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5/18/2019

英語スピーチコンテストの詳細が決まりました!

大東文化大学学長杯第20回英語スピーチコンテストの詳細を決定しました。

日時:2019年11月2日(土) 13:00〜
場所:大東文化会館

募集要項はこちらです。

高校生の方、高校の部へのエントリーをお待ちしています。大東文化大学生は学部を問わずエントリーできますので奮って応募してください。

今年は第20回という節目になる大会ですので、例年にもましてクオリティの高いスピーチが揃うことになるよう全力を尽くして参ります。

なお全スピーチが終了して審査結果を待つ空き時間には、今回は私のゼミ生が「英語部会サポーター」という立場でチームに分かれて英語の歌+芝居+ダンス?のファンタスティックなパフォーマンスを披露することになっていますので、そこだけでも必見!

どなたでも観覧できますので、いまから予定表に書き込んでおいて是非いらしてください。お待ちしております。




5/14/2019

ケ・セラ・セラ

Dorris Day さんが97歳で亡くなりました。

追悼の意を込めて、今日の授業ではケ・セラ・セラをやりました。さすがに学生は「ドリス・デイ」という名前は知りませんでしたが歌には聞き覚えがあったようです。

Rest in Peace.


5/13/2019

絶賛成長中

研究室のポトス、明らかに以前より成長している。色も鮮やかになってきた。うちのゼミ生たちと同じく、今まさに伸び盛り。


5/12/2019

2019年度ゼミ最初の懇親会を行いました!

昨日、新たなメンバーを迎えて最初の会食でした。今年の靜ゼミは「人生いろいろ」ゼミで、訳あってゼミ難民として流れて(笑)きた人数名、海外から戻ってきた人数名、普通に新たに3年生として入ってきた人数名、もうすぐ海外に行っちゃう人数名などなど、昨年にもまして diverseなグループになりました。その中の都合のつく人だけでしたが、池袋に集まって新人歓迎コンパ(ってのも最近死語?)を行いました。

(ここに写ってない=これを撮ったのは、ヒトヨンデ「挨拶にウルサイ」先輩)

4年生はもうすぐ教育実習、そのあと1ヶ月程度でやってくる教員採用試験の突破、11月にあるスピーチコンテストの全賞うちのゼミでの制覇と審査タイム裏のアトラクションの成功がとりあえずの目標です。今年もタノキビシイゼミにしていきましょう!


若気の至りか?「80人全員不可!」

以前の職場の福島高専時代の同僚と1〜2年にいっぺんは会って会食していますが、今回は2年ぶりに旧交を温めてきました。いつもどおりいわき駅前のミスドの前で待ち合わせて、卒業生の父母がやっているという家庭的な雰囲気のしゃれた和食屋のカウンターに3人で陣取り。


私にとっていわきといえばなんと言ってもメヒカリの唐揚げ!採用面接に行ったその日に学科長と副学科長に釣れられて、いや連れられて行った今はもうない居酒屋「源九郎」での、それまで見たことのなかった魚との出会いが、その後のサスライのキャリアのすべての原点だったように思います。漁獲高が減少しいまはなんだか高級魚になりかけているそうですが、やっぱりメヒカリはメヒカリ。美味い!



3人ともたまたま誕生日が近く、全員来年になれば「アラ」還どころか仲良くモロ還なので、単なるもと同僚という以上の妙な仲間意識が。ジジイになるとどうしても健康の話題も思い出ばなしも多くなります。同年代ですでに死んじゃった奴らはいくらでもいますからね。まあネコはだいたい15年だから、それに比べればもう4倍も生きているんだからすでに上等なんじゃないでしょうか。

我々も例外ではなく、朝は走っているだの、自転車とランは使う筋肉が違うだの、血圧は大丈夫だの、心拍数メーターはいくらで買えるだの、メタボがどうの、還暦祝には赤いオーダーメイドのイタリア製の自転車を買いたいけど50万じゃあきかないんだの、という健康トークと、あの時の剣道部のあいつはどうしてるだの、あいつは家出したけどなんとかやっているらしいだの、あの先生はとっくに隠居しただの、あの先生はいまだに困りものだだの、という「あいつ今頃どうしてる」話に花が咲きました。

そんななかで本人はしばらく忘れていたのに言われて思い出したのがヘルキャンプ事件その後の顛末。そういえばそんなことありました。今思えば、ご迷惑をおかけしたものでございます。でもあの時にもどればまた同じことをしそうです。当時の学生も、もう40歳を超えましたね。それぞれの道で頑張っていて欲しいな。

来年は3人そろって元気に還暦を迎え、すこし盛大に祝おうぜ、と約束して別れたいわきの夜、空は快晴でした。




もう一通、熱!「おばさんのこうぶつ。。。」が好き

スパムに分類されていて気づくのが遅れましたが、ファンレターもう一通頂いていました。

知る人ぞ知る『English あいうえお』(文藝春秋)の読者のかたで、

おばさんのこうぶつぶっかけぶたどんぶり  ← (c) 靜哲人(笑)

を前から教室で使っていて、恥ずかしげなくやると一気に教室の雰囲気が良くなるので常用している、と。

今回の講演を聞いて、いままでリスニングにしか使っていなかった歌を発音指導に活用したり、グルグルにもチャレンジしてみたいです、と書いています。

はい、ぜひ一歩踏み出してみてください。教師としての引き出しの数が増えますよ!

ファンレター、熱!「音が生理的に好き」

思ったとおり全体アウェーの中にも個別の援軍はいるもので、一昨日の講演を聞いた若い先生からめっちゃ熱いファンレターをいただきました。

とにかく英語に出会ったときから英語の音が理屈抜きに生理的に好きだった、ということで「言語は第一義的に音声であるから発音を大事にしてくれ」という私の第一声に深く共感し「自分の人生に重なった」とまで書いてくだいました。(英語の音が理屈抜きに生理的に好きだ、という点では私もそうでしたね。中学生のころはサイモンとガーファンクルの歌をそっくり完全コピーして歌えないと気が済みませんでした。)

また『英語授業の心・技・体』は自分のバイブルであり何度も何度も読み返したとのこと。ありがとうございます。『心・技・体』を読んで私が言っている「当たり前のこと」が腑に落ちる方というのは、きちんとした教師マインドがある方です。

自信をもってそのまま進んでください!

5/11/2019

アウェーで修業してきました

驚くべき提案をいただいた講演を本日やってまいりました。

ん〜。。。

一言でまとめてしまうと、アウェー感が半端なかったですね。あそこまでアウェー感があったのは過去にも記憶がありません。

しかし、「会長である自分の英語の要改善点を指摘してくれ」という異例の依頼をされた意味がわかったような気もしました。つまり、もしかすると県の高校英語教育界にある「発音指導を矮小化する空気」「アンチ発音指導の空気」との闘いにおける助っ人?として、解毒剤?いやカンフル剤、もしくは刺客(笑)として、ショック療法的な意味で私を呼んでくださったのか、と。

ちなみに、会長の校長先生による講師紹介は、見事なブリティッシュ系イングリッシュで、使っている表現の高度さや、イントネーションや、流暢さから判断すると、general proficiency という意味ではおそらく非常に英語ができる方でした。「悪い点を指摘してくれ」とおっしゃっていただけのことはあります。ご挨拶が始まって二言三言聞いてすぐ達人であることがわかったので、「え、これはコメントすることないじゃん」と思ったのですが、しばらく聞いていると、あれ、ブルータスお前も、いや先生もですか!?

