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3/15/2025

「終わらせる」じゃない

 ハードディスクを整理していたら、以前ブログに一旦書いた後に削除した(らしい)文章が出てきた。もう記憶が定かではないが、教育実習の訪問指導に行き、そこで聞いた出来事に憤慨してブログにアップしたが、当該の実習生が特定されて差支えがあるかも、と思い直してお蔵入りにしたようだ。しかし自分で記憶が薄れたくらいなのでもう少なくとも5年はまえだろうからもはや差し支えはないので、ここにアップする。自画自賛だが、今見直しても、なかなか良いことを書いていると(私は)思っている。

--ここから---
実習生が授業したところ、review の教材の発音が出来ていない生徒が多いことを発見したので、その発音を全員ができるようになるまでガンバり、結果的にその時間は review で終わったそうな。

すると指導教員にオコラレタそうな。曰く、「それでは決まった単元が終わらない」
実習生、エライ。
指導教員、アホか。
単元が終わる、って何なんだろね。
発音に限らないけど、身につけるべきスキルが身につかないのに、単元だの範囲だのを「終わらせる」ことに何の意味がある?
ないよ。
そういう姿勢だから1年たっても3年たっても、マトモな英語が使える生徒が育たないのだ。
決まった単元って何だ? 誰が決めたんだ? 他人が作った教科書の単元だろう。そんなものを「終わらせる」より、目の前の生徒が「できる」ようにならせてやることのほうが、ずっと大切だろ。
そんなに「終わらせる」のが気になるなら、前から言っているように、1年の最初に、教科書のすべての本文の丁寧な解説と和訳とCDを与えておけ。それなら最初から「終わっている」だろ。
その上で、教室では、対面のコーチングでしか向上しないスキルに集中して、ひとつでもふたつでも「できる」ようにしてやれよ。
「範囲がどうの、終わらせるのどうの」ということを言う教師は、何かを根本的に考え違いしている。
目の前の生徒を見ろよ。