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12/30/2018

祝!富士山女子駅伝 大東文化大学準優勝!

本日行われた2018全日本大学女子選抜駅伝競走「富士山女子駅伝」において、我が大東文化大学の陸上競技部女子長距離ブロックが見事総合2位、準優勝を果たしました。嬉しいです!


今回のチームにはうちのゼミ生も2名入っていることがわかっていたので、テレビの前の応援にもいつもにも増して力が入りました。

7人とも力走を見せてくれましたが、特にエースの1万メートル現役大学女子最速の関谷選手、スーパールーキーの鈴木選手はそれぞれ区間賞の走りで期待通りの活躍ぶりでした。

優勝は来年以降の楽しみにとっておきます。

12/29/2018

今年も行きました ゼミディズニー!

大東の靜ゼミ有志でディズニーに行くのは1回目2回目、と来て今回が3回目です。前回に引き続き記録的寒波襲来の中、元気な若者たち8人に混じって2年ぶりに行ってまいりました。


入園して真っ先にトライしたのが Tower of Terrorでしたが、なんと110分待ち。。。少なくとも私の常識では考えられない苦行なのですが、ゼミ生は「まあ待つのも醍醐味じゃないすか?」と涼しい顔。たしかに110分間をいかに退屈せずに過ごすかというのは人間力というかコニュニケーション力というかグループ力の見せ所ですね。

他愛ない会話から、「しりとりは会話の墓場」といいつつ何らかの縛りを設けてのしりとりから、アプリでお互いの顔を写真にとって有名人の誰に何%似ているの、似ていないのと騒ぎながら、110分間を乗り切ってしまう彼らのたくましさに感心しきり。



今回個人的に最も感心したアトラクションは Turtle Talkです。観客ひとりひとりを指名してその応答に対して当意即妙の切り返しをみせる Crush役の顔は見えないキャストのプロの話芸に、老教師としても大いに学ぶところがありました。教師の卵たちにもきっと参考になったかと思います。

Raging Spirits で絶叫した後に、はいチ〜ズ!


最後に楽しみにしていた Center of the Earth が「調整中のため、ただいまご案内を一時中止しております」というアナウンスに心が折れた私は、ひとり学生たちに別れを告げてきましたが、体力ある若人たちはあの後も残って親睦を深め、最終的に Center of the Earth にも乗ったそうです。

2018年度靜ゼミ、バンザイ!君たちの前途に幸あれ!


12/21/2018

あなたの英語を劇的に変える「発音の教科書」できました!

じゃ~ん! お待たせいたしました。(と同時に、自分自身も待ちに待ちました!)

「大人のための英語発音レシピ」(仮題)として折りに触れこのブログでも取り上げてきた発音本がようやく完成し、2019年1月21日に 発売される運びとなりましたのでご紹介します。

書名は、以下の通りです。

靜哲人著
日本語ネイティブが苦手な

英語のリズムの作り方がいちばんよくわかる
発音の教科書
(テイエス企画)


少々長〜いタイトルなので、まずは短く『発音の教科書』と覚えてください。





「はじめに」に、以下のように書きました。

これは英語発音の学習書ですが、ほかにはない次のような特長があります。
信頼できる内容  著者の私は、英語教育学、特に発音指導の方法論が専門で、海外の大学で 応用言語学分野の博士号を取得し、今は大学で教鞭をとっています。本書で 述べていることは、これまで研究してきた音声学の知見に裏づけられたもの です。一般の書店に置かれている「発音本」の中には「英語のプロ」の方が素朴な直感・主観で書いたものも見受けられ、役に立つ部分はあるものの、的はずれな部分も多々あるようです。本書はそのような本とは一線を画すものと自負しています。 
わかりやすい表現 だからといって、本書は難しい「英語音声学」の本ではありません。そのような本は、学術的すぎて、ただ発音がうまくなりたいという思いの一般の英語学習者には、ふさわしくありません。またそうした学術書の著者の方々は、主に音声学の現象自体に関心が向いているため、英語学習者の発音を改善することは二の次、という場合もめずらしくありません。本書の著者の関心は、何よりも日本語を母語とする英語学習者の発音を、どうすれば改善できるのか、ということにあります。ですから、専門用語や 発音記号の使用は最小限にとどめ、あらゆるレベルの読者にわかりやすく記 述しています。 
母音・子音だけでなく英語リズムも また、従来の英語発音の本は、個々の母音と子音についてだけ扱って終わっているものがほとんどです。しかし、個々の音だけをいくら改善しても発音が英語らしくはなりません。それは英語の音声イメージを決定する非常に重要な部分が、英語のリズムだからです。本書では、みなさんが発音する英語 を英語らしく聞こえるようにするために、英語リズムの解説にかなりのペー ジを割き、十分なトレーニング素材を音声付きで用意しました。
以上のような本書の特長を十分に活用し、英語らしい発音をぜひ身につけ ていただくことを願ってやみません。

以前、「小学生向きだった『Englishアイウエオ』と、一般向きだった『絶対発音力』の間くらいのボリュームイメージで、というオファーで開始した企画である。何としても前著2冊を超える、多くの人に役に立つ、良い本にしたい。」と書きました。

完成した現在、上の目標は達成されたかと振り返ってみて、私は達成したと感じています。自分が把握している限りの英語音声学・英語発音現象に関するすべての知見から一般英語スピーカーに「これだけはどうしても身につけて欲しい」というエッセンシャルな部分を抽出し、それを一般読者にいかにわかりやすい形で提示できるか、という大きなチャレンジに挑んだ私のベストの解が本書です。

まず、第1章 発音について知っておきたい12のポイント


を説明して、発音技能の4技能に対する重要な影響、そして世界の英語時代における発音の重要性を理解してもらった後に、

第2章 全体イメージを英語らしく(16レッスン)
第3章 主要な音を英語らしく(24レッスン)
第4章 細部の音まで英語らしく(17レッスン)
第5章 文のリズムまで本格的に英語らしく(13レッスン)

という4つの章で、段階的に70レッスンのトレーニングしたあと、最後の 

第6章 これまでの学習の総まとめ 

として私の大好きな映画 Love Actually の冒頭のHugh Grant のナレーション、Steve JobsのStanfordスピーチ、いまやLGBTの応援ソングでもあるOver the Rainbow を使って総仕上げをする、という構成になっています。

英文のナレーターは男女英語ネイティブです。第6章に関しては、ネイティブのナレーターの後に、私自身も日本語ネイティブ英語スピーカーの例として録音しました。Over the Rainbowに関しては、男女英語ネイティブは歌詞の朗読をし、私と大東文化大学の 私のゼミの女子学生がアカペラで歌っています

中学生から高校生、大学生はもちろん、一般社会人、ビジネスマン、 小・中・校・大学・塾・英語学校で教えるで先生まで、いろいろな方に役立つ内容が満載の、楽しい本だと自負しております。是非、ご利用ください。

12/16/2018

「やりとり」や「学びあい」や「アクティブ・ラーニング」の危険性

ある授業を見て、いまのバズワードの「やりとり」や「学びあい」や「対話的な学び」というものの危険性を感じた。

中学1年生。ターゲットは can / can't 。前の時間に導入して、本時はそれをつかっての活動である。教師は can および can't を使った文を6つ準備した。内容は、その学校の他教科の教師の固有名詞と、動作・行為と、can あるいは canを組み合わせたものである。

つまり「A先生は、Bはできるが、Cはできない。」といった文である。ただしちょっとしたひねりがあり、その6つの文のなかに、ひとつ「ウソ」が混じっている。つまり、本当は「できる」のに「できない」と言っている、あるいは「できない」のに「できる」と言っている先生がひとりいるのである。

この題材を用いて次のような手順を踏んだジグソー活動が展開した。

1 ホームグループの中で、第1文〜第6文の担当者を決める。

2 ホームグループを解体し、エキスパートグループ(同じ文の担当者のみが集まる)になる。6つのエキスパートグループには、B4の紙に大きな文字で書かれた第1から第6文のどれかが配布されている。

3 エキスパートグループのなかで、そのグループに割り振られた文を、自分のワークシートに書写する。

4 ホームグループに戻る。これで第1〜第6文をどれかを自分のワークシートだけに書き写して帰ってきた6名が集まったことになる。

5 第1文〜第6文のそれぞれに4分間をとり、先生のキューにあわせて、一斉にホームグループのなかで、当該文のエキスパートが当該文を読み上げ、それを他のメンバーが自分のワークシートに書き写す。

6 6つの文すべてが書写できたら、そのなかで内容的な虚偽の文はどれかを話し合う。

仮定法過去(完了)として、3の段階でのエキスパートたちが、与えられた文を十分理解し、それを適切に英語として音声化する力があり、5の段階でのエキスパートたちが自分が担当している英文を適切に区切りながら、適切な発音と適切なリズムで読み上げる力があり、仮に部分的に単語の綴りをスペルアウトする際にも、アルファベット文字の名前を適切な発音と適切なリズムで読み上げる力があれば、これはそれなりにおもしろいジグソー活動になるだろう。しかし、最初に断ったようにそれは仮定法過去(完了)、つまり「半実仮想」である。

現実には、「エキスパート」たちは、自分に与えられた文は、半分機会的に自分の紙に書写し、ホームグループにもどって他のメンバーにそれを書き取らせる際は、言いつけを守って「見せる」ことをしなかったのは偉いのだが、代わりに日本語というL1を自分と共有している他のメンバーが最も書き取りしやすいような読み上げ方、すなわち日本語リズムを持ち込み、かつ母音挿入も駆使した、「ミスタア、○○、キャン、プレイ。。。」どカタカナEnglishによる音読を多くの場合実施した。ある意味、当然であり、予想どおりの結果である。単なるどカタカナ発音であるのを超えて、読み方を間違って読み上げた場合もあった。スペルアウトする際には、cは「シー」、rは「アール」のように、やはりどカタカナ発音を駆使した。

確かに生徒たちは、「やりとり」をしていた。(読み上げるのを聞いて、聞き返すのをやりとりと言うならば。)確かに「学びあい」もしていた。グループの態勢が物理的に変化したり移動したからきっと「アクティブ・ラーニング」に分類されるのだろう。ジグソー活動だから、工夫した授業だったことは間違いない。

しかし、ジグソー活動の中でのやりとりの、「音声的な質」を保証しようとする試みがほとんど、なかったために、授業の大半は、「音声度外視の、単語の書き写し活動」に終始してしまった。(このことは授業後の振り返りで授業者自身が気づいたようであったが。)