なにかというと、一部の英語中上級者によく見られる現象である、「世の中すべてRにしてしまう」つまりシステマティックにLをすべてRで発音してしまう、という癖がおありと判明したのです。たとえば college も courage になっていました。

よって予定通り、御本人のご依頼によってのことであると聴衆には説明した上で、そのことを指摘してから講演に入りました。

しかし結果論ですが、その異例のつかみが良くなかったのかもしれません。その後の90分はもう何をどう話しても会場ホールには笑いがほぼゼロ(笑)。くすりとも笑わない客の前でネタを披露している芸人の気分。。。

聴衆との物理的距離も遠いこともあって反応もよくわからず。スポットライトに照らされて視界が悪い中、かろうじて見えるのは難しい表情をしたベテランの先生ばかり。(ただベテランと言っても、いまやほぼ全員が、私よりは年下ですね。)よい精神修行になりました。

そういう少なくとも表面的には圧倒的なアウェー感がある中でも、個々のレベルでは若い先生方 and/or 女性の先生方を中心に共感していただけた部分はあったようにお見受けしました。というか、そう希望的に信じております。英語の授業でも、集団としてのクラスの雰囲気と、個々の生徒の心の中は一致しないことも多いのですから。

今日のお話で、聴衆のなかからひとりでもふたりでも、いやできれば10人でも20人でも明日からタイプ1に宗旨変えしてくれる方がでれば、刺客?として今日出向いただけの甲斐があるというものです。


本日はありがとうございました。





5/10/2019

教育実習での Do's and Don'ts

実習生各位

いよいよ実習が始まる時期になりました。あらためて私からのメッセージを伝えておきます。

(1)指導教諭の方針に従ってください。文法訳読をガンガンやるようにいわれたらそれをガンガンやってください。それも勉強になります。

(2)しかし指導教諭の同意が得られるようなら、ぜひ歌をやってください。実習期間を通じて1曲歌えるようにする、とかでいいでしょう。帯活動的に毎回5分とかもできます。歌の力はやはり偉大で、君たちが去った後、生徒たちはその歌とともに君たちのことを思い出します。

(3)指導教諭の同意が得られるようなら、ぜひ、グルグルにチャレンジしてください。生徒ひとりひとりの素の顔が見えます。眼の前50センチで展開する1対1の感覚を、今度は教師の立場で体験してみてください。

(4)教え方はいろいろあっていいですが、「1時間おわった時の目標の状態」をいつも意識し、それを目指してください。「1時間終わった時には、この本文を、適切な発音とリズムで、全員が本文を見ずに言えるようになっていること」が目標だとします。そうであれば授業がおわる最後の1分、最後の1秒まで、その目標の達成のために努力してください。「指導案の予定が終わったから、やることがなくなった」なんて馬鹿なことはゆめゆめ思わないように。

昨年の実習生で、終了5分前に「時間があまったから〜を出して」という発言をした者がいて、私はめちゃくちゃ怒りました。「時間があまる」なんてことは絶対にありえないはず。全員が充分うまくなっているのか?そうでないなら、なにをすればいいのか、を最後の最後まで考えてください。

(5)生徒に発表させたら絶対に「もっとうまくなるためのフィードバック」をしてください。そして実際に「もっとうまく」してください。ありがちな、「授業の最後に2〜3人(ペア)を指名して、下手くそ〜な発表をさせて拍手しておわり」だけは絶対にやめてください。

そういうのを授業の最後にせず、発表は授業の中盤にさせて、下手くそであることをきちんと指摘して、また練習にもどし、授業の最後にはすこしでもマシな状態にして、「さっきよりうまくなったね」という本当の意味の拍手をして終わってください。

以上です。

物理的に見に行ける限りは見に行きますので、頑張ってください。

5/02/2019

教員採用試験問題から透けて見えるその自治体の英語教員の実力

教員採用試験を受ける学生を対象として、各自治体の過去問題を題材にして課外授業を行っていて感じることがある。それは、教員採用試験の問題のクオリティ、なかでも多肢選択項目の正答選択肢および語答選択肢のクオリティに、出題者の英語力(のなさ)や第二言語習得に関する理解度の深さ(というか浅さ)が如実に表れる、ということである。

出題者はおそらくその自治体の教育委員会や教育センターに関係する英語教員なので、ざっくりいうとその県や市のベストの英語教員の実力が、教採の英語問題には表れているということだろう。大学入試とちがって世間の注目度も高くなく、多少妙な問題があっても問題になることもない、という条件もあるのだろうか、微妙に妙な問題はけっこうある。

長文のもとになっているのは英語圏で出版されたSLA関係の文献の一部を切り取ったものがほとんどで、それはいいのだが、本文は読んでわかっても、設問とその選択肢を見ると「はぁ??」と言いたくなることもめずらしくない。実例をあげられないのが残念だが。

誤答選択肢というのは英文としては自然でそれなりに意味もわかり、文法も語法もただしいが、述べている内容が誤っている(本文と異なる、本文にはない)というものであるべきだが、誤答選択肢のなかに英語としてありえないコロケーションが使われていたり、言っている意味が不明であったりというものがあるのだ。「わけがわからないことを言っているから誤答」ってのはダメでしょ。

そういう問題を解かされて、その結果で判別される受験者はいい迷惑である。そういうのを「妥当性がない」っていうんですよ。出題者はよい問題を作ってください。まさか一人だけで作って、第三者が推敲する機会がないまま実施している、なんてことはないですよね?

4/29/2019

Perfect編集しました

Ed Sheeranの Perfectを、授業用に歌詞をいれた映像に加工しました。それこそ完璧な名曲です。スキー場の映像だし猫は出てくるし、もうたまりません!


スマホ持ち込み各自リピーティングやってみた

教室全体に教師が教科書の録音音声を流し、適宜ポーズを入れ、学生に一斉に、あるいは指名して個別にリピーティングをする、というのはよくやっている。統制はとれるがやはり一斉形式の特徴でずっと緊張しているし教師も学生もある意味疲れる。

そこで今回新しいことをやってみた。教科書の音声をダウンロードしたものを各自のスマホに入れそれを教室に持ってくるよう指示した。そして授業中のひとつのフェイズとして、各自がスマホを再生しながら適宜ポーズをいれリピーティングの練習をする、というのを設定した。5分位はやっただろうか。その間中こちらは教室を歩き回り(その教室はコの字型なのでひとりひとりの前まで行くのが非常にたやすい)学生たちの声を聞きながら適宜フィードバック。

適当な時間が過ぎたところで「練習の成果を見てみよう」ということで、私のスマホから再生する音声に適宜ポーズを入れ、そのポーズが入ったときに目の前にいる学生がリピートする、という一斉練習を。「ポーズが入ったときに目の前にいる」が味噌なので、歩く速度や方向を自在にランダムに変え、誰の前に停まるかワカラナイ状況を作り出してドキドキ感を演出。

始めてやってみましたがなかなかいいような感じでした。

4/28/2019

思ったようなハードな方ではないんですね。。。

昨日、TALK研究会で講演をさせていただきました。呼んでくださったTALKの先生方、ありがとうございました。


終了後、会長の松坂ヒロシ先生から「発音を大切にする英語教師は絶滅危惧種と言われていますが、絶滅しないよう頑張りましょう!」とのお言葉をいただき恐縮いたしました。微力ながら発音を大切にする英語教師の個体数を増やす努力をしてまいりたいと思います。

