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10/27/2012

『音トレーニングドリル』出来ました!


ジャーン!!

このたび、アルク(株)より、

発音入門 音トレーニングドリル

出しました。



家庭学習でも授業でも使えます。

ざっくり言うと、『絶対発音力』のアプローチをベースにして、高校生用に書きなおし、授業でも宿題としても使いやすいように構成し、新作の「575」もふんだんに盛り込んだ、というイメージです。

学校採択のみなので、先生方、是非サンプルを請求してみてください。

英語の発音で人格(?)の印象が変わる

今日の学会では以前から知っている人が英語で話すのを初めて聞く、というケースが2つあった。

ひとつは、え~!!!というほどひどく、あまりにも情けない発音で、おいおいおい。。。こっちがいたたまれなくなった。いくらなんでも恥ずかしいでしょ、というレベル。easyをイージー、はないでしょ。生徒じゃないんだから。

もうひとつは、日本語での話し方はどちらかというと方言アクセントでとつとつと話すという印象を持っていた人だったのだが、英語を話すのを聞いて、ビックリ!!おおうまい。歯切れがいい。当意即妙。

これでこのふたりに対する印象は180度変わった。

10/26/2012

英語教師のスキルは1次元じゃないね

教育実習生の授業を観た。

発音はかなりひどかった。

のだが、全体には観ていて楽しい気持ちになる授業だった。

というのは、学生がその場を、教えることを、子どもたちとのインタラクションを心から楽しんでいることが伝わってくる授業だったからだ。

当然、子どもたちも彼女とのやりとりを楽しんでいる。

教師の表情、ちょっとした目付き、仕草、間のとり方、そのすべてが魅力的で、子どもをよく掌握し、コントロールしていた。

個々の指導も行き届いていた。

発音はこれから鍛えれば直ると思う。

しかし、教えられるスキルと教えられないスキルがある。

彼女は、教えられないスキル、というか資質の部分ですばらしいものを持っている。

現場に出るまでにはすばらしい教師になると思う。

10/23/2012

英語のアクセントも高低だろ

「英語のアクセントは日本語と違って強弱だ」という例の決まり文句は、やっぱりまずいようである。

実際、専門書によれば、stressの正体は、pitch > duration > intensity の順番でこの3つがくっついている、となっている場合が多い。intensity はどちらかというとどうでもいい、的な記述もある。

日本語標準アクセントでの、箸 と 橋 の関係になぞらえて

record (名) と record (動)

の関係を説明(もちろん母音のqualityとdurationについては補足するにせよ)したほうがいのではないかな、と思い至った。

昨日、citizen という単語で、「ciが強いです」といいながら発音するとどうしても oOo としか言えない学生がいた。

つまり、ある音節、パートを「強く」言う、というイメージができないのである。

だから、これを、

「進歩」「粘度」「今度」

などとと同じ雰囲気で言ってみろ、

という指導をすれば一発で解決するはずだ。

日本語は高低アクセント、だが、英語は高低プラス長短アクセントなんだよ、という指導に切り替えよう。

なお、じゃあイントネーションとのカラミはどうなるの?という質問が出そうだが、

箸?  橋?

と、

record?(名) record?(動)

はパラレルでしょ。



10/21/2012

教師はヘルパーだから

教師はヘルパーなので、当たり前ながら、ヘルプを必要としている人に、より切実に必要なものである。

だから大学より高校、高校より中学、で教師の役割は大きい。

また上位者より中位者、中位者より下位者にとって、教師の必要性は大きい。

だから「より高度なことが教えられるから、ボクは中学校教師より高校教師になりたいです」というような学生にはどうしても違和感を覚えずにはいられない。

いずれにせよ、英語の授業で「高度な知識を伝授してやろう」というような姿勢がある教師は、生徒にとってありがたくない。

知識というより、スキルを上達させようという姿勢、スポーツコーチのような姿勢、サマーキャンプの指導者のような姿勢、がないと。

理論が好きなら研究者になりなさい。

Teaching is a practical business.

大東文化大学 箱根駅伝出場決定!

3年ぶりの出場決定。イェ~!! ガンバレ~!!

