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11/28/2021

"Repeat after me." を超えよう。 単語でも、そしてセンテンスでも。

 一般財団法人 語学教育研究所から出ている 『語研ジャーナル (The IRLT Jounal) 』第20号 (pp. 117-120) に、手島良さんの「フォニックス 〜生徒を自立させるための助言〜 Repeat after me. を超えて」という論考が掲載されている。

単語の読み方の指導で、モデルを提示して後について繰り返させるだけでは、短期記憶にあるその時の音声イメージを再生させているだけで、新たな語を自分で読める学習者を育てられないのであり、モデルを示す前に、当該単語内のポイントとなるフォニックスルールを思い出させ、あるいは教え、その上でまずは自力での発音を促してみる、という作業を繰り返してゆくことが、ゆくゆくは自立して単語が読める学習者を育てるためには不可欠である、という指摘である。

Couldn't be more true. だ。

これは私が先日のポストで指摘した、スペルアウトさせるのは文字と音声の結びつきを指導していないことの裏返しだ、という点とも関わる、とくに中学生を指導する上で大変に重要な点である。いつか見た次のような授業風景を思い出す。

単語の発音練習。いくつもの新出語を先生のモデルについて生徒がリピートするという作業をテンポ重視で進める。テンポ重視でというのはここでは良い意味ではなく、先生もひとつひとつの音を噛んで含めるように提示していない、生徒ももちろんほぼカタカナ発音でやたらはやくついてゆく、という意味だ。ひとしきり一斉練習が終わったら、こんどは個人を当てて発音させてみる。とりあえずどカタカナでも発音できる生徒も多い。が、ある生徒がさっき読んでいた単語が読めずに止まってしまった!すると先生は「なんで、さっきまで読んでいたそんな簡単な語が読めないの!」といった調子で、その単語のリピートをその生徒に3回、4回、5回、と強いてゆく。読めないのは繰り返しが足らないからだ、練習が足らないからだ、と思っているらしい。

それを見ていた私にはその生徒が哀れに思えて仕方なかった。その生徒はおそらく短期記憶も長期記憶も周囲よりもやや弱かったのだろう。しかし彼であっても、先生が「この単語は全体としてこういう音だ」というアプローチではなく、「この文字(列)は、こういう音だよ」というアプローチをしてくれていたら、それほど周囲に遅れずについていけたのではないだろうか。

さて、この「単語の発音指導は、Repeat after me. を超えなくてはいけない」という命題は、その延長線として、「センテンスの音読指導は Repeat after me. を超えなくてはいけない」という命題につながる。

あるセンテンスでは、強く読まれるのはどの語か、おそらくリンキングされるのはどの部分か、おそらく破裂音が開放されないのはどの部分か、ポーズがおかれるのはおそらくどこか、ピッチが上がるのはおそらくどこか、下がるのはおそらくどこか、などの判断が自分でできるようにならなければ、いつまでたっても自立的な音読者(インディペンデント・オンドッカー?)にはなれない。これは自分で文字をみて音声化の判断ができなければ単語が発音できないのとまったくパラレルであろう。

センテンスの音声化でも、まずはモデルを聞かせ、音声化のポイントを言語化して意識させることが必要だが、その後は徐々に、モデルを与える前に学習者に音声化させてみて、それに修正を加える、という作業が不可欠だと考えている。そのために私自身が実践し、かつ学生にも勧めているのが、まずセンテンスをみたらその音声イメージ(特にポーズやリンキングの有無や、音声変化の様子、文のストレスやイントネーションなど)を頭のなかで予想してみてから、ネイティブ音読のモデルを聞いてみて、自分の予想がどの程度合っていたか、どこが微妙に違ったか、というのを確認し、次の予測に活かす、という作業だ。この作業をやってみて、おおむね予想が的中するようになれば、自分の音読についてある程度の自信を持って良い、と考えている。




11/25/2021

機械的 にスペルアウトさせることから透けて見える、実はとても深刻な問題

 生徒に単語のスペリングを言わせる(スペルアウトさせる)光景をよく見かける。あまりよく考えずに実践されていることが多いと思われるので、考えるべきことを整理してみたい。