懇親会では複数の方から、「本やブログを読んで思っていたような厳しい/ハードな方ではないんですね。」というコメントをいただきました。そういう冷徹なイメージが先行しているのだな、と改めて痛感した次第です。

4/26/2019

プロソディの指導の実例(ミニ動画):ポンポンメソッド改めハハハーメソッド

このとき使っていたのは、

Consonants involve a narrowing in the mouth.
OoooOoOooooO
ハッハハハハーハハッハハハハー



です。

このように、ハでもポンでもタでもいいですが、ノンバーバルな手段でストレスパタン、イントネーションパタンだけを取り出すと、セグメンタルに注意を割かれることなくプロソディのみを実感することができるはずです。そのイメージを実感したところですかさずそれにセグメンタルを載せる、という指導方法です。

英語ではストレスのある音節が長〜くなる、というのもポイントなので、その点もすこし大げさにやっています。日本語との対比としてそういう部分をデフォルメして大げさにやることもとても大切です。教師が12やって始めて生徒が10くらいになってくれるのです。教師が8なら生徒は6くらいにしかなりません。

なお、最後の mouthを mouseと発音している学生がいたのに対してすかさず訂正させているところにも留意してください。

なおこの英文の出典は、Avery, P. & Ehrlich, S. (1992). Teaching American English pronunciation. OUP. p. 12. です。

4/21/2019

中国からの留学生より深夜のメール

昨日「英語授業の心・技・体」が手に入りました。少し読み始めたら、びっくり、興奮、同感、尊敬、感謝など私の言葉では言い表せないほどの気持ちが一杯いっぱいです。 
靜先生が的確にズバリと日本の英語教育の現状を指摘された文言を読んで本を手放すに忍びないです。行間から覗かせていただいた先生の高い学術レベルと高尚たる人格にも深く敬服しております。
中国のことわざで「早く会わなかったことを恨む」という気持ちが強くて我慢できずにこんな深夜にこのメールを送らせて頂きました。

 そんなふうに思ってもらえると書いた甲斐があります。出版からちょうど10年経ちました。


驚くべき提案!

5月に某県の高校英語教育研究会総会に呼んでいただいて150人ほどの先生方に対して講演を行うことになっています。


発音指導の心・技・体 
〜聞き手の努力を前提としない円滑なコミュニケーションを目指して〜

これについてやりとりをさせていただいているのは、その研究会の会長である校長先生ですが、本日、驚くべきご提案をいただきました。それはなんと。。。ご自分(その校長先生)が講師である私(靜)を英語で紹介するので、その自分の英語の発音の良い点、悪い点を指摘することから講演を始めてもらえないだろうか、というものです。そして「自分の発音を正すに際しては自分の会長としての面子を気にしてもらう必要はまったくありません」とまでおっしゃるのです。

ん〜。これは結構すごいことです。

「英語を教えるプロである英語教師の集まりで、お互いに英語の足らないところに気づいたら、面子などきにせず、お互いに指摘しあって、お互いが次の日から教える生徒たちにとってよりよい英語教育につながるような切磋琢磨するのがプロとしての責務である。生徒にとって何が一番いいのか、こを真っ先に考えるべきこと。同僚としてのお互いの面子などはそれに比べればどうでもいいのだ。」というのは、私が以前から言ってきたことです。

しかし現実は全然そうはなっていません。英語教員の研究会というと教え方がどうしたこうしたという話ばかりで、お互いの英語の質はまったく問題ない、という建前で進行するものであり、そこで相手の発音ミスやら文法の勘違いやらを指摘するのはタブーです。

2011年度の全英連奈良大会で、私の基調講演の司会を担当していた若い教師が、Please raise your hand. のつもりで Please laise your hand. と言ったのをその場で私が指摘した、などは例外中の例外です。その後挙手して質問してきた北海道の高校の先生(じつはもともと知り合いだったのですが)が質問のなかで、usually を usuarry と言ったのを私が即座に usually と訂正したときは、2000人収容の大ホールが凍りついたものでした。

たぶんそういう「大人げない」ことをするのは日本中の英語教師のなかで私だけなのでしょう。ですから、上述の校長先生からのお申し出には驚かされました。英語教師たるもの自分の商売道具をつねにより良くせねばならない、という確固たる姿勢を、管理職になっても県の研究会の会長になっても変わらず持ち続けていらっしゃる、稀有な方なのだと思います。そういう姿勢を持つ管理職を戴く学校、会長を戴く研究会は幸せです。

なお、もちろん、ご提案については、もしなにか気づいたことがあればコメントさせていただきます、とお返事しました。楽しみです。

先生になっていく人たちの発音の良し悪しで、未来の生徒の発音も変わっていくかも。。。「かも」じゃないでしょ〜!

教職をとっていない某3年生とのやりとり。本人の了解を得て紹介します:

(ここに至る文脈は割愛) 
英語圏滞在どのくらいだっけ? 
通算で12ヶ月くらいですよ。 
それにしては発音が上手いな。もともと音感があったか。 
靜先生は上手ですよね。どうやって上手になったんですか? 
む。。。 これは自分では不明。中学生のころにカセットテープをよく聞いて真似したから、とでも言うしかない。あるいは最初の塾の先生の発音が良かったからか。 
塾の先生の発音でも少しは影響するんですね 
僕の場合は少しではなくてほとんどその先生のおかげかもしれない。その先生はものすごく発音が良くて、その塾は音読しかしなかった. 
へーそうなんだ。これから先生になっていく人たちの発音が良いか悪いかで学生の発音の良さも変わっていくかもしれないですね 
おいおい。そりゃ「かも」じゃなくて当たり前だよ。だから一所懸命にまともな発音の教員を育てようとしてるんだ!

教職をとっていない一般学生はすなわち一般人の感覚に近いと思われますが、そういう感覚だと、学校の(日本人の)先生の発音で生徒の発音が(いい方向に)影響されるなんてことは考えていなかった、ということが推察されるようなやりとりでちょっとおもしろかったので紹介しました。 ということで、教職学生は責任を再認識して奮起せよ!

4月27日 講演会を行います

田辺英語教育学研究会(TALK)という早稲田大学の音声学系の研究会でお話をさせていただくことになりました。許可をいただきましたので、広報させていただきます。

日 時:2019年4月27日(土) 17:00~19:00
             (※ 最初の15分は総会です)
場 所:早稲田大学早稲田キャンパス14号館403教室

http://talk-waseda.net/400-next_talk.html

非会員の方も事前に連絡すれば参加できるようです。
お問い合わせ:事務局 office@talk-waseda.net (@は半角にしてください)
英語発音自体の話にはフォーカスをおかず、英語発音指導の心構えとテクニックについて話します。

発音指導の心・技・体: 心と技を中心に

講演者:靜 哲人 氏[大東文化大学 外国語学部]
司会者:久保 岳夫 氏[開成学園(非常勤講師)]

概 要:日本語ネイティブの生徒の英語発音は不十分なことが多い。それは教師の側に発音指導の「心・技・体」のどれか、あるいはすべてが欠けているからだと考える。

ここで「心」があるとは、日本語ネイティブに英語を教えるときの発音指導の重要性をきちんと認識し、かつ目の前の生徒の発音を少しでも良くしてやりたいと心の底から思っていることを言う。自分で確信がないこと、本当はそれほど強くは思っていないことは、熱を込めて指導できるはずがない。この部分が足らない教師は多い。

