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2/29/2016

英語授業の Do’s & Dont’s



1.      その日の授業の到達目標(生徒が授業の最後にできるようになってほしいこと)を具体的にイメージしておく。到達目標は原則として、知識ではなくて技能で考える。◯◯の文が何も見ずに言える、書ける、セクション☓☓の内容を30秒で言える、等々。(そして12参照)

2.      教師は英語を決して(無意味に)早口で話さない。生徒に英語の音を「聴かせるのだ」、英語の音を発音するときの自分の口の動きを「見せるのだ」という意識を常に持つ。

3.      英単語の読み方は、「ひとつひとつの文字を読めば、音がわかるのだ」ということが意識できるように導入する。「この単語の全体としての読み方を「教える」」という意識でなく、いつかは初出の単語も自分である程度読めるようになる生徒を育てる、という意識をする。だからとくに中学生などは、パワポやカードで一気に単語まるごと提示するより、一文字一文字書きながら、相当する音を発音しながら丁寧に導入する、などがベターの場合もある。

4.      CD音源は、流しっぱなしにしない。「とりあえず1回CDを聞かせればいいだろう」という意識を捨て、なんのために聴かせるのか、なにに注意して聞かせるのか、と考える。細かく区切ったり、細かく部分的に何度も聞かせたりする必要があるので、CDプレーヤーでなくPCのメディアプレイヤーなどを使う。

5.      CD音源を聴かせるときは、音声上の留意点にコメントする。可能な限り、その部分の音声が流れるちょっと前に。そのためには授業準備の段階でCDを聞き、コメントするべき箇所をチェックしておく。単なる個々の発音だけでなく、文のなかでの強弱や、イントネーションなど。イントネーションには文脈からくる対比などが隠れている場合も多い。

6.      生徒が発音する時、いっしょに教員は発音しない。生徒が発音するときは、生徒の音声をよく聞き、生徒の口の動きをよく見、もう1ランクうまくなるためのアドバイスを考える。生徒が口を開くとき、教員は黙る。教員が口を開くとき、生徒は聞く(他の作業をしていないか注意)のが基本。
7.      高校は、本文のすべてを広く浅く音読練習するより、内容的、構文的にも身につけておく価値、練習する価値のある文をピックアップして、狭く深く、徹底的に練習するほうがよい(場合もある)。どの文がピックアップする価値があるかを生徒に考えさせるのもよい。その際、ルーティーンとして Read-and-look-up を目標とする。

8.   コーラスリーディングの時同一の文をもう一度読ませるとき、生徒がつっかえてしまったからもう一度読む必要があることが明らかである場合以外は、かならず理由を告げる。「もう一回」読むときに何を気をつければよいのか、どこができていないのか、具体的に指示する。

9.      授業のすべての瞬間、生徒のやっていることを明確に意識して、それを適切にコントロールする。教師が話しているとき、教科書を見ながら聞かせたいのか、何も見ずに教師に注目させたいのか、を決める。教科書を閉じさせるならそう指示する。本文を目で追わせたいならそう指示する。隅の生徒、後ろの生徒の机上で何が起こっているか、どういう活動がなされているかをつねに意識する。

10.  授業では単なる答え合わせをしても仕方ない。正答か誤答かをチェックしたいならプリントを配っておけばよい。Face to face で解答させるなら、間違った時、どうして間違ったのか、どういう誤解があったのか、次に正解させるにはどうしたらよいのか、という診断とアドバイスを与える必要がある。間違った答えが出た時、安易に別の生徒を当てて正解を出そうとしない。間違った答え、というのは、力の弱い生徒の頭の中でなにが起こっているのかを知る、貴重なデータ、チャンスである。誤答にこそ、指導のチャンスがある

11.  OK」「thank you.」を安売りしない。その時発表したことにより、アドバイスを受けて、さらにうまくなれた、と生徒が感じるようなフィードバックをする。「○○をもっと☓☓にするといいよ」などと。そしてフィードバックしたらその場で再度やらせ、改善していたらほめる。していなかったら「まだダメだから練習しておいてね」と告げ、つぎに移る。その場で改善していなくても、改善していないこと、ダメな状態であることをきちんと伝えておく


