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12/28/2011

指導主事と学習指導要領

百姓的な教員がいる一方. . .

あるところで講演した後、当地の指導主事がやってきて自己紹介をして言うことに、

「先生、これからも是非、指導要領を叩いてください。我々も決して、文科省の言うことに盲目的に従っているわけではありませんので。」

個人的であっても現役の指導主事の口からこういう言葉を聞いたのは覚えている限り初めてだったので、嬉しく思った。

ところで、「百姓的な教員」という表現は、失礼かも知れない。

お百姓さんに。

百姓だって百姓一揆を起こしていたのだから、オカミにたてつくことだってあったのだ。

だから冒頭の表現を訂正:

「百姓以下の教員がいる」

12/27/2011

国立大学教員と学習指導要領

セミナーで

「『英語の授業は英語で行う』という例の学習指導要領は、考えた人間も大して具体的なイメージはなかったのだろうし、じゃあ自分でやってみろ、と言われても大した授業はできないだろう」

という趣旨の発言をしたところ、アンケートによると参加者のひとりは

国立大学で教えられている先生が新指導要領のことを少しまじめにとらえられないことに驚いた」


そうな。


これにはこっちが驚いた。


国立大学の教員というのは文科省の提灯持ちだと思われているらしい。


馬鹿クサ。 → 残念なことである。


昔も今も、自分の授業に関して指導要領に頼ろうとするような教員にロクなのはいない、のは変わらん。 がいるのは遺憾である。


目の前の生徒を見ていれば、やるべきことはわかる。我々は江戸時代の百姓であってはならない。







0.8 × 0.8 = 0.64

「多少発音が違っても分かってもらえるからいい」

と言う人がいる。

それは相手が瞬間的に文脈からの想像を働かせてくれているからなのだが、それはともかく、そういう人が想定している聞き手はネイティブスピーカーなのだろう。

ネイティブは守備範囲が広いから、多少想定と違う音が来ても、瞬間的に文脈等を活用して補ってしまう。

話し手の英語の明瞭さが 0.8 であっても、ネイティブの理解度が 1.0 であるので、通じる度合いは、

0.8 × 1 = 0.8

で、そこそこ通じる。

しかし、「世界の英語」の時代になり、非母語話者同士が話すとなるとそうはいかない。この夏の国際学会でも改めて体験したが、イランからの発表者の英語は、非常にわかりにくかった。最大限に集中して聞いて、なんとか筋を追えるかどうか、という程度に苦労した。しかし、その同じ英語を聞いているネイティブはまったく問題なくラクラク理解しているように見える。

非母語話者同士が話す場合、話し手の英語の明瞭さが 0.8 であると、その 0.8 はそのまま理解されない。なぜなら、聞く方の聴解能力が 0.8 だからだ。その場合、通じる度合い、伝達される情報量は、

0.8 × 0.8  = 0.64

と格段に落ちる。お互いに 0.7 であれば、

0.7 × 0.7 = 0.49

と、なんと半分を切る。

非母語話者同士であればあるほど、「通じるからいいや」などという他力本願な姿勢はとんでもない話であって、きちんと話そう、わかりやすく話そう、という姿勢が今まで以上に求められるのだ。

All I Want for Christmas Is You の授業を見て

マライアのAll I Want for Christmas Is You を使った グルグル/ライティング授業(中3)のビデオを見た「英語科指導法B」の受講者のコメントから:

■今回の授業映像では、静先生が生徒を実際に叱っている場面が見られたところが今までと違い、印象に残りました。
授業が始まる前にざわついている(普段使わないパソコンを使った授業だからか?)、「遊びでやるんじゃないんだ。真剣にやらなければ意味がないぞ」と言って教室の空気を引き締めたところと、グルグルの最中に何度も同じところを間違える生徒が(特に男子?)多いことに対して「何度も同じ事を言わせるな!」と全体に対して注意したところ、まじめにやろうとしない1人の男子生徒に対して「まじめにやれ!」と叱っていたところです。これらは普段先生がおっしゃっていたけれど今まであまり見る機会がなかったので特に印象に残りました。
授業の内容はグルグルをやるグループとflip writingをやるグループに分けて交代で実施していて、生徒に暇な時間をほとんど与えていないところもいつもおっしゃっていることが実現されていました。教室をグループに分けてそれぞれ違う活動をさせると、どちらかのグループが(特に先生の監視がないほうのグループ)先にやるべきことを終えてしまって暇になるということが自分の中学ではありましたが、映像ではそういう場面はほとんど見られませんでした。授業中、生徒があれだけずっと英語の文を発音する、または書いている授業はほとんどないのではないかと思いました。心技体に書かれている一斉授業とグルグルの使い分けの見本のような授業だ、と全体を通して感じました。


■ビデオを観て気付いたこと

1、先生の動きに無駄がないということ。

「1秒も無駄にしない」という感じで、先生がすたすた歩いている。やらない生徒は置いていく。

2、1回に多くの生徒をグルグルの対象にしない。

30人程度?(→靜訂正:40人)のクラスで、男女に分けてグルグルをやる。限られた時間の中、グルグルに充てる時間を半分にしているので、一人当たりの時間が長くなるわけではないが、次に自分の所に先生が来るまでの時間が短い。その短い時間の中で集中して練習に取り組まないと、いつまで経っても○が貰えない。グルグルをやっていない方は、問題を解きながら時間を有効に使える。

3、容赦ない。

特に男子のときに見受けられたが、どこか発音で失敗してしまうと、容赦なく切るということ。時間節約という点や、甘えは許されないので1回にかける集中力が大きくなるという利点があると思った。自分だったら、きっとつい立ち止まって指導してしまいそうなので、気をつけようと思った。

4、中学生男子は照れ屋さん。

女子は、グルグルも空き時間の問題演習も一生懸命取り組んでいるが、男子はまじめな生徒とふざけてしまう生徒の差が激しい。問題演習中も騒がしかったし、特にグルグルのときは、ビデオ撮影もあり恥ずかしかったのかもしれないが、1回も先生の前で発音をしなかった生徒もいるし、○をもらえなかったことに腹を立て舌打ちをした生徒もいた。○をもらえなかった悔しさと気恥ずかしさが入り混じっていたのだろうと思うが、このようなタイプの生徒をある意味でおいてきぼりにしてしまうのがグルグルの弱点でもあり、反面、「頑張る生徒を評価する」と言う意思が明確であるという、長所でもあるのかなと思った。


■私は今回ビデオ授業を見て感じたのは使えるものを十分に活用することの重要性だ。今回の授業はPCルームのようなところで行われていた。そこで静先生はPCを用いて事前に撮影した教材を見せることをしていた。特に私はこの複数のPCがある環境で生徒が1人1台の割合でPCを見れるときの静先生の発音の指導に感銘を受けた。なかなか通常の教室で1対多の授業を行うとき、発音を音で聴かせることはできても、口の形を近くで生徒に見せることはできない。しかし撮影する際に自分の口をカメラに近づけ撮影することで生徒はしっかりと発音の際の口の形を見ることができる。これは発音の指導の時非常に有効であると考える。また、生徒は発音や歌を聴き、口の形を見て、英文を読み、英語をしゃべり、英語の歌詞を書くことを授業でしていた。45分の中で聴いて、見て、読んで、しゃべって、書く活動をまんべんなくしていた。このような活動を続けることにより、生徒は自然と英語力を養うのに必要な学習をしっかりしているのではないか。私の高校の英語は文法と長文という授業に分かれていた。しかし、この授業ならばそんな必要はなく、英語の歌をしっかり歌えるようになろうとするだけで自然と様々な力を伸ばすことができる。言語はやはり生活とは切っても切り離せないものであるのだから、身近なものを教材とすることが習得には大事なことなのだと改めて感じた。

■パソコン室?の使い方がとても印象的でした。自分自身が英語の歌の発音指導を受ける際に、解説されている先生の方を見なくてはいけないけれど手元にある歌詞を必死で追ってしまう・・・というように視点が定まらないことがよくあるので、先生が発音解説している画面にそのままカラオケのように歌詞が表示されるのがとてもわかりやすくて良いなと思いました。また、一人一人に自分の口元を見せることは時間的にも厳しいところがありますが、1人1台、目の前にパソコン画面があることを生かして、一人一人により近い距離で口の動きをみせることができる素晴らしい方法だと思いました。また、そのねらいを生徒に対してしっかり説明することで、生徒がちゃんと口の動きに注目できているのが分かり、指示の出し方や説明の工夫次第で教材の効果を最大限に引き出せるのだと思いました。もちろん映像だけで授業を進めるわけではなく、VTRの中での注意点に加えてさらに先生が注意をしていくため、より多くの情報を生徒に伝えられると思いました。more than you の発音を説明するのに「牛乳」と言わせてから発音させるなど、日本語のイメージをうまく利用した靜先生の発音指導にはいつも驚かされます。グルグルではクラスを半分に分け、片方は文の書き書き取りをさせていて、ある程度の人数があってもグルグルの授業はできるのだと思いました。ビデオ撮影や発表会では、とにかく生徒が楽しそうに歌っているのが印象的で、正しい発音で歌えることのうれしさにあふれているようでした。緊張するなど負担がかかった時に発音が崩れてしまいやすいということを聞いたことがあるので、このように大勢の前で緊張しながら発表することは自信をつける意味でも非常に良い機会だと思いました。歌やダンスなどの芸事では、何十回の練習と1回の本番は同じくらい効果があるというようなことを聞きますが、英語の発音も同様に実践・発表などする機会があると効果的なんだなと思いました。 

■クラスを2つに分けてグルグルを行っている点に工夫を感じました。中学生ということからも、40人一斉では回ってくる頻度が低くなり飽きが予想されますが、半分に分けてグルグルをやっていない方も集中して英語の文章を覚える環境があることで、授業時間目いっぱい無駄のない時間を過ごすことができているのだと思います。中には文句をいう生徒も見受けられましたが、結局、一切やらないという生徒がいないというのも事実でした。集団授業ながらも個別授業のように、死角がないというのか、やらざるを得ない状況ができているのでしょう。口の悪い生徒はうまく無視をする(笑)靜先生は強靭な精神の持ち主、もしくはどんなことを言われても余裕でいられる自信、信念がおありなのではないでしょうか。さすがです!しかし、flip writingの活動でズルをする中学生はいないのでしょうか。成績に関わればより集中して取り組める子もいれば、答えを見ながら写す子もいそうな気がします。そこのところ、どうされているのかが知りたいです。 
 グループでの発表や学年発表会など恥ずかしさや緊張などもあると思いますが、日頃のグルグルのお陰で自分の発音が良くなってくるのも実感できるだろうし、英語で歌が歌えるようになって楽しんでいるように感じました。先生のお人柄もそれを助長させていると思います。教師は俳優、女優でいるべきだと思いました。 





授業ビデオの中でグルグルをやっているのを観て感じたのは、誰一人暇な(無駄な)時間を与えていないということです。40人という大人数でグルグルを行う場合、全員でやると一人ひとりの練習時間は増えるが、無駄な会話をしたり集中が他のことに向いてしまったりする生徒が出てくるのではないかと思います。また、一人当たりを見られる回数が減ってしまい、生徒に与えられるチャンスも少なくなってしまいます。しかし、男女に分けて人数を減らすことで、一人ひとりを見る回数を増やし、少ない時間でも一生懸命練習しようという生徒の意欲が伝わってきました。これは、「ちゃんと練習しなきゃすぐに先生が回ってきちゃう!」という生徒の意識を引き出しているからだと思います。グルグルをやっていない方のグループにも課題を与えて点数化させることも、とても効果的だと思いました。生徒はおそらく、成績を意識したときに「やろう!」という意識が出てくると思うので、点数をつけることは生徒にとって大事なことだと思います。

グループごとのグルグルでは、なにより生徒が楽しそうに歌っていたのが印象的です。ビデオを観て、やはり楽しく英語を学ぶ事は必要だと思いました。生徒たちの活き活きとした表情と歌声が、グループグルグルへのやる気を表していると感じました。そして、学年発表会のような機会を与えることによって、練習の成果を皆の前で伝えることができ、さらなる意欲を生み出すと思います。発音の大切さを早い段階で学ぶ事ができるのは大切なことであり、幸せなことだと思いました。



今回見た授業ビデオの中にもたくさんの工夫が見られた。特に、発音しているときの口元がよく見えるようにと、前もって作成しておいたビデオを使うというのはすごくいいアイディアだと思った。実際の授業では、生徒たちは先生の発音を聞くことはできても、発音している口元を正確に見ることはできない。たとえ、できたとしても前の方に座っている生徒のみであり、後ろに座っている生徒には不可能である。もちろん「舌をつけて」など、発音の仕方について具体的な指示を与えることはあるが、説明だけ聞くより実際に見るほうが明らかに分かりやすい。だから、あのようなビデオを使って授業をすることは、効果的だと思った。

また、グルグルをやる時間も、グルグルをやるグループと書き取りをやるグループに分かれていて、とても効率がよかった。教室よりも狭いパソコン室を使っていたので、全員でやるとなると移動時間などの無駄な時間が出てしまうが、この方法なら移動時間が少なくて済み、効率よく行うことが出来ると思う。加えて、グルグルと書き取りで扱う英文を同じにすることで2つの学習がつながるので、生徒たちの意欲をより高めることができると感じた。このような点からも、靜先生が常に「与えられた環境の中で、いかに効率よく、生徒たちのためになる授業をするか」を考えていらっしゃるということが分かった。そして、教員は毎日ただ授業を行うのではなく、いろいろな状況を考慮しながら、授業について日々追求していくことが大切だと感じた。

さらに、授業で学習した内容(歌)を発表させる場を作るというのは、生徒たちに対して、よい動機付けになると思った。グルグル合格バージョンや学年発表会を見たが、生徒たちがいきいきと歌っている姿が印象的だった。このように、授業だけで終わらせるのではなく、学習効果を評価してもらえるような場を提供することで、生徒たちはより真剣に、より高い質を求めて授業に取り組むようになると感じた。


12/17/2011

暗いモデルを真似したいと思うか?