次に「技」とは、自分の発音技能を40名の生徒たちに伝えるための指導技術を指す。いくら「心」があっても40名を相手にして、結果的に生徒の発音が改善しないのであれば「心」がないのと同じである。たとえば教科書の「発音コーナー」だけで発音練習をしたり、思い出したように時々発音について言及したりするだけでは、40名の発音技能は変わらない。また発音が焦点でないやりとり活動のときには発音には触れない、という態度であるならば、生徒たちの発音は決して変わらない。この部分が足らない教師はさらに多い。

 最後に「体」とは教師自身の発音技能である。発音技能の低い教師は、生徒の発音技能の低さがそれほど気にならないはずだ。汚部屋に住む人は、他人の部屋の汚さにそもそも気づかないのである。自分の部屋が清潔ならば、そうでない他人の部屋に対して何かを感じないのは難しい。日本語ネイティブの英語教師には「体」が足らない場合も多い。しかし「体」だけは完璧でも「心」と「技」がなければ生徒の発音は全く変わらないのは、多くの英語ネイティブ英語教師の授業を受けても、生徒の発音はほとんど変化しないことからも明らかである。

本研究会の会員にはおそらく「体」は十二分にあると思われるため、本講演では「心」と「技」を中心に論じたい。技のなかではとくに「グルグルメソッド」と「歌の利用」を取り上げる。

参考文献
靜哲人(2009)『英語授業の心・技・体』(研究社)
靜哲人(2019)『日本語ネイティブが苦手な英語の音とリズムの作り方がいちばんよくわかる発音の教科書』(テイエス企画)





4/20/2019

4月30日、語研の講座にお運びください。

語学教育研究所主催の以下の講座を大東文化会館で行います。私の学生たちが裏方スタッフを務めます。どうぞお運びください。矢田先生の英語を聞くだけでも価値があると思います。

お申込みは→こちらから

2019-04-30 (火)   特別講座2019①
「主体的な学び」を促す授業を目指 して

日時:4月30日(火・祝) 午後1時から4時
講師:矢田 理世(筑波大学附属高等学校 )
場所:大東文化会館 

  〒 175-0083 東京都板橋区徳丸2-4-21 1F 
  東武練馬駅北口出口から徒歩約 3 分 
参加費: 会員 500円 非会員 1,000円 学生 500円 (学生証をお持ちください) 
 
新年度も始まり、担当するクラスの雰囲気もわかってきた頃でしょうか。同時に、学期末や年度末の目標設定にお悩みの時期かもしれません。あるいは、間もなく始まる教育実習を前に、困惑している学生さんも多くいることと思います。
 今回の講座では、勤務先の研究大会で2017年12月に公開したコミュニケーション英語Ⅱの50分の授業をご覧いただきます。トピックは「ジャポニズムと西洋芸術」で、1ヶ月後に予定していたまとめの発表活動を意識した導入を行いました。生徒たちが主体的に考え、自由に幅広く発言できるよう、内容に関する発問を工夫しました。指導技術や授業構成、長いスパンでの指導目標など、授業者の意図や工夫を説明します。その後、この授業を材料に、様々な視点から参加される皆さんがお互いに議論し、悩みを共有し合い、考えを深められる場になればと思います。


4/19/2019

音読・指差しメソッドを開発した

英語専攻ではない1年生クラスの英語を担当することになった。リーディングという授業だが、もちろん他の技能とも有機的に関連付けて立体的に指導する。

2回授業をやってみた感触では、英語力(リーディング力)はまずまずだが、発音や音読面では結構ベタな日本人英語の割合が多い、という日本の大学生として平均的な学生集団のようだ。

音読で私の後についてリピートさせるとき、何度、.... Western countries ... とモデルを発音しても、... Wesタン  countries .... と発音してくる。最初からあまり細かいことをくどくど説明しても、英語専攻じゃないから引かれても困るし、かといって、やっぱりどうしても気になるのスルーできない。

でやってみたのが、指差しメソッド。(なお、物理的環境としては、教室前方のスクリーンに本文を大きく投影してあり、それを指差すことができる。)

Japanese students who go on home-stay programs in Western countries expect a lot of care and attention from their host families.

 という文を例にとると以下のような感じ。

******************

私:Japanese students who go on home-stay programs in Western countries

学生たち:ジャパnese stuデンツ who go on home-stay programs in Wesタン countries

私:ええとね。自分で思い込んでる発音じゃなくて、私の音をよ〜く聞いて真似してみよう。じゃあね、まずここの音をよ〜く聞いて、真似してみてくれる?
(と言って、Japanese studentsの赤字を指でさしながら)Japanese students

学生たち:Japanese stuデンツ

私:そうそう。うまいね。じゃあ今度はここを真似してくれる?
(と言って、Japanese students の赤字を指さしながら) Japanese students

学生たち:Japanese students

私:お、できるじゃん。じゃ今度はここね。
(と言って、Japanese students who go on home-stay programs in Western countriesの赤字を指差しながら)Japanese students who go on home-stay programs in Western countries

学生たち:Japanese students who go on home-stay programs in Western countries

私:そうそう、英語は実はそういう感じだから。(以下略)

******************

以上のように、特別にどう発音しろ、と明示的に説明しなくてても、ピンポイントに要注意箇所を指定し「よく聞いて、真似してごらん」だけで、かなり改善することを発見。自分の発音を完コピしなさい、なんて言ってくれる教師に今まで出会わなかったから下手くそだっただけで、ちょっと意識を向けてあげるだけで、みるみる直るのだ、ということが再確認できた。

指差しメソッド、かなりポテンシャルありそうである。









4/05/2019

Just Rock'n Roll.

内田裕也氏の葬儀で、長女の也哉子氏が弔辞を締めくくった次の言葉は心に残るものだった。

F***in' Yuya Uchida,
Don't rest in peace.
Just rock'n' roll.

学生向けに解説しておくと、Rest in Peace.(安らかに眠れ) は RIPとも略される決まり文句。そして、Just rock'n roll.では、rock'n' roll を動詞として使っている。(というか、rock も roll も元々動詞だから、本来の使い方とも言える。)

いくら歌が上手くても

故・内田裕也氏の最後のライブの映像で彼が The House of the Rising Sunを歌うのを聞いた。亡くなるほんの2ヶ月ほどまえにこれだけソウルフルなパフォーマンスがあったのか、さすがに歌は聞かせるな。。という意外性とともに、どんなに歌自体は上手くとも、LをRで発音された瞬間にドッチラケになってしまう自分は職業病に冒されているのか、という感をもった。


4/02/2019

いってらっしゃ~い!

明日、ボーズヤクザが日本を出発します。留守はしっかり守っておきますのでご心配なく、という意味をこめて研究室外の色紙を取り替えました



どうぞ身体に気をつけて行ってきてください。

令和のアクセントは?

改めて考えてみると、

明治 は 単独では 明示 というアクセントで発音することはない。

大正 は いつも 対象 と同じアクセントであって、大将 ということはない。

平成 は いつも 平静 と同じである。

しかし 昭和 だけは、頭高アクセントも平板アクセントもある、と思う。

令和 は、今日のニュース内では、大人は頭高で言っていたが若者は平板で言っていることが多かった。

こういうのは最初にきちんと決めないのかな。

4/01/2019

『発音の教科書』第3刷、決まりました!

有り難いことに発売から2ヶ月半を経過した4月1日現在、依然『発音の教科書』はアマゾンの「英語の発音」部門のベストセラー1位を保っていますが、


おかげさまで、さきほど、第3刷決定の通知をいただきました。ありがとうございます!