12.   あるレッスン、あるセクションが「終わった」かどうかではなく、「どの程度うまくできるようになっているか」を常に考える。「うまくできていない」時は、「うまくできていない、練習不足である」ときちんと伝える。毎時間の終わりを、「よくできました」にする必要はまったくない。○○が全然できていないので、その点を次の授業で再チャレンジしましょう」という終わり方も、りっぱに次につながる終わり方である。

2/24/2016

CDを流しっぱなしにせず

CDを単に流しっぱなして聴かせる人が多いのですが、教室のルーティーンの活動として次のようなものができると、授業の効果レベルが1段階上がると思います。英語を英語で理解させる第一歩です。
CD音声を流しながら、適宜とめ、いま流れた部分を教員が英語で、より簡単な表現も使いながら説明してゆく。

l  CD音声を通して聴かせる前にやってもいいし、聞かせた後にやってもよい。通して聴かせる区切りながら解説する通して聴かせる というサンドイッチもよい。
l  1対1対応で問題がない語で、説明が難しい語はソコだけボコっと日本語の訳語を言ってもよいが、すまして英語で続けてゆく。
l  教師はゆっくり、はっきり、噛んで含めるように、生徒の目をみながら、あるいは英文をスクリーンに投影している場合には該当箇所を指さしながら、英語を話す。
l  単に教科書の文の意味を「まったく別の英語」で言うのではなく、教科書の構文、表現、単語を出発点にしながら、それをちょっとだけわかりやすく、噛み砕いてゆく。
l  教科書の文を見せながら、あるいは教室前のスクリーンに教科書の文を投影して見せながら、行っても良いし、仕上げとして、何も見せず、純粋なリスニングで行っても良い。
l  さらに最終的な応用活動の目標として、ペアワークで、Aさんが教科書の本文を適宜切りながら読み、Bさんが、さっき教師がしていたような、「噛み砕き解説」を試みる、というのも可能である。とても高いハードルかもしれないが、噛み砕き解説のスクリプトを投影する、あるいは手元に配布しておけば、read and look up でやらせることはどんなレベルの学生でもそれなりに可能なはずである。

例:(Crown English Communication Iより)

CD音声: President Obama shares Dr. King’s dream of justice and freedom for American blacks,

教師肉声解説→ Obama and King share the same dream. Obama also dreams that American blacks should be given justice公平な扱い they should be treated justly公平に Obama believes that American blacks should be given freedom, they should be free.

CD音声: but he would be the first to agree that this dream has not yet come true for everyone.

教師肉声解説→ Has this dream come true now, for everyone, for every black person in America?  If I asked Obama, “Do you think King’s dream has come true?  Is everyone free today?  Is everyone treated justly 公平に?” Obama would be the first person to say no. He would quickly say no.  He believes that King’s dream has not yet come true, not completely, not for everyone…yet.

CD音声: “We are a nation of Christians and Muslims, Jews and Hindus—and nonbelievers.

教師肉声解説→ America is a country of many different religions宗教. Some of us are Christians, Some of us are Muslimsイスラム教徒, Some of us are Jewsユダヤ教徒, and some of us are Hindusヒンズー教徒, and some of us are non-believers, people who do not believe in any religions.

CD音声: We are shaped by every language and culture, drawn from every end of this earth,

教師肉声解説→ We, Americans, are shaped, or made by every language and culture. In America, there are many languages spoken, and people have many different cultural backgrounds, European culture, Hispanic 中南米系の culture, African culture, Indian culture, Chinese culture and Japanese culture. And those people originally came from many different parts of the world.

CD音声: and because we have tasted the bitter swill of civil war and segregation,

教師肉声解説→ we Americans have gone through difficult times, had bitter experiences, we had civil war 南北戦争 and segregation 隔離政策 in which blacks were separated from whites

CD音声: and emerged from that dark chapter stronger and more united,

教師肉声解説→ those were dark days, but we have come out of those days in the 21st century and now we are stronger than civil war years 南北戦争時代 and we are more united, blacks and whites and native Americans and Asians are living in harmony as one nation

CD音声: we cannot help but believe that the old hatreds shall someday pass


教師肉声解説→ it is difficult NOT to believe, or we strongly believe, that old hatred 憎しみ … today we talk about ヘイトスピーチ or hate speeches, hatred is the same as hate 憎しみ , so we strongly believe old hatred will someday go away, disappear and we will love each other