10/17/2012

残念なこと: 英語教師の英語

英語の教師が運営する催しで、生徒を聴衆にして英語教師が言う英語の発音や表現がまずい、というのは絶対にまずいでしょう。

そんなことは当たり前なのだから、どうして事前にプロとして、お互いに二重三重のチェックをする、というようなつもりがないのでしょうか。

つもり、というか仕組み。

悪しきプライドか。

ヒトのことを言えるほど自分も大したことない、という自信のなさと遠慮か。

だがどんなに言い訳しても、その英語を聞く生徒たちにたいする愛情がない、ということになるのではないかと思ってしまう。

自分(たち)のメンツを生徒への正しいインプットよりも優先する、という恥ずべき体質。

恥を知れ。(←私の最初に勤めた学校の校訓)

嬉しかったこと: 変顔グルグル

ことしから非常勤で教えはじめた教え子が、

「授業は本当に楽しいです!!」

「目の前の生徒をまずなんとか、と思います!!」

と喜色満面で報告してくれたこと。

教師が「授業は本当に楽しい」と感じていれば生徒もそう感じていないはずはない。

「目の前の生徒」という表現がでてきたのも素敵である。

コミュニケーションをとるために、グルグルの最中、生徒が目標のフレーズを言おうとした瞬間、彼(教師)が変顔をして、生徒が吹き出し、「はいダメね!!」と言って、次に移った、という信じがたい高度な技も。。。

感動しました。

10/12/2012

感動したこと 命より店

行きつけの床屋さんが狭心症の疑いがあるという。

が、1人でやっている店を休んで病院にはいけないので、検査をするのは早くて年内、ひょっとすると2月か3月になる、という。

いや、おひとりでやっているんだから、1日お店を休んで早めに検査にいったらどうですかね。

いや、1日休んで失うお客さんがいることを思うと怖くて休めませんよ。

でも、命にかかわることですから、そっちのほうが優先でしょ?

いや、自分が死んでも保険がありますけど、店が死んだら女房子供が路頭に迷いますから。

なるほど。たしかに。エライな。

カラオケボックスで日本がもっと好きになりました

昨晩のTVで、インドネシアからの留学生が言っていたこと。

そのこころは、カラオケの日本語の歌には漢字にすべてルビが振ってあるので、最高の日本語教材になるのです、と。

一番最初に覚えた歌は平井堅の「瞳を閉じて」です、と。日本語学校の教材には「瞳」は出て来ませんでした、と。

なるほど~

確かにね。日本語の場合は非漢字圏の学習者にとっては漢字が最大の障壁になるのでしょうからね。

英語のカラオケにも同じようなことが言える。最高の英語教材になるのだ。ただし、ルビを読んでいるといつまでたっても歌えない、ということがわかるという意味で。

音符に対応する音節で発音しないとダメだ、ということがわかるという意味で。

嬉しいこと

嬉しいこと

たぶん、これまで発音なんて考えたこともなかった、

英文の暗記なんて死ぬほど苦手だった、

毎週が地獄だと思っていた、

最初は1行もまともに覚えて来(られ)なかった、

男子学生(たち)が、

鬼将軍に脅されたり、すかされたり、おだてられたりした結果、

毎回、きちんと100語以上覚えてくるようになり、

徐々にきちんとした発音ができるようになり、

すぐに合格がゲットできるうよになり

そんな自分に自分で驚き、

自分で達成できることによろこび、

生まれ変わったようになったこと。

もちろん女子学生でも嬉しいが、概して女子は発音にももともと関心があり、まじめだから、ある意味、それほど意外性はない。

だが、男子はその逆の場合も多いので、とくにじわりと嬉しいねぇ。。。

10/11/2012

新技: 口パク・シンクロ・リピーティング(KSR)

ちょっと前からやっていて、これはいい、と思い、今日になって晴れて命名した技がありますので紹介します。

「口パク・シンクロ・リピーティング」(長いか。。。)

口パクするのは教師です。

以前から、口を酸っぱくして言っていますが、生徒が何か(英語)を言っているときは、教師はかならず黙らねばなりません。リードしようとして一緒に声をだす教師が多いのですが、生徒の音声が聞こえなくなりますから、ダメです。

ただリードはしてやりたい。しかし生徒の音声は聞きたい。

その二律背反を弁証法的に解決するのが、この技、口パク・リピーティング。

通常の repeat after me は、教師が言って、そのあとに生徒が言います。

その生徒がいう時に、教師が、同時に口パクで言うのです。しかも唇や舌を大きく動かして。

生徒はその教師の発音器官の動きを見ながら、真似し、かつテンポもシンクロするように発音します。

もともとはグルグルで始めました。どうしても、Rで lip rounding
をするのを忘れる生徒、THで舌を使い忘れる生徒、Vで両唇を使ってしまう生徒を、その場で補助、というか、矯正、するために、彼らがグルグルで発話している時、目の前で同時に大げさに口パクしてやる、というものです。

これは効果があります。もちろん補助輪なので最終的には目の前に口パクモデルがなくてもできなくてはなりませんが、その前段階としては、非常に有効な
scaffolding です。

