ある意味で典型的な授業だった。
生徒の音声クオリティに対してまったくフィードバックせず、野放しな点が。
段取り・構成自体はよいのだが、最後の発表のあのクオリティがすべてを物語っている。
いっと・いず〜・いんぽーたんと〜・ふぉお・みい〜・とぅ〜・ぷれい・ばすけっとぼーる。
拍手パチパチパチ
全然拍手するようなクオリティではない。あれで教員として満足なのか?こころから拍手できるのか?あれでよい教員ならば、それでも良い。それならもう私は何も言う事はない。だいたいそういう教員は日本中にごまんといるのだから。そういうダメ教員がひとり増えるだけだ。その結果日本中にどういう英語が溢れているかは言うまでもない。
私個人はあれが嫌なので、あれをなくすすために40年間やってきたし、いまもやっている。
これまで教科教育法やらゼミやらで3年間、いろいろな手法を教えてきたはず。
ポンポンパタンも教えた。
It is important は、oooOo for meは oO(もしくはoo) to eat sweetsは oOO
最近は、oを小(しょ) Oを大(だ〜い)と言わせる練習もやっている。
It is fun for me to bake bread.は、
ooOoOoOO (あるいは ooOoooOO)なので、
しょしょだ〜い、しょだ〜い、しょだ〜いだ〜い (小小大 小大 小大大)と言わせた直後に、「それと同じリズムで」と言って、t is FUN for ME to BAKE BREAD. と言わせる、などやっている。
手の上下動をつかって、ピッチ変化を示すこともやっている。
importantの、O(つまり音節)の数を聞く(oOoだから3).そういう小さな問、クイズを常に繰り返す。そうすると母音挿入をしているから正解できないのだ、といことがわかってくる。
生徒の発話にはつねに、いつでもどこでも、にこやかに、ときに厳しく、つねに、フィードバックしなければダメだ。変えたいなら。変わらなくてもいいならほっておけ。でも変えたいならフィードバックしろ。私は変えたい。だからフィードバックする。
いつフィードバックすればいいか? いつでも、だ。一斉リピートの時。ゲームをやっているのを巡視しているとき。インタビューを巡視しているとき。いつでも、だ。ひとりひとりの発話が耳にはいって、いっと〜 いず〜 というのが耳にはいったら、いつでも、違う!本当は〜だ、というフィードバックをしなければだめだ。
歌と同じ。カラオケと同じ。メロディが違う。音程が違う。そういう意識をもたせるのは教員しかできない。他の生徒がみんな「いっといず〜」と言っているとき、ひとりだけ英語らしい発音をすることは、心理的にできない。
だから、みんなが英語らしい発音をしよう、という雰囲気を作り出せるのは教員だけ。それが教員の最大の責任だと私はずっと考えている。
そのイズムを受け継いで欲しいのだ。
少なくとも「しずかチルドレン」には。