陣を張られました。お疲れ様でした。まず最初に申し上げておきますが、松井先生のスピーチ全体の主旨には大賛成です。その上でなのですが、一部私と見方が違った部分がありましたので、このポストを書いております。どこかというと、リスニングテストの音源を1回流すのか2回流すのかというくだりです(ビデオの39:00あたり)。ご意見の要点は私の理解では以下のようなものだったと思います。


大学入試センターの試行テストのリスニングの中では、音源を1回だけ流す問題と2回流す問題がある。普通に考えるならば、より平易な問題は一回だけ流し、より難しい問題は2回流すはずである。ところが実際にはこの逆で、最初のほうのより短く易しい問題は2回流し、後ろのほうのより長く難しい問題は1回だけ流すという構成になっている。これはあべこべである。そういう設定の理由としては後半の長いトークを2回流してしまうと試験時間が長くなってしまうからという物理的制約からきているらしい。これはよろしくない。

この件については私個人は少し違う考えを持っていますので、ご紹介したいと思います。

(1)task authenticity(真正性)の問題

テストでのタスクが、実生活でのタスクにどの程度近いか、という点です。実生活では圧倒的に刺激(音源)を1回だけ聞く場合が多いでしょう。よって1回のみ再生のほうが真正性に関しては軍配があがります。(※実生活では場合によっては聞き返すことで繰り返してもらえるが、テストではできない、という点を2回再生で補うのだ、という点はありますが。)そういう意味では、すべて1回のみでやるという立場もありえます。

(2)practicality(実用性)の問題

長いトークを2回流すと規定の時間を超過してしまうから。。。というのは測定にとって最も本質的な問題であるとは言えませんが、非本質的な問題であるとも言いきれません。なぜならばテスト時間が長くなると、生身の人間である受験生には疲労や集中力の欠如が生じ、その結果解答行動のゆれからくる妥当性および信頼性の低下が生じるからです。

これはリスニングにおいて特に顕著です。なぜならばリーディングと違ってリスニングでは自分のペースで聴くことができないからです。その時に聞き逃してしまったら音声は二度と戻ってきません。この点が、場合によっては自由に読む順番や読むスピードを受験者自身がコントロールできるリーディングと決定的に異なる点です。40分、50分とずっと集中力を維持しなければならず、大変に疲れます。

ですから長くなりすぎない時間のなかに収めることを前提としてテスト設計することは、とくにリスニングにおいてはかなり大切なことと言えるでしょう。この点からすると、1回再生と2回再生を混在させるという前提であれば、長いトークは1回、短いトークは2回、というのはリーズナブルな設定であることになります。

(3)fairness(公平性、公正性)の問題

いずれの回数であっても、テスト受験者全員が同一回数聞く機会をもつならば、公平性の点で問題は生じません。

(4)item difficulty(項目難度)の問題

他の条件が同じであれば、おおくの場合1回再生よりも2回再生のほうが難度が下がるでしょう。つまり1回再生ならば平均点が比較的低く、2回再生なら平均点は比較的高いでしょう。しかし(3)と関わりますが、全員にとって等しく易しい/難しいのですから、それ自体は問題ではありません。問題は、実際の難易度の程度です。易しすぎれば上位者が皆正解してしまう天井効果が、難しすぎれば下位者が皆誤答してしまう床効果が生じしてしまいます。その間を狙うことが必要です。ですから1回再生の場合は比較的タスクをやさしく、2回再生の場合は比較的難しくするのが適当でしょう。

もうひとつの視点は、テスト問題は易から難にゆるやかに配列されるのが望ましいということです。とくにリスニングはリーディングとちがって自分で解く順番を決められず、全員が1番から順番に解答することを強制されます。最初のうちはウォームアップ的に比較的易しい問題があり、徐々に難度が上がっていくのが理想です。そういう意味では最初のほうの短い問題が2回読みで難度が低く、後半が1回読みで難度が上がる、のは望ましいことです。逆になってしまっては受験生によっては慌ててしまい、結果的に解答の信頼性が低下するかもしれません。

(5)item discrimination(項目弁別度、識別度)の問題

選抜試験では、上位者から下位者まで得点を「バラけさせる」ことが最も大切となります。比較的難しかろうが、易しかろうが、結果的に個々の受験者の英語力(いまはリスニング力)の差をあぶり出せるのが、良い問題であると言えます。