文科省が「やりとり」だ「学びあい」だ、「アクティブ・ラーニング」だ、と旗を振れば振るほど、例えば今回のような授業が増えていってしまうのでないか、と危惧する。

今回の授業も、英語音声の質の善し悪しがわからない参観者であれば、「生徒が活発に動いて生き生きと助け合いながら楽しそうに英語を学習していたイイ授業だ!」などなどというトンデモ講評をする可能性は十分にある。

しかし、たとえば、今回の題材として準備した6つの文を、一斉授業形式で、さまざまなテクニックを駆使して音読させ、Read and Look Up させ、音声と文字の関係を意識させながら、書かせる、という「当たり前な」授業をやったらどうだっただろう。

そこには「やりとり」も「学びあい」も(文科省の言う)「アクティブ・ラーニング」もないが、よほど言語習得が促進される授業になったと思われる。

授業は「目標とする状態」から逆算したほうがよい。「can, can'tを含んだ6つの文を、全員が意味がわかって、読めて書けてちゃんと言える」状態を生み出すためには、50分間をどう使うのが最も効果的なのか、と発想したほうがよい。

質保証を考えず、表面的な「やりとり」や「学びあい」の量の増大ばかりを目指すのは、英語習得の上では本末転倒であり、非常に危険な(というか、残念な)方向なのである。

12/14/2018

共愛学園でクリスマス・グルグルやらせていただきました。

今日は、群馬県の共愛学園高等学校に呼んでいただき、All I Want for Christmas Is You を題材とした特別授業をやらせていただきました

共愛に呼んでいただくのはこれで3回目になります。1回め2回めとも生徒さんたちとのケミストリーが良く、今回も楽しみにしていました。



過去2回はグルグルを試みたことはなかったのですが、今回初めて、70数名を4人グループにしてのグループグルグルをやってみました。4人で1行ずつ分担して、全員がきちんと歌えたらマル、という例の形式です。



果たしてどうか、と思ったのですが、蓋を開けてみると、やっぱりグルグルというシステムはいいなと感じることができました。初対面の私に対して照れたり臆したりすることなく一人ひとりが一生懸命歌い、グループでマルをもらえたら嬉しがり、ダメだったら悔しがる、という グルグリストには familiar な光景が繰り広げられました。



(1年でこの時期のみ活躍するネクタイ)

最後には代表の生徒さんから花束を頂いて、楽しい特別授業を終えました。お招き、ありがとうございました。


12/09/2018

『心・技・体』誤引用事件をまとめた研究ノート校正中

今年も残り少ない今になってようやく、例の松村本・福田執筆章の誤引用事件をまとめた、大東文化大学紀要に掲載される研究ノートの校正が上がってきた。

校正のために読み返してみると、2018年の最初の3ヶ月の気分を台無しにしてくれた無責任引用事件に対する憤りがまた蘇ってくる。

刊行はどうしても来年になるので、今年の汚れは今年のうちに、というわけにはいかず残念だが、この初校をもってタスクベース事件の今年の決着としたい。

ああ早く完成しないかな。。



12/01/2018

大妻多摩中高創立30周年、おめでとうございます!

今年は大妻多摩中学・高等学校の創立30周年にあたり、本日、唐木田のキャンパスにてホームカミングデーが催されていると伺いました。公務のため参加することはできませんが、心より、お祝いを申し上げます。

私は教員生活が今年で35年目になります。その最初の4年間を千代田区の大妻中学・高等学校で、続く6年間を大妻多摩高等学校で奉職いたしました。駆け出しの教員だった私を導いてくださった大妻学院の諸先生方、諸先輩方には感謝してもしきれません。

特に大妻多摩高校は、設立当時の6人のメンバーのひとりとして学校づくりにゼロから参画させていただき、制服のデザインから校則から英語コースのカリキュラムに至るまで関わることができ、得難い経験をすることができました。

初年度は6人しか専任教員がおらず、真新しいガランとして、「島」がひとつしかない職員室で、学年会議すなわち職員会議というアットホームな環境のなか、立ち上げたばかりの学校の進むべき方向について、毎日、熱く語り合ったのを昨日のように覚えています。

校庭の片隅には当時のメンバーの名前を刻んだ石碑が今もあることと思います。特に黒田先生、野村先生の両巨塔には、本当にお世話になりました。私がこの世界で今日までやってこれたのは、あのとき先生方に厳しく、また温かく鍛えていただいたおかげです。(養老乃瀧のタン塩や「いしい」のつくねの味は忘れられません。)

黒田先生のご指導のもと、英語コースの担任として英語の授業は思う存分、勝手にやらせてもらうことができました。3年次には、Reader's ChoiceというESL教材を教科書にして、若気の至りで1学期の中間までの範囲が130ページあったこともありました。あとから、当時 ICU(大学)の1年生が同じ教材を使用していると聞き、密かに誇らしく思ったこともありました。

新設校だからといって部活動の種類が少なくするわけにはいかないと、部活の種類だけはとりそろえ、教員一人あたり2つも3つも顧問を掛け持ちしたこともありました。私も未経験の剣道の顧問となり、地元の剣友会からコーチを招き、自分自身でも剣友会に通って稽古をしました。小学生に混じって昇級試験、昇段試験を受けるのはかなり恥ずかしかったですが、一級から始め、最後には曲がりなりにも二段をいただくことができました。当時の剣道部員には頼りない顧問で怪しい指導をしてしまって申し訳なかったという思いでいっぱいです。

クリスマスは毎年必ずスキー教室の志賀高原で過ごしました。スキー教室といってもスキーの指導はスクールのインストラクーにまかせており、我々引率教員はゲレンデを「パトロール」するのが楽しい役目でした。自由に滑っては生徒の集団をみつけて「お〜い、頑張ってるか!?」と声をかけたものです。教員はウェアを揃えて格好つけましたね。イブの日はクリスマス会で生徒も教員も出し物で盛り上がりました。スクールの最終日はレベル別のチームでデモ走行をし、達成感を味わったものです。

本日の新聞で、大妻多摩中学の清水さんが、中学英語弁論大会高円宮杯で、全国で4位に入賞したことを知り、大変嬉しく思いました。大妻多摩英語科の面目躍如たるものがあります。本日の記念行事に華を添えるニュースとなったことと思います。心より喝采を送りたいと思います。


唐木田にはお邪魔する機会がなかなかありませんが、大妻多摩中学・高校のますますの発展を祈っております。

11/30/2018

英国人研究者を迎えたラウンドテーブルセッション、大成功だった(そうです。。。)

本日は、大東文化大学の教職課程センター主催で、ケンブリッジ大学教育学部からクリスティ・クルツ博士を迎えて、

Teaching and Learning in Neoliberal Age

と題したラウンドテーブルセッションを開催しました。 私はセンター所長として冒頭にご挨拶をする。。。役目だったのですが、昨日の朝、ジョギングに行こうと玄関でシューズの紐をしめたと思ったら、あ! 「魔女の一突き」とも呼ばれる年中行事 Gikkury Goashy がキタ〜〜!

というわけで今朝も起きてみるとほぼ歩けず、最後まで葛藤の末、面目ないことに本日の出席は断念。で、以下の挨拶を音声ファイルに録音して送り、「声の出演」とさせていただきました。

It is a shame that I cannot be here with you in person due to a temporary health problem, but as the Director of The Center for Teacher Development and Educational Research, let me say a few words to start this wonderful event. It is our great pleasure to host this round-table session Teaching and Learning in Neoliberal age, with Dr. Christy Kulz as the main speaker.

一時的な健康上の理由のため、直接ご一緒できず残念ですが、教職課程センター所長として一言ご挨拶申し上げます。本日のラウンドテーブルにクリスティ・クルズ先生をお迎えすることは大変光栄なことです。

Dr. Kulz specializes in the sociology of education and has published a book, with a rather shocking title Factories for Learning, which is a reworked version of her award-winning Doctoral Thesis.

先生は教育に軸足をおいた社会学がご専門で、博士論文を「学びの工場」というショッキングなタイトルの単行本として出版されています。

According to the flyer prepared by my colleague Prof Nakata, since the late 1980s, educational reforms have been going on in England, with a strong emphasis on test results, which creates the dichotomy of winners and losers. The government has forced schools to ‘perform’ no matter what their social context is.

仲田先生がまとめてくださったこのフライヤーによりますと、イングランドでは1980年代後半からテスト結果を重視するような教育改革が進行し、勝ち組と負け組が明らかに色分けされ、それぞれの学校をとりまく文脈にかかわらず、テスト結果をあげるよう強制されている、とのことです。

Having read up to this point, I believe I am not alone in this room to be reminded of rather similar developments in Japan that have drawn attention and criticism in the educational circle.

とここまで聞いて、日本でも最近,教育関係者の耳目をあつめ批判を巻き起こした似たような動きがあったなあ、と思い出するのは私だけではないでしょう。

On Aug 2, Osaka Mayor Hirofumi Yoshimura said in a press conference that because he is very unhappy about the fact that city of Osaka has been at the very bottom in the nation-wide achievement test for years, he would try to raise the scores on next year’s exam by linking the test results to personnel evaluations and bonuses for school principals and teachers.

8月2日、大阪市長の吉村洋文氏が、記者会見を開き、全国学力テストで大阪市がずっと最下位に甘んじているのはけしからん、来年のテスト結果を教員と校長の人事考課やボーナスに連動させる、と言い出しました。

Upon hearing this, we cannot help but feel the City of Osaka may be at the bottom definitely not because teachers in Osaka are not trying hard enough. But most likely because unfavorable socio-economic backgrounds are working against the students in that area.

これを聞いて、大阪市が最下位なのは決して教員が怠けているわけではなく、おそらく社会経済的な背景が生徒たちの学習を困難にしているからではないのか、と感じざるを得ません。

Ignoring those complex factors and blaming only the teachers for the test results is very misguided to say the least and linking the test results with their bonuses is simply outrageous.

そういう複雑な要因を無視して教員だけを責めるのはすくなくとも誤っていますし、テスト結果を教員のボーナスに結びつけるなどはめちゃくちゃな話です。

Teachers not machines and students are not products. They are all humans.

教師は機械ではありませんし、生徒は製品ではありません。みな人間です。

Fortunately, as far as I know, such a movement is still an exception, not a rule, in Japan. So I hope today's round-table session will be a valuable occasion to learn a lot from Dr. Kulz about what is happening in England as well as to exchange ideas on the issue in order to reflect upon what we can and should do to prevent our schools from degenerating into Factories for Learning.