英語教師であるあなたの音読は、雰囲気が暗くて、弱々しい、です。

原因は、ピッチの上げ下げの幅が少なく、強勢の大小の差が少ない、からです。

暗くて弱々しい英語を、誰も「真似したいなあ」とは思いません。

生徒もリピートしたいとは思いません。

よって生徒も巧くなりません。

別に自分のほんとうのキャラはどうであっても自由です。が、英語の授業で英語教員の口から出す英語は、個人のキャラではなくて、売り物である商品なので、金を払って見に来る観客に見せる、芝居のセリフ、だと思ったほうがいいです。

生徒が教員の英語に憧れなければ、なにも始まりません。

生徒に、先生の英語はやっぱりCDとは全然違うなあ、という感想を抱かれるようでは、


やっぱり日本人の英語はヘタなんだなあ。自分たちもたかが知れてるなあ」


という無意識のネガティブな刷り込みを毎時間しているのと同じです。

podcast でもニュースでもいいので、もっと生の英語を聞いて、真似をして、

明るくて、力強い

英語らしい英語が口から出せるようにトレーニングしてください。 

やればできます。やるきになるか、だけ。

12/16/2011

-ed の発音 アンディテクテド

NHKのあさいちで、放射性物質が検出された、されない、という話をしていた時、アナウンサーだか解説者だかが、

「英語では、ディテクト 検出する、という動詞を使って、アンディテクテド つまり検出されない、という言い方をします」

のようなことを言っていた。

気になった、というか、気づいたのは、彼が

アンディテクテッド 

ではなく、

アンディテクテド

と言ったことである。

最近学生を教えていて、

change-changed

と、

want - wanted

の違いを意識していない者が珍しくないことに気づいていたので、それとの関連で気になった。

change は、1音節 

changed も1音節

だが、

want は1音節

で、

wanted は 2音節

なのだが、その音声的な違いを意識せず、

チェンジ チェンジド

ワント  ワンテド

という同じ

「ド」

だととらえている向きが珍しくない、

という気づきであった。

そういう学生が生まれるというのは、いかに「音に無頓着な」英語教師が多いか、という間接的なエビデンスだと考える。

12/15/2011

歌は英語教師の MUST

数日前、学生に出したメールの一部:


もう分かっていると思いますが、私は、英語の授業における英語の歌について非常に強い意見を持っています。

具体的には、英語の歌をきちんと授業で指導することは、英語の単音、リズム、音節などさまざまな面に関して非常に効果的であるという理由から英語教師が英語の歌をモデルとしてふさわしい水準で歌えることは、優れた教師の絶対必要条件である、という強い考えを持っています。

だからみなさんには、必ず英語の歌が自信を持ってきちんと歌えるようになって欲しいと願っています。

最低限、アカペラで、40人の生徒が指導できる、できれば200人の学年集会でも指導ができる、レベルになってもらいたいのです。


(以下略)

12/11/2011

クラプトンが糞になったわけ

昨日高知で教えてもらった発音ミスのオモシロエピソード:

その人が若い頃オーストラリアに行って、音楽の話になり、自分はエリック・クラプトンが好きだ、と言った途端に大笑いされた。

その時は分からかなったのだが、実は

I like Elic Crapton.

のような発音をしたせいだった。

もちろん正しくは 

Eric Clapton

なのだが、そのRとLがひっくり返っただけで、どうしてそれほどの「大笑い」につながったかというと、

Crapton

という音は、(特にonをはっきり言ってしまうと、)

crapped on

に聞こえる。

で、

crap は、動詞で「糞をする」

という意味なので、

crapped on は受身で

「糞をされた」

という意味になりうる。

The f**ing pigeon crapped on me.  そのハトは俺に糞をかけやがった

なので、

I like Elic Crapton は、「糞をかけられたエリクが好きだ」

と聞こえたのであろう、

という話。

もちろん、Elic などという名前は、ない。

映画授業ビデオの感想

英語科指導法Bで、映画 (Love Actually)の1シーンを使った高校2年生対象の出前授業のビデオを見せた感想。下線は私がつけたもの:


Sam and Daniel 感想

 私が高校の時に受けた授業では、ハリーポッターと賢者の石を英語で英語の字幕を見て、その感想をスピーチするという授業であった。今回見たビデオでも、映画を題材としていたので、ほとんどの時間を映画鑑賞にあててしまうのかと思っていたが、全く違っていた。先生がおしゃっていたが、映画を使うとしても、授業で使う部分は、3分くらいが限界だということであった。それには、教師がどの部分をどのように使い、生徒たちにどのような能力を身につけてほしいのかをきちんと事前に決めておくことが大切である。映画を使うと、英語で聞かせたり、英語の字幕で、日本語で聞かせたりと、さまざまな使い方ができる。映画というだけで、生徒たちは興味をもって授業に取り組んでいると思った。
 今回は、SamDanielの二人の会話の場面が主であった。単に聞かせて終わりではなく、プリントを用意しておき、その穴埋めを生徒にさせることで、穴の部分を生徒たちも注意深く聴くようになる。また、空いている部分を聞き逃したりしてしまったり、確認させるために、ピンポイントで二回聞かせることも大切であると思った。また、会話を練習する時も、ただ単に英文を覚えさせるのではなく、感情をいれて読めるように、強く読むところを練習する前に示しておくのは、良いことだと思った。発音でも、rthなど多くの生徒が間違えやすいところは、練習前にみんなで共有しておくことで、練習に移った時に、生徒たちが自分で気を付けるようになると思った。その他に、リスニング、グルグル、ペアワークと一つの授業の中で、さまざまな練習形態をとることで、生徒の集中力を持続させることができるので、時間を区切って練習することは必要であると思った。

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 最初に英語の字幕で日本語の音声を流していました。それによって、一場面だけでは理解しがたい背景がわかるので工夫されているなと思いました。また、映画に興味を持つことができるのと、これから何が始まるのだろうというどきどき感も出るのではないでしょうか。それ以降はスクリーンで映画を見るときは日本語が出てきませんでした。生徒は英語だけのモードになって、聞き取りも敏感になっているのではと感じました。字幕なしで聞き取るところは、難しいところは内容説明してからもう一回聞くというパターンでした。生徒が書きいれたらそこをリピートすることによって確認ができると同時に一文として把握できるのだと思いました。プリントのブランクの量も参考になりました。特に印象に残ったのは音声強調プリントで、見て読むだけで自然に一文の流れがわかっていて、私もつい口に出して読んでみたい!と思うプリントでした。ポンポンパタンのプリントもそうでしたが、視覚にうったえて自然にそう口ずさめるものは先生の工夫しだいだなと感じました。グルグルでは、生徒達の必死な顔とマルをもらったときの笑顔が印象的でした。え~っという声も挙がっていましたが、2回目にマルをもらった生徒は更にガッツポーズが大きかったです。最後に字幕なしの映像に合わせて発音していました。あれは最初の自分に比べて自分ができるようになったことを実感できていいなと思いました。

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 今回、教材としてビデオ「Sam and Daniel」を用いた授業をみたが、生徒の英語力を向上させるにあたって、この教材はとても効果的だと思った。第一に、字幕の活用が挙げられる。英語での字幕ありなしを目的に合わせて利用することができるのは役に立つ。字幕なしで行えば、文字媒体に捕らわれずに英語の聞き取りができるし、字幕ありで行えば英語の発音やリズム、強弱を意識することができる。第二に、ビデオという視覚的な情報を利用することで、子どもの集中を向けることができる上に、その場面を見ながら英語の意味内容を想像しやすいということである。45分、ないし50分の授業をずっと教師がテキストの文章を読み聞かせるような授業よりもよっぽど生徒の集中をむけることができる。第三に、ビデオでの会話はすべてネイティブの発音なので、教師の発音に加え、ネイティブの発音も確認することができる(もちろん、教師もネイティブ並みに発音を習得しておく必要がある)さらに、ビデオのなかで重要な文章をペアワークやグルグルで確認することで、より一層英語力の定着ができる。その時にも教師は一人一人の発音を注意深く見ておく必要がある。以上の観点から、ビデオ教材とグルグル、ペア・グループワークを合わせた授業は、生徒の英語力を向上させるのに効果的だと感じた。

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今日見たビデオの中の生徒達がとても活き活きと活動をしていたのが私には印象的でした。特にグルグルを教室の後ろでやっているときに、ある一人の男の子の顔が特に印象的でした。まず一巡目に「マル!」と先生に言ってもらえた時の驚いたような嬉しそうな顔がひときわ印象的で、私が初めて靜先生に「マル!」と言ってもらえた時のことを思い出しました。そして二順目に来たときには少し自信気な顔になっていて、また「マル!」と言ってもらえた時には「よしっ!」と言っているようにも見える誇らしいような顔になっていました。そして、最後にペアワークをしている時には、本当に映画の中の人物になりきったように英語を話している生徒が何人もいて授業が始まる前と後では、生徒の顔つきからしても何か変わったように見えました。授業の前と後で何かをつかんで自分が一歩でもステップアップした生徒の顔がこんなにも変わるのだなと気付き、こういった生徒に授業の前と後で変化を持たせることができる授業展開をしていくことが大切なのだなと思いました。

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 私の個人的な意見ですが、座学はつまらないものです。特にこちらがず~っと受身で聞いているだけの講義は、たとえ先生が素晴らしくても大学生の今でも飽きてしまいます。英語も言わば座学ですが、靜先生の授業の場合は、グルグルがあり、ペアワークがあり、生徒が活動できる場面が多いと感じました。同じ50分でも耳だけ動かすのと、体全体を使うのとでは印象の残り方や学習効果に差が表れてくると思います。机から離れ自身で声を出し、評価してもらう過程は、たとえ短時間であっても座学の何倍も大切だと思いました。証拠に、グルグル中は生徒の顔がキラキラしていました。みんな楽しそうに笑っていました。大学では受講者が多いので気付かなかったのですが、クラス内でのグルグルは輪が小さいのですね。輪が小さい分、順番も早く回ってくるし「少し休もう」などごまかしも効かないだろうし先生の「目」が届く(というか直視され続けている感覚)常に張りつめた緊張感のある貴重な時間だと思います。それから聞き取りでは、映画は人物・背景・表情・音声など、英語を聞きとる際にたくさんヒントがあります。だから今回の授業は、英語を苦手としている子も取り組みやすかったのではないかと思いました。また何度も同じ場面を流していたので、徐々に聞き取れるようになっていく生徒もいたことだと思います。最後には答え合わせもしていて、聞き取れなかった生徒を置いて行かないスタンスに先生の優しさを感じました。

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始めに感じたのは、私立の高校ということもあるのか、グルグルの時に一発でマルをもらえた人が多かったように感じた。これは、初めから英語に慣れている人が多かったというわけではなく、グルグルをやる前の授業が大切なのだと思う。グルグルで使う文章の中で気を付けるべき(日本人が間違えやすい)発音部分を徹底的にやること。また、このグルグルは、その後に行われるペアワークの準備としても有効だと感じた。どこに気を付けるべきか、何を見て(聞いて)あげるべきかを生徒自身が理解していなければペアワークの意味はない。そこで初めて、グルグルでマルをもらうために一生懸命練習した部分を相手が言えているかどうか見てあげる、という作業がスムーズに行われるのだ。
 また、「Listen and fill in the blanks」の作業で、繰り返しその場面の映像を流す際に、教師がピンポイントに的確に映像を戻すことは、生徒の集中力を持続させるのに最低限必要だと思った。また、穴埋めの文を流した後で、生徒の反応を見て、もう一度その文章を流してあげたり、適宜日本語を言ってあげるのは大切だと思った。この時、日本語で終わらせるのではなく、もう一回英語を流すことで、「英語で終わる」ことができていたように思った。また、生徒が集中できるのに、3分というのは適当な長さのように感じた。