たとえば2回再生の条件下ではA君もB君も正解する問題を、1回再生の条件に変えたらA君は正解したがB君は正解できなかったとすると、再生回数を2回から1回に変えたことで、2回再生条件下では判明しなかったふたりの実力差があぶり出された、ということになります。再生回数を変えたことで項目弁別力が上がったのです。

もちろん逆に、1回再生だったら(難しすぎて)A君もB君も正解できなかったのが、2回再生にしてみたらA君は正解できたが、B君はやはり正解できなかった、というケースもありえます。この場合は2回再生のほうが弁別力があったわけです。

1回にせよ2回にせよ、大切なのは回数自体ではなく結果としての項目弁別力だ、ということになります。

まとめ

リスニング問題というのは、刺激トークの英語のレベル、刺激トークの話す速度、話し方のナチュラルさ(音声変化の程度など)、再生の回数、問われる設問の認知的難度、正答選択肢の難度、錯乱肢の難度、等々の複数の要因それぞれを調整することによって、適切な項目難度、そしてその結果としての高い項目弁別度を目指すことが求められます。したがって再生の回数のみを取り出して論じるのは難しいように思われます。

最後にもう一度、松井先生のスピーチ全体の主旨、他のスピーカーの方々のそれぞれのご主張、抗議行動全体の主旨に、私は賛同していることを強調しておきます。みなさま、寒い中、長時間にわたり本当にご苦労さまでした。すこしでも「山」に声が届いたこと、これから届くことを願ってやみません。






4技能を対立させず、掛け算で扱おう

大学の英語4技能入試に絡んでの「技能論争」を見ていて違和感を感じることがあるので書きます。よくある言説のいくつかを単純化すると

「いままで読む・書くを偏重してきたからダメなんだ。これからはコミュニケーションだ。スピーキングだ。」

とか

「スピーキングとか言っているから文法力が落ちてまともな文章が読めなくなっている」

とか

「4技能のバランスをとったといっても、従来よりも読む力を落として、低いレベルでバランスをとったのでは本末転倒だ」

とかになると思います。

でも例えば、スピーキングを文法と対置して二者択一を迫るというか、トレードオフがあるかのように言うのは、少なくとも教育的ではないと思います。

文法の肝は単語の並べ方です。単語の並べ方を無視してはスピーキングにせよライティングにせよ、まともな意思疎通が成り立つはずはありません。だから文法はスピーキング、ライティングの算出的技能でこそ重要です。

一定レベル以上の口頭のやりとりの練習は、単語を瞬間的に並べて発話を構成する、あるいはチャンクとして格納されている定形表現を引っ張り出してそれを瞬時に他の組み合わせて適切な文を作る、すなわち文法知識を宣言的なものから手続き的なものに変えるのに役立たないはずはないと思います。だからスピーキング(やスピードライティング)は、文法「知識」の定着、進化、そして「技能」化に役立つはずです。

授業のなかで、4つの技能を別々に、つまりマテリアルも分けて扱おうとするからイメージがおかしくなるのではないでしょうか。かっちりした論説文を読み解きながら、それを「平たい」(より文の短い、平易な、口語的な)英語で言い換えたり、説明したりするスピーキング練習は必要だと思います。

そこでいわゆる「翻訳技術」こそが大切だ、という考え方は私には馴染みません。それを強調してしまうと、また「難しい論説文は読み解けても、それについての感想とかコメントを口頭でせよ、となるとほとんど何も言えなくなる」という悪い意味での従来型の日本語ネイティブ英語学習者の再生産になってしまうのではないでしょうか。

難しめの文章をつかいながらそれを「聞く」「話す」の出発点にしたり、会話文から出発しながらそれを第三者がレポートする体の書き言葉でまとめてみたり、といった、4技能の乗り入れこそが望ましいのではないかと思います。

読んだことは言ってみる。言ったことは書いてみる。書いたことは聞いてみる。聞いたことは言ってみる。言ったことは聞いてみる。。(以下、同様)のような、4技能の掛け算が必要だと感じます。

もちろん written language と spoken languageの特徴の違いを踏まえた上で、話す練習は書く技能にも転移するし、書く技能は読む技能にも転移するし、。。。といった態度で授業に臨むことが建設的なのではないでしょうか。

12/19/2019

1点刻みの何が悪い?

マーク式テスト?批判の常套句に「1点刻みで云々」というのがある。これを聞くたび読むたびに私は思うのだ。は? 「1点」がいやなら、5点刻みならいいですか? 10点刻みにすれば満足ですか?いっそのこと50点刻みにする?