幸いなことに、私の知る限り、こういう動きは日本ではまだ例外的です。本日はクルズ先生からイングランドで何が起こっているのかを学び、われわれの学校を「工場」に堕落させないために我々には何ができるのか、何をなすべきなのか、を考える機会といたしたいと思います。

Thank you.

後で聞けばなんと50名を超える参加者があり議論も盛り上がって大成功だった、とのこと。オーガナイズしてくださった専担教員各位、サポートしてくださった事務職員各位、そして参加者の皆様、お疲れ様でした。イテテテ。。。




11/27/2018

入試広報の動画、大学のHPで正式に公開となりました。

あらためて、よろしくお願いいたします。

高校生にご紹介ください。


11/25/2018

子ども英語教室の先生方、パワー全開!

今日は、74名の、「アルク Kiddy Cat 英語教室」で子どもに英語を教えている先生がたを対象に、

英語の歌をきちんと歌うとなぜ発音が良くなるの?
- グルグルメソッドで体感する音節感覚 –

というタイトルのセミナーをやらせていただきました。

会場に一歩足を踏み入れたとたんに感じる華やぎ。予想はしていましたが、74名中95%以上が「オトナ女子」の方々ですね。ちょうどお昼休みで談笑中だったタイミングだったこともあり、中高の先生方対象の研修会からはあまり感じたことのない空気中のカラフルなバイブレーションのようなものが伝わってきました。

90分の最初の30分ほどは音節と音符の話をし、残りの50分ほどを All I Want for Christmas Is You を大学でやっているような4人グループ・グルグルをやりました。

グルグルは初めてだったらしく、動きというか動線を飲み込むまでは戸惑っている場面がありましたが、いざ軌道に乗ると、いやぁ凄い。。。

ノリノリで身体を揺らしながら、ぴょんぴょん跳ねながら、あるいはステップを踏みながら、さらには踊りながら歌うひと数知れず。例によって4人グループのひとりでも歌詞をミスったり、記憶が飛んだりするとその瞬間ペケにして容赦なく次のグループに行く、というグルグルの鉄則は適用したので、そのドS方式が新鮮だったのか、大げさに悔しがるオトナ女子、続出。

(なお、発音をミスる人は驚くほど少なかったです。中高の先生がたよりも、ふだんから発音にこだわっている方が多いからか、と思います。)

All I want for Christmas is YOU!! の部分では YOU!!で4人で一斉に私を指さして一歩踏み出してグイグイ迫ってくるグループまで出て、会場全体がけっこうな大騒ぎに!

最後はマライアのビデオを見ながら会場に3本のマイクを回して少しずつ歌うという、大学でもたまにやる手法をとったのですが、マイクが回ってくるとみなさん、臆せず歌う歌う。。。

シンプルに最高に楽しかったです。

またやりたいな。。。





11/23/2018

ある若手教師の気づき:「生徒は発音指導に飢えていたのだ!」

いくつかのポストでも明らかなように、私は先日の語研の公開授業を参観し、質疑応答の際に意見を述べた。その様子を聞いていたある若い中学教師がそのときのやり取りについての感想を書き、それが今日私のもとに転送されてきた。

読んでみると、ああやって性懲りもなくまた敵を増やしながら(?笑)でも率直に意見を言ってみるのは、悪いことばかりではないな、と思える内容である。御本人の同意を得て、固有名詞を削除し(かつ、それに伴って生じる読みにくさを回避するために最小限のeditingをし、明らかな脱字は補い、ブログ上で読みやすいように原文よりも多くの段落に分け)た上で、以下に紹介する。

語研の研究大会に参加し、多くの刺激を受けた。その中でも公開授業は特別で、靜先生からの鋭い指摘が印象的だった。「生徒に発表活動をさせた後に発音指導をしているのですか」と。「今回の公開授業では英語自体に対するフィードバックがゼロである」と。 
英語教師の仕事は生徒が少しでも流暢に英語が話せるように指導することである。子音、母音、リズムなど発音が少しでも良くなるように生徒に指導すべきであり、使っていればそのうち上手くなるというものではない。誤った発音をしたすぐその瞬間に間違いを指摘しなければ生徒の成長は止まる。その成長を止めてしまうかどうかはその場に立ち会った教師次第なのだと感じた。その教師の責任は大きい。 
また、靜先生は若林俊輔先生の言葉を引用し「言語の習得は不完全なものからより完全なものへの過程」であると主張されていた。生徒に嫌われようが、より完全な英語が話せるように、厳しい指導をしていかなければならないと感じた。 
自分の授業を振り返るととても恥ずかしい。今まで発表活動をしてきたが、発音やリズムについて指導してきたことはほとんど無かったのではないかと思われる。今回の靜先生の指摘がそのまま自分の胸にもつきささった。何より、正しい発音を指導できない自分へのもどかしさや、生徒への申し訳ない気持ちになった。自分の授業を変えなければならない、正確な発音を指導できるように自分が成長しなければならないと痛感した。 
語研大会に参加してからは自分の授業に対する姿勢が変わった。次の日のうちに靜先生の『英語授業の心・技・体』を読んだ。また、ちょうど今週から生徒のスピーチの発表活動をする授業があり、生徒の発音ミスを一言も見逃すまいと真剣に生徒の口元を見つめ、耳を澄ますようになった。 
発音の指摘をすると生徒たちは英語を苦手に感じるのではないかという不安もあったが、実際は違った。発音について指摘すると生徒たちは「こうするともっと綺麗な発音ができるのか!」と嬉しそうに自分の指導を聞いていた。中には授業が終わった後も「自分の発音はどこか変なところがありましたか?」と質問してくる生徒が数名いた。 
要するに、生徒たちは自分の発音を良くしていきたいと思っているし、そうした教師からのフィードバックに飢えているのだと気づくことができた。今週の授業ではFの発音を指導し、できるようになったと喜ぶ生徒の顔が印象的だった。綺麗な発音で英語が話せたと喜ぶ生徒を一人でも多く育てたい。そんな教員に一日でも早く成長しなければならない。

これを読んだとき、このことに気づいてもらえてよかった、すぐに自分の授業を変えられる彼は今後どんどん教師として成長できるだろう、彼が教えている生徒たちのためにも私は発言して良かったなぁ、という嬉しい気持ちが半分と、一般的に「発表をさせたときには英語の指導はしない」という practiceがいかに強固に根を張っているのかを改めて感じ、なんでかな~、という呆れた気持ちが半分、の複雑な思いを抱いた。

「発表をさせたときには英語の指導はしない」というpracticeが生じている元凶は、大学での英語教員養成での刷り込みだろうか。教員として生徒に強く出る自信のなかった中高教員が大学教員になり、大学の教員養成課程でそういう刷り込みをして、また生徒に強く出る自信のない中高教員を再生産している、という構図か?

まあそんなことはいまさら嘆いてもしかたがない。すくなくともひとりの若い教師に転機が訪れたことを心から喜びたい。

研究室の窓から見る夕焼け

サプリって SUPRE じゃないんだけどね。。。

池袋の東武ホープセンター内で見かけてしまった気持ち悪い看板。


(いつかの「ベリー・ベリー・スープ」の一件を思い出す。)

店名だからどういうスペリングをつけても勝手なのだが、商品ラインナップから考えて、supplements という意味の「サプリ」だと思ってこういう看板を作った可能性が極めて高い。

そうではなくあえてモジッたのだ、という強弁されるかもしれないが、こういう「もじり」(とは私は信じないが)は、今後英語話者が多く日本を訪れるようになったときに、日本人全体が「バカに」されるネタになる Engrish のひとつになる、ことは指摘しておきたい。


11/20/2018

学生に対する「特別解説」の責任

研究大会に参加し、公開授業を見る教員は、peerの立場で参加しているのであり、その場で意見があればそれを表明することができ、他のpeerの意見を聞き、場合によっては意見を戦わせ、議論することができる。

しかし学生用の別室での「特別解説」を聴く学生は全く異なる。「解説者」に対して気分的に対等な立場にあるとは言い難い。目上の方から「解説」していただく、というone down な立場にある。解説者の側から言うならば「解説」とは、one up な位置からの上から目線の行為である。上から目線であるからには、その内容は概ね議論の余地なく「正しい」とされる、certifiedな autheticated なものである必要がある。その「解説」を聞くために学生が何がしかの料金を支払っているのであればなおさら、である。

先日の語研大会の「特別解説」を聴講したうちの学生の多くが強い違和感を抱いたのは、「このようなジャパニーズイングリッシュでもこんな素晴らしい授業ができる」という趣旨の「解説」だった。(しかも質問の時間は設けられなかったという。)これは「概ね議論の余地なく「正しい」とされる、certifiedな autheticated な」見解か?すくなくとも、それが語研のendorseする見解か?