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外国の映画を見せることを授業で行うのは、ネイティブが使う生きた英語を勉強させるのにとてもいいと思いました。普段自分たちが使っている(使えたつもりになっている)英語がいかに本物とかけ離れているのかを知るいい機会だと思います。
 授業の進め方でいいと思った部分は、映画の中のセリフが聞き取れない生徒に対して、先に日本語でどういうことを言っているのかを説明してから英語を聞かせる、という方法を取っていたところです。あの方法は、全く何を言っているかを聞き取れていない生徒にすぐ答えを教えるのではなくてその部分の日本語訳を教えてから聞かせることによって聞き取る状態の疑似体験(?)をさせるという意味があるのかなと思いました。
 高校2年生のクラスで中学生レベルの単語、構文を中心にしての授業でしたが、余裕を見せる生徒がほとんどいなかったのも印象に残りました。最後のグルグルも皆必死になって音読して、マルが貰えるとかなり嬉しそうにしていました。あれを見ていると、どの教材を使うのかはそれほど重要ではなくて、その教材をどう使うのかが大切だということがわかります。
 もしあの授業で宿題を出すとしたらどういう内容にするのか、気になりました。

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今回の授業ビデオでは映画のワンシーンを用いて授業を行っていた。教材として英語の映画を使うというのは、私はとても有効であると感じた。というのもそれは、いわば「生きた英語」に触れる機会になるからである。生徒たちは英語を学んでいるとはいえ、英語を母国語とする人たちと話す機会はそう多くはない。しかし、英語の映画を教材とすることでリスニンングはもちろん、台詞を真似ることでスピーキングも練習することができる。また空所のあるワークシートを用いることで生徒は必死に聞き取ろうと努力し、それとともに単語の音のつながりにも気づけるのではないかと考える。そして、聞きとろうと努力したからこそ、その後のグルグルの時にしっかり発音のイメージを持ってできる。映画を観るのもただ観るのではなく、最初はシーンの流れをつかむために日本語音声英語字幕、次に聞き取りのために英語音声のみ、最後に確認のため英語音声、字幕であった。生徒の英語力を高める上でこういった工夫を施すことは非常に重要であると考える。私たちは第一言語が日本語である以上、英語は学習して身につける人がほとんどである。私は言語を習得するうえで大事なのは完璧に真似ることだと静先生の授業を通じて感じている。真似る対象は母国語としてその言語を使っている人に越したことはない。簡単に用意できるとともに、勉強という固いイメージを持っていない映画は教材として非常に有効であると今回の授業ビデオを通して感じた。

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よくある教材やTOEIC等のリスニングはある程度できるのに、実際にネイティブが英語を話しているところを聞くと、さっぱりわからないのを痛感していたので、そのような英語音声を題材にした授業はより実践的で、誰もが意欲的に取り組めると思いました。映画を題材にしているというだけで生徒のモチベーションもかなり高く、楽しんで授業に参加している様子が感じられました。特別に教材を用意するのではなく(準備は大変だとはおもいますが)DVDを活用して音声の日本語・英語、字幕の日本語・英語をうまく組み合わせているのが印象的でした。内容はかなり高度なように思われますが、ディクテーションはピンポイントで何度も繰り返し、グルグルやペアワークに進む際にも欠かさず十分な練習をして、生徒が戸惑いなく自信を持って活動できていると思いました。教材の量(映像の長さ)も適当で、多すぎない範囲を丁寧に集中的に練習させることの大切さを再確認できました。グルグルでバツをもらった生徒が「意味わかんねえ」と言うとすかさず他の生徒が「○○は唇が~」というように解説してあげていたので、グルグルの中での教えあいもあるんだなとわかりました。グルグルで練習した文を軸にペアワークを行うなど、それぞれの活動の長所を生かしながら全体の構成をしっかり考えることが大切だとわかりました。また、グルグルのワークシートも工夫されていて、例えば“Even though you won’t be able to~”という風に読み方を視覚的に表しているのが印象的でした。こんな風に強弱やアクセントなどが楽譜のように表されていたらすごくわかりやすいと思いました。

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今日の靜先生の授業を見させていただいて一番に感じたことは、高校生にとってとても難しい題材であるにも関わらず、教師の様々なアプローチで生徒が授業についていけるように工夫されているということです。私は、今回の題材を何回ビデオで見ても、なかなかついていけませんでした。しかし、授業を受けている生徒たちは、英語を適切に聞き取っていて、そのことに驚き、とても印象的でした。でも、それは靜先生のその時その時の適切なアプローチがあったからだと思います。ビデオの見せ方がとてもよかったなと思いました。まず、最初に英語の字幕の日本語音声で映画を見せることによってストーリーを印象づけることが出来ると思います。そして、英語でもう一度映画を見せ、人物紹介を盛り込むことで状況把握にもつながると思いました。また、英語で見せた後に友達と内容把握をさせることもいいと思いました。それは、友人と確認することで穏やかな雰囲気のなかで内容理解が出来ると思ったからです。また、プリントを途中で配ったことにも意図があったのかなと思います。穴埋めのプリントを最初にもらうと、生徒は穴だけに集中してしまうと思います。でも、プリントを後で配ることで最初の意識をストーリーに集中させることが出来ると思うので、先生はそれを狙ったのだと考えました。もうひとついいなと思ったのは音読プリントの構成です。強く読む文字が大きくされていることで強弱を意識できるし、練習時に強く発音するところだけ取り上げ、後から他の部分を付け足すことでリズムも効率よく付けられるのではないかと思いました。
ひとつの授業の中で、工夫されているポイントがたくさんあったので教師として見習わなければいけないなと思いました。
教えたいことだけ無理やり教えるのではなく、生徒のペースに合わせて授業の配分を考えることが一番大事だと思います。それがとても上手く組み合わされた授業だったと思いました。

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 リスニングではどのようなヒントを与えるかが非常に重要であると感じました。
 
特に日本語の意味を与えられることは、とてもヒントになると感じました。日本語の意味からどんな英語が入るか予測した上で、聞き取ろうとすることができます。
 
また、静先生が英語のセリフを繰り返すことは、同じスピードで話すとしても、強調している部分がわかりやすく、聞き取りやすく感じました。
 
一番大切だと感じたことは、答え合わせのあとにもう一度聞かせることです。聞き取れなかった生徒は確認することができるだけでなく、聞き取れた生徒も今度はどのように発音しているか注意して聞くことができます。前の単語とつながっているか、どこを強調して発音しているかなどに注意して聞くことができます。
 リスニングの授業をどのように行い、どう題材を活用するかが重要だと思いました。

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 今回見たビデオの授業の中で、聞いた英語をプリントの空欄に埋める作業があったが、靜先生からはいくつか指導のポイントを挙げていただいた。そこで私が強く感じたのは、いずれのポイントにせよ、生徒の学習の質を上げることを考えると、どれも素晴らしいものだったのではないかということである。
 たとえば、靜先生はピンポイントでスキットを繰り返し聴かせる、日本語でヒントを与えてみる、そして生徒に解答させたのち、もう一度その部分を聞かせて確認させるといった工夫を凝らしていた。日本語で文の内容を把握させてから英文を聞かせることで理解への手がかりを与えるなどといった、生徒の英語力の向上を目的とした指導の工夫はとても大切なことなのだなと靜先生のビデオを通して改めて感じることができた。今後指導する立場になる可能性があることを踏まえると、今回のビデオを見て感じたことを大切に心に留めておきたいと思う。

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・はじめに音声が日本語で、字幕が英語の映画を見せているときは、先生は英語でしか情報を与えていなかったが、その後英語だけの字幕なしを見せ、穴埋めをさせるときには日本語で情報を与えていたことに気づいた。
・映画をピンポイントで区切ることが大切だということを知った。
・生徒にあなうめをさせた後に、本当にそう言っているのかを映画をみて確認させる。また、その穴埋めした文章をもとにグルグルのための文章を言わせる準備をするところが、学習が関連していてすごいと感じた。
・重要な文章を一文暗唱させるために、はじめに一番強調したいところを手をたたいていわせ、そこから徐々に英文の肉付けを行うテクニックをぜひ使わせていただきたいと思った。
・はじめは、ただ発音をチェックするためだけにグルグルを行ったのだ思ったのだが、その背景には、グルグルで重要な文を言えるようにしてからペアワークをさせるという目的があったことがわかり、目的のあるグルグルが大切であると感じた。

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 映画のワンシーンを取り入れてそれを主に扱っていくという流れは、生徒の興味を引き出すことができ、生徒自身も気付かないうちに夢中になって練習に取り組める方法だと思うので、このような視覚教材の活用法は非常に効果があるように思います。ただ、日本語の字幕を消したシーンが流れてきたとき、生徒たちが内容理解をするには難しいのではないかとも思い、よくわからないと感じて関心が逃げていくのではないかとも思いました。しかし、ひとつの短いシーンについてグルグルを行ったり、紙に書き取りをしたりといった練習を重点的に行うことによって、最初に映画のワンシーンを観た時と、授業の最後にワンシーンを観た時では、生徒自身の気持ち的にも良い方向に変化が生じていたのではないかと思います。ただ、映画のワンシーンを何回も見て練習をするのではなく、静先生の英語による説明が多く取り入れられていたので、このような授業者の授業準備は重要であると感じます。
 また、おそらく英語圏の出身であろう生徒が同じ授業を受けていたと思うのですが、そのような多文化的な視点から英語の授業を考えていなかった自分にも気付くことができました。わたしがビデオを見た限りでは、彼はグルグルに参加せずに他の生徒に教えているように見えたのですが、そのような臨機応変な取り組みを考えることも重要であるように感じました。

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授業教材としてビデオを使うことはすごくいいと思います。
 まずは先生がそんなに喋らなくでも自然的に英語で授業することができる。もちろん、観賞中でも授業中でも多少な指示が必要と思うが。たくさんの時間を生徒に「英語」というものに接することが目的の一つだろう。また、そういう活動も今の時代に応じて、ふさわしい事であると考えている。
 さらに短い間に、できるだけ、たくさん英語とふれあい、親しむことにより、授業内容に興味を示し、生徒の関心を引き出す効果がある。そして、授業の流れに乗れば素晴らしい授業ができる。
 普通の授業では、教え込みの一方的な姿勢である。生徒の主体的な学びの機会をそいでしまうことが多い。しかし、ビデオを使うことによリ、生徒がビデオを通して、自ら英語を楽しむことができ、知りたいという気持ちで英語の勉強にも頑張る。その上、思考力、判断力、表現力もきっと鍛えられるだろう。高校生はもちろん、中学生にも合うと思います。今の時代では、説明だけではなく、豊富な映像やアクティビティから自然と英語が身につくような工夫ができる力が先生が求めているもの、また我々が求めるものである。

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DVDなどの視聴覚教材は、ネイティブの自然な発音を聞くことができるとともに、ただ観るだけではなく、様々な使い方ができると感じた。たとえば、自由に再生、停止、巻き戻しなどができるという特徴がある。それを活用して、シーンの前後で先生が簡単な英語で状況を説明することができる。これにより生徒の理解を促進できるほか、理解するための情報が多くなったからこそ、生徒がより集中して聞こうとするきっかけにすることができる。状況を説明するだけでなく、難しい単語が出てきたところで停止し、それらを簡単な英語に置き換えて説明させたりもできる。聞いたこと、読んだことを自分の英語で要約、説明する力をつけることができる。そこから、発音練習や、ペアワークに発展させることもできる。DVDの発音を聞いた後に、先生がゆっくり言い直すこともできる。DVDなどの視聴覚教材を、ただ楽しく観て終わるのか、それとももっと多岐にわたる活用をして、同じ時間を使ってより生徒の英語力を向上させることができるかどうかは、教師の授業準備と技術に左右されると思った。

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まず、このストーリーが、生徒を惹き付けることの出来るおもしろいものを選んでいるなと思った。1分ほどで丁度いい長さのようだし、印象づきやすいこの部分ならば、英文が入ってきやすい。強調する箇所を読ませてから一文読ませるのもいいと思った。読んでいいグルグルの場面で気になることがあったのだが、thoughの発音に苦しんでいる生徒が多かったので、静先生は何回かthoughの発音を繰り返していたが、それでもなお発音出来ない、というよりも何が違うのかわかっていない、少しやんちゃそうな生徒が、わりと大きめな声で「は、いみわかんねー」のようなことを言っていたのだが、それはほうっておいてよかったのだろうか。その後、それぞれが役を決めてペアワークをしたが、時間がなかったせいだとは思うが、ペアワークの時間が短すぎて、あまり役を決めた意味がなくなってしまったのかなと思った。でも映像に合わせてきちんと発音している生徒も見られたので、それはよかったと思う。ペアワークの際に机間指導を怠らないことも大事なのだと思った。また、当然のことだとは思うが、あれだけ周りに見ている人がいる中で、普段通りに授業できているのが流石だと思った。授業参観などで浮き足立つ教師もいたので、やはりすごいと思う。