(1)単語を正しくつづれる能力と、口頭でスペルアウトする能力は、関連しているがイコールではない。おそらく後者があれば前者はできるが、逆は必ずしも真ではない。自分でよくよくスペリングも発音も熟知している単語でも、スペルアウトはスムーズにできないことがあるのは自らを実験台にして確かめられる。果たして、初学者である生徒に、スペルアウトの能力は必要だろうか。私は必要ないと考える。

(2)スペルアウトするには、それぞれの文字の名前を正しく発音し、かつ3文字ないし4文字ごとにチャンクとして固めて、リンキングさせ、リズミカルに言うことが望ましい。果たしてそれができているか?単に、どカタカナ発音で、ティー、エイチ、ユー、アール、ディー、エイ、ワイ、と言わせることにどれだけ価値があるだろうか。私にはほとんど価値がないと思われる。ティーエイチューアー、ディーエイワーイ、と言うなら少しは文字の発音練習にはなるだろうが。

(3)スペルアウトさせようと言う発想は、フォニックス的な感覚を指導していないことの裏返しであることが多くないだろうか。つまり、Thursday という語を提示するときに、TH[θ] + UR[ə́ːr] + S[z] + D[d] + AY[eɪ] でそれぞれの音があるので、足し算して θə́ːrzdeɪ なのだ、という指導をせず、機械的かつ丸暗記的にスペリングを何度も言わせて覚えさせる、という発想になっていないだろうか。フラッシュカードで単語全体を提示して、全体でこういう音だ、スペリングは何度も目でみて覚えろ、スペリングを言って覚えろ、という指導と言えない指導になっていないだろうか。

(4)どカタカナ発音でスペリングを言わせるのは、英語の音自体をきちんと指導していない、英語の文字と音の関係をきちんと指導していないことの裏返しではないだろうか。library  に対して、エル、アイ、ビー、アール、エエ、アール、ワイ、と言わせる必要はまったくない。なぜなら文字をそのまま読めば発音になるし、発音をそのまま文字で表せばこのスペリングになるからだ。発音をきちんと指導しないから、生徒とすると「クソ暗記」をせざるを得なくなり、「えっと、LかRだっだけど、どっちが先だったけ?」ということになるのだ。

日本の街中の様々な掲示物に見られる英語スペリングは、日本の中学高校(+大学)の英語教育の成果の端的な現れだと思うが、L/Rの混同が半端ないのは、多くの学校で発音指導せずに機械的なスペルアウトをしていることの必然的な帰結だと言えるだろう。


以下はFacebook Groupの、Engrish in Japanに投稿された写真のほんの一部である。











11/24/2021

自分の部屋をキレイにすれば、自ずと他人の部屋も気になってくる

久しぶりに中学校英語研究会に招かれて、研究授業を観た後、その講評及び講演をしてきました。

授業は指導案の、「主体的にとりくむ態度の評価の工夫」という文言からして「おそらく」とは予想していたのですが、やはり....。対話教材の不十分な一斉指導のあと、生徒に丸投げで「練習」させたあと、必然的にザ・デフォルト日本語ネイティブ英語音声で「発表」させて、それを的外れに「褒める」という典型的な手順。英語人生の事実上の出発である、大切に大切にすべき中1でこれか、と暗い気持ちになりました。

講評で最初にお伝えしたのは以下の内容です。

「ここは英語を教えるプロだけが集まっている閉じた場なので申し上げますが、授業者の先生は今日の教材に関してご自分の音声レベルをもっと上げていただきたいと思います。そうすると見えるものが違ってきます。汚部屋にいると他人の汚部屋は気になりませんが、自分の部屋を綺麗にすると他人の汚部屋が気になり出します。その状態になったら生徒の音声レベルをどうやって自分のところまで引き上げるかを考えて下さい。生徒は楽しそうでしたが、あれで満足させては彼らが可哀想ですよ。もっとずっと上手くしてあげられます。」