そういう残念な個人的見解もあるのだろう。しかし私は全く同意しないし、もしそれが語研の公式見解なのだとすれば元・研究員、現・評議員として大変に遺憾である。少なくとも、参加料金を払って聞きに来ている学生にする「解説」の中で言ってよいことではない。

教科教育法の担当者は、語研を信じ、語研大会ならば学ぶことがたくさんあると信じているから、自分の授業を履修している学生に対して参加を指示したり、推奨したりしているのである。もし上の一言が語研の見解であるのならば、自分の教え子に語研大会への参加を呼びかけるのはやめる。







11/19/2018

発音にユルイ語研など語研ではない。

若林俊輔先生は発音に非常に厳しかった。研究員の発音に何度も何度もダメ出しをされていたのをよく覚えている。

当時研究員として約一回り先輩だった新里眞男先生のクリアな英語は、そのハスキーな声質とも相まってとにかく耳に心地よかった。偉大な先輩の背中を追いかけて自分も負けずに精進しよう、と思ったのを覚えている。当時公開授業をやっていたその他の方々もおしなべて英語がうまかった。

あれから30年。今の語研は大多数のメンバーの中に「言いたいことが伝わるなら、多少発音がおかしくても許容したほうがいい」という雰囲気があるのだろうか。

まさかそうではないと思いたいが、もしそうだとすれば、大いに情けないことだ。

「多少発音がおかしくても」の「発音」は「教師である自分の」発音を指す場合と、「教えている生徒の」発音を指す場合があり、このふたつは峻別する必要がある。

(1)言いたいことは伝わるけれど、多少発音がおかしい教師

これは英語を教えて対価を取る資格がない。教壇で英語を口から出す資格はない。一刻も早く「発音がおかしい」という状態を脱する努力をする職業倫理上の義務を負う。

(2)言いたいことは伝わるけれど、多少発音がおかしい生徒

学習者とは、徐々にあまりおかしくない発音ができるように指導してもらう権利をもった存在である。指導の方法、アプローチにはいろいろあってよい。いろいろあってよいが、その授業時間中に何も言ってやらない、のはナイ。拍手するだけなら猿でもできる。

「きょうの力点はそこじゃなかったから」などというみっともない言い訳をするな。ひとつでいいから、その生徒の最も伸びしろの大きい点をピンポイントで指摘して、その場で一回でも練習させろ。それをまた全体で言わせてみろ。3秒もかからない。またそういう「指導」を欲しがり、また歓迎するような生徒を育てろ。

3人でのグループ発表をさせたら、(よほどひどくない限り拍手をした上で)、そのグループ の発表の英語面でもっとも伸びしろが大きい部分、つまり「そこをひとつだけ直せば一番英語としての質が大きく改善するだろう部分を指摘(「ここを〜するともっといいよ」)し、必要に応じて1回だけ、言わせるなどがよい。別に音声面に限らず、文法・ご方面に最も大きい伸びしろがある場合もあるだろう。

小学生でも大学生でも自分が徐々にうまくなっていると実感するのが最も嬉しいことであり、自己肯定感も高まり、さらなる上達に対する動機づけにもなる。

これを読んでいるわが教え子たちよ、肝に銘ぜよ。拍手して終わり、の授業をやったとき、教師としての君も終わり、である。指導しない指導者はもやは指導者ではないからだ。



11/18/2018

すべての音節を同じ長さで言ってはいけません。

英語のような stress-timedな言語においては、日本語のようにすべての音節を同じ長さで同じ強さで言ってはいけません。

高く、長く、強く、はっきりとしたfull vowelで発音する音節と、低く、短く、弱く、曖昧なreduced vowelで発音する音節のコントラストが英語らしさを作り出すのです。

英語らしくない英語をモデルにして生徒にリピートさせるのはやめよう。


プレゼンテーションさせたら指導しようよ、英語の。

今日の語研の公開授業(ビデオ)は、要約すると:

「環境問題についての文章をジグソー仕立てで読み、そのインフォメーション ギャプを利用してグループ内で英語でギャップを埋めるために話し合い(グループ内発表をしあい)、 それをもとにグループごとにまとめた環境保全のための自分たちの考えについてのプレゼンテーションを発表する」

というものだった。

グループ内で情報を共有するところまでビデオを見ての感想は以下の2つ。

(1)出だしがあまりジグソーらしくない

3つのエクスパートグループに分ける前に、全体に対してエクスパートグループで読む題材についてのキーワードをオーラルイントロダクション風にしたのだが、全体にするなら、エクスパートグループで読む題材には直接関係ないものにしないと、ジグソー度が落ちる。ジグソー度が落ちるというのは、インフォメーションのギャップが減ってしまう、という意味。つまり、 グループA(を含む全員)に対して、グループBのキーワードも与えてしまっているので、あとからB担当者からA担当者が情報を引き出す必要がなくなってしまう。いぜん私がジグソーとやったときは、グループAには私が口頭で、グループBにはALTが口頭で、グループC は壁に貼ってある文章を読ませる、という形で完全な情報のギャップを保証した。今日の授業もせっかくALTがいたのだから、そういうアレンジのほうが適していたと思う。

(2)題材がジグソーにあまり適しているとは言えない

ジグソー活動はジグソーパズルからその名をとっている。ジグソーパズルが完成せず、全体像が見えないと気持ち悪い。そういう「全体像が見えないと話が見えない」的な題材であればジグソー仕立てが生きるのだが、きょうの題材だと、もともと持っている背景知識もふくまれているし、「パズル」が完成しなくても「全体像が見えない!」感がない。もうひと工夫欲しかった。

以上の2点は前半の区切りで挙手してコメントしたのだが、(2)については「その通りです」という同意を得た。そしてビデオの再生が再開。。。。ビデオが発表にさしかかると悪い予感が的中し、ビデオを見ているのも苦痛になってしまった。一区切りついてした質問というかコメントは次のもの:

(3)英語に対するフィードバックをまったくしないのはナンデ???

ひとつのグループが発表し、それに対し 別のグループが 質問し、それに対して即興でとつとつとながらも答え、さらにALTがコメントする、というパターンが6回繰り返される。日本人教員はほぼ称賛と拍手するだけ。ALTは(例によって)「それはとてもいいポイントだ。さらにこういうこともあるね。」という内容に対するコメントするだけ。

嗚呼。。。またか。何度目のデジャヴュ感だろうか。

何年も前、某県での研究大会での公開授業でも生徒にコメントを求め、生徒がなんとか英語でコメントするとそれに対して(日本人)教員は That's a good point! 的なコメントのみ繰り返したを見た。ある程度知っている人だったので事後にそのことについて問うと、「イマイチの英語だと思っても、その瞬間より適切な表現が思い浮かばないために、流してしまいました」との正直な告白を得た。

一番最近では本年の本学のグローバルキャンプ埼玉でも、ネイティブ講師(外部委託)が5日間にわたって受講者のプレゼンを少しずつ完成させてゆき、最終日にプレゼンを行ったのだが、過程においても、最終プレゼンにおいても、フィードバックは100%内容や構成に関するもので、英語の音声の質や文法に関するフィードバックはゼロ。

5:5にするのが嫌ならばせめて、7:3とか8:2とか、どんなに少なくても9:1で英語についても指導してほしいのだが、3人の講師が3人とも10:0。その結果、最終日のプレゼンでも残念な音声のまま、偽りの称賛をもらってプログラムを終わった受講生、多し。主催者(発注者)の側の責任として次回は、フィードバックは7:3くらいで英語も上手くなるようにしてくれ、と外部委託の講師に注文しようと思っている。

ネイティブ講師の場合は、よりよい表現が思いつかないとか、生徒の発音が変なのに気づかないことはありえないので、なんらかのフィロソフィーとして「フィードバックは内容面だけにするのが politically correct(?)なのだ、という誤った、残念な方針を持っているのが原因だと考えられる。

ノンネイティブの場合は、フィロソフィーというよりも、上の某県の彼氏の正直な告白のように、文法の場合は「より適切な表現がとっさに思いつかない」ということであり、発音やリズムの場合はそもそも生徒の発音、リズムが「イマイチであるという事実自体わからない」のが原因なのだと推測される。

今日の授業は生徒がいろいろ即興も含めて「やりとり」をした授業、である。「やりとり」に慣れる意味では意味のある授業である。しかし、ハッキリ言うが、それを繰り返しても、「下手な」英語でやりとりをするのに慣れるのみ、というか、自分のレベルで足踏みをしながら足踏みがうまくなるだけで、前進はしない。前進させてやるためには、1度にひとつでいいから、文法面、表現面、音声面などでの「ワンポイントアドバイス」をするのが不可欠(=絶対に必要)なことである。

学生向けの解説はどうなってるのかな?

それで気になったのが、別室の学生向けの解説ではどういう解説をしているのか、ということである。うちの大学の学生も数名は行っていたので、その学生向けの部屋の解説者がなにを言っていたのかは大いに気になる。

もちろんひとつの試みではあるが、「ジグソーとしては今ひとつジグソーらしさがないし、発表の授業としては『これではイケナイ』の典型である」ということをきちんと解説してくれているだろうか?大いに疑わしい。「このようにジグソー方式で工夫すれば生徒同士の発話量も多くなるし、生徒も発表から多くのことを学んだはずです」などということだけ言っているのではないだろうな。。。

そもそも、この「学生向けの別室の解説」というシステムが有効に機能するのは、その公開授業が語研が提唱する模範的な授業で、その手順や活動の価値について語研のメンバーの間で完全に認識が一致しているときだけのはずである。

今日の授業について3人の解説者は認識が一致していたのか?「要改善点が多い授業」としての認識が?でも、もしそうならなぜ語研として自信を持って世間に問う師範授業という位置づけである「公開授業」として公開したのか、ということになる。では、改善点が多いとは思わなかったのか?もしそう思わないならば、 doomed である。


11/16/2018

英語発音レシピ本の追加録音完了しました!

完成間近の『大人のための英語発音レシピ』(仮題:実は本当のイケてるタイトルがすでに決定されているのですが、まだ秘密。。。)の音声の追加録音を行いました。主として総仕上げの映画(Love Actually) ナレーション、スピーチ (Steve Jobs)、歌 (Over the Rainbow) の一部です。

映画もスピーチも、ネイティブ男性→ネイティブ女性→日本人男性(私)と同一スクリプトを読み上げて録音しています。

Over the Rainbowについては、ネイティブ男性、ネイティブ女性は歌わずに詞を朗読します。彼らはプロのナレーターであって歌手ではない、というのが理由です。その後は私も朗読してもいいのですが、考えた末やはり歌なので歌おう、ということにしました。もちろん歌は素人ですけど発音本の歌なので発音さえしっかりしていればいいか、と。ただ歌うにしても伴奏はないのでアカペラ。私がただアカペラで歌っても色気がないなぁ。。。

ということで、考えた末、女子ゼミ生をひとりスカウトし、彼女に日本人代表(!)として歌ってもらうことにしました。

彼女にはスローバラードとしてソロで切々と歌い上げてもらい、その後で私のほうは打って変わってアップテンポのノリノリテイストにするのですが、ところどころ彼女に合いの手を入れてもらったり、同時に歌ってもらったり、というコントラストをつけることとしました。

こちらにはせめて打楽器(というのは大げさですが)の伴奏をつけることにして、何が使えるか様々試行錯誤しました。お茶の缶、クッキーの缶、結婚式の引出物のマグカップが入っていた桐の箱、フリスビーなどを叩いていろいろ試し、音合わせをしてみた結果決めたのが、彼女はタンバリン、私はネコのカスタネット。(このカスタネットは実は2011.3.11の日に訳有って鎌倉で求めた思い出の品です。)

ということで臨んだ録音。。。 スローバラードは純粋に歌としてもかなりのクオリティになったのではないかと思います!スタジオでの録音は初めてだったはずですが、臆せず堂々と歌いあげてくれました。アップテンポバージョンのほうは時間が押してしまい1テイクしかとれない、という切羽詰まった状況になりましたが、前日の音合わせの甲斐があって、なんとかOK! 