読者の皆さまには、よろしければ是非、アマゾンのレビューを書いていただき、さらに多くの方々に本書の良さを知っていただければと . . . m(_ _)m  


教育実習に行く前、このブログ読んでください!

つい先日卒業した学生から

「教育実習の直前、不安と緊張で眠れなかった時、先生のブログを2時間くらい読みました。不思議と心が落ち着き、また学ぶことも多くありました」

というメールをもらいました。そんなことがあったとは知りませんでしたが、そういう役にたったのであれば嬉しいことです。この学生はその効果もあって?立派に実習をこなしていたのを私はこの目で確認しています。

気持ちが落ち着くかどうかはわかりませんが、ことしの実習生のみなさんも、どうぞ利用してください。君たちには、どの学校に行っても恥ずかしくないだけの英語教師としての心・技・体を注入してあるはずなので、その点は自信を持って。(「注入」したものがどれだけ身になっているのかは、人それぞれか。。。)

左上の検索ボックスに「実習」と入れて、私の過去のポストをまとめて読んでみるのもおすすめします。


3/29/2019

2018年度ゼミ・最後の懇親会行いました

今年度のゼミメンバーで集まる最後の会を行いました。4年生はいよいよ社会に出てゆく覚悟を、3年生は今度は自分たちが勝負するのだという決意を胸に、来し方行く末を語り合う楽しい集いとなりました。


途中思いがけず私の誕生日を祝ってくれたサプライズ演出があり、心から嬉しくなりました。ハッピーバースデーを歌ってくれたのですが、ずいぶん前に当時の勤務校の(大学院の)授業中に、一人の学生に対して他の受講生がハッピーバースデーの歌を歌ったのはよかったのですが、それがベタベタのカタカナ発音だったため、それに対して私が「(英語教育を学んでいる者として)恥を知れ!」と怒りの長文メールを出したというエピソードを何故か知っていた?彼らは、しっかりhAppy bIRTHday ...と合唱し、大笑いになりました。


企業に、大学院に、そして学校現場にと、それぞれ新たなステージを求めて旅立ってゆく4年生メンバーにエールを送ります。そして3年生は新4年生としてゼミを引っ張りつつ、自らの進路を切り拓いてゆくことを願います。


3/28/2019

発音なんてどうでもいいじゃないですか、と言われてショックでした

かなり「できる」生徒に、「テストに出ないんだから発音なんてどうでもいいじゃないですか」と言われてしまってショックでした、と報告してきた初任の先生に私が返したメールより抜粋:

私の思う解決策のひとつは、発音というか質の良い音読スキルをテストにしてしまう、という方法。もうひとつはリスニングを教えながら、音声変化や弱音節の聞き取りなどの難しさを味あわせつつ、「自分でカタカナ発音しているから聞き取れないんだよ」と納得させる、というアプローチ。そういうことをわからせるには教科書付属CDでは無理で、やっぱり映画とかドラマとか歌とか、authenticなマテリアルが必要になりますね。

3/25/2019

世の中にはいろいろな人がいるからオモシロイのでは?

年々、程度はいろいろであるが、発達障害というアンブレラタームでくくられる特性を持った学生が増えてきた。障害者差別解消法が施行されてから2年が経とうとしているが、学生を受け入れる大学の側、とくに教員の意識はどうだろうか。そうはっきりと口に出しては言わないものの、そういう学生をできれば受け入れたくない、自分の学科には入ってきてほしくない、いわんや自分のゼミになど絶対に入れたくない、と考えている教員は少なくないように感じる。残念なことだ。

そういう気持ちは次のような一見もっともな言動となって表明される。曰く、学科の体制としてケアが十分にできない。曰く、自分たちはただの教員であって専門知識がないから無理だ。曰く、大学は自分たち全員に発達障害についての研修を受けさせもせずにそんなことを押し付けるのか。曰く、「何か」あった時に、大学は責任を取ってくれるのか、等々。

もちろんこういう言動が、「ケアができるような体制を整えたいから、専門知識を与えて欲しい、研修を受けさせてほしい」という前向きな意味で表明されていることもなくはないのだろうが、多くの場合は、「自分たちはそんな学生に関われない、関わりたくない」という逃げの気持ちが透けて見える、ように私には感じられる。

そういう言動に接する時、思う。この人は、もし自分の子どもがそういう特性を持って生まれついてきたらどうするのだろうか、と。こんな子どもには関われない、関わりたくない、と言って、その子を自分の人生から排除しようとするのだろうか。

そういう親と呼ぶに値しないバカ親もなかにはいるかもしれないが、ふつうの親ならそういう方向には考えないし、考えることはできない。自分の子どもなのだから。そういう特性も自分の子どもの属性の一部であるし、そういう子どもがいるという属性も、自分自身の一部である。自分自身を切り離すことはできない。

嫌われるのを承知で書くと、教員の中でも大学教員は、「いい」学生、手のかからない学生しか相手にできない人の割合が、小中高の教員よりも多い。そうでない学生は自分の守備範囲ではないと思っているのだろう。それは教師としての守備範囲が狭すぎるのである。そしてそれはそのまま人間としての幅が狭すぎることになるのではないだろうか。え?自分たちは研究者であって教師ではない?でも「教」授って教える人でしょ。

そもそも、世の中にはいろいろな人がいるのである。頭のいい人もいれば、そうでない人もいるのである。足の速い人もいれば、そうでない人もいるのである。ルックスの良い人もいれば、そうでもない人もいるのである。太った人もいれば、痩せた人もいるのである。物覚えのいい人もいれば、そうでない人もいるのである。しょうがいをかなりもっているひとも、多少もっているひとも、あまりもっていないひとも、いろいろいるのである。身体的にしょうがいのあるひともいれば、知的にしょうがいのあるひともいれば、情緒的にしょうがいのあるひともいるのである。よく見れば教員集団のなかにもいろいろいるじゃないですか。

頭が最高に良くて、視力は2.0で、背が高くて、イケメンで、美女で、プロポーション抜群で、運動能力抜群で、思いやりがあって、品行方正な学生だけしか入学させない学校は、教師から見て手はかからないが、つまらないのではないだろうか。というよりそんな学校に人間の教師はいらんだろう。AIでもあれば十分だ。ま、そんな学校、わたしもあなたも含めて、世の中の99.9%の人は、入学試験に通らない。



3/17/2019

UpDATES 2019春の会 開催!

今年も、4月から教壇に立つ卒業生を壮行し、大東卒現職英語教員との親睦を深める UpDATES (Upgraded Daito Alumnae Teachers of English Society)春の会を催しました。


4月から教員になる学生が3名、4月から入院する学生が3名(大学院に、ですが)、卒業生教員が3名、と我々シニア教員が2名の11名が集まり、4時間に渡って語り合いました。

会場の魚撃さんは、書道家でもある店長がその場でリクエストに応じて超達筆で色紙を書いてくれるレアなサービスもあり、ここ4年ほどずっと使わせていただいています。

4月から教員になる3名と、4月から淡路先生に旅立たれる私の計4名が色紙を書いてもらいました。

院生になる3名も2年後には色紙をリクエストすることになるでしょう。


私のこの色紙↑の文言は
4年前の決起集会でのこの色紙↓の文言に呼応するものです。


教員になる3名(昨日の会に来られなかったひとりを加えて4名)も、大学院生になる3名も、そして淡路先生も、心身ともに健やかで、あらたな生活を思い切りエンジョイしてください!