(靜: 本来であれば、thの発音の仕方は教えてからグルグルに入っている、という前提。)

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 DVDの字幕が途中で消え、先生のセリフ解説を受けた後、実際にそう言っているかと字幕が再開されました。今まで字幕は映像と言葉を理解するための補助的役割だと思っていたので、このようにリスニング教材として使用するのを見るのは初めてでした。そして、字幕なしでのリスニングを、プリントの作業に聞き取りをいう形で取り入れ、そのプリントを後のGGMやペアワークで使用するなど、授業に無駄がなく、関連した活動を連続的に行えることが靜先生の授業の特徴であり、考えられた構造だと感じます。今回のような活動では、使用する教材は3分がベストということなので覚えて活かしたいです。今回使用した映像は、ちょうど少年と父親の会話でわかりやすく、かつ、理解ができる長さの部分でしたが、そのような場面選びをすることは簡単ではないと思います。教師が持つべき知識とは、学習内容に関してだけではなく、生活全般において教材としてふさわしいものを見つけることも含まれると感じました。そのためには、日ごろから授業や生徒のことを考える必要があると思います。字幕がなく、自分の英語能力のみで映像を見るのは、もし聞き取れなかった子の場合、つまらなく、途中で集中力が切れてしまうのではないか、と思いましたが、どの生徒も集中してスクリーンを見ていて、集中できるかどうかは生徒次第ではなく、先生が生徒をいかに集中に導くかどうかなのか、と考えました。実際、靜先生の授業は私の知る限り、どの生徒も集中して取り組み、参加しています。以前、靜先生からのメール(ぐるぐる通信?)に「生徒ができないのは生徒のせいではなく、教師に問題がある」という主旨のものがありましたが、それは能力のことだけではなく、授業運営全般に言えることだと感じました。

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 靜先生の授業は、英語を使っている時間が圧倒的に多く、日本語を使うのが少ない、でも生徒が授業についていっているという授業でした。先生の授業の中で日本語は、やること自体の指示を与えることや英語で空欄を埋めるためのヒントという役割でした。内容については英語で言い換えたりして生徒へと伝えられていて、英語だけでも内容を理解することは可能なのだなと改めて感じさせられました。生徒に日本語で訳を考える予習をさせて発表させて、答あわせをするような授業では、授業が終わったときに生徒の頭の中には日本文の訳が残ります。時には、日本語の解釈について相当考えてしまうこともあります。しかし、先生の授業では、グルグルで扱った文など英語の文が頭に残るということを実感しました。しかもその頭に残る英語はグルグルで扱ったために発音に注意するところが分かっているし、文の中で文字の太さや大きさの違うプリントも使っていたために文の中で強く言うところが分かっているので発音があやふやなままに終わらず、後で自分で読める・使える英語になると思いました。

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今回の授業はDVDの洋画を用いて行った授業だったが、映像教材の特性を使いこなしていたと思う。まず、教科書などのテキストと違い、動的な内容を含み子どもたちが興味を惹きやすい。また、CDなどと比べ一時停止や巻き戻しが容易にできるため、同じ音声を即座に繰り返すこともできる。さらに洋画では英語音声、英語の字幕、日本語訳を同時に使うことが出来るので、生徒の習熟度に応じた授業を展開することが出来る。例えば、リスニングのように字幕を一切出さないことも、内容理解をより確実なものにするために日本語訳を出すことも可能で、つまり融通が効きやすいということである。
 以上のような利点を今回の授業は余すことなく活用できていたと思う。まずはあるシーンだけを流し生徒が独力で流れていた音声を聞き取ろうとしていた。もちろんそこで完璧に聞き取れていた生徒は皆無だった。そこで日本語での意味を言い、ヒントを与えた。そして再び場面を流した。その時に生徒が聞き取るべき人物の発言があった直後に一時停止をしていた。これはCDでもできると思うが、生徒の書きとりの時間を確保するうえでは必要だと感じた。その後は空所の内容を確認をして、最後に本当にその会話文が話されているのかを確認するために場面を流していた。解答を生徒に教えておしまい、という授業が多い中で、これは見習うべきことであると感じた。ペアワークをきちんと行わせるために事前にグルグルを意図的に行っていて、とても手の込んだ授業であると感じた。

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最初にあえて日本語音声と英語字幕でビデオ鑑賞させたのは、次に字幕なしの英語音声で聴くというハードな要求をするための良い意味での「しかけ」だったのかなと私は読み取った。この意図はどういうことだったのか少し気になる。


(靜:メインの場面の文脈を短時間で把握させるため、だよ)


プリントの空欄補充の際に、音声を区切りながら繰り返し聴かせるという場面を見たとき、単純に授業機材を上手く使いこなせないと教員として大変だと思った。逆に言えば生徒が興味を引く題材を上手く操作してあげることで授業として成り立っていたのが流石だと思った。前回のビデオ感想で靜先生の授業があそこまでスムーズにいったのは女子だけのクラスだったからではないかという感想をもったが、男女関係なく一生懸命、静先生の方を向いて話を聞いており、またぐるぐるの時の友だちと話すことなく発音練習していたので授業のやりやすさは生徒によるという概念は必ずしも当てはまらないのだと思った。ぐるぐるで一生懸命練習したことによってワンシーンのセリフを練習する際も、生徒全員対先生という形態をとっていたのにも関わらずよく声が出ていたと思った。また、先にぐるぐるを行なったことで、たくさんあるセリフの中に一つでも自信をもって発音できる、言い慣れているセリフがあるというのが、生徒が次の活動に興味を持ち集中していられる工夫であると思った。映画のシーンにあわせてセリフ言うという活動は、最初は聞き取るのさえ難しかった英語が意味も分かっただけでなく、発音もネイティブに近くなった状態であのスピードについていけるという喜びや自信につながるものであると感じた。これこそ授業前と授業後の変化を教師ではなく生徒自身が感じられる素晴らしい活動であると思った。

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今まで私は学年が異なると英語運用能力も変わるのだから、それぞれの学年にそれぞれの授業をしなければならないと漠然と考えていました。しかし穴埋めの部分の正解を示したり、単語と構文をより易しくしたりすることで同じ内容の授業を、下の学年の生徒であっても理解できるということを知りました。私の高校の英語の授業はセンター試験対策や2次試験の英文和訳などがほとんどで学んでいたことはあまり実用性がないのではと感じ、受験のためを割り切って勉強していました。しかし先生の授業ではビデオを使っており、私がこの授業を受けていたら実際に話されている英語なのだと思い、真似をして発音をよりよくしたいという感情が生まれると思いました。ビデオを流してただこれを見て真似してみようと終わるのではなく、訓練をうけていない生徒がつまずきやすいポイントを先生が示しながらやるということが大事なのだと改めて思いました。これはビデオだけでなくCDの音源を使うときも一緒でただ生徒に聞かせるだけではなく、ゆっくりはっきり正しい英語で発音することが重要です。このことは本来英語教師なら当たり前のことなのでしょうが、完璧になれるように日々勉強しようと思いました。


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今回のビデオを見て思ったことは、自分もあのような授業を高校生の時にも学びたかったなということです。自分の高校生の時は発音など全く気にせず、外国の映画も日本語訳をみればいいやという気持ちでした。しかし今、英語を教える教師を目指すに当たって発音やリスニングのことを学び、もっと高校生の時に学んでおけば良かったなと後悔しています。映画を使って、リスニング能力や発音を良くするという授業はとてもユニークで素晴らしいと思います。生徒たちも教科書のようなつまらない題材ではなくて、映画という楽しいもので学べるというのは楽しいと思いますし、より一層集中できると思います。ワークシートも聞き取りづらいところを空欄にしていて、かつ、文法的にも大事なところを空欄にしていたので、リスニング能力だけでなく文法も考えながら学べるのでとても為になると思います。教科書だけでなく映画や洋楽を使うことによって楽しく勉強できるというのはとても良いことだと思います。自分が教師になるにあたり、このような授業もあるんだと参考になりました。自分もこのように生徒が楽しく勉強でき、受験にも必要な能力を身につけられる授業を工夫して行いたいと思います。

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今回の授業を観て、形を変えることなく行うことができる安定した授業を考えることが大切であると改めて感じました。靜先生の行っている活動は、かつて私が中学校・高校で受けた、英文和訳をしていくようなものとは全く異なりますが、今考えるととてもシンプルで、英語力があれば比較的行い易いものであると感じました。そして、生徒も今までの授業より多く英語を使う機会を得ることができます。今回、映画を題材に用いて授業を行っていましたが、実際のネイティブスピーカーの発音・表現・間の置き方など、受験英語を勉強していても学ぶことのできないものをそこから得ることができますし、映画では、授業用のCDと異なり、メインとなる会話の他に雑音が入ることもあるので、(その前にCDで聞きとる練習をする必要はあると思いますが)会話を聞きとる良い練習にもなると思います。この授業を観て、英語教師には、英語力はもちろんのこと、良い題材を見つけ出す力、字幕の使用や再生・停止のタイミングなど、見つけた題材を上手く活用する力、日本語で行うことを丁寧に説明する力、そして安定した授業構成を考え、実行する力が必要であると感じました。「教育の方法」というものは経験があっても不測の事態に戸惑うことはあると思いますが、「授業の方法」に関しては、教師の勉強量や経験量に比例していくものであると思うので、これから英語を使うことと、生徒の為になる授業方法を考えることを増やしていきたいです。

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今回の映画を使った授業は今まであまり見ないタイプの授業でした。でも個人的に僕はあの授業は好きです。洋画を使えば、本場の人がしゃべっているので生徒は日本人英語ではないネイティブの発音に触れられます。きちんとストーリーを把握していれば文脈から判断できるためリスニングにも適しているといえます。あとネイティブが日常で使う言い回しなども聞けます。僕は昔から思っているのですが、絶対日常生活で使わないような単語を覚えさせるより、基本的な単語を覚えさせてあとはイディオムや発音に力を入れて、日常で使える英語力を鍛えていくべきだと思います。センター試験の英語9割でオーストラリアでマックの場所を聞くのに手間取った僕が言うのだから間違いはないと思います。マクドナルド、マックではつうじないんです。しかしこの映画を使った授業はいいことばかりではないです。もちろん教材が増えるのですから、教材研究に時間もかかります。しかもあまりなまっているものや、難しすぎる英語を使っているものは選べないでしょう。教材選びに先生のセンスがいるということであるといえます。そしてそのネイティブの英語を正確に聞きとれて(もちろん字幕を見ないで)きちんと発音できなくてはならないです。つまり教師自身に高い英語力が要求されるのだとおもいました。

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授業のメインはダニエルとサムの会話場面でしたが、物語であるため今までの流れも説明していました。とにかく無駄な日本語がありませんでした。Stepfatherという語も英語で言い換えていたのが印象的でした。また、会話場面を聞かせる前にWhat’s the problem? などと聞くポイントを指示したり、次の場面の要約を話したりしていました。何気なく聞きがちなリスニングの時間も、このような一言があるだけで集中して聞こうという意欲がグッとわくと思います。先生はいつも、一斉・ペア・グルグルを組み合わせて授業を行っていますが、今回は発音の質を向上するためにグルグルをやった後にペアをやったと仰っていました。ペアで行うことは一人ひとりの発話時間を増やす良い方法でありますが、教師が個人にフィードバックすることがなかなか出来ないのが問題点です。この問題点は順番を入れ替えることでうまく克服しているなと感じました。それぞれの形態の最も良い利点を活かして授業を行わなくてはならないと思いました。臨機応変な教師になりたいです

(靜: 是非、なれよ!)