まあ音楽に関してはふたりとも専門家ではないので、多少のアラはご愛嬌、ということでお願いします。しかしふたりとも本当に楽しんで歌っている、のは感じ取っていただける仕上がりになったかと思います。もちろん発音のクオリティの方は著者として保証します。

心地よい達成感のあった1日でした。本が発売になりましたら、是非、熱唱をお聞きください!


久々に出番が来た、ネコのカスタネット。。 
ん?ま、まさかこれイヌか? 
いやいやいやネコに決ってるよ、ネコに!


英語教員志望者対象特別講演会を開催しました!

昨日、英語学科主催で今年度の英語教員志望者特別講演会を開催しました。講師は奥住桂先生(埼玉県宮代町立前原中学校教諭)。奥住先生は、英語教師にとって役に立つリソース満載のブログの管理人として広く広く知られた方です。今回は「中学校で身につけるべき『英語のコア』を考える」と題してお話をいただきました。

ご自身の約20年間の中学教師としての歩みを振り返り、その時々に力を入れていた活動を紹介しながら、授業に対する考え方の変遷を解説する、という形で講演は進みました。

個々の文法事項に応じた様々な導入の創出に力を入れ小道具に凝りながら会話練習に重点をおいていた初期から、一斉授業での習熟度別の活動、ライティング指導、発音指導と「意味順」、と興味・関心が移ってきて、現在は「内容先渡し」という考え方に行き着いている、とのことでした。

大きな流れとしては20年間でバラエティ豊かな華やかさを求める姿勢が、英語のコアを見極めてそれをシンプルに追求する姿勢に変わってきた、ということであったように思います。(そのことについて、靜の『大技・小技』と『心・技・体』の関係(前者は華麗な技のオンパレード、後者はよりコアな「地味」な部分に焦点)とのアナロジーを感じている、と言っていただきました。光栄です。)

聴衆として英語学科を中心に55名の学生と4名の教員が集まり、熱心にお話に聞き入りました。今年教育実習を終えた学生には自分の体験を振り返って考察を深める機会となり、来年から教壇に立つ学生、教育実習に行く学生たちにとっては、使ってみたいアイディア、授業づくりのヒントがたくさん得られた90分間であったと思います。
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11/14/2018

特別授業「歌を歌えば英語発音が上達するって本当? --本当です!」完成しました!

じゃ〜ん!

先日、メイキングの様子を報告した、入試広報PRとしての特別授業の様子が完成しました。

手前味噌ですが、なかなかの出来に仕上がっていると思います。編集してくださった業者の方の腕も大変大きいですね。

なお、出演してくれたかわいい学生たちの名誉のために言っておきますと、グルグル場面での彼らのパフォーマンスは、すべて、私の「ここの発音をこういうふうに間違ってくれ」という指示に従っての「やらせ」です。教職の3〜4年生ですから、いまさらあのレベルのミスは現実にはいたしません。かれらの迫真の「やらせ」演技をみてやってください。

また、クライマックスでのカネツグ君の高音ハスキーボイスにもご注目!

8名の出演学生の全員に、あらためて感謝!





11/11/2018

UpDATES 秋の会 2018 開催しました!

淡路先生 and/or 私に関わって英語教員になった&なる大東文化大学卒業生&卒業見込み学生の集まりであるUpDATES(Upgrated Daito Alumni Teachers of English Soceity)の秋の会を行いました。


卒業生10名、卒業見込み生3名と我々2名が集まり、初対面のメンバーもいるので自己紹介をし、近況報告をし、仕事のこと、プライベートのことなどいろいろ語り合いました。

長子誕生報告が約1名、婚約発表が約1名、婚約願望表明が約1名、まだ数年は働いてから結婚したいです表明が約1名、結婚しないけど付き合っています表明が約1名、付き合う人いません表明が約1名、などなど。。。若い彼らの未来に思いをはせて、私まで温かい気持ちになりました。

君たちの輝く未来に乾杯!!

AI では代われない HI になりましょう

私は、教職を夢見る学生を一人でも多く導きたい、と考えていますが、何がなんでも免許を取得する学生の数、教壇に立つ学生の数を伸ばしたいと思ってはいません。

なぜかというと、生徒は先生を選べないからです。素晴らしい先生に当たった子はそのことによってその後の人生の可能性を切り開くことができますが、 素晴らしくない先生に当たった子は、大げさに言うとその後の人生の可能性を減らしてしまうこともあるからです。

だから、子どものためなる、子どもを幸せにする力を持った先生(だけ)を一人でも多く送り出したい、それが私たちの目標です。

ではどういう先生が「子どものためになる」のでしょうか。その答えは簡単ではありません。しかしどういう先生が「子どものためにならない」のかという問いに対しては、ひとつの確信があります。

それは、「その時々の文科省、監督官庁の言うこと、学習指導要領などの教育行政の方針を忠実に守ることだけを考えている先生、は子供のためにはならない」ということです。

国の教育行政を動かす人々は、それなりに一生懸命に考えて、国の教育の方針を決め、教員をひとつの方向に向かせようとしますが、残念ながら、その方向が理にかなった方向ではないことがあります。

教養系のイベントとして今年の6月に、「語り継ぐ戦争体験、教育の立場から考える戦争と平和」という講演会を行いました。89歳になる小島民子さんが語った言葉の中で、印象に残ったことがあります。

それまで「天皇陛下が絶対だ」と教えていた校長が、敗戦の日を境に、手の平を返すように、「今日からは民主主義だ」と言い出した時、「どうしてそんなことができるのですか?」と問うた小島さんに校長が「昨日までは天皇陛下が、天皇陛下が絶対だ、とおっしゃっていたからそう教えていた。今日からは天皇陛下が、これからは民主主義だ、とおっしゃっているからそう教える。それだけだ。それをなんで小島さんが責任を感じる必要があるの?」と言い放った。

というものです。つまり内容の是非はどうでもいいから、とにかく上が言っていることに従っていればいいのだ、という思考停止処世術です。そういう教員ではいけないはずです。

小島さんが体験した激動とは比べるべくもありませんが、私が中学校の教壇に立ってから今日までの約35年に、文科省の言うことは、私の専門である英語教育に限ってみても、頻繁に変わってきました。海外から無批判に輸入した概念や新しい概念を流行り言葉として振り回し、無理難題を押し付け、そのたびに、現場の教員が振り回されてきた、ように見えます。

具体的に言うと、たとえばほんの何年か前までは「英語の授業は英語でするのが基本だ」と行っていました。「生徒のレベルにかかわらず」「文法を教えるのも英語でやるのですか?」という様々な疑問がでたものです。それがいまはこんどは「アクティブ・ラーニング」になって、「英語の授業は英語で」というのはあまり話題にならなくなっています。

activeな learning という本来の概念は大変に結構であり、どんな学習も activeであるべきです。しかし、そういう本質ではなく「主体的で対話的な深い学び」という文言自体を指導案に入れなければダメだ、とか、授業の形態として目に見える部分で対話的でなければダメだ、といった表面的な形式主義で押し付けてくることが多いので、まさに本末転倒です。

学校という組織の一員である以上、学校全体の方針に沿って動くことは必要です。また国全体としての教育を進める方針も必要です。しかしそれはあくまでガイドライン的なものであるべきで、実際の運用にあたっては、専門家である個々の教員の裁量が最大限に尊重されるべきものだと考えます。

われわれはAIではありません。またAIであってはなりません。HI Human Intelligence でなければなりません。プログラムされた通りに効率的に動くロボットではなく、上から降りてくるガイドラインを教育の専門家としての高いスキルと知見をもって、一度自分の頭のフィルターを通した上で、消化し、是々非々の判断にもとづいて、取捨選択した上で、自分の眼の前の生徒に与えていく、そういうことができるだけの自信と能力をプライドを備えていたいと思います。

AIには代わりのできない教員になりましょう。学習指導要領に書いてあること、時のオーソリティが言うことに無批判に従うのではなく、指導要領に書いてあろうがなかろうが、眼の前の生徒のためになると自分が信ずることをする、そういう教員になりましょう。

11/09/2018

私立高校受かりました!

よ、真打ち。

11/07/2018

なんと! フランスでは蠅(ハエ)を食べるのだ。。。

たった今見ていたTV番組

クローズアップ現代+「英会話時代が到来!メイドも救急隊員も!どう乗り切る?」
2018年11月7日(水) 22時00分~22時25分

で、公立小学校でALTや専科教員が英語を指導している場面があったのだが、レストランでの注文のロールプレイをしていて、ウェイター役の専科教員が What would you like to have? と言うと、客役のALTが答えたのだが、同時に画面の下に出たキャプションを見て絶句した。

I would like to have French flies.

ものの1〜2秒で消えたが、間違いない。fries ではなく、 flies である。

当たり前だが、英語ネイティブのALTが flies と言ったわけではもちろんない。この番組を制作した会社の(たぶん有名大学卒の)担当者が書き、それを(別の有名大学卒の上司が)チェックしたのかしないのか、このとんでもキャプションが(有名大学卒業生ばかりであろう)天下のNHKの看板番組で全国に放映されてしまったのである。

その辺の民法のバラエティではない。我々から受信料を徴収して成り立っている国営放送のNHKだぞ。

受信料返せ!!


つまりこれが日本人の英語力の現実なのである。泣けてくる。

NHKオンデマンドで見られるそうなので、お疑いの向きはご自分の目でご確認を。

11/05/2018

授業で「時間が余った」などと口が裂けても言うべからず。

本日の研究授業を見て

象徴的な出来事:残り5分の時点で、「じゃあ時間が余ったからサブノート(?)をやってください」と言ったことがこの授業の本質を物語っている。この「時間が余ったから」発言に、授業者の意識の中に「この授業で生徒にできるようにならせたかったことが、実際にできるようになっているか」を問う意識がなく、「指導案で予定していた活動をこなせたかどうか」しか考えていないことが集約されていた。

その直前の活動は、4名の個人を指名してのロールプレイ的な音読をたった1組。おせじにも十分な音声レベルとは言えないものである。例によって一回やらせて「拍手」して終わり。心・技・体読まなかったか?

その前の活動は、起立させての「四方読み」のバズリーディング。もちろん不十分な読み方をしている生徒が多い。やらせながらの全体に対するフィードバックはなし。心・技・体よまなかったか?