2/18/2016

授業観察の感想

【教師の発音の要改善点】

(1)語末のN

WheN you read ...
WheN you are sleepy ...
caN he swim ..
opeN your textbook

(ついでに、text が、 tekist になっている)


(2)文中の the

時折、センテンスの中だと za  za となっている。

down to the river → down to za river

with a splash →  wiz a sprash


(3)語末の有声閉鎖音を強調しすぎて、ほとんど母音が付加されることが多い。


(4) スィとシ 

what situation が、 what shituation に聞こえる。

(5) 曖昧であるべき母音が曖昧でない

how about other studnts → how about other studEnts


【CD音源と教師の肉声の使い分け・棲み分けに対する意識の欠如あるいは不足】

すばらしい、感情のこもったCD音源であった。イントネーションや、文脈からくる強弱など、生徒に十分に聞かせたい、知覚させたい、

たとえば、 This MORNing, I was HAPpy about EVErything のピッチの上げ下げなど、是非是非意識させ(てみにつけさ)たい。

このような、意識させたい音声現象がたくさんあるCDなのだが、それを確か一回聞かせただけ。

しかも「ここは悲しい音楽があう」「ここは楽しい音楽があう」という部分を見つけよう、という意味ベースの指示によって聞かせているので、生徒の注意は意味にいき、フォームにはほとんどいかない。

あれだけのCD音源がもったいない!

【生徒の音声に対する改善アドバイスの欠如あるいは不足】

ご多分に漏れず、コーラスリーディングでのアドバイスはゼロ。個人リーディングでのアドバイスはまったく不足、あるいはほとんどゼロ。うーん、残念。

遠くに叫んでいるべきところは、もっとそれらしく、といったレベルの「フィードバック」はあったが、決定的なミスに対するフィードバックはなし。

例えば、

僕だよ、友人のガマだよ!

it's ME.  it's YOUR friend, TOAD!  (CDのプロソディ)

に対して、個人で当てられた生徒が

it's ME. it's your FRIEND, toad?

のように、意味(と音声、プロソディの結びつき)がわかっていないため、Toadのプロソディを決定的に間違ってた時も、聞いているのかいないのか、

hm mm

といって、聞き流すのみ。

うーん、残念。。。 教えればもっともっとうまくなるのに。。。

【時間の使い方】

50分間のもっとも効率的な使い方として、極端なはなし、あのすばらしい音源CDだけを(和訳を見せながら意味を意識させながら)時間の限り聴かせるのと、今回のような、生徒に問いかけつつの肉声によるゆっくり紙芝居を比較した時、どうなのだろう、という根本的な疑問。



2/10/2016

見学、参観、観察、視察

授業を見に行く、見に来ることを表現するとき、どういう立場の人間が、どういう目的で、どういう立場の人間の授業を見るのかで、日本語表現は変わるはずである。

「見学」というのは見て学ぶわけなので、見る側を、見られる側よりも下においた表現である。

実習生が指導教員の授業を見学する、とか、成果を上げているといわれる学校の授業を、他校の教員が見学する、などである。

「参観」は、単に参加して観る、ということなので、そのような上下関係は含意しない。

父母が授業を参観する、などである。

「観察」、となるとまったくニュートラルな語である。

授業観察 class observation

「視察」というのは、おエライさんが上から目線で inspect する、という含意だろう。あまり詳しく見ないでさっと表面を見る、というニュアンスも感じる。

なぜこんなことを書いているかというと、授業改善のために、ある授業の観察に外部の人間を呼ぶときに、

「授業を見学」

と書く人が結構いるからだ。学生ならまだしも、いい大人にも時々いるのだ。

授業を見て「いただいて」、「ご」指導を「賜る」相手に対して、「見て学べ」とは、無礼千万。

2/06/2016

スポットライトの快感とプレッシャー

初めてスポットライトを浴びながら、しかも本物のサックス奏者に適当に合いの手(愛の手?)をいれてもらいながらザフーンポケットサックスを演奏してしまった。これは病みつきになりそうな予感。

しかし音楽愛好家たちに囲まれながら演奏するのは、あ、間違えたのがわかるだろう、あ、ビブラートがおかしいのがわかるだろ、あ、音が飛んだのがわかるだろう、ということを終始気にしてしまうので、プレッシャーが大きいものである。

英語の初心者が英語の達人の前で話すのもそういうことなのだろう。