大きなメッセージは以上ですが、あと申し上げたのは以下の3点です。

(1)単語の綴りを(日本語ネイティブ英語発音で)スペルアウトさせていましたが、あれは、英語の文字を一文字一文字読ませて音声化する指導が欠如していることの裏返しです。Novemberのつづりを機械的に「エヌ〜、オオ、ブイ、イイ、エム〜、ビイ、イイ、アール」などと(しかも非英語発音で)言わせるのではなく、一文字一文字との対応を意識させながら、「ノウ...ヴェンm ブァ〜」ときちんと言いながら書かせる指導をしてください。

(2)教師の肉声での音読と、CD音声を聞かせるのと、棲み分けを意識してください。CD音声を聞かせてもそれだけで英語の音声が聞こえて真似ができる子は5%くらいです。あとの生徒はいくら英語音を聞いてもカタカナに翻訳して聞いてしまいます。だからそこで、教師の肉声でのコメントが必要になります。また特定の母音や子音を強調したり、リンキングを説明したり、ゆっくり発音したりして、徐々にCD音声のレベルまでもっていってあげるのが教師の肉声の役目です。

(3)Megのことを Megu と言っている生徒がいましたが、MegとMegu は音声数も違ってかなり違います。そういう母音を付加する、しない、というのは英語音声にとってとっても大きな問題です。たかが Meg vs. Megu ですが、すべてに通じます。MegをMegu と言う子は、nurseのことも、narsoo と言うでしょう。


この後講演に移り、最後は以下のスライドで結論づけました。

Let us teach English rather than Engrish.

 
【心】日本語ネイティブのための英語発音指導の重要性をきちんと認識し、それを生徒に本気で伝えましょう。
【心】生徒全員の発音が底上げされるように、授業ではいつも「まずはクリアな発音ありき」ですべての活動を組み立てましょう。 
【技】グルグルをして、発音技能をコンスタントにシステマティックに訓練し、かつ評価しましょう。 
【技】是非、授業のルーティーンに歌を取り入れましょう。





11/19/2021

レベル別4技能教科書 Ambitionsシリーズの著者による使用法紹介セミナー 12月5日(日)14:00 -15:30


 ご好評をいただいているAmbitionsシリーズですが、改めて概要と、3名の著者それぞれによる実際の授業での使用法をご紹介するセミナーを開催します。熊澤先生は教科書をそのままつかったオーソドックスな方法を、靜はオンデマンド動画の制約のなかでのインタラクティブ性の演出を、望月先生は題材の背景や関連話題にまでふくらませる手法を、それぞれお話する予定です。どうぞ奮ってご参加ください。

11/16/2021

英語授業ではまず基本の「型」をおさえたい

 語学教育研究所編著『英語授業の「型」づくり:おさえておきたい指導の基本』が出版されました。


授業方法について教員志望の学生に推薦したい一冊として、ついに決定版に巡り合ったという気がします。英語教育を取り巻く学問分野は多岐に渡りますが、あれもこれもと欲張らず、「英語ですすめる英語授業を効果的に行うための基本のパターン、定石にはどういうものがあるか」にテーマを絞って、いずれ劣らぬ授業の達人たちがそれぞれの実践から導きだされたエッセンスを記した本です。

一読して、授業実践のために要らないことは書いてなく、要ることはすべて書いてある、という印象を持ちました。

オーラルイントロダクションの実際のスクリプト例や板書計画例は、学生のみならず、現職の先生方にも大いに参考になるでしょう。

私個人が最も関心があるところの音読指導に関しても、学生に伝えたいと私が考えることはすべて要点を絞って尽くされています。特に、chorus reading、buzz reading、individual readingのすべての段階において、発音やリズムなど音声面で直すべきところでは躊躇なく直すべきだ、と繰り返し述べているのがありがたいです。

「確かに、改善点を指摘されないほうが生徒は心理的には楽かもしれません。まして、欠点ばかりを滅多斬りにされれば、学習に背を向けることもあるかもしれません。しかし、より上手く読めるようになりたい、という気持ちはどの生徒も必ず持っているはずです。惚れ惚れするような発音で教師がモデルを示せれば、そういう気持ちは一層強くなるでしょう。そういう潜在的な希望に応えるためにも、教師は生徒の様子を見ながら、できる限りのフィードバックをするのが努めだと言えます。」(pp. 100-101)

まったくその通りです。多くの学生や先生方にぜひ読んでいただきたいと思います。