だいたい英語の授業で「時間が余る」ことなどありえないのである。全員が本文を完全に理解したのか?全員が本文を完璧な発音と完璧なプロソディで完璧に情感を込めて読めるようになったのか?Read and look upができるようになったのか?スクリプトを見ないですばらしいペアでのロールプレイができるようになったのか?

それを、限られた時間のなかでどこまで達成するのが授業での勝負ではないのか。そう思えば、口が裂けても「時間が余った」などという言葉がでてこないはずである。授業終了間際に読ませてみてあのパフォーマンスであれば、「予定したゴールがまったく達成できていない!」とあせって、残り時間で少しでも上達させようと試みるはずである。

それを「時間が余った」とは何事か!?

11/03/2018

スピーチコンテスト大成功!

そして本日のコンテストは大成功でした。英語スピーチコンテストの成功の度合いは、一にも二にも、出場者のスピーチのクオリティによると思います。

その意味で、本日の大学生10名のスピーチは最高のクオリティでした。我々は、基本的に日本国内で英語を学習し、日本国内でトレーニングを積んで、「きちんとした」英語を喋れるようになった(なろうとしている)学生を応援したいと思っています。

5年も10年も英語圏で過ごしてきた人はもちろん英語は達者ですが、英語が達者でない聴衆にわかろうがわかるまいが構わない、といった調子でまくしたてることも多く、個人的には???と感じます。

聞いている人間(の多くに)わからない英語スピーチでは意味がない、と私は思います。ノンネイティブの聴衆が多いなら、その人達に自分のメッセージが伝わるように話すのが筋なのではないか、と考えます。その意味をこめて、今回のスピコンの審査基準に、 audience awareness を新たに加えました。

その観点から言うと、今日のスピコンで、大学生のスピーチと高校生のスピーチの間には明らかなレベルの差がありました。それは高校生も痛感したはずです。それは大学生のほうが高級な英語を使っているとか、レベルの高い表現を使っているとか、そういうことではありません。大学生のほうが聞いていて圧倒的に「わかりやすかった」ということです。

高校生のスピーチも内容的には素晴らしいものでした。diversityのテーマにふさわしく様々な観点からアプローチしており、聞いていて思わず胸が熱くなるものもありました。しかし残念ながら、多くの場合発音の不明瞭さが原因で、せっかくのその内容の素晴らしさが十分には伝わりきらないものでした。絶対におさえねばならない、L/Rも怪しい場合、絶対にやめさせねばならない不要な母音挿入 epenthesisがある場合、日本人が絶対に意識せねばならない arと er の違いも押さえていない場合、などがありました。

それに対して大学生のスピーチは、10人が10人とも素晴らしいものでした。全員が、わかりやすくきちんとした英語を心がけ、きょうの本番でのパフォーマンスが今までで最高のできでした。大学生のスピーチがあそこまで良くなったのは、彼らが本学に入学し、淡路先生と私が担当する授業を履修し、淡路先生と私の事前トレーニングを受け、ダメ出しを受け、それを踏まえて自分で何度も何度も努力したからです。

彼らのパフォーマンスを心から誇らしく思います。

全員スピーチを終え、結果発表の前に、はい!ポーズ!
と思ったら、リキト君がいない。。。

高校生のみなさん、英語がうまくなりたいなら、どうぞ本学に来てください。

スピーチコンテストの指導と中高の部活の間の共通点?

本日、第19回スピーチコンテストを開催し、大成功に終わりました。

昨日の段階では大学のスピコンと中高の部活について考えることがありました。うちのスピコンは、予選を通過して本選に出場することが決まった大学生10名に関しては、かなり手厚く指導します。

(本当は高校生の本選出場者も指導したい気持ちもあるのですが、地理的に遠方の高校生もいるので「全員同じ程度に指導」というのが現実的でないため、実現していません。)

具体的には淡路先生と手分けして、最低でもひとりの学生を3回、一回につき30分〜1時間くらい、つまりのべ2時間くらいは指導します。2時間×10名=20時間
もっともっと、と来る学生に対しては淡路先生はもっと指導しているかもしれません。

司会の学生の英語もかなり時間をかけて指導をしています。前日の練習も8時くらいまで続きました。

結果的には淡路先生も私も、スピコンの前はこの事前トレーニングにかなりの時間をかけることになっています。そして我々は英語教員としてこういう授業外の指導を、自らのしごとのかなりの中核的部分だと認識しているので、とても楽しいです。1年のうちでも最も充実感のある季節です。

しかし、仮に、このスピーチコンテスト委員という役割を、誰か別の先生に頼むことを考えたときには、潜在的な問題があることに気づきます。しなくてもよい仕事を喜んでする先生ばかりではありません。本選出場が決まった大学生はまったく指導しなくても文句は言われないでしょう。大学生なのだから自主自立にまかせ、自己責任でブラッシュアップさせるほうがむしろ大義名分にはかなうのかもしれません。

つまり、われわれのスピコン指導というのは、中高の「部活指導をやりたくてやっている(それを意気に感じて休日出勤して練習試合を引率している)一部のイケイケ顧問」と一脈通ずるものがあるのかな、ということです。好きでやっている人間にはいいのですが、それをそうでない人間に強制するのは間違っています。

だれがやってもできるような指導体制にして、担当教員が変わっても同じようなクオリティの結果がでる程度のものにしたほうがいいのか、あるいは、目の前の学生のクオリティを向上させるためには夜遅くなろうが休日出勤になろうが構わない!のままでいいのかは悩ましいところです。

と書きながら、心のなかでは、「今のやり方で続けるのが学生の幸せのためにはベストなのだから、それでいいに決っている」と思っている自分に気づきました。

前日、会場で自主リハーサルに励む学生たち


10/27/2018

11月3日 大東文化大学英語スピーチコンテストを開催します。

来週の今日、大東文化大学学長杯「第19回英語スピーチコンテスト」を開催します。

テーマ Diversity をめぐって、予選を勝ち抜いた、本学の学生10名と全国から応募してきた高校生10名がスピーチを披露します。

今回は応募資格のなかに、「満5歳の誕生日以後に、通算1年以上または継続して6か月以上、英語圏に居住した」に該当しない、などとなっていますので、基本的に国内で鍛え上げたきちんとした英語によるスピーチが聞けるはずです。

来場はご自由ですので、是非、ご観覧ください。

日時:11月3日(土) 12:30 開場  13:00 開始

場所:大東文化会館ホール(東武東上線 東武練馬駅より徒歩3分)



10/26/2018

長野に教育実習訪問指導

指導の内容についてはすでにもうひとりの鬼(どっちが赤か青かは不明)がレポートしているので詳細はそちらを。 ビデオ撮影と講評が終わり、学校を去る時の様子がこれ。



この写真をとってくださったのは受付の中にいた女性なのだが、この直後、学生に対して「よっちゃん、なんでそんなかがんでいるの?」と呼びかけたので、「え?よっちゃんですか?」とお尋ねすると、なんと彼が幼稚園児だったころの幼稚園の先生だったとのこと。で、かがんでいないのがこちら。。って、やっぱかがんでいるね。教師より自分が背が高く見えるのが失礼だとおもっているのか(笑)



幼稚園から高校までひとつの学園に通い、大学生になった今も幼稚園時代の先生から「よっちゃん」と呼んでもらえる、というのも私立ならではかもね、よっちゃん!


入試広報動画撮影、成功裏に完了しました。

この2週間、ず〜っと準備していた入試広報のためのウェブ動画の撮影をついに行いました。タイトルは、「歌を歌えば英語発音が上達するって本当? --- 本当です!」で、いつもやっている出前授業と基本的には同じ内容なのですが、終わってみるとかなり新しいものになりました。

当初、某有名歌手の楽曲の一部を使いたいなどと脳天気に言っていたのですが、いざ調べてもらうと年間1300万(!)の使用料という笑えない現実に、あっさり方針転換。いろいろ悩んだ結果、すでにパブリックドメインに入っていて無料で使えるという Grandfather's Clock を使用することに決定。

加えて、いつもの出前授業で使っていた「サザエさん」と「Yesterday」も、著作権の関係で使用しないこととし、あらたに芭蕉の俳句とその英訳を題材にすることとしました。

業者さんと何度となくやり取りをしてパワーポイントを少しすつアップデートしていったのですが、そのなかで痛感したのは、当たり前ですけどプロの凄さです。こちらが希望する画像や音源を即座に調整・調達・作成して戻してくる速さには舌を巻きました。

で、撮影の本日。協力してくれた8名のゼミ生/教員志望学生にとっては、カメラが複数台入って、照明もあり、大人が何人も立ち働いて注視されているなかで撮影される、という経験は当然初めてだったようで、最初は多少気圧されていた感もありましたが、徐々にほぐれて来て、最終的には素晴らしいパフォーマンスを披露してくれました。

いつもながら、自分は良い学生に恵まれているな、と感じた1日となりました。感謝。

11月には公開されるそうなので、乞うご期待!

撮影直前。ちょっと緊張してます。

撮影完了の直後。安堵と達成感の一枚。




10/20/2018

平井堅さんの英語発音:語末のN

来週、 ミニ授業を動画撮影して大学の入試広報としてウェブにアップすることになり、その準備中。最初は某有名歌手の楽曲のごく1部を使用する予定で著作権関係の使用料を調べたところなんと年間 1300万、3年間で3900万(!)だということが判明し 断念。

急遽、お金のかからない楽曲を検討した結果、英語歌詞であればすでにパブリックドメインに入っている Grandfather's Clockを使うこととなった。現在、出演予定の学生たちにも準備してもらっているところである。

その関係で、いろいろな歌手が歌っている Grandfather's ClockをYouTubeで聞いていると 平井堅さんが英語で歌っているのを発見。




透き通るような高音と、 すすり泣くような歌声が心地よい、のは当然として、英語もかなり上手いことを確認。L/Rは当然のこととして、years も ちゃんと ears でなくyears となっているし、tick tockの帯気音もバッチリである。ひとつだけ足らないのはご多分に漏れず、語末の / n / がない、という部分である。

It was taller by half by the old man himself

It was bought on the morn of the day that he was born


このあたりが英語発音に関しては素人(?)と玄人の試金石になるのかもしれない。

10/18/2018

Writing Facilitator 改訂版できました!!