で、それをグルグルだけでなく、一斉リピート練習のときにも使う、ということです。もちろん、教科書から顔を挙げさせ、こちらを向かせる、という意図もあり、それが前提でもあります。

前から見て明らかに見える発音は結構あります。TH, F, V, W, R, L、Bなど、主要な子音はすべて可視化できます。

次の授業で試してみてください。

何も言わなくても、こちらの意図を察して口パクをシンクロしてくる生徒は、少なくとも2割くらいはいますよ。

口パク・シンクロ・リピーティング、がながければ、「パックロ」でいいか。それともKSRがいいか。。

10/10/2012

教室でコミュニケーションしてたら始まらんだろ

英語の授業を「英語でコミュニケーションする場にしよう」という考えは、根本的におかしいだろ。

サッカーの指導で、「サッカーの練習はすべて試合する場にしよう」という考えと同じくらいおかしいだろ。

笛を吹いて集めて指導してもいかん、基本練習させてもいかん、ということか。

まんぜんと試合ばかりして反省もなければそれ以上のレベルに上達せんとちゃうの?

つうか試合やってれば試合がうまくなる、というのはサッカーをなめてんで。

そんなんやったら指導者いらんやろ。

「学習指導要領には」は禁句にしよう

生徒指導で、校則にはこうあるから、というのを禁句にしよう。

英語指導で、学習指導要領にはこうあるから、というのを禁句にしよう。

てめえの頭で考えたことをてめえの言葉で語ろう。

人のふんどしで相撲をとるのをやめよう。

いかに無難な公務員であるかばかり考えるのはやめよう。

いかによい教師であるかを考えよう。

いかに目の前の生徒たちに役に立つかを考えよう。

思考停止はやめよう。

どっかのエライ人が言っていたことだから正しいことだと押し付けるのはやめよう。

てめえの頭で考えよう。

真実は目の前にある。

教室の床に、ほらそこに、落ちている。

生徒の目のなかにある。

誰かの言うことには耳を貸さなくてイイ。

生徒の目を見ればいい。

あなたの生徒たちの目が、あなたにとって最高の、「学習指導要領」だ。

10/07/2012

文法用語を教えないでも文が書けるようになるんですか?

(英語科教育法を受講している学生へのメール)

--

◯◯君、メールありがとう。

文法用語については、基本姿勢は、

用語というよりも、その用語が表している現象を理解させる

ことが大切です。

で、そのためには、用語は精選して、必要最小限に抑える必要があると思います。

それから、文法(の参考書)というのは、いろいろ言語を分析して分類した結果を記述するのが仕事なので、ややもすると分類のための分類になる傾向があります。

例えば、現在完了の、完了、経験、結果というのも、

have + 過去分詞

で、今現在、すでに終わっている、という状態を持って(have)している

のが本質であり、それが文脈によって、

終わっているという点が焦点になったり

そういう経験をしたとうい点が焦点になったり、

今までずっと続いていた、という点が焦点になったりする

とも考えられます。

だから指導にあたっては、いたずらに分類のラベルをつけさせるというよりも、have + 過去分詞 がもっている本質的なイメージを伝える、のが大切なわけです。

また別の例だと、

It is ... for .... to ..

は、まず~だよ、と言ってから、何のことかというのを to .. 以下で説明するんだよ、

というのが必要十分な説明であって、

この it は仮主語という、というのは憶えても覚えなくてもいい用語、です。

別の例では、「現在分詞」の「分詞」ですが、君自身、分詞ってなにか説明できますか?これなどはまあ説明に多用されるから憶えておいたほうがいい用語とは思いますが、-ing形という用語を使おう、という主張をする人もいます。

すると、現在分詞は、 ing形の形容詞的な使い方、であり、 動名詞は、ing形の 名詞的な使い方、とも言えます。

またたとえば、分詞構文、独立分詞構文、付帯状況を表す云々。。というあたりも初心者にはとてもハードルの高い用語、それだけで難しく感じてしまう用語です。分詞構文は、 ing形の副詞的な使い方、という説明をすることも可能でしょう。

まあ、ともかく言いたいのは、文法を教えることと、文法用語のラベルを教えることは決してイコールでないこと、本当によい教師は、ラベルはなるべく少なくして、日常的なことばで、文法現象の本質を説明できること、が必要だということです。

だから、「用語」を知らなければ文が作れない、ということは、まったくないです。わかってもらえるかな?第◯文型、という番号をしらなくても、その◯文型の文を作ることは十分可能です。