3/14/2019

ようやく公刊! 『英語授業の心・技・体』のミスリーディングな要約引用に係る諸考察

あれから1年。ようやくpublishされました。

靜哲人 (2019)
『英語授業の心・技・体』のミスリーディングな要約引用に係る諸考察
(Considerations on a Misleading Summative Citation of Eigo-jugyo no shin-gi-tai)
『大東文化大学紀要』 第57号 (人文科学)pp. 43-61


要旨


靜哲人著『英語授業の心・技・体』(研究社)が、松村昌紀(編)『タスク・ベースの英語指導—TBLTの理解と実践』(大修館)の第2章である福田純也著「タスク・ベースの言語指導と認知のメカニズム -- 第二言語の学習を促す心理的要因」のpp. 43-44で要約引用されている。しかしながら、その引用のされかたは『英語授業の心・技・体』の内容に照らして誤りであると筆者は考える。そこでその旨を同書の編者である松村昌紀氏および当該章の著者である福田純也氏に申し立てたところ、当該箇所が誤引用であるとは考えない旨の回答を得た。それから約2ヶ月に渡る交渉を経て、最終的には「同書が重版される際には『英語授業の心・技・体』に対する引用は削除される」ことが合意されたのだが、当該箇所は誤引用でも不適切でもないという松村氏・福田氏の主張は最後まで変わらなかった。その経緯を記録し、筆者と松村氏・福田氏側双方の主張の詳細を記した上で、当該引用がなぜどのように誤りであると筆者が考えるのかを明らかにする。




こちらに全文をアップロードしましたので、是非!お読み下さい。そして拡散希望!











3/13/2019

「エドテック」ってエド・はるみさんの会社?

少し前に、流行りのテーマで、あるありがた〜い講演を聞かされた、いや聞く機会をいただいたのだが、そこで言及された「エドテック」という固有名詞に引っかかってしまった。スペリングをみると、予想通りやっぱり EdTech である。

英語発音屋からするとものすごい気持ち悪い。言うに事欠いて、エドってさぁ。。。

あとでググってみるとすでに固有名詞ではなく普通名詞として流通しているらしい。言うまでもなく英語でEdTechを発音するならほぼ100% dは開放されないので、

エッ・テッk

のような2音節の音になるはずである。それを似ても似つかぬ エド.... にされてしうまうとこちとら第一に「江戸」、第二にエド・はるみさんを連想して、滑稽極まりない。(エドはるみさんが滑稽なのではありません。Education(al)なのに、エドはるみさんにつながるのが滑稽だということです。私はエド・はるみさんの芸は好きでした。)

かと言って「エッテック」ってわけにもどうせいかないのだろうから、EdTechはやめてEduTech にしておけば、まあ気持ち悪さ度は許容範囲の 「エデュテック」というカタカナ表記とカタカナ発音ができる。(エデュというきどった表記も気持ち悪いが。)

まあこういうこと(Edをエドと言われると気持ち悪い)を感じる人間がごくごく例外的だからこういう用語がでまわるのだろう。

しかし再考すると adを アド と表記するのは従来からごく普通のことで会社名などにも使われている。それに対して ed→エド ほどの違和感は感じていなかったのは、おそらく、エドには江戸というすぐ連想される日本語があるのに対し、アドにはないからだ、と思いあたった。

3/12/2019

昨日のライオン・キングのワークショップ:ニコニコ女子多し

2年続けてワークショップ講師として参加していた言語教育エクスポに、今年は気楽に一参加者として行ってきました。

前から気になっていた英語芸術学校マーブルズのワークショップに参加。テーマはライオン・キング。なんとなく、ミュージカルなので劇中歌でも歌うのかな、と漠然と思って行ってみると、そうではなく、ライオン・キングの簡略化した?セリフを使った即興劇を仕上げる、という内容でした。

講師の小口先生はいろいろな意味で見事。プロですね。セリフを単にセリフとして言わせるのでなく、そのセリフに思わず気持ちを込めたくなるような個人的エピソードを聞き出したうえで、その気持ちをセリフに乗せて言わせる、というアプローチでした。昔行ったMLSを思い出しました。

私個人の敗因は、そもそもライオン・キングの話とか登場キャラクターをまったく知らないまま参加してしまったこと。ムファーサだ、プンバだ、ナラだ、ザズーだ、と言われてもその動物がオスなのかメスなのかもよく覚えきれず、いまひとつ場面の入り込めずに困りました。ちなみに私がもらったのは、プンバの役。相棒のティモン役の方に助けられながら、それなりに楽しく汗をかくことができました。(ティモンさん、お世話になりました!)

場面場面でグループに発表させて小口先生がフィードバックしながら仕上げていくのですが、そういうときの受講者の英語を聞きながら再確認したのは、日本人にはいかに「ニコニコ女子」が多いのか、ということ。You've got to do something!  というセリフがあったのですが、このsomething の mで両唇を合わせずに、唇歯で発音してしまう女性の多いことと言ったら。。。

bとかpでは唇閉じる、というのは日本人には盲点なのですかね。

なお、一番心に残ったセリフは、

You can either run from the past or learn from the past.

でした。内容もいいし、また発音面でもデフォルト日本語ネイティブだと、run も learnも事実上同じ音(ラ(-)ン)になるので、よい練習になるなあ、と。

またいつか機会があれば、マーブルズのワークショップ、参加してみたいです。




3/11/2019

「アクティブ・ラーニング」の神話を一刀両断:イングランドからの警告

本日、大学で一冊の献本を受け取りました。

Seven Myths about Education
by Daisy Christodoulou

の訳書である

7つの神話との決別
21世紀の教育に向けたイングランドからの提言
(東海大学出版部)

です。



送ってくださったのは訳者のうちのおひとりです。その方からのお手紙が同封されており、それを読んで私は嬉しくなりました。

その方は私のこのブログである文面を見て「そうなの、そうなの。だから私はこの翻訳書を日本にて出したいと思ったのだ」と叫びたくなった、そうです。その記述とは「ホンモノに出会った喜び」の中の以下の部分です:

たとえば「心」に関しては、文科省主導の「アクティブ・ラーニング」やら「対話的でドウチャラコウチャラの学び」やらの騒ぎのせいで、英語と同様その教科でも、すべての基礎となるはずの知識を教師がきちんと教えることがまるで悪いことであるかのように扱われるようになり、思考の材料たる正しい知識がないまま生徒たちは「話し合い」「学びあい」を強制させられるために無知や勘違いや感情に基づくトンデモ話し合いがまかり通り、その結果を発表して授業が終わる、という教科教育の崩壊が起こっている惨憺たる現状を厳しく糾弾し、その教科における『授業道』を確立の必要性を叫んでいる。
そして、イングランドで起こっている同様の惨状を看破し、その誤りを説いているのが、この『7つの神話との決別』であるため、相通ずるものを感じて、急遽本書をご恵贈くださった、とのことです。

現在文科省が必死に旗を振っているような教育政策は根本的に誤っているからやめよ、という主張をイングランドの現状のデータに基づいて行っているのが本書だ、ということです。

帯にはこうあります。

イングランドで盲信されていた教育神話を打破する。

神話1 事実学習は理解を妨げる
神話2 教師主導の授業により生徒は受け身になる
神話3 21世紀はすべてを根本的に変えてしまう
神話4 調べようと思えばいつでも調べられる
神話5 転移可能なスキルを教えるべきである
神話6 プロジェクトとアクティビティが学びの最良の方法である
神話7 知識を教えることは洗脳である

つまりこれらすべてが誤っており、

  • 事実を学習することは大切で
  • 教師主導の授業こそ効果的で
  • 何世紀になろうが教育で大切なことは変わることはなく
  • 生徒任せの「調べ学習」は当てにならず
  • 将来役立つスキル云々ではなく、現在必要なスキルこそ教えるべきで
  • PBLなどは非効率的であり
  • 知識を教えることこそ教育の根幹だ

ということを述べている本であると推測します(まだちゃんと読んでませんので。)

そうだとすれば、すばらしい!