TOEIC(R) L&Rは 990が最高で5点刻みなので、おおよそ200段階である。実際のスコア分布はもうすこし段階が少ないかもしれない。いずれにせよあれは素点ではなくIRTで変換されたスコアなので、200点満点で1点刻みのテスト、と本質的には変わらない。しかし「5点刻みで云々」という批判は寡聞にして聞いたことがない。

1点刻みがどうのこうの、ということをいう素人さんは、1点刻みという表面的な表現が気になるらしい。ではその点数を5倍して5点刻みにすれば意味が変わると思っているのだろうか。

表面的な刻みが1点だろうが5点だろうが10点だろうがA1とかC2とかの記号だろうが、そんなことはどうでもいいのである。ポイントは、評価のスケールを何段階にしているかということだ。10段階の評価尺度は対象となる構成概念(たとえば英語力)を10段階のレベルに分けられるという前提/信念に基づき、20段階スケールは20段階に識別できるという自信の現れであり、100段階スケールは100段階の能力層を判別できる、という哲学の反映なのである。

算用数字で表された評価だと駄目だが、それをS/A/B/C/Dとか C2/C1/B2 /B1/A2/A1とかの記号にすると安心できる、というのはナンセンス。

刻みを荒くすれば、ひとつのバンド(レベル・層)の中におおくの受験者が含まれるからその受験者たちに関する測定誤差は問題にならないというか、吸収されるかたちになるが、ひとつのバンドともうひとつ上のバンドのボーダーラインの上下にいる受験者たちは測定誤差によって、あるときは下のバンドに分類され、あるときは上のバンドに分類される。

本当はもっとたくさん弁別可能な英語力レベルの分類が雑になり、かつやはり分類ミスは起こるのである。

まとめ:「何点刻み」はどうでもよい。「何段階なのか」が大切。

2019年度教育実習の授業観察をまとめた研究ノートです


2019 年度英語学科教育実習生 10 件の実地授業観察からの教訓 をアップしました。 今年、教育実習の観察にいった授業を総括したものです。



大東文化大学英語学科では例年 20〜30 名が教育実習 を行うが,その期間中に教科教育法担当教員2名(筆者 と淡路佳昌准教授)が分担して実習先を訪問し授業観察 および実地指導を行う(靜, 2018)。本稿では 2019 年度 前期の訪問実習を終えての振り返りを報告する。 

12/18/2019

ゼミでクリスマス会しました。

一方、大東のゼミでは年内最後ということで、私のほうから提案して、クリスマスソングをいろいろ分担して歌うという会にしました。彼らに馴染みのない曲も指定してみたので、レパートリーも広がってよかったと思います。4年生は年が明ければ巣立って行ってしまうことを想うと、いまからすでに寂しさが。。。




久しぶりに腕立てで赤鼻のトナカイ歌ってみた

本日、非常勤先の音声学授業の最終日でした。いつも元気な男子2名が「レクリエーションをやりたいです」「腕立てとかやりたいです」(ウェブのジャパンライムのビデオを見たらしい?)というので、赤鼻のトナカイを歌いながら腕立てをする、という企画をやってみました。学生と腕立てするのは2011年の埼玉大以来、8年ぶりです。

私が1行ずつ歌って彼らがリピートする、という形で最後まで行くはずだったのですが、。。どうなったかはビデオをご覧ください。実に情けない!







12/14/2019

教訓:見るスクリプトがなければ顔は上がる

昨日の授業では、決して英語力の高くない生徒たちが、発表のときには皆例外なく、手元など見ず、自分が説明してるスクリーンのビジュアルか、あるいは聴衆の方を向き、顔を上げて発表してもらうことができました。

それはなぜか?見るべきスクリプトというものを用意してやらなかったからです。手元にも何も持っていない、そもそも持つべき紙もない、という状況を作り出したからこそ、ああいうルックアップして発表せざるを得なかったのです。

スピーキングの練習の時には、見るべきスクリプトが存在しない状況を作り出す、というのはひとつの引き出しとして、思ったより重要かもしれません。

12/13/2019

きょうの参観者の感想:「やりようでハードルは下げられる」

今日のプレゼンテーション授業に同行し参観したうちのゼミ生(中学校英語免許を持った小学校教員になる予定)の感想です。授業を見る目が育っていて、嬉しい限り:


生徒たちの様子を見ていると、目標のプレゼンテーションまではなかなか難しい状況でしたが、その中でもいつもどおり発音や強弱に気をつけて読む箇所を指導する方法を学びました。
生徒の状況を把握し、その状況に合わせ、段落のスライドごとにモデルを見せ、練習し、発表するという流れにすることで、生徒の負担も少なく取り組めると感じました。生徒がつまづいた時の英語や日本語でのアシストも勉強になりました。また前に出ている発表者を終わったらすぐに席に返すのではなく、その場に残して良くなるまで指導することは、本人にとってより効果的だと思いました。

今回は工業高校ということや、英語が週2時間しかないということもあり、英語が苦手な生徒や、あまり関心のない生徒が多くいると伺いました。実際、今日の授業でも先生のモデルをカタカナ書きに記して、スピーチをしてる子や、文字と音の理解ができていないという子を何人か見かけました。

高校生でそうならないようにするためにも、小中での英語の基礎指導は本当に重要だと今日の高校生たちをみて非常に感じました。まして、小学校はほとんど全員が英語に初めて触れるため、楽しみつつも、中高につながるために、英語の基礎を丁寧に教えなければならない責任があると改めて思いました。

また公立の小中学校でも、英語が苦手な児童がいる状況は多くあると思います。その中で、やっぱり1番は、英語っておもしろい!っていう気持ちだと思うので、それを感じられるような授業を作ることを大切にしたいと感じました。

工業高校で授業させていただきました

本日、公立の工業高校で授業をさせていただきまたした。

<オーダー>

いただいた「ご注文」は、「工業製品に関するグループごとのプレゼンテーション大会を企画しているので、その前段階としてモデルプレゼンテーションを見せていただき、その題材もちいてプレゼンテーション技術をご指導ください」というものです。

マテリアルとしては、担当の先生がお作りになった4枚のスライドと、約180語のスクリプトをいただきました。愛知の樹研工業という会社の開発した、 Powder Gears という100万分の1グラムしかない正解最小ギアについてのプレゼンです。


<準備>

このオーダーに基づいて、

(1)スライドをビジュアルとキーワードのみで20枚に私の方で作り直し
(2)個々のスライドに応じた英文を数種類(数レベル)用意し、
(3)20枚のスライドから12枚のみを選んでA4裏表に印刷したハンドアウトを用意する、

という準備をして臨みました。

予定した手順は

1. パワポに横に立って私がモデルを通して見せる
<スライド1>
2a. スライド1について再度モデルを見せ
2b. ペアで紙のスライド1を見ながら説明する練習をする
2c. 一人生徒を前に出してスライド1をプレゼンさせる
2d. いまの2cについてフィードバックして必要に応じてやり直させる
<スライド2>
3a. スライド2について再度モデルを見せ
2b. ペアで紙のスライド2を見ながら説明する練習をする
2c. 一人生徒を前に出してスライド2をプレゼンさせる
2d. いまの3cについてフィードバックして必要に応じてやり直させる
[ 以下同様に最終スライドまで行く」


21. 4人グループで分担を決め、グループ内で紙ベースで練習させる
22. いくつかのグループを前に出してパワポの横で発表させ、フィードバックする

というものでした。

担当の先生は、前の日にスクリプトの音読練習と意味理解は一応やってありますということでした。しかし実際の生徒たちにとって、私が予定した手順がチャレンジングすぎるのか逆に手応えがなさすぎるのかは分からないので、(表現は悪いですが)「出たとこ勝負」で 、気取って言えばアダプティブにやるつもりでした。

2時間目と3時間目で同じ内容を別のクラスにやるという設定なので、2時間目はとりあえずやってみて、必要に応じて修正したものを3時間目にやってみよう、というつもりでした。

いざ出陣。

<1コマ目>

男子30名+女子4名。工業高校の高3ということで、てっきりごつい男どもばかりなのかなという予想を持って臨んだのですが、教壇に立って生徒たちの顔を見てみると、あれ、みんな可愛い感じで素直な印象です。

まず私のモデルプレゼン。全員食い入るように見てくれています。終わると拍手。ここまでは予定どおり。

スライドを1ページに6枚印刷したスライドを配布して、スライド1についての練習を指示。。。。でペアワークの様子を観察すると。。。うん、これは予想したよりずっと、スクリプトなしで英語を口にすることに慣れてないね。でもそれぞれ一所懸命やってくれています。