10/06/2012

授業にテーマなんか要らない

中学に勤める友人と話していて、そうだよな~、という話になったのが、研究授業などの、テーマというやつ。

その友人は、研究授業などの教案に、◯◯の☓☓を伸ばすための△△の工夫する授業、などという美辞麗句を書くことが「しんどい」と。

英語の授業なんだから、教材にかかわらず、単語を教えて、練習させて、意味をわからせて、音読させて、read and look up させて、ペアワークさせて、自分のことを言わせて etc の、あたりまえのことをあたりまえにやるだけなので、いちいち、内容のないようなテーマを書くのが気恥ずかしい、と。

ほんとうにそうでしょ。

ちょっと違うけれど、SELHiで、学校ごとに独自のテーマを設定していろいろやる、というのもおかしな話だと思っていた。他の学校でやらない独自のことをやる必要はないでしょ。

生徒にとってもっとも良い英語教育を追求した結果、隣の学校と同じ実践に行き着いた、というので全然問題ないでしょ。

独自のことをやろう、というのは気持ちが間違っている。

生徒にとってベストのことをやろう、のはず。

教案書く暇があったら

教材観だの生徒観だの指導要領とのからみだの、時間をかけて教案を書いている暇があったら、その日の教材を完璧に音読して暗唱して授業に臨めるトレーニングに当てたほうがいい。

教案には、その日扱うテキストと、おおまかな流れの箇条書き(と、自分が言う英語、オーラルインタラクションの英語)があればそれで必要かつ十分。

英語の授業なんだから、その日のテキストが理解できて音声化できて、できれば出てきた表現をつかって何か言ったり書いたりできるようにする、のに決まっているのだから、目標だのなんだの改めて書く必要はないです。

御託は要りません。

頭から降らせた!

あるところに、学生の恨みをかっている教員がいた。学生に対する厳しい言動が彼らをして、いつかあいつを懲らしめてやろう、という怨念につながった。

学生たちはあるところに一斗缶を設置し、そこにみんなで大便をためこんだ。

件の教員は朝、学生指導をするために、玄関で仁王立ちになって、学生を待ち構えるという行動パタンがあった。

ある日、彼がひとりで、いつものように玄関に立って学生を待ち構えていたその瞬間、頭の上から大量の人糞がドバドバ!!

この事件のあともその教師は学生に対する接し方を変えることはなかった、という。

教師も学生もどっちもあっぱれ、スゴイではないか。

まるで夏目漱石の「坊っちゃん」の世界である。



「きれいな研究」がしたいって。。。

キレイな研究がしたいんです、と言った英語教育研究者がいたそうな。

教室での生徒との生身の「格闘」を捨象した「キレイな」研究が、世の中に役立たないことは間違いない。

浮世離れした連中が跋扈するこの業界。

浮世離れした研究を追求するのは個人の自由だが、そういう人達が現実の教室を抱える中高の教員を「導こう」とするのは驕りだし、ミスリードにつながるし、逆にそれをありがたがる中高教員が多いのは彼らの自信の無さ、能力のなさの証であって悲しいことである。

10/05/2012

怒鳴る大学教師

きょうは授業で学生を怒鳴りあげた。

お前ら、バカか! そんな自分の時間を無駄にするようなことをしてどうする!!!! と。

そういうノリの大学教員は普通はいない。人種が違うのだ、と思う。

私は、教えて授ける教授よりも、教えて諭す教諭でありたい。

そういえば昔の教え子が言っていた:

「『先生』と『教授』の違いがわかりました! 先生は教授になれますが、教授は先生にはなれません。」

Can do Can do とキャンキャン言うな

CEFR との絡みで、猫も杓子も Can Do Can Do....

何の役に立つでしょう。

当たり前の授業を、当たり前に行うことのほうが、ずっと大切です。

10/02/2012

ICT がくだらない、のはコンテント科目ではないからだ。

ICTくだらん、と言ったことの補足。

社会科とか理科はコンテント科目だ。だから、世界遺産に指定されている建造物とか、珍しい生物の実態とかを映像で見せることができれば、それこそ百聞は一見にしかず、で、効果は絶大である。だからそういう科目には ICT の発達は福音である。

しかしわが英語科はそうではない。世界遺産に指定されている建造物の様子が non-verbally に分かっても、それだけでは何の意味もない。その建造物の様子を、コトバで、verbally に表現できるようになって、あるいは理解できるようになって、初めて価値がでる。

その当たり前のことを理解していない英語教員が多いのだと思う。教科書のテキストで扱っている題材自体のビジュアルイメージを提示して、生徒に「おお!なるほど!!」と思わせること自体が英語授業として価値がある、と勘違いしているのだ。

ビジュアルイメージはあるに越したことはないが、最終的に生徒の頭に残るのがその non-verbal content だけではまったく意味がない。ICT を使うなら、英語自体が頭に残る使い方をせねば。