内輪話によればこの本は出版社を見つけるのに苦労したそうです。つまり「アクティブ・ラーニング」を批判するような内容の本は出版されたがらなかった、ということのようです。それ自体が恐ろしいことですね。

今日から私はじっくりこの本を読んでみたいと思います。調べてみてもこの訳書はアマゾンにはないようですが、東海大学出版部から直接購入できるようです。みなさんぜひ!この本をみんなで読んで、出版をためらった出版社を悔しがらせようではありませんか!

ご献本、ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。

3/06/2019

発音指導の心・技・体がなぜ大切なのか

以下は、ある集まりでお話させていただく予定の内容です。

概要

日本語ネイティブの生徒の英語発音は不十分なことが多い。それは教師の側に発音指導の「心・技・体」のどれか、あるいはすべてが欠けているからだ。

ここで「心」があるとは、日本語ネイティブに英語を教えるときの発音指導の重要性をきちんと認識し、かつ目の前の生徒の発音を少しでも良くしてやりたいと心の底から思っていることを言う。自分で確信がないこと、本当はそれほど強くは思っていないことは、熱を込めて指導できるはずがない。この部分が足らない教師は多い。

次に「技」とは、自分の発音技能を40名の生徒たちに伝えるための指導技術を指す。いくら「心」があっても40名を相手にして、結果的に生徒の発音が改善しないのであれば「心」がないのと同じである。たとえば教科書の「発音コーナー」だけで発音練習をしたり、思い出したように時々発音について言及したりするだけでは、40名の発音技能は変わらない。また発音が焦点でないやりとり活動のときには発音には触れない、という態度であるならば、生徒たちの発音は決して変わらない。この部分が足らない教師はさらに多い。

最後に「体」とは教師自身の発音技能である。発音技能の低い教師は、生徒の発音技能の低さがそれほど気にならないはずだ。汚部屋に住む人は、他人の部屋の汚さにそもそも気づかないのである。自分の部屋が清潔ならば、そうでない他人の部屋に対して何かを感じないのは難しい。日本語ネイティブの英語教師には「体」が足らない場合も多い。しかし「体」だけは完璧でも「心」と「技」がなければ生徒の発音は全く変わらないのは、多くの英語ネイティブ英語教師の授業を受けても、生徒の発音はほとんど変化しないことからも明らかである。

3/03/2019

「ネイティブのお墨付き」という表現はアリ?(加筆しました)

ある英語学習の月間誌で『発音の教科書』を読者プレゼントとして紹介していただきました。 その紹介文の冒頭:

「その英語力で博士号まで取得した実力は本物!」

お。。。著者の私のことですか。それはどうもありがとうございます。ただ一般論として発音のスキルと博士号の相関はあまりないかもですね(笑 )。また博士号は英語力で取るものではないし。

加筆:ただ、著者はきちんとしたアカデミックなバックグラウンドがあるのだ、ということを言って下さっているのはありがたいです。ここだけの話、英語本のなかでもこと「英語発音本」というのは、文法だの語彙だのスピーキングだのに比べて、なんというか。。著者が音声学はあまりご存知なく、書いてあることもご自分の直感?直観?だけに頼っていてかなり眉唾、というケースの割合が高いというのを最近改めて感じているので、著者の credibilityについて言及してくださっているのは、感謝です。

「大学の英語教授の著者がネイティブお墨付きの発音を伝授。」

ん〜む。「大学の英語教授の著者が」の部分は上の理由でありがたいのですが、そのあとの「ネイティブ...」の下りは正直に言って、少々微妙ですね。おそらくこのPR文を考えて下さったのは英語学習参考書とかテスト対策とか英会話本とかを手がけるような「プロの方」だと思いますが、「ネイティブお墨付き」には引っかかります。やや時代錯誤的かと。今どき「ネイティブ」の認可は要りませんし、しかも「お墨付き」って。。。 「ネイティブ」をお上にたとえているみたいで、少々卑屈なイメージがあります。

加筆:いや、でもよく考えれば、「大学の英語教授」というと悪いイメージとしては自分の専門をボソボソ講義するだけで英語自体はかなりしょぼいというケースも残念ながらそう珍しくもないので、そうではなくこの教授は英語自体もうまいのだ、ということを印象づけようとしてくださった、ということですよね。そう考えればありがたいです。ただその accreditation, authorization にどうしても「ネイティブ」が出てきてしまう、ということですね。

現代においては、英語は我々ノンネイティブのもの「でも」あります。ノンネイティブは国際語としての英語 (English as an International Language) としてきちんとした発音をすることが必要かつ十分であると思います。そして自分の発音が「きちんと」しているのかどうかは、ノンネイティブ自身で十二分に確認かつ確信できるものです。

「日本語を母国語とする私たちの気づかぬ発音の癖、母音の区別の仕方、アクセントの種類などいろいろなことについて教えてくれる1冊。映画のナレーションや洋楽を素材としたトレーニングもあり読者が楽しみながら発音の練習できる作りになっている。」

はい、ありがとうございます。これはその通りです。ここで「母語」でなく「母国語」という我々の分野ではすでに死語になった表現を使っていることを見ても、このPR文の作者が英語教育関係の方ではないのは間違いないと思われます。

以上、すこしやや斜に構えたコメントをしてしまいましたが、拙著を取り上げてくださって大変ありがたいことには変わりありません。感謝しております。しかし英語学習の月間誌にこういう文言がフツーにのるということは、日本の英語学習市場とか、一般の英語学習者の間には、やはり昔と変わらぬネイティブ信仰が根強く存在していることを示していると考えられます。

ちょっと考えさせられました。

『発音の教科書』第二刷、できました!

ありがとうございます。目指せ、第三刷!





語研のアラカルト講座「発音指導の心・技・体」、無事終了いたしました。

本日、語研のアラカルト講座「発音指導の心・技・体」を行いました。雨の中、中には東北や関西など遠方から来てくださった方もおり、熱意に頭が下がります。3時間ということで、やはり実際にグルグルを体験していただく時間はとれませんでしたが、書いていただいた感想を読む限り、まずます成功の部類だったと言ってよいようです。いくつか声を紹介させていただきます。参加者のみなさま、おつかれ様でした!


  • 理論を踏まえた上で実践をしていただき、非常にわかりやすかったです。
  • 靜先生がアドバイスして下さったとおりに発音してみると、ネイティブが発音したように聞こえるので嬉しかったです。(靜:ネイティブのように聞こえる必要は、ないですよ。ただ、リスニングには役立つと思います。)
  • 情報量が多くて素晴らしい授業でした!
  • 現在のトレンドがコミュニケーションを中心に取り扱うことになっており、基本となる文法や発音の扱いが雑になっていることを反省していました。
  • 先生のご本もとてもステキです。(靜:ありがとうございます!是非ご活用ください。)
  • 何度も確認とfeedbackしてもらえたのでありがたかった。
  • 学生に戻った気分を味わえて楽しかったです。
  • 端的に、しかし必要な情報は詳しく提供されていました。
  • 参加者自身の発音に対するフィードバックがあったこともよかったです。
  • 一斉指導の際の表情など、大変勉強になりました。
  • 発音は自分にとって大きな課題であり、日々生徒と向き合う中で頭を抱えるテーマでもあったので今回の講座をとても楽しみにしておりました。教員が一つ一つの音に意識していなければ生徒の指導は不可能であると改めて実感しました。ハートを大切に頑張ります!