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今回の授業は、高校生には難しい内容の授業だったと思います。この「難しい」は「不可能」を意味しているわけではありません。むしろ英語運用能力を向上させるには非常に良い内容だったと感じています。映画のあるシーンを見せ、セリフを聞きとらせるタスクは自分が高校生のときには経験したことないものでした。このタスクで重要なのは、聞きとらせたい部分を何度も聞かせ、時には日本語に直すとどんな意味になるかを教えることです。こうすることで日本語を英語に直す思考が行われるので、英語を使う上でとても大切なことを学べていると思います。後半のグルグルメソッドでは、グルグル初挑戦の生徒のレベルに合わせて進めていました。生徒は戸惑いながらも合格するために必死に練習していました。この「必死さ」が英語をアウトプットする力を伸ばすのだと思います。そしてこの必死さを出させるには、先生の確固たる審査基準を崩さないことや誤った発音を瞬時に聞き取る力が必要になると思います。今回のビデオを見て、グルグルメソッドの効果とそれをしっかりと活用するための英語力を付けなければならないと感じました。

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まず、洋画(DVD)を教材として使っているということに驚いた。靜先生の授業を受けるまでは、DVDを利用している授業を受けたことがなかったし、見たこともなかった。だから、私の中に、授業の教材として字幕の出る洋画のDVDを使用するという選択肢はなかったのだ。しかし、今回ビデオを見て、洋画のDVDも良い教材になるということが分かった。ただし、靜先生の話にもあったように、生徒の能力を考慮し、無理なく生徒たちのやる気を引き出せるような教材の工夫が必要だと思った。
 今回、靜先生が使用したのは映画のほんの一部、2~3分のシーンであった。しかし、この2~3分の間に行われている会話文だけを使って“Listen and fill in the blanks”の他にも、何パターンものワークシートが用意されていた。中には、重要な文が書かれた音読用のシートがあり、強く読む単語を太字にするなどの工夫が見られた。このように、1つの短いシーンを異なる形式で何度も練習させることで、生徒もよりよく吸収できると思ったし、こんな短いシーンからでもいくらでも教材を作ることが可能なのかと驚いた。
 また、授業全体の流れがとてもスムーズだったように感じた。グルグルである程度大切な文を言えるようにさせてから、ペアワークをさせるなど、授業の進行・順序などにも工夫が見られた。
 そして、ビデオを見ていて一番強く感じたのは、「靜先生の授業では、生徒一人ひとりの発話量が非常に多い」という点である。最初に映像を見て穴埋めをしている時間以外、生徒が口を閉じている状況が続くことはほとんどなかったように思う。やはり、どんな知識を身につけても実際に英語を口にして練習しなければ上達はない。だから、生徒一人ひとりの発話量をできる限り多くするというのは、授業を組み立てる上でとても大切になると思った。


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映画を題材にして行う授業は、自分が高校生の時にも受けたことがありました。その時も、空欄のある英文のワークシートが配られ、動画を何回か見て、そこに埋めるという授業をしました。靜先生の授業が違ったのは、始めに映画を日本語で見せたり、次に字幕付きの動画を見せたりしていることでした。私が実際に高校で受けた時は、英語バージョンの動画しか見なかったので、聞き取ってプリントに書くことや、意味を確認し、ストーリーの内容を把握するのも難しかった記憶があります。でも、靜先生のように一番始めに日本語で動画を見せることによって、クラス全員の生徒がストーリーの内容が分かり、とても取り組みやすくなると思いました。英語の苦手な生徒でも始めに内容が分かるということは、とても大きな一歩なので、断然、取り組みやすくなると思いました。また、ワークシートの空欄もだいたい1文につき2、3語だったので、難しすぎず、簡単すぎずのものでした。空欄を埋めたら、もう一度その箇所を聞き、確認することも重要なのだと分かりました。

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冒頭に、映像の内容を英語で説明していて、やはり英語運用能力が必要だなと感じた。
・まず、初めに日本語音声で、英語字幕を流していた。日本語音声を流すことで、とりあえず、内容を頭に入れようという意図なのかなと思った。
・時折、ムービーを区切って(停止させて)、英語で説明を入れていた。生徒は断片的に映画を見ているために完璧に内容を理解できるには限りがあるため、補足説明が大事だと思った。
・プリントを使って空欄に映像の会話文を入れる作業に移ると、ピンポイントで繰り返し聞かせてあげていた。そして、そのあとだいたい生徒が手を止めたと思ったころに、答え合わせ(スペリングも合わせて)をしていた。
・そして、グルグルは今とほぼ変わっていなかった。一人にかける時間も無駄なく、かつ簡潔にフィードバックを与えていたし、生徒の「よしっ!」という反応も私たちがグルグルを経験しているから、気持ちも共感できた。
最初からペアワークにしないのは、グルグルで正しいイントネーション、発音を身につけさせるためである。こういう細かいところまでの段取りも考慮して授業を行っていることにもすごいなぁと感じる。
・授業時間が足りなくなるほどの中身の濃い授業。今までの授業に比べれば、比較的ペアワークの少ない印象を受けたが、それでも生徒は授業後には達成感や、授業が短く感じたに違いない。最後のみんなでの音読でも、生徒にマイクを向けて言わせることのフィードバックもしっかりやられていたし、感心させられる授業視聴であった。

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 ビデオを観て印象に残っているのは、グルグルをやっている時の生徒と先生の姿である。生徒各自が必死に英文(発音を含む)の練習をしているという点で活気を感じた反面、先生はそれぞれの生徒の口元をよく見て発音を聞き、的確なアドバイスをする必要があるということも感じられた。それと同時に、高校生でこれだけの発音ができるのだということも知った。生徒の発音がどのようなものになるのかは、先生の指導の仕方次第だと思う。正しい発音を教えるなら、とことん間違っている箇所を指摘し、正しく言えるまで指導し続ける必要があるだろう。そうすることで発音を特に意識する生徒が増えるのだと思う。グルグルでは決められた時間内に一人ひとりの発音をチェックして短い言葉で的確に注意し、何周も回ることで、teacher-fronted styleでは難しい全体への発音の指導ができるということが、改めて良い点だと感じた。
このビデオの授業全体を考えると、listeningspeakingwritingがバランスよく行われていて、reading教材もしっかり強弱を意識させ、speakingにつながるわかりやすいプリントとなっていた。グルグル以外の時間も、「thought」と「sort」の違いなどを指摘していて、常に発音への意識を持たせることが大切だと知った。相手が大人数だとどうしても目の届かない生徒がいたり、寝てしまう生徒がいたりするのでは?と思っていたけど、先生には、生徒がある程度頑張ってやっと達成できるような充実感のある授業をする必要があり、そうすることによって生徒も緊張感を持ちつつ楽しい授業と思えるのだと感じた。

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 DVDによる映画鑑賞、及び字幕メニューは私達の日常生活では一般的なものになっている。しかし、これを授業に取り入れることにより、生徒の興味関心を高めて、言語活動を活発にすることはすばらしいアイディアであると考える。
 英語に苦手意識を持っている生徒は多く、ハリウッド映画やスポーツの話題など生徒の興味を引く教材の発掘に四苦八苦する教師が多いと聞いている。しかし、単純に生徒の興味を引けばよいというわけではない。重要なことは使用した教材(映画、スポーツの話題)でどのように生徒の英語力を高めることができるかである。
靜先生の授業では、DVDの音声×字幕の組み合わせを「日本語×英語」、「英語×英語」、「英語×字幕なし」などに組み合わせるようにして、生徒の注意を無意識のうちに英語の音声(ネイティブの会話)に集中させることに成功している。これは驚異的なテクニックであると感じた。
また、3分程度のシーンを選択して生徒に穴埋め問題を提示し、生徒により具体的なリスニング活動をさせるのもよい展開だと考える。さらにすばらしいところは、この映画の一コマをリスニングのみで終わらせずに、DadKidのペアワークにつなげるところである。生徒は映画の1コマの興奮を保持したまま、感情をこめてキーセンテンスを繰り返す活動に移行できるからである。学習指導要領にある「英語により自分の考えを表現する」を最も効果的に生徒に身に付けさせる方法であると考える。このような理由から実践的なコミュニケーション能力への非常に効果的なステップになっていると考える。
また、机間巡視する中で靜先生がされていた「相手の眼を見て、感情をこめて話しかけて」というアドバイスをとても良いと感じた。
それから、「グルグルワーク」は全ての生徒に向き合い、濃い指導ができるという理由ですばらしいと感じた。一斉授業とペアワークだけでは、やる気がある生徒とそうでない生徒の差を埋めることは難しいが、最後に「グルグルワーク」を取り入れることによってこの問題を一気に解決することができる
今回の授業を見て感じた総合的な生徒の印象は、知らず知らずのうちに英語の世界に入って、以前より高いレベルまで引き上げられているということである。

 映画の1コマはぜひ、私の授業にも取り入れてみたい。そして、生徒の興味関心を高めることにとどまらず、今回の靜先生の授業のように生徒の実践的なコミュニケーションを高めることに成功するように使いこなしたい。
DVDの字幕切替、穴埋めリスニング、そのままペアワークとグルグルワークへの移行等をそのまま実践することは靜先生の授業のコピーになってしまうようで恐縮であるが、私自身の相違工夫も徐々に取り入れながら、いつの日か、ぜひこのような授業ができる教師になりたいと感じた。
ただし、注意点として、映画(DVD)によっては英語字幕がかなりいい加減なものがあるので実際に授業で使用する際には事前に入念なチェックが必要である。教師自身が何度の聴き返しながら、字幕を確認しこれならOKという確信が持てるもののみ授業で使用すべきであろう。
今回も、すばらしい授業のパターンを見させていただきました。ありがとうございました。


(靜: 字幕と音声のギャップがある場合、それを逆に利用して、「何が違うか聞きとってみよう」というタスクにすることも可能です)


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 今回見た授業ビデオは少しいつもと違っていたように思えた。その理由は、扱う教材が何らかのテキストではなく、映像だった点であると思う。流れとしては以下の通りであった。教材として使う部分の内容が分かるように、その少し前の場面の映像を止めつつ英語で説明し、その部分に関するワークシートやペアワークを展開していた。私個人として気になったのは主に前半部分であった。映画を使う意味とはどこにあるのかという疑問があったからだ。しかし、よくよく考えてみると何となくその理由が分かった気がした。第一に、ネイティブの発音とネイティブの表情が同時に生徒たちに体感させることができる点である。テキストやCDだけではどこかリアリティに欠けるが、こうした教材をつかう事でその部分を補完できるのではないかと思う。彼らの自然な間、表情を通してコミュニケーションとしての英語のあるべき姿を知ることは、上達には大切なことだと思う。なぜなら、自分たちの到達すべき姿を知らずには、どこをどうすればよいのか分かるはずがないからだ。次に、雰囲気作りに良いのではないだろうかと考えた。暗くし、映像を見せれば自然と興味を持ちやすいと考える。普段とは違う活動をすることはとても大事である。やる気を保つにはそういった工夫が必要なのではないだろうかと思った。そして後半部分の話になるが、ワークシートに字のフォントに大げさな差がつけられていた。アンダーライン等の地味な記号ではなく、字のサイズに大げさな違いをつけることによってわかりやすく強弱を視覚的に理解することができる。音声活動に特化したつくりになっていた。その授業に適したプリント作りも教師の大切なスキルだと感じた。


12/02/2011

/ m / も難しいらしい

クリスマスも近いので、毎年恒例の Rudolph the Red-nosed Reindeer でグルグルしたのだが、m の文字をみても、きちんと両唇を合わせない(女子、が多いような気がするが)学生がかなりいることに近年気づいてきた。

例えば、

Then one foggy Christmas eve, Santa came to say

でも、ChritMas, caMe の M で、前歯が見えっぱなし、という学生が何人もいる。

これは以前から私が「ニコニコ女子現象」と読んでいる、テレビのアナウンサーのように、いつもニコニコ笑顔で歯を見せながら話すくせがついている女子が、そもそも日本語のば行もま行も、唇歯音 (labio-dental)で調音するのが普通になっている、のとはまた別である。

なぜかと言うと、今回問題にしている彼女らは(いや、そういえば男子にもいるなあ)、上の ChristMasでも caMe でも、唇歯音でさえなく、まったく閉鎖をしないからである。

しかしこれは母語からの転移とは思えないのは、少なくとも日本語のば行、ま行の発音をするときに、まったく閉鎖しないことはありえないと思われるからである。

もうすこし観察してみる。

12/01/2011

授業を見るまで何もわからん

教案にどんなに素晴らしいことを書いていても、ふだんどんなに素晴らしい授業哲学を語っていても、どんなに素晴らしい授業実践報告を書いていても、どんなに有名人でも、実際に授業をしているのを見るまではその教員の実力はまったくわからない。

