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4/30/2012

単独でもN

an は アン で、 American は アメリカン だが、

an American になると アナメ...

になる、と誤解していました、という告白を聞いた。

なるほど。そう思っているひとが実際に教員のなかにもいるのだなぁ..

「an は アン だが American が続くと アナ...になる」 のではもちろんなく、

後ろに何が続こうが続くまいが、単体として an は、

 

である。

4/29/2012

気持ち悪くなる


(1)きちんとした発音に対する耳ができてくると、そうでない発音が気持ち悪くなのです。他の生徒の発音も、発音の悪い教師の発音も。

(2)きちんとした発音をしないとまずいな、という雰囲気を教室に作り出すのは、その教室を仕切っている教師の責任です。

4/27/2012

美容整形と英語教育

「クレオパトラな女たち」というドラマを見だした。

美容整形専門の街のクリニックに心ならずも勤め始めた大学病院出身の若手男性医師が主人公なのだが、見だしてみると予想に反して、結構深い...

先週、心に響いたセリフがあった。

「大学病院での医学研究よりも、(開業医として日々美容整形に従事している)私たちのほうが患者さんの心に寄り添っているんです」

うん。

「大学病院での医学研究」を、「大学の研究者が行う英語教育研究」

「私たち」を、「日々授業という仕事で生徒と格闘・奮闘している現場教師」

「患者さん」を「生徒・学生」

と置き換えると、我々の分野にも通じるメッセージだな、と感じた。

4/24/2012

英語にもズーズー弁はあった

with を ウィズ

the を ザ

that を ザット

とか言うあの聞き苦しい英語は、考えて見れば

英語のズーズー弁

だな....


ズ~ズ~ズ~ズ~

うっとしいわ、ほんま....

4/22/2012

遅刻するなら来るな

各位

遅くとも授業開始の5分前には揃っているよう願います。

1秒でも遅刻するようであれば、欠席でお願いします。

授業は定刻にキックオフします。前もって揃い、体を温めてください。

ギリギリに来ようと思うから、ちょっとバスが遅れたくらいで遅刻するのです。30分前にはキャンパスに着くつもりであれば、余裕をもって来られます。

それが大人です。

朝晩thを50回ずつ言おう

私が今年担当している学生への一斉送信です。

--

中学1年以来、ずっと

the



za

と言っていた悪い習慣を直す時が来ました。

thは決してzではありません。

舌先を上前歯に軽くつけて、その間から息を出す音です。

慣れないと「変な」感じがします。

しかし、世界中の人がそうやってthを発音しています。

the を za と言うほうが、世界基準でみるとよほど

変な

ことなのです。

then は zen (禅)ではないです。

世界の常識に早く慣れましょう。

朝晩、the を50回ずつ言うことを薦めます。

靜 哲人

4/21/2012

寝ている学生を起こさない先生って何だ?

昔、同じ職場の先輩が、

「いやあ、○○学部の学生は、何人もこうやって(机に突っ伏して)寝てるんだよ..」

(私)「じゃあ起こせばいいじゃないですかぁ!」

「いやあ、そういうことすると、今はいろいろ言われるから..」

と言った瞬間、彼の教員としての評価は私の中でゼロになった。

だいたい「いろいろ」ってなんじゃい?! 授業中に寝ている学生を起こすのは当たり前だろうが。人として失礼だし。

自分の授業で学生が寝ているのを放置しているようでは、どんな「英語教育研究」の業績を積んでもどんな論文を書いても、全く無意味である。

無・意・味。

仮にも英語教育を語るのであれば、学生が寝ないような授業をするか、寝たら起こすか、せめてどっちかをしてからにせぇよ。

予習してこない学生...?

私は以前、ある大学の講師室で、


今年の学生は予習してきませんなあ..」


と年配の教員が(偉そうに)嘆くのを聞き、

「はあ? 予習してこないのはあなたの授業は not worth preparing for だと思われてるってことですよ。そんな自分の恥をよく人に言って恥ずかしくないですねえ。予習させたかったら、予習してきたから良かったなあ、という感覚を、予習してこなかったらマズカッたなあ、という感覚を抱かざるを得ないような活動を授業中にしなさいよ。

と(心の中で)言ったことがありました。

相手(教員)によって学生も生徒も全然違うからね。


Whether or not and how well your students prepare for your class is a function of the quality of your class.  