あれから1年

同じ弥生でも昨年と今年の対比は信じられないほどである。

昨年の2月、3月と言えば例の『心・技・体』無責任トンデモ引用事件絡みの抗争もとい交渉の真っ只中で、私の中の不愉快度指数メーターは振り切れていた。

それが今年はどうだろう!同じ『心・技・体』絡みで、大げさに言えば「こういう読み方をしてくれる人が世の中に一人いただけでも、自分はこの本を世に出して良かった、出版の価値があった」と思えるほどの読者の存在を知った。

このままの良い年でずっと行ってもらいたい!

ホンモノに出会った喜び

それは、突然、やってきた。

英語以外の教科を専門とする、ある若い先生がレポート否、論文を送ってきてくれたのである。学期末で極めて忙しいはずのこの時期にまとめられた20ページにわたる長大な論考のテーマは、『英語授業の心・技・体』での私の主張が、いかに自分の教科にも当てはまるか、である。

たとえば「心」に関しては、文科省主導の「アクティブ・ラーニング」やら「対話的でドウチャラコウチャラの学び」やらの騒ぎのせいで、英語と同様その教科でも、すべての基礎となるはずの知識を教師がきちんと教えることがまるで悪いことであるかのように扱われるようになり、思考の材料たる正しい知識がないまま生徒たちは「話し合い」「学びあい」を強制させられるために無知や勘違いや感情に基づくトンデモ話し合いがまかり通り、その結果を発表して授業が終わる、という教科教育の崩壊が起こっている惨憺たる現状を厳しく糾弾し、その教科における『授業道』を確立の必要性を叫んでいる。

英語教師が職員室の机においておいた『心・技・体』の「十五戒」を他教科の教師が読んで、「これはすべての教科にもあてはまることだ」と言っていた、といったエピソードはこれまでも何度か聞いたことがあったが、これほどまでに包括的に自分の教科に『英語授業の心・技・体』を当てはめて論じる考察にであったのは初めてである。その論考は深く鋭く多岐にわたり、表現は巧みで、当該教科の内容には門外漢である私にとっても震えるほど刺激的なものである。

これほどの豊かなコンテンツを私だけが読んで終わるのではあまりにももったいない、と確信した。


2/27/2019

スキーのスキルと発音技能:技能の差を顕在化させる斜面、生徒を上達させられるインストラクター

スキーネタでもうひとつ。私のスキー技量はまあ「そこそこ」である。だいたいゲレンデであればどんな斜度の斜面でもリズミカルに板を揃えて滑り降りることができる - - - 圧雪斜面であれば。

圧雪斜面というのは圧雪車で雪を踏み固めて凸凹をなくしてある斜面のこと。そういう斜面であれば、私と本当の上級者はそれほど違わないように見えるかもしれない(素人目には)。

しかし非圧雪斜面でコブコブになるとそうは行かない。コブのてっぺんにストックをつくとかコブを膝で吸収するとか、頭ではわかっていても身体がついていかないので、とたんにヘロヘロフォームになってしまう。私と本当の上級者の圧倒的な差は誰の目にも明らかになる。



こういう現象は発音でもある。発音にフルに注意を注げる状態であれば見えない二人の学習者の差が、そうでない状態になると見えるようになる、ということがある。たとえば

  • 単語を独立して読む時は見えないが、文を読むとボロがでる
  • 文を見ながら読んでいると見えないが、read and look upさせるとダメになる
  • 文を自分にcomfortableなスピードで読んでいると見えないが、自分以上のスピードを shadowingなどで強制されるとボロボロになる
  • 与えた文を言わせていると見えないが、即興のやりとりで話しながら自分で文を組み立てる必要がある状況だとヘロヘロ発音になる

などである。

私のスキーはもう上達することはなさそうだが、英語学習者は上に掲げた左の状況から始め、左の状況で適正な発音ができるようになったら、徐々に右の状況になってもできるようにスキルアップしてゆかねばならない。教師は状況の負荷を調整することで、学習者が1ステップずつ上の状況にも対応できるように導いていく必要がある。それが技能の自動化への道である。

以前、「発音なんてさぁ、注意しているときは出来てても、会話になるととたんにボロボロになっちゃうからね。(だから指導してもしょうがないよ。)」と威張っている英語教師の友人がいたが、現状認識は正しくても結論がおかしい。「ウェーデルンなんてさぁ、緩斜面ではできても、急斜面でコブコブになるととたんにぼろぼろになっちゃうからね。(だから指導してもしようがないよ。)がおかしいのと同じ。会話になるとボロボロになるからこそ「そういう状況下において指導しなくてはならない」のである。

つまり「コミュニケーション活動では、発音は指導しません」というあるあるの指導指針は間違っているということである。間違っている、の意味は、そういう指導指針のもとで生徒の発音がそれ以上上達することはない、ということである。(それでもいい、という人との話はそこで終わり。)

音読活動の時だけは、あるいは発音コーナー?のところだけで発音を指導するが、発音にフルアテンションを払えない発表活動とか即興対話の時には発音の指導をやめてしまう、というのは、斜度のゆるい滑りやすい斜面だけでパラレルターンの指導はするが、急斜面のコブコブになると指導をやめてしまうスキーインストラクターのようなものだ。(ちょっとアナロジーが苦しいが。。)コブ斜面でこそうまく滑れるように指導してこそインストラクターである。即興のやりとりの中でこそ、フォームの指導をしなくては、生徒に変化は起こらない。

生徒のスキルの上達にあわせて滑らせる斜面のレベルを上げ、最終的にはどんな斜面でも自由に華麗に滑れるように、教師なら導いてゆきたい。

(オレも導かれたいなぁ。。ひょっとして渡辺雅之・ハンターマウンテン・ベテランインストラクターに教えてもらえばまだイケるか?!)← イケるみたいです。




2/26/2019

ひとりスキー、また楽しからずや

前回 Gala湯沢に行った時は体調最悪だったので、あのイメージを上書きして「リベンジ」したかったのと、ここのところの仕事上のストレスを「滑り飛ばし」たくなり、思い立って今日は一人で行ってきました。

3年ぶりの「一人スキー」。話し相手はいませんが、そのぶん勝手にガンガン滑れるというのは悪くありません。また幸い天候に恵まれ、青空のもとでビールという至福の時間も。


行ったことがなかった南エリアにも足をのばしてみると、人の多い中央エリアよりもかなり空いており、最高。スキーヤーにとってスロープを独り占めできるに勝る贅沢はありません。ターンの大きさもタイミングも周囲を気にすることなく自由自在です。


ひとり記念動画撮影として、試しに左手にストックをまとめてもって右手のスマホで撮ってみました(あまり人がいなかったので危険はない、と判断しました)。ストックを使わないとバランスを取るためどうしても2枚の板をきっちり揃えておくのが難しいことが判明。次回はウェアラブルカメラを持っていってみます。