まっっっっっっっっったく。

イジワルな言い方をすると、教案に「ゴリッパな」ことが書いてあるほど嫌な予感がして、その予感はだいたい当たる。

----数限りなく幻滅を経験した末の結論

11/29/2011

ネッシー授業ビデオの感想

私が高校1年生相手にやった出前授業(教材は、ネッシー)のビデオを見て、英語科指導法Bの学生が書いた感想です。下線部は、私が大切だと感じた部分に付したものです。

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 視聴しながら、自分が高校生の時に受けたリーディングの授業を思い出し、いかにつまらなかったかと思い知らされ落胆した。教材のCDの使い方も素晴らしい。なるほど、パワーポイントで1文ずつ流すのか。私が高校一年生の時の授業で教材CDを聞かされ、長いし眠いしで聞いていなかったのに、その内容についての質問(英語)で指名されたが当然答えられず、私が答えるまで何分間も放置・・・。あのシーンとした空間が辛かった・・・。あのCDから質問まで、なんと無駄な時間だったことでしょう。靜先生の授業では1文ずつなので集中して聞いていられる。そして内容について英語で説明を受けるので、内容を理解しながらリスニングの練習にもなる。生徒の理解を深めるために適宜日本語を織り交ぜてくれるのが嬉しい。(小学校英語などで終始英語で進めている授業をみて、子どもたちの身になっていないのを感じていた私にとって、靜先生が日本語を織り交ぜて授業を進めていることを知って救われた気分です。)パワポでは日本語を先に提示してしまってよいのかと初めは思ったが、先に短時間で理解してから英語の構成を見て理解するという方法に納得した。発音指導に関しては私も現在塾で小中学生に指導しているが、中にはいくら舌や唇を見せても真似できない子もいる。確かに高校生は大人になると自分のやってきた方法を曲げられず真似が難しくなるだろう。バツなモデリングもすることで、正しい発音を意識しやすくなるというのは納得した。erarの綴りによる発音の違いをぱぱっとホワイトボードに書くだけで、生徒の記憶に残るだろう。最後に先生がおっしゃっていたように、教材すべてでなく短くても、繰り返し練習させてリズムや強弱の付け方、間の置き方などを身につけさせるということが重要だと感じた。この感覚を身につければ、他の文章でも応用できるようになるだろう。また、一つの単元における靜先生が用意された教材の種類の多さに驚いた。これほどいろんな角度から練習すれば、生徒たちも楽しく、集中して授業をうけ、そして必死に練習し、授業の終わりにはうんと力がついているに違いない。


 見ていて思ったのが、まず生徒が楽しそうに授業を受けていたことである。先生がきちんとした発音をすることで生徒に注意しても説得力があり、間違っているところは間違っているときちんと指導していた。
自分が教育実習でしていた授業と決定的に違ったのは、生徒のしていることである。自分の時は生徒にドリルをやらせたり、それについての答え合わせをしたりという授業もあったのだが、ビデオの授業では生徒はペンを握っていなかった。しかし文法や内容理解についての学習をしていないわけではなく、文ごとに分けたパワーポイントを見せて、それを音読することで生徒にしっかりタスクを与えられていた。ペアワークもいきなり当てることで緊張感をもたらせていたように思った。
単にさせるだけではつまらないような音読でも、発音を細部までこだわって教えたり、SKNのリズムに乗せて音読させたりすることで楽しさや意欲を掻き立てることができていた。
 大事だと思ったことは、教師が生徒に何をさせるかということである。教師が何を教えるのかももちろん大切ではあるが、何を生徒にさせて、そこから何を学ばせることができるかがもっとも大切なのではないかと感じた。

靜先生は生徒の発音が間違っていると、全体でも個別でもすぐに直しているのが特徴的でした。もし自分が高校生の立場だったら「嫌だ~指さないで~」という気持ちになると思います。でもそれは自分の発音に自信がないからで、靜先生の厳しいチェックで少しずつ発音が美しくなっていくのは本人のためになり、自信をもって英語を楽しく話せるようになると思います。私の高校時代は、発音の指摘などほとんどなかったので、たとえ知識やスキルを身に付けても、発話することは恥ずかしかったです。常に苦笑いしながらALTと話していた気がします。その点、発音を直してもらっている先生の生徒さん達が羨ましかったです。英語の発音は、まさに知るは一時の恥、知らぬは一生の恥です。今のままだと一生の恥派になりそうなので頑張ります。40人中10人が発音を間違っていたらそう聞こえると先生が講義の中で教えてくれましたが、ビデオを見ていて私にも聞こえました。聞こえたら正しくなるまで直すことを心がけます。また短い教材で繰り返しやって音読の仕方をトレーニングすることも、生徒の集中力を持続させるために必要とおっしゃっていましたが、慣れ親しんだ教材をどう攻略するかは集中力があがるしゲームのようで楽しそうだなと思いました。私が授業を行う際は教師として発音をしっかり身に付け指導できるようにし、CDの音声と教師の肉声の使い分けをします。



 英語の授業であるから、英語を生徒がたくさん話している授業でよかった。もちろん、多くの生徒が理解していないようであったなら、補足的に日本語を用いて説明することも大切であると思う。発音の指導として、全体で注意点をいい練習してから、個別で発音させ、そこでも指名した生徒の発音に対して、きちんとフィードバックして、さらに、全体でもう一度発音練習をするという流れが良かったと思う。
 パワーポイントで、本文を見せる時に、先に母国語である日本語を見せて、内容を理解させてから、その日本語にあてはまる英文を見せるという流れも良いと思った。先に日本語訳を見せたほうが、生徒にとっても、本文の内容が頭に入ってきやすいと思う。そして、さらに英単語の補足として、先生が生徒にも分かりやすい英語で説明を付け加えてあげることで、その英単語の意味も理解しやすいと思う。
 授業前に予習するというのは、日本語訳をやってくるというものしか、私は経験したことがなかったが、ビデオ(指導法の授業も)では、日本語訳が書いてあり、そこに対応した英文を書き写すことである。そして、予習してきたことを、日本語訳であれば、ある一人に発表させるだけであるのに対し、このプリントであれば、ペアワークなどで、全員が英語を学習することができ、効率がよいと思った。
 最後に、一時間の授業で、進めるだけやたらに進めるのではなく、Part 1 など、一つのまとまりに特化して、練習させることが大切である


教師がポンポンパタンを言ったり、口の形を見せたりしてから重要な単語の発音をしてもらっていた。また、生徒には机をたたきながら拍をとることや手振りを入ながら発音することを促していた。イメージ作りやリズムを大切にしながらの指導は大事だと思った。そして、その際すべて生徒のほうを見ながら音読指導を行っていることが基本だけれども要になってくるなと思った。視線の配り方、音源やパワーポイント(音声まで組み込まれている)の使い方のテクニックがすばらしく、さっと当てられるので緊張感のあるメリハリがある授業だなと感じた。最終的にはCDの音声についていくことを目標に、その前の練習を教師の肉声でしていたようだが、練習の際大事だなと思ったのは「よく聞いて」「比べてごらん」など適宜声をかけることだ。例えば、Monsterの“ster”は“star”とは違う発音であることに注目させていた。これは分かりやすい例だと感じた。全体で音読して、ひっかかるところがあれば小刻みに止めて、すぐに自分の英語で、より分かりやすい発音で繰り返していた。気付いたらすぐ訂正をすること、より分かりやすくすることがポイントだなと感じた。最後に先生が「40人中10人でも「The」を「za」と発音していたり、「L」と「R」の発音を区別できていなかったりしたら一斉にやっても絶対に聞こえる。」とおっしゃっていたように日本人が間違えて発音しやすいところなど誤った発音に気付けるように意識していきたい。


授業が始まってからまず思ったのは、先生がよく褒めていること。生徒の発音が良かった時に「いいねぇ」という一言をいうことで、生徒に自信がつき声が大きくなっているように感じた。また、ポンポンパタンを言わせる場面では、初めは言うのを恥ずかしがっていた生徒が多数だったが、先生の表情が真面目で堂々としていれば生徒も自然とついてくるものだなと感じた。また、前回の授業中に靜先生も言っていたのだが、例えば「th」の発音をさせる時に必ず「ザ」という発音をする生徒がいる。これは、日本人によくあるミスで絶対にそれを発音する生徒がいるはずである。だからこそ、教師はそれを聞こうとするべきだという。半年間だけの授業を受けて来た私が、この授業での「ザ」は聞こえたのが嬉しかった。「ザ」以外にも「L」や「R」の区別がはっきりと聞こえるくらいのレベルになりたいと思う。
 また、先生が発音したあとに生徒に発音させる活動で、初めはなれていない生徒もいるので2回ずつの繰り返しをしていたのが効果的だったと思う(先生が2回発音したあとで生徒が2回発音)。また、先生の肉声とCDの音とは全く別ものであることは、教師が理解し、区別しなければならないと分かった。肉声の長所は好きなところで区切れるところであるので、それを利用すべき。反対に、CDはネイティブの流れるような発音がされるので、肉声での練習のあとにCDを聞いて文を読んでみると良い。また、発音の難しい(間違えやすい)単語の発音練習の際には、よく間違える発音を対象にもってきて、「比べてごらん」という一言を添えて、考えさせると良いということも学んだ。
 何よりも、ここまで中身の濃いことができるのは一つのユニットを1時間かけてやるからであると感じた。



 英語の授業において私が重視すべきだと考えるのは、英語を単なる受験科目として認識させるのではなく、はっきりとコミュニケーションのツールとして生徒たちに教えることであると考える。今回の英語授業のビデオは、生徒たちは英語を勉強しようというよりは身につけようとしていたように感じた。静先生の発音に耳を傾け、真似をしようとしていたのがはっきりとわかった。静先生も注意すべき発音は自分の口をしっかりと生徒に見せて、視覚的要素も指導に入っていた。そうすることで、生徒の関心は自然と先生に集まり、ほとんどの生徒の顔が下を向かずに顔を上げ、なおかつ先生に注目しているという私の母校の英語授業ではありえない光景が生まれていた。また、個人的に発音を確認していく指導も行われており、これについて私は非常に重要なことであると考える。個人的にチェックされることを生徒が知れば当然okをもらおうと努力をする。その一種の緊張感がいい刺激となり、生徒たちの英語力の向上につながる。教師からの一方通行型の英語授業の場合、ただ鉛筆を動かすだけで、さほど緊張感のないまま授業が進行してしまう。教材の中身を生徒に印象で受けるとともに、実践できる英語を身につけることができる授業であると感じた。



ここで、指導のポイントを4つほど教わりました。
 1つは、CDの音読と教師の音読との使い分けです。最終的には、生徒にCDのような音読をしてもらいたいわけですが、いきなりCDを聴かせてもできるはずがないので、その橋渡しとして、発音やイントネーションなど、意識すべき箇所を教えるために、教師による音読が必要、とのことでした。私の友達の中には、「教師が発音できなくてもCDがあるじゃん」という意見の人もいましたが、これにより、この意見は間違っているのかもしれない、ということに気づきました。
 2つは、馴染みのある語ほど、CDの音声を聴いても発音などの間違いに気づかない(famousmonsterなど)ので、教師が間違いに気づかせてあげないといけない、ということです。
 3つは、とにかく体を動かしながら英語を言わせる、ということです。
 4つは、これが一番印象に残ったことですが、短い部分に絞って「音読の仕方」をみっちりと伝授することです。こうすることにより、やがては生徒自身が「ここは強調して読んだほうが良いな」などという‘感覚’が育てられます。私は最初、「この授業、音読指導しかしてないじゃん。これで良いの?」と思っていましたが、そのような狙いがあるということを知って、納得しました。全ての文章をテキトウに音読するよりずっと良い、という考えはとても良いと思います。
 最後に1つ、一番初めにfresh water lake の部分を指導したときは、freshだけを上がり口調で読んでいましたが、SKNトレーニングではfreshlakeを強調して呼んでいたので、lakeはどういう風に読めば良いのだろう、というのが疑問に残りました。
(回答:適宜です。両方ありえます)

 
単語や本文の内容を説明する際に常に先生がEIYOWしていることが印象的でした。単語を読む前にポンポンを言わせてしまうと正しいアクセントで言えるというのを実際に見ることができ、工夫次第で生徒のパフォーマンスを引き出すことができるんだなと改めて実感しました。今まで教員はCDと同じようにしゃべれるようになればいいとだけ考えていましたが、CDと教員の肉声を必要によって「使い分ける」ことが大切だということがわかりました。区切る場所、長さを調節したり、アクセントや強調するところなどを細かく指導していくには教員の肉声での指導が欠かせないと思いました。また、教員が正しい発音を聞かせていれば生徒は自然に真似をする、というような幻想をなんとなくもっていましたが、ある程度の年齢をすぎればどんなに正しい発音を聞いてもカタカナ音声に変換されてしまうことを意識しながら、「フェイマス?」と言う風に聞いてみることで気付かせるという直接的な手法がとても効果的な場面もあるのだとわかりました。教科書の全範囲を音読するのではなく、短い教材に集中にて丁寧に練習していくことで、感覚を育てていくことが大切というお話を聞き、まったくその通りだと思いました。



 今回、靜先生の授業をビデオで見て感じたことは、1つのユニットをゆっくりと時間をかけてやることで、内容把握もしっかりでき、発音にも注意することができるのでとてもいいなと思いました。細かく見ていって、一番印象に残っているのは発音指導がしっかりされているということです。始めにポンポンとリズムの練習をしてから実際の英文に入っているので、イントネーションの付け方が分かりやすく、英語に苦手を感じている生徒にもアクセントのつけかたなどがわかりやすいと思うので、自分で英語をしっかり話せているという自身にもつながるのではないかと思いました。また長い文を読むときなどもただ前からたんたんと読むのではなく、意味文節ごとに区切ってちょっとずつ足していく方式だったので、生徒が意味を少しずつ理解しながら読んでいけることも利点だと思います。
そして、読解の面では文構造が分かりやすく表現されていたので意味内容もとても理解しやすいと思いました。それから、生徒にどんどん発表させていたので、到達度もはかることが出来ると思います。一つの意味段落に長い時間をかけて行うことで生徒の理解度はかなり変わると思います。そしてその時間内で発音指導もできるのでとても効率の良い授業だったと思います。