今年に入ってからずっと作業をしていたプロジェクトのひとつ、

構造から学べるパラグラフ・ライティング入門[改訂版]
Writing Facilitator [Revised Edition]
(松柏社)

がついに完成し、本日、できたてのホヤホヤを入手しました。2019年度新刊のライテイング教科書としてご利用いただけるようになります。



これは2003年新刊として発売された同名教科書の改訂版です。この初版は実に今から15年前に世に出させていただいた教科書ですが、有り難いことに、なんといまだにライティング部門でトップの採用部数を保っている、とのことです。

2003年度新刊の初版

毎年100冊単位で新刊教科書が出され、とにかく新刊に対するニーズが高い大学英語教科書の業界では、かなり珍しいことでしょう。

とにかく、教科書の指示のままにステップを踏んでいけば、とりあえずパラグラフの形が書けてしまう、というコンセプトが指示され、リピーターを掴んだのだと思われます。採用してくださっていた先生がた、本当にありがとうございます。

しかしながら、15年の時を経て、題材内容の点(「携帯電話の通話が電車でうるさい」等)で、流石に無理がでてきた部分もありました。

そこで、ロングセラーとして慣れ親しんでいただいているフォーマットおよび timelessな題材はそのままに、部分的に新しい題材に差し替え、評価の分かれていた(?)迫力のあるイラストを、洒落たテイストのフォトグラフに変え、装丁も一新したのが今回の改訂版です。黄色に黒のコントラストがおしゃれですよね!カッケー!

前作を上回るご愛顧のほど、よろしくお願いします!!







10/16/2018

1年目教師からの便り

教師になってしばらくは部活が忙しくて、教材研究をする余裕がなかったが、最近は余裕がでてきた。授業では厳しく発音指導を行っている。コーラスリーディングでも「違う」音が聞こえるとすぐに中断して指導する。繰りかえし指導しているうちに、生徒は正しい音を覚え、最近は徐々に発音がよくなってきた、と実感している。

という趣旨の便りを、昨年1年間だけ教えた1年目教師からもらった。ちなみに勤務は公立中学である。始まって半年でこういう実感を持てるというのは、状況として大変幸福なことだ。その調子でやっていってほしい。

10/13/2018

新潟合格しました!

おおおおお!

これで大東第1次靜ゼミから通算5名が専任教員になりました。

スピーチコンテストに出すのなら指導すべし、特に日本人教師が。

英語教師が自分の生徒を英語スピーチコンテストに出す場合に、最低限の音素の区別はできる状態にせず出すのはあり得ない、というかあってはならない。

が、現実には、LとRがごちゃごちゃなような状態でコンテストに出てくる生徒が少数ながら、いる。

いったいなぜだ。

生徒本人はおそらく自分がそういう状態だということがわからないのだから、それを指摘してやって直してやって、そうでない状態にしてやるのが指導教員の義務である。

イントネーションや、文ストレスは、我々非母語話者教員には微妙な部分があり、十分に指導できないのは、我が身に照らしても、あり得ると思う。

しかし、LとRや、BとVや、THとZのような、白か黒か、1か0か、舌とか唇が特定の箇所に接触しているのか接触していないのか、は、電流回路のスイッチのようなもので、微妙さはない。接触していれば電流は流れ、接触がなければ流れない。中間はないのだ。明かりがついているの、ついていないのか、のどっちかしかない。こういう微妙さのない部分は、非母語話者にも十分に指導ができるし、むしろ分析的・意識的に指導ができるのは非母語話者の強みであるとも言える。

スピーチコンテストの引率にALTが目立つのは良いことでもあるが、良くないことでもあるのかもしれない。スピーチの指導にALTに関わってもらっているのは良いことであるが、日本語母語話者教師がスピーチ指導の主導権をALTに渡している、ということの表れなのだとしたら、それはあまり良くないことであるし、そんなことはないと信じたいが、仮に「丸投げ」しているようなことがあれば、それは非常に良くない、情けないことである。

一般論として、ALTで発音を厳しく指導してくれる人は少数派ではないか、という印象を私は持っている。どうせノンネイティブだからそこまでは求め(られ)ない、と思っている人もいるだろうし、多少妙な発音でも許容するのがこの World Englishesのご時世には「正しい」態度なのだ、と思っている人もいるだろうし、音が変なのはわかっても、どういうメカニズムでそういう音が出てくるかはわからないから結局指導はできない、と諦めている人もいるのだろう。

原因がいずれであっても、現実に、(きちんと指導されていない、という意味で)「残念な」状態でステージに上ってくる生徒はいる。それは可愛そうなことである。

特にそのスピーチに何度も出てくるキーワードにLが含まれていて、それをいつでもコンスタントにRで発音するようなことがあれば、それはもう致命傷である。たった一語であれば大勢に影響しないようなミスも、ダメ押しのように何度も何度もミス発音を聞かされれば、印象は最大限に悪化する。

そもそも流音が1つしかないという点では世界的にもかなり珍しい日本語を母語にする者が、世界の多くの言語と同じく流音が2つある言語である英語を学習するときに、2つの流音をきちんとマスターしていない、というのは、基本のキができていないことであり、文法にたとえれば、一般動詞とBe動詞の区別がわかっていないか、それ以上にヒドイことである。私はテニスが好きですを、I am tennis like. と言っているのと同じくらいヒドイ。

英単語の子音のミニマル・ペアの中では、L/Rのペアが最も多い、と言われるのだ。日本人学習者には絶対にできるようにしてやらねばならぬ区別なのだ。

よって、私の採点基準では、L/Rの区別ができないスピーカーは、「発音」コンポーネントの得点は、30点満点の0点である。

日本語母語話者英語教師には、責任を持って自分の生徒をもっときちんと教えてもらいたい。




10/12/2018

鹿児島合格しました!

やった〜!!

10/11/2018

シラバスはくだらん

シラバスにああいう文言入れろ、こういう文言いれろ、という圧力が日本中の大学にかかっている。

私の考えでは、シラバスの文言を改善することで授業の内容を改善しようとすることは、指導案を改善することで授業の内容を改善しようとすることと同じくらい馬鹿げている。

両方とも基本的に発想が間違っている。

指導案が良くなかったために良くなかった授業を見たためしがない。指導案に美辞麗句が連なっていてもどうしようもない授業はそこいらじゅうにあるし、フォーマルな指導案などなくても素晴らしい授業はいくらでもある。

シラバスがダメだから学生のためにならない授業がそうそうあるとは思えないし、シラバス文言を変えたからクオリティが上がることは1000%ないと思う。

Trying to improve a course by window-dressing its syllabus is as ridiculous and misguided as trying to better a class by stuffing its teaching plan with beautiful, timely -- so inevitably futile -- phrases.

またシラバス通りに実際に授業が行われているかチェックしよう(チェックさせよう)という動きもあるが、これもまた馬鹿な話である。

実際の学生の反応に応じて変幻自在に自由自在に臨機応変にやるのが授業というものである。人間の教師が授業をやる意味はそこにあるのだ。

それを実際の学生の反応がどうであれ、半年以上も前に書いたプランに固執してそのとおりに進めていれば良くて、プランから離れていれば悪い、などとは愚の骨頂だ。

どうしてそういうくだらない作業に貴重な税金と時間をかけるのかわからん。

お前は馬鹿か〜??(出川哲朗氏風に)

10/08/2018

恥を知れ!

(というのは、私の最初の勤務先の校訓である。)

若い女性教員をイジメる男子クラスの男ども、お前ら恥ずかしくないんか!?

恥を知れ、恥を!


10/03/2018

茨城県、受かりました!!

いやあ、嬉しい。。。。

9/29/2018

明日の語研ア・ラ・カルト講座「発音指導の心技体」、空きができました!

すでに定員に達していた明日の講座ですが、おそらく台風の影響か、遠方からの申込者の方がキャンセルし、今の時点で、4名の空きがでました。

http://www.irlt.or.jp/modules/survey/event.php?eid=104

担当者 Ouchi  登録日時 2018/6/23 11:14 (597 ヒット)
ア・ラ・カルト講座⑨「発音指導の心技体」 

日時:9月30日(日)13:00〜16:00(12:30より受付開始)

講師:靜 哲人(大東文化大学)

効果的に発音指導を行うためには、World Englishes の時代においてなぜ発音が重要なのかについての確信[心]、 授業中に他にスキルと絡めて指導する技術[技]、そしてそれを支える自らの発音力[体]が不可欠です。文節要素を支配するとも言われるプロソディも含めて発音指導の心技体を実習します。 

講座は予定通り開催しますので、都内の方を中心に、是非お申込みください!

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9/28/2018

さいたま市、受かりました!

こういう瞬間のことを Rewarding って言うのですね。

250人の授業で大切なこと

各位

今日の知の森はお疲れ様。答案回収整理を手伝ってもらい、大変助かりました。どうもありがとう。

実は今日の授業では、教科教育法を取っている君たちには、内容もさることながら、それと同時に私の授業運営(Classroom Management) を見てもらいたいと思っていました

つまり250人を超える大教室で静謐(せいひつ=しずか)な学習環境を生み出すための戦略、テクニック、ということです。大人数の授業は場合によっては私語が多くなり、真面目な学生には耐え難い状況になることもありえます。

しかし、真面目な学生が学習に集中できる教室環境を作り出すのは、教員の責任であり、教員にしかできないことです。他の誰にもできません。教員の仕事であり、教師の義務なのです。

上から押さえつける感じで運営するばかりがよいことではないのですが、とりあえず靜な環境を作り出すのはとても大切なことです。授業内容が生きるのは、それがあってのことで、それがないならばどんなに素晴らしい教材を用意しても無駄になってしまいます。

そういう環境を作り出すために、講義のなかに発問を挟み込む形をとり、なるべく退屈しないように、手を動かさざるを得ないようなシステムを工夫したのは、理解してもらえるかと思います。

今日は大教室での大学生を相手にした話でしたが、「本当は真面目な気持ちはあるけれどついつい安易なほうに流れてしまう集団」をうまく統制する、というのは中高の教室にも共通する、非常に汎用性のある話だと思います。

200人くらいの学年集会を司会するときにも通じることです。

今日の学生としての経験を、私がいた「教師」の立場を想像しながら振り返り、教職を履修している学生としての視点から再体験し、将来に役立ててもらえればと思います。

9/18/2018

そりゃあ、通じるわけないわ

後期授業の初日に聞いた、1年間留学して帰国後に私の授業をとっていた学生 NIさんの談:

留学中は、自分の知っている単語を並べて、なんとかコミュニケーションをとるのは多少うまくなったんですけど、文法とか発音とかは全然伸びなくて。。
いくら言っても通じないとか結構ありました。 
(どんなのがあった?) 
そうですね、woodがどうしても通じませんでした。(と言いながら  oodと発音) 
あとは笑い話で、友達にあした theater に行くって言ったら、「そんな遠くまで明日いくの?!」ってことになって、よくよく聞いたら、私は theater のつもりで言っていたのを友達は  Seattle だと聞いていたんですよ!! 
で、帰ってきてから靜先生の授業をとったら、「そりゃあ(自分の今までの発音は当然)通じるわけないわ。。。」って何度も思いました。

9/15/2018

9/30に語研でア・ラ・カルト講座で「発音指導の心技体」

どうぞ奮ってご参加ください。

http://www.irlt.or.jp/modules/survey/event.php?eid=104


ア・ラ・カルト講座⑨「発音指導の心技体」 

日時:9月30日(日)13:00〜16:00(12:30より受付開始)

講師:靜 哲人(大東文化大学)

効果的に発音指導を行うためには、World Englishes の時代においてなぜ発音が重要なのかについての確信[心]、 授業中に他にスキルと絡めて指導する技術[技]、そしてそれを支える自らの発音力[体]が不可欠です。文節要素を支配するとも言われるプロソディも含めて発音指導の心技体を実習します。 
開始時間 13時00分
定員数 20人 
予約締切時間 2018/9/30 12:00

9/13/2018

発音がテーマのシンポジウムで

発音がテーマのシンポジウムでイタイ発音での発話を聞くのはイタイ。

9/11/2018

成蹊大学での講演の要旨が掲載されました!

7月7日に成蹊大学でやらせていただいた講演英語の歌で発音が良くなるって本当ですか? 〜グルグル・メソッドで歌わせる授業の理念と実践〜」の要旨を、成蹊大学のHPに掲載していただきました。参加者の声まで拾ってくださっています。どうぞ御覧ください。

講演の要旨(ショート)

講演の要旨(フル)

参加者の声

「先生」に必要な心・技・体を育てよう

靜 哲人

みなさんは、将来、教師になることを夢見ている、あるいは何らかの形で教職に関わることを考えていると思います。では「先生」にはどのような資質が求められるでしょうか。スポーツや武道の世界でよく「心・技・体」と言いますが、よい教師になるためにはどのような「心・技・体」が必要でしょう。

第一に必要なのは「体」です。教師の「体」とは、自分が教える専門領域における知識と技能のことです。英語力が低い先生から英語を教わりたい生徒はいません。スノボが下手な先生からスノボを教わりたい人はいません。自分の専門分野が何であれ、みなさんは教員免許を取得するまでに、生徒に「この先生はすごい!」「この先生みたいになりたい!」と思われるような、専門家としてふさわしい知識と技能を獲得してください。「教える」などと大それたことを考えるのはそれからです。一般論として今のあなたに最も大きな「伸びしろ」があるのは、この「体」の領域です。

次に必要になるのは「技」です。英語のネイティブ・スピーカーは英語の「体」に関しては完璧かもしれませんが、そのままの状態で教師になれるわけではありません。自分の「体」を子どもたちに伝えるための技、教える技術がなければ教師とは言えません。「名選手必ずしも名コーチならず。」スノボのインストラクターには、自分の身体感覚を、分析的な言葉で噛み砕いて伝える技術、段階を踏んで教える技術、大人数の生徒ひとりひとりに的確にフィードバックする技術、遅れがちの生徒を励ます技術など、数えきれない「技」が必要になります。教科教育法の授業を中心に「技」の引き出しを増やしていきましょう。

そしてそういう「体」と「技」が活きるのは、教師としての「心」があってこそです。子どもが好きだ、生徒たちと関わりたい、教えるのが好きだ、という心。目の前の生徒をもっと上達させたい、という心。もっと心の温かい、広い視野ををもった人間になってほしい、という心。自分と関わる生徒には幸せになって欲しい、という心。つきつめていうならば、自分の生徒を愛する「心」。極論するならば、これがなければ他の何があっても教師としてはダメですし、逆にこれさえあればあとはなんとかなる、とも言えます。教職課程を履修しているあなたには、すでにこの「心」に関しては自分なりの思いがあると信じます。これからの学習と体験を通じてさらに自分の「心」を見つめていってください。

最後に、「心・技・体」のどれが一番大切か、という問いには意味がないと考えます。「心」がなければいくら「体」と「技」があっても子どもが不幸です。「技」のない人はいくら「心」と「体」があっても空回りします。「体」が足らなければ、「心」はお題目になり、「技」も使えません。つまり「心・技・体」はどれひとつが欠けても、よい先生にはなれません。みなさんは、教師の卵から雛鳥に、さらには親鳥へと成長してゆくために、自分の心・技・体をバランスよく伸ばしていってください。

9/02/2018

JACET2018で大東英語学科の英語教員養成について発表しました。

大東文化大学英語学科における中学・高校英語教員養成
- 緊密な協働による教員免許の質保証の試み

靜哲人・淡路佳昌

本学科では英語教育が専門の発表者ら2名を中心に中学・高校英語教員の養成を行っている。2年次の教職必修科目「教科教育法(英語)基礎A/B」では音声スキルの養成を中心に将来の英語授業者としての心技体を鍛え、選択科目「英語教育学概論A/Bでは外国語教育に関する基本的な事項や現在の問題について討論を交えて講義する。3年次の必修科目「教科教育法(英語)応用A/B」では指導に必要な知識とスキルを実習形式で指導し、徹底的なマイクロティーチングと事後指導を行う。この他に3年次には言語評価法、ICTCALL、第二言語習得論、小学校英語教育に関する選択科目も開講されている。




特筆すべきは第1に、2年次と3年時の必修科目を発表者ら2名が「横割り」で担当するため、教職学生は全員必ず2年時には第1発表者の、3年時には第2発表者の授業を履修することである。こうして我々2名が教職履修学生を全員把握し、かつすべての学生が、根本的な英語教育哲学は共有しながらも力点の置き方やテイストは異なる2名の教員の「洗礼」を1年間ずつ受けることで、教育実習にたどり着く学生の質を担保する。特筆すべき点の第2は3年次末の「実習レディネス・アセスメント(JRA)」である。教育実習に行くには発表者らが協働で面接方式や録音ファイル評価で行うJRAに合格しなければならない。これにパスする学生は例年20数名だが、特筆すべき第3の点は、実習期間中にこれらの学生を我々が可能な限り分担して訪問し、ビデオ撮影をした上で指導することである。訪問指導によりその後の授業が劇的に改善した例も少なくない。教育実習を終えた学生が履修する「教職実践演習」は第1発表者が担当し、本学の英語教員養成の画竜点睛を試みる。このような指導体制により卒業後に教壇にたつ学生も増加してきており、その卒業生教員のネットワークUpDATESでは情報交換が盛んである。




9/01/2018

オンデマンド「心・技・愛」配信スタートしています!

是非、ご利用ください。


英語教育を取り巻く環境は AIの進化、 大学入試改革、 小学校英語必修化 など、大きな変革期へと歩みを進めています。

本コンテンツでは2014年に 靜哲人氏、 正頭英和氏、 小林翔氏 の共著として研究社より出版された 「英語授業の心・技・愛 -小・中・高・大で変わらないこと」 をベースに、最新のトピックを加え映像化いたしました。

小学校、中学校、高校、大学の英語教育の現場を経験してきた3氏が “時代に応じた生徒の育て方” と “変わらない英語授業の本質” について討論し、担当章ごとに解説いたしました。「技術は愛情の上にしか成立しない」 と語る3氏の熱いトークは中学校、高校の英語教師はもちろんのこと、英語必修化で悩まれている小学校の先生方に見て頂きたい内容となっています。


8/27/2018

関大集中最終日

長かった集中講義もようやく今日で最後。リラクセーションのため、また中之島あたりをジョギング。

10メートル進むごとに写真に収めたい風景が広がり、撮りまくっちゃいました。



8/26/2018

マン


ちなみに、女性用は、WOMAN でした。

どっちも...

It's been the shittiest and the most awesome week, at the same time. I am the lucky one who has had chances to teach lots and lots of great students.


インテリ?

Intelligibility と accuracy の話をしている先生が、Interrigibility と言ったらアカン。

全国英語教育学会で歌グルグル発表しました!

熱くて暑い京都の龍谷大学で、歌だけ授業を総括的に事例報告として発表しました。



なんの陰謀か(笑)またまた朝イチのスロットなので、あまり聴衆はいないかなと思っていたところ、始まるころには満員御礼、立ち見もあり、で大変うれしかったです。朝早くから来てくださった皆様、ありがとうございました。

One thingでピョンピョン跳ねる学生や、Just the way you are で変顔する学生などの映像を紹介でき、楽しい授業だよ、というのは伝わったかと思います。


事後に、「内容がコンパクトに時間内にきっちり、かつ新しい動画もあり、素晴らしかった」「授業のうまい人はプレゼンもうまい」との過分の褒め言葉をいただくことができ、直前まで20分にきっちり収まるよう計画した甲斐があったと思いました。

その一方で、むむむ。。。と思わされたのは、数名、過去に私のセミナーや講演を聞いてくださって、また今日も来てくださった方々が、要約すると「先生の実践はすばらしいです! そして、私にはとてもできません。」という趣旨のことをおっしゃっていたことです。

もしほんとうにそうであれば、私の発表は単なる自己満足に過ぎません。自分にしかできないことを発表して悦に入っていることになってしまいます。そうではない、と信じたい。

できますよ。Yes, you can.  Yes, we can. 

すくなくとも、自分の授業を1年、2年受ける教え子には、自分の実践はきっちり伝授しなければならない、という思いを新たにしました。



8/22/2018

9回目の大阪ナウ

専任教員としては関大を去ってからずっと続けている、非常勤教員としての関大外国語教育学研究科の「外国語教授方法論(英語)」の集中講義。数えてみると今年で9回目である。

改めて歴代の受講者リストを思い返してみると、多士済々。熱い、また温かい思い出とともに脳裏に浮かんでくる面々。それぞれ元気に活躍しているはず。

今年も「熱」いな、と思いながら2日目の今朝はホテルから中の島公園までジョギング。と思っているとiPhoneに大東のゼミ生からスピーチコンテストの原稿相談が着信。うん、これはなかなかいい内容に仕上がりそうだ、と感じられて気分はますます晴れ渡る。