で生徒を指名して前に出して発表させようと試みたのですが、。。これが駄目だ。何人か口の動きを見て行けそうだと踏んだ生徒に、「君、出てきてやってくれる?」と言っても「いやいや、無理です!」の一点張り。誰も出てくれない。それぞれのキャラも英語力もまったく不明な状態でゴリ押しはできず、あきらめて担当の先生に選んでもらうことに。

ここからはすべてのスライドについて、ペアワークの最中に担当の先生に発表者を決めてもらって前に出し、やってもらったのに対して私がフィードバックする、という形にしました。

前に出ても自分ではなかなか話せない生徒も多かったので、その場合は脇で次に言うべき文をウィスパーボイスで言ってあげたり、日本語で次にいうことをヒントを出してあげたりして進めていきました。こうするとほとんどの生徒がとりあえずは発表することができます。


構想段階では、あまりリジッドに表現を決めず、その時その時で、適当に気に入った表現でいいから言わせよう、パラフレーズもさせてみよう、というプランもあったのですが、生徒の実情をみてそれは中止し、極力、表現を決めて、リピートさせる方針に切り替えました。

しかし、Wow! とか Amazing!とかGreat! などの間投詞的表現(紹介している製品に関する感嘆を表現)は、適宜で使ってくれました。

担当の先生は音声学が専門ということで普段から発音指導には注力しています、ということでしたが、生徒の実情とするとrもthもまだまだ、という部分がありました。ので少し慣れてきた中盤からは、適宜、ピンポイント的に発音指導もとりいれていきました。なかなかよく応えてくれたと思います。

そうこうしているうちにもうあと5分。本当は最後に全部の通しをグループ内で練習するというステージを考えていたのですが、とてもとても時間が足らない。そこで、最後の仕上げとしては、私がパワポを操作して、そのパワポを見ながら、全員前で発表している体でバズで英語を言う、という活動にしました。

こうして1コマ目は、かろうじて辻褄を合わせた、という感じで終了。むむ。。まあ自分で教員としての自分の出来を採点すると、80点かな。ただあの状況で初顔合わせで80点以上とれる人はいないのではないか、と思います。つまり hindsightがあればもっと他のやり方はできるでしょうが、それがない状況では、初対面の生徒たちをあれ以上のところまで50分で連れて行ってやることは、誰にもできないのではないか、という意味です。

<2コマ目>

男子35名。1コマ目の反省を生かして少し修正。修正箇所はおもに3つ。

(1)プリントは授業開始前に配ってしまって時間節約。
(2)スライドに対応する英語表現を極限まで簡略化。
(3)ペアで練習させる単位を1スライドではなく、2ないし3スライドに。

例)
1コマ目: スライド1の練習 → スライド2の練習 → スライド3の練習。。。
2コマ目: スライド1の練習 → スライド1&2の練習 → スライド2&3の練習 。。。

こうすることで、ひとつのスライドに関して練習する量がすくなくとも2倍になりました。

(4)私が指名するのを最初から諦めて、次の発表者は担当の先生に決めてもらうことに最初からしておく。

このような修正を加えてやった結果、1コマ目よりもより密度の濃い練習ができたように思います。そして幸運なことにこのクラスにはほぼほぼネイティブの生徒がおり、その彼に最後のスライドの発表を担当してもらうことができました。ほぼほぼネイティブとは言っても外見は日本人とほぼ変わらず、その英語も非常に正統的な、きっちりした、噛んで含めるようなインストラクター的発音をしてくれる稀有な学生だったので、周囲の生徒たちも「凄い!彼のようになりたい!」と思っているということで、モデルとしても理想的な発表でした。最後の3分間は1コマ目と同じく、私が操作するパワポに向かって口々にバズで一斉発表する、という形になりました。

まあ今度は90点かな。。(と最初は書きましたが、今、ビデオを見て振り返っても、 ここはこうすればよかった、という部分はないので、100点にしておきます)

ご担当の先生からは、

「英語面だけでなく、大事な部分は強調すること、そのためにはキーワードの前でタメを作ったり、ゆっくり話したり、自分で Wow!とか Ta-da!と言ったりして聴衆を惹き付けるための工夫があって生徒も参考になりました」

とのお言葉をいただくことができました。

先生方、機会をくださってありがとうございました。こうして生の高校生に接することは、大学の教科教育法担当者としては何よりも貴重です。

生徒のみなさん、一所懸命やってくれて、ありがとうございました。ビジュアルだけを見て英語を言う練習をしていくとスピーキングの力もつきますから、頑張ってみてください!