パワーポイントを使って授業がスムーズに進められていた。指導法Bのこの授業でも毎回パワーポイントを使い授業が進められているが、板書やプリントに比べ、見やすく理解しやすい。貴重な授業の時間の短縮にもつながる。教師はパワーポイントなどのITスキルも必要である。静先生のパワーポイントの使い方は、シンプルでわかりやすい。
また、CDと肉声による音声をうまく使い分けて行われていた。肉声では、好きなところで区切ることができることや、アクセントを強調して発音することができる。正しい発音ができないことを理由に、発音はCDにすべてたよるという授業ではいけないことがわかった。肉声による指導も必要であり、CDをうまく活用した指導も必要である。
 発音に関しては、その場ですぐに直させることの重要さがわかった。間違えた直後に指摘されることにより、生徒はその後きちんと正しい発音ができていた。ポンポンパタンは非常にわかりやすく、つかみやすいと感じた。また、強く言うべき単語を指示され、印をつけたことにより、生徒は長い英文でもリズムよく、発音しやすくなっているように感じた。
 生徒の英語を話す時間が、ペアワークを何度も行うことにより多かった。ペアワークの時間でも、一人ひとりの発音に耳を傾け、注意し訂正していて、そのことにより生徒は意識して発音ができているように感じた。


今回見せていただいたビデオ授業を見て一番感じたのは、教師が生徒の発音上での細かいミスにしっかり気付き、その場ですぐ指摘することの大切さである。靜先生は、3、40人近くいるクラスの中で英文を読ませる時に、誤って発音している生徒が少しでもいた場合、注意して聞いていればその間違いにきちんと気づくことができるし、気付けるようにならなければならないとおっしゃっていた。ビデオ授業を見て、私も「教える」立場になる以上は、生徒のミスに気付けるのを当然のこととして捉えていかなければいけないということを再確認することができた。
 また、授業の中で先生は構文チャートを利用していた。私は、生徒が英文の内容を理解していく上で、構文チャートのように英文を教師側が分かりやすく分解し、それを生徒が重ね合わせることで英文全体を理解することができるという点で、このアイデアはとても画期的だと感じた。




◆大事だと思ったこと
l,r,v,fの発音を特に重視して指導すること
・CDの音声と教員の肉声とを使い分けること
 →CDはネイティブな発音だが、都合の良いところで区切ることはできないので、区切って練習したい場面では肉声のほうが、都合が良い。
  ただし、正確な発音でリピートさせたい場合はCDを利用する。
・生徒に「famous」を発音させた時に、「私はフェイマスと言っているか?私が言ったように発音してみなさい」という、違いに気づかせる呼びかけをする
・短い教材を丁寧に扱う。
 →ポイントを絞って発音のトレーニングができる
・発音にはリズムが大切!

◆感想
 クラス全体で発音→数名指名して発音→teacher-fronted→ペアという流れができていた。一番うまいと感じ
 たのは、monsterの発音だった。はじめは生徒の多くが「モンスター」という発音だったのが、靜先生のn
 の注意と「star」と「ster」の違いの提言により、ほとんどの生徒の発音が「monster」になっており、的確
 な指摘であると感じた。


 一番大きな印象は、単語の発音を確認しながら教科書を音読して声に出すので、生徒がひたすら読むだけではなく、静先生が発音の指導を生徒一人ひとりにしていて緊張感があり、このような授業を続けていけば、生徒たちは発音や強勢など身に付く。教師が自信を持って授業をし、生徒たちに緊張感を持たせることが授業の基本であり大切だと感じた。中学校でこのような発音重視の授業を実践出来ている学校は少ないと思う。しかし、英語が大切なコミュニケーションの道具となっている現代、そしてさらに重要になっているだろう近未来に、このような授業法が浸透し英語を聞き、話すことが出来れば、将来子どもたちにとって役に立つことは間違いない。
本文の音読についても、意味のまとまりを意識して徐々に意味を理解していくようになっていたので、主述、修飾関係を理解しやすいし、EIYOW活動などで生徒たちが英文を新たに作る際にも応用できると思った。教科書の音読は、強弱がはっきりしていて、それを生徒に意識させていたのが良かった。単語に関しては、丁寧にpon-ponを使い生徒たちが完璧に出来るまで何度も指導していた。生徒が出来ていないのに、それを見過ごす教師いるかもしれないが、生徒のどこが出来ていないのかを明確にし、それを訂正することが教師の重要な仕事であるのは言うまでもないということを改めて感じさせられた。

 静先生の授業を受けるまで、英語の発音にこだわりを持った授業を受けたことのなかった自分にとって、これほど発音にこだわった授業を見るのは初めてだった。一単語一単語を何回も生徒にリピートしてもらい、それに対して教師が簡単なコメントをするという形式の中で、効果的な練習が行われていたと感じる。例えばmonsterという単語を取り上げた際、onetenstarといった単語を例示しながら、monsterという単語を二つに分けてmonsterの発音を意識して練習させるという工夫は、生徒に対して非常に分かりやすい方法であったと感じる。
また、静先生のおっしゃる通り、これまで母国語だけで生きてきた大半の日本人生徒を前にして、英語の発音における細かな違いに気付くことは難解であると考える。実際に英語の発音の違いを聞き分けるには、きちんとした練習を積み重ねない限り、発音をただ聞くだけでは気付かずに聞き流す可能性が高いように思う。「比べて聞いてごらん」という一言は、生徒が意識して発音を聞くようになり、英語の発音に対する興味関心が生まれる第一歩だろう。さらにlは合っているけど、rの発音が違う」というような指摘もあったが、このようなコメントをするだけでも、lの発音とは何なのだろうという疑問が生まれ、生徒の探究心につながる場合も望めると思う。
授業全体が英語中心に進められており、しかも短い範囲を集中的に行うという内容だった。リズム感を大事にした音読を練習することで、つっかえながら日本語英語で音読をするというありがちなパターンも減少を望める授業内容だと感じる。それとともに、教師の英語力が厳しく問われる内容だったと実感した。


●常に生徒の発音に耳をすます
  40人のクラスだったとして、いったい何人が正しく言えていないか、10人くらいか?20人くらいか?は耳をすましていれば分かる。
CDの使い方
  CDに頼りすぎない。CDと教員の肉声をうまく組み合わせることが大切。例えば、アクセントや文脈上の区切りなど、教員が見本を提示することで、生徒の読む力を高め、生徒がCDの音声について読んでいけるための橋渡しをする。
●発音指導
  「俺は本当にそうやって言っているか?」と生徒の間違っている発音と、正しい発音を比較する(ビデオ内の例ではfamousLochRockではなくLock)。また、無作為に生徒を指名し発音させ、フィードバックは全体に向けておこなう。
靜先生が強調していたポイントと、自分が感じたポイントは以上のことでした。
全体を見ていての感想として、もちろん教材の内容を扱ってはいるものの、ゲーム感覚で取り組める授業だなと思いました。教科書本文をただ使うのではなく、まずは単語から、ポンポンなどを使って細かな発音指導から入り、徐々に長い文章に増やしていき、最終的には文章を暗唱させるところまで行う。よくある“やらされている授業”ではなく、「発音ができなくて悔しい」「うまく言えるように頑張ろう」と自分から能動的に参加して行きたくなるような授業だと思いました。



 靜先生の授業を見て、1時間丸々を発音練習に使う授業に驚きました。自分が中学生のころは発音練習というと毎時間文法学習に入る前に10分くらいするもので、しかも内容はCDで全文をまとめて聞いたりそれをシャドウィングしたり、一文ずつ区切ってリピートしたりして読むのが発音練習であり先生自身が本文を読み聞かせるというのはあまりなかった気がします。高校生のころについては発音練習より文法学習のほうがメインで、先生に倣って読んだりすることがあったとしても記憶に薄いです。教師が10のテンションを見せてはじめて生徒が6くらいについてくる、その通りだと思い大げさな手本がすごくいいと感じました。ペアワークをしている生徒が先生の真似をして発音注意単語を長めに発音しているのをみて、先生のパフォーマンスが生徒に印象付けられていると思いました。これはCDにもALTの先生にも代わることのできない、第二言語として英語を操る日本人の先生だからこそできる技だと思います。真面目に受けなきゃもったいないと思わせる授業でした。


Loch Nessのビデオ鑑賞では、授業展開に無駄がなくスムーズに行われていたことが印象的でした。発音の指導が細かいという点は、いつもの講義を通して想像できたけれども、静先生が教室でテンポよく一人一人を指導している様子を見ると、発音指導に加えて、生徒たちの意欲や集中力をうまく引き出す授業づくりには生徒と向き合うことを決して恐れないこと、内容の濃い授業を作るための計画・構成を練る努力が重要だと思いました。発音指導においては簡単な単語の段階で正しい発音を丁寧に教え、その後様々な活動を通して定着できるよう机間指導しながら繰り返し練習させるというCDにほとんど頼らない形式に感銘を受けました。自分自身の中学・高校時代の英語の授業を振り返れば、発音はなんとなくしか練習せず、ひたすらCDを利用してシャドーイングやリピートするだけだったので、自分の口からたくさん英語を出すことで身に付くことの重さに気づきました。過去にスピーキングを怠ったため、現に私は英語で表現したり発音したりすることが苦手なままで、実用英語の能力は低いと思います。日常・社会で求められる英語運用能力を少しでも伸ばせるような、枠にとらわれない応用的で質の高い授業を教師はするべきだと改めて感じました。そのためには生徒と向き合う態度すなわち威厳を持ちながらも生徒を愛し、育ててあげようという心や役に立つ意味のある授業の計画構成が必要不可欠であり、努力を重ねていかなければならないと考えさせられました。


靜先生の英語の授業をみて、一番印象に残っているのは、生徒がいきいきと英語をしゃべっている姿です。生徒たちは、先生の大げさでダイナミックな発音のあとにつづいて、しっかり口を開けて発音練習をしていました。最初はおおげさだなぁとでもいうような顔をしてクスクスと恥ずかしがりながら発音していた生徒も、しばらくすると、自分の口の形に集中して隣どうしで確認しあいながら発音の練習をしている姿が見られました。私は今まで、英語を本来の英語らしく発音することが恥ずかしくて、授業で音読しなければいけないときは極力カタカナ英語を使っていた人間です。周りの友達にも、流暢に英語を話せる子はおらず、ほとんどの子がカタカナ英語をつかっていたと思います。英語を英語らしく、正しい発音で話すことが一番の理想なのだということは分かったはいましたが、周りがそんな中で、ひとり英語らしい発音で話すことは、思春期の学生にとっては「浮く」行為のような気がしてできませんでした。そんな中学、高校時代を送ってきた私には、VTRの生徒たちの活動がとても堂々としたものに見えて、うらやましさを感じました。思春期の子供たちに、恥じらいもなく英語の発音を練習させるには、教師になにが必要なのだろうかと考えました。そして靜先生の授業を見て大切だと思ったことは、教師が『この発音はこういう風にするのが正しい』という明確な提示することと、それができていない生徒がいた時に遠慮なく「おまえのは違う、こうしろ」と指摘できることだと思いました。教師が、いつもぶれることない基準を持って教室全体をひっぱっていくことが重要なのだと感じました。生徒たちが恥ずかしさや、せこさを忘れて英語そのものに熱中できるように、教師がまず一生懸命になることが大切だと思いました。


今回観た授業は音声面での指導を中心に授業が行われていた。まず、単語をそのまま発音するのではなく、音節ごとに区切った発音練習もしていた。また、どの部分に強勢を置くのかも練習していた。これで生徒たちはどの部分に強勢を置くのかが、よく分かったと思う。ただ、「ここの部分にアクセントがあるよ」のような教え方では、生徒たちは実際に口に出す時に実践できないと思う。
 さらに、本文を読むときにRead look upの形式がとられていた。ただ英文を短期記憶して、生徒が先生のあとに続けて読むのではなく、ある小さな意味のまとまりから入って、最終的に教科書を見ないで本文中にある長い一文を言えるようにしていた。また、予習の段階で本文の和訳をある程度に分けたものをあらかじめ渡して、それに対応する英文の部分を書き移すという宿題を課していた。生徒がこの宿題をきちんとやってきたかどうかは分からないが、予習の段階で生徒の意識が英語に向かい、授業中に一文の中の句ごとの英語を、本文を一時的にでも記憶して言えるようにするということで彼らの頭に英語の自然な表現が頭に残り、彼らが英語をアウトプットしやすくする大きな要因だったと思う。
 また、SKNトレーニングでは本文中でどの単語を強く・はっきりと読むのかをリズムで体験することができ、何より生徒がとても楽しそうだった。もちろんその時もしっかりと発音指導もしていたし、これは最後まで続いていた。
 この授業を観て思ったことは、教師が楽しそうに授業を行わないと生徒は楽しく授業に参加できないということである。教師の雰囲気で生徒は大きく影響される。また、生徒の活動への取り組みの様子を見て適宜に活動内容を変える柔軟性も必要だと感じた。後者はある程度の経験がないと自分のものにはなりにくいと思うが、前者は意識さえすれば明日からでも実践できる内容なのではないかと感じた。


授業を観て、英文構造の図式化など視覚的な教材をテンポ良く駆使していたのが、さすがだと思った。先生対生徒のやりとりに飽きてきたかなと感じられたとき、すかさずペアワークを導入し、また、個人を他の生徒が見ている前で発音矯正していたのは、授業の緩急を付けるための工夫でもあるということが分かった。日本語訳の表示について表示時間が全部把握出来たのか分からないほど短かったことと、今回の生徒たちの反応からして表示する必要はあったのかにだけ疑問が残った。今回の授業は、基本的に生徒が積極的に取り組んでいた印象が強く、靜先生も授業の進行がやりやすそうに見えた。それは正直なところ女子だけのクラスであったためではないかと女子校出身の私には感じられた。これが男子高または男女共学のクラスであったらまた違った印象の授業になったに違いないと思うと同時に、生徒によって多少なりとも授業の雰囲気や質が変わってくるのではないかと考えさせられた。
(回答:確かに、日本語訳の表示時間は、あと1秒長くてもよかったかも。授業の雰囲気は、10クラスがあれば10通りです。合わせてやるしかありません。)



私が授業のビデオを見させていただいて印象に残ったのが、英語の音声教材の使い方です。今まで音声教材と言えば、まず教科書の中の新しいユニットに入ったときに全文を一回通して聞いて、そのあとクラス全体でCDの後に続いて何回か全体で練習をするという流れで使っているというイメージしかありませんでした。これはつまり先生はこの場面ではあまりすることがなく、音声教材を授業の中心に据えてCDが先生のようになって授業を展開しているように思います。しかし今回靜先生の授業を見させていただいて感じたことは音声教材はそのように使えるほど本来万能ではないということです。先生はCDで生徒に教えているというよりはむしろCDを上手く活用して授業を行っていました。私はこういった風に音声教材を使った授業を見たことがなかったのですが、とても素晴らしいなと思いました。確かに発音もイントネーションもCDから聞こえてくる英語は、おそらくネイティブが発音しているので完璧なのだと思います。しかし、どうやったらそのように発音できるようになるのかCDを聞いているだけでは分かりません。なぜなら生徒たちからCDの音声を発音している人が見えないためにどういう口の動き方なのか、舌はどのような動きをしているのかなどは見えないし、実際に聞くこともできないからですCDはあくまでメインではなく副教材的に活用し、せっかく授業にいる英語指導のプロである先生をフルに活用していくことが大切なのだなと思いました。





授業のビデオを観て思ったことは、全体で英文を言うときは良くても、個別に言わせると誤った発音をすることが多いので、緊張した状態でも正しい発音で言えるように英文を読む回数を増やす必要があるということです。ビデオの中では、和訳は全て既に見られる状態になっていましたが、和訳を先に出しておけば、英語で内容を説明しても理解しやすくなるし、音読練習する時間も多くとれるので、英語を聞く・話す活動に専念できるので良いと思いました。生徒も頑張って正しい発音で英文を言おうとしていて、英語を学んでいるという感じがしました。一つ大変そうだと思ったことは、発音を個別に確認しているときに旗を使っていたことです。マイクと旗2本を一緒に持つとかさばりますし、あげるときにうっかりして反対の旗をあげることもあると思います。ただ、はっきりと発音の良し悪しを提示することは大切だと思うので、旗のような視覚的なものでなくても、その発音で良いのか、何処を直せばいいのかを明確に伝えることができるようにしたいと思います。

(回答:たしかに、マイクを持っているときは、旗は無理でした)



ビデオを見て思ったことは、生徒のほとんどがとても楽しく授業を受けていたことが印象的でした。どうしても英語の授業は、生徒が宿題としてやってきた和訳について先生が解説を入れながら解答を言うという形になりがちですが、靜先生の授業は全く異なり、生徒に発言させる時間がとても多いものでした。靜先生のこの授業スタイルは本を読んで知っていましたが、実際に授業の風景を見てみると、自分もこのような授業を受けてればなと思いました。また、PPMを使うことによって名詞や形容詞など、英文を読む際に注目すべき部分を意識させ、英文を読む力を養うことがとても良いなと思いました。英文を速く正確に読むコツは、前置詞や冠詞をあまり意識しないことが重要です。これはPPMを使って英文を読む際に気をつける点と一致しており、発音練習をしながら英文を読む力もつけられ、PPMはただ発音を練習するためだけのものではないのだと改めて感じました。とても雰囲気がよく、充実した授業だったと思います。

(靜:前置詞や冠詞を意識しない、というのは、違うと思うよ。というか、違います。)



 授業中に扱った題材はたった1パラグラフだけだったが、一文一文をさらに細かく分けて丁寧に指導し、短い文を生徒に何度も何度も繰り返し暗唱させることで、生徒はだんだんと完ペキな発音とリズムを自分のものにしていた。それが、生徒自身の自信につながっていくのだと強く感じた。もし、「この1時間はこのページをすべて終わらせたい!」と教師が焦ってスピードを上げてしまったら、そのぶん生徒とコミュニケーションを取りながら授業をすることができなくなり、生徒にとって意味のない時間になってしまうだろう。常に教師と生徒、生徒同士が確認し合いながら共に学んでいくという授業スタイルを大事にしていこうと思う。また今回、副教材のCDをとても上手に取り入れていく術を学んだ。ネイティブのしゃべりと生徒の発音を限りなく近づかせるためのかけ橋として、教師が途中で区切り補助しながら練習していた。つまり、音声と肉声を混ぜ合わせながら進めることで、生徒も飽きずに音声に集中することができていた。そして授業の最後には、ずっと練習してきた成果として、何も見ずに、ネイティブのように本文を読めるようになり、生徒たちはとてもイキイキとした表情をしていた。そして本文の内容をさらにわかりやすく伝えるために先生独自の英語で説明していたが、あのように本文をまるで自分の言葉のように生徒に向かって語りかけることができるよう、日々努力していきたい




今回ビデオを観る際ある点に注意しながら観ていました。「発音をまったく勉強してない生徒にどこからどのような手順で指導していくか」です。自分達のようにある程度勉強していれば、気になった、あるいは間違っているところを随時指摘していけばよいのですが、今回の中学生相手の授業ではそうではなく、まずRLなどの子音を教えてからさらに語と語をリンキングやあいまいな母音を指導、最終的にそれをリズムに乗せ“英語”にするという流れでした。最初から完璧を求めて一気に詰め込むのはベストな方法ではないのだと思いました。
それとは別に1つ気になったことがありました。それは、生徒に発音(LR)の手本を示す際、詳しく調音の仕方から教えるのではなく、実際にして見せただけだったことです。少し発音を勉強した自分ならば音を聴いただけでRLのどちらだったかを区別することができるのですが、発音のはの字も教えられていない中学生には手本を示しただけで本当に全員理解できているのかと疑問に思いました。音が違うということははっきりとわかったとしても、生徒には先生の口の中で何がどうなって違いが生じているのかということが本当にわかっているのだろうかと思いました。グルグルなどの他の活動でもその漏れをどうにかすることはできるだろうが、その場では低いレベルの生徒に授業のペースを合わせる必要はないのだろうかという疑問を抱きました。

(回答:実際に示すだけでも効果がある場合もあり、詳しく言わないと効果が出ない場合もあり、すべては、臨機応変、生徒の反応に合わせて。)




全体の感想としては、楽しく且つきちんと英語のスキルが身に付けられる授業だったと感じました。僕が知っている英語の授業は、楽しくしようとすると内容が簡単で、指導に関しても甘くなりがちでしたが、今回の授業は、文章の構成を把握し、内容を理解した上での暗唱や、細かい発音指導等、生徒にとって充実したものになっていたように感じました。そして、特に印象に残っているのは、ペアワークの際に生徒が積極的に、大きな声で活動に取り組んでいたことです。どんな授業をするにしろ生徒がやる気を出さなければ意味がありません。逆に言えば生徒にやる気を出させるような授業をしなければならないと思うのですが、今回はそんな授業が行われていたように感じます。また、授業方法の面で見ても工夫がなされていて、ペアワーク中は個々に指導するのが難しいですが、ペアワーク後にいきなり指名して発表させることで生徒達が自発的に活動に取り組むようになったり、音声の面では、長い教科書の文のときは音声データを用いて、発音指導等の細かい指導をする際には自身のきちんとした発音で行っていてうまくバランスがとれていたのではないでしょうか。音声に関して、英語授業ではCDALTに依存するのではなく、自分で発音する場面も作ることで、発展的でわかりやすい授業が行えるようになると感じました。



今回の授業を見て幾つかの点に気付いた。まず、教科書の本文の内容を一回噛み砕き、生徒たちに対しより簡単な英語で説明しなおす活動の効果だ。生徒たちがただ音声教材を聴くだけの活動において、教師が英語でジェスチャーや簡単な単語への置き換えを生徒たちに指し示すことによって、視覚的に本文内容理解のヒントを提示すると同時にやや難解な構文を分解し再構築することで、彼らの本文内容理解の補助をしていた。機械的に音声を聴くだけの活動を生きた英語の活動へと昇華している。こういった工夫で、何気なく終えてしまう活動に変化をつけることは、生徒たちのモチベーションを保つ上でも大事な努力であると考える。また、構文を分解しチャートにまとめる活動がよいと思った。文章上でその関係性を示すだけではなく、図を媒介に視覚情報で与えることで彼らの理解を飛躍的に向上させている。あらゆる媒介を使って情報提示することは教師にとって必要なスキルであると感じた。



 靜先生のビデオ授業を見て、去年から言われ続けていましたが発音や文章のリズムの大切さを改めて感じました。私は今まで、中学校・高校の授業で単語の発音練習はしてきましたが文章の中でのリズムはやった記憶がほとんどありません。しかし先生の授業では単語の発音、フレーズ、一文と、少しずつ長くしてリズムの練習をしており、それによって一気にカタカナ英語から英語らしい英語になっていて私も高校時代からそんな授業を受けたかったと思いました。
 また、一般的な授業ではただ教科書の本文を読んだり訳したりだと思うのですが、先生の授業では構文を分解したスライドでの説明があったためものすごくわかりやすかったです。それによって生徒はテストなどで他の文章でも、自分で分解して理解できるようになるのだなと感じました。


 僕はまず『発音指導が丁寧である』ということを感じました。一斉授業でもペアワークでも発音が間違っているたびに止め、言いなおさせる姿勢がとても印象に残っています。特にLRの発音の違いや、/n/の発音の仕方は生徒にとって難しいようで、最初はあまり正確でなかったと思いました。しかし、靜先生が何度も注意しているうちに正確に発音できる生徒が増えてきました。みんなの前で発音指導をされて、「その発音だよ!座っていいよ!」と言われた生徒の嬉しそうな顔を覚えています。やはり発音指導は、生徒に「しつこい」と思われるのではないかと感じるくらいに行った方がいいなと改めて感じました。また、今回は一斉授業の時間が少し長めにあったと思いますが、生徒をランダムに指名することによって、当たっていない生徒にも最後まで適度な緊張感やプレッシャーを与えているところはさすがだなと感じました。



   先生の授業を見たら第一印象は事前準備の充実さと大切さである。どんな授業をしようとしても積極的な態度と正しい態勢を組み立てないといい授業にはなれない。 授業の大まかな流れをしっかり考えて、何をやるのかを計画する。そして、ひとつひとつ内容を考えいく、詰めていく。準備の段階で、授業中に話す内容、つまり台詞まで考えるべきと思う。そして、何を板書すればいいのかを考えたり、またそれをどういう風に板書するのかの板書計画は立てる。さらに授業を進める上で、生徒に練習をさせたり、ペアを組むとかいろんな活動を行う。全体的に英語の魅力を感じ取った。
 もう一つ気づいたことは、授業というのは教師と生徒がコミュニケーションをとらない、共鳴し合わないと成り立てないものである。ゆえに教師は生徒の実態をきちんと把握し、このクラスには、どんなレベルに合わせて授業をしていくかといった生徒観を書く重要性を深く感じました。
 大事なところは音読練習させる場面である。こういう場面は授業中に何回も出できた。 基本的には英語で授業を行っているが、確認のため、日本語で難しい点や長文を説明をするときもある。複雑なところや説明してもわかりにくいところはあまり出でないが、何回も繰り返し発音する場面はあった。生徒の反応から見ると、とてもいい授業であることが分かった。
 わかりやすい英語をどれだけ使えるかが英語教師の腕の見せ所でもあると私はそう思う。