4/19/2012

英語の授業は楽しい

勤務校が新しくなって変わったことのひとつに、「英語」の授業がまた持てるようになったことがあります。

英語教員になって4半世紀以上、ずっと(当たり前ですが)英語を教えていましたが、埼玉大学に移った時点で、「英語」の授業の担当がなくなりました。名前はいろいろですが、英語教育関係の専門科目だけ、になったからです。

ただ、私のもつ「英語科指導法」とか「教職入門」は、名前に拘わらず、その半分以上いやほとんどが受講者の英語運用力のレベルアップを狙ったトレーニングなので、実質的には「英語」の授業と言っていいものです。いいものなのですが、やはり、「英語」それ自体の授業ではありません。

英語教師なのに、英語の授業がない、というパラドックスに、多少の寂しさ、というか、英語教師としての心棒がなくなっているような、妙な感覚がありました。

大学の英語の先生のなかには、いわゆる専門科目とか大学院の科目を持ちたがり、学部のいわゆる一般教養の英語科目をいちだん低いものに見ている方も少なくないように見えます。

私は本質的に英語の教員なので、英語を教えている時、学生の英語を鍛えている時が、もっとも充実し、満足を感じる至福の瞬間です。

大先輩(大学の先生)が先日、「生涯一英語教師でありたい」とおっしゃいました。

いい言葉だな、と思いました。

4/13/2012

学生との間合いをつめるグルグル

ようやく昨日で、すべての授業の第1回が終わり、一巡しました。今年は勤務先の変更に伴って変則的で、非常勤も併せて4つの大学で合計週に11コマを担当することになり(50分授業に換算して22時間!)、11の異なるクラス集団とのめまぐるしい初対面が終わりました。

で、一人のクラスを除いて、すべての最初の授業でグルグル(あるいはその変種)をやったのですが、結果感じたのは、やっぱりグルグルは頼れるな、ということです。

初対面にも拘わらず、学生ひとりひとりと50センチの間で対峙することによって、いわば、ぐっと「間合いをつめる」ことができ、一斉授業で話している時には起こり得ないことが起こります。

無表情に講義を受けているのとはまったく違い、すぐに彼らの本当の喜怒哀楽が出現するのでこちらとしては、名前は知らなくとも、かなりの数の学生の顔はすでに覚えてしまいましたし、学生の側にもすでに1回目から「マルをいただけたときは本当にうれしく、是非この先生のもとで学んでみたい、と思いました」という感想をもってくれた人もいます。

とくに初対面のクラスでは、相手のレベルを見分けて、そのレベルプラス1程度にタスクを設定することが大事ですね。その調整は主としてグルグルに使用する英文題材の表現や、1チャンクの長さ、あるいは話さねばならないスピードを変えることによって行うもので、個々の発音の基準は極端には変えません。

変えると言えば変えますが、発音の要求レベルも相手のレベルプラス1に設定するということです。例えば、/r/もできない子ならそれを最優先にしますし、/r/は問題なければ/l/の基準を厳しくしますし、それも問題なければ/z/ と /dz/ の違いや、語中や語末の /n/ なども要求します。要は、目の前の相手を、1ランクアップさせてあげるにはどうするかを考えます。

視力検査のように、このあたりは見えるかな? ここならどうかな?と相手の表情や反応を見ながら英語を話すスピードや、日本語との使用の割合や、使う表現のレベルを調整しながら、相手にとってちょうどいいレベル(=彼らが、「頑張れば対応できそうだけど、すこし焦燥感も感じる」というレベル)を見つけ出す、という作業は、考えてみればテスティングで言う、adaptive test の原理と同じなのですが、本当に重要だな、と思います。

そのためには、いまさらですが、自由自在に英語のレベルを変えて話すことのできる教師英語力、文法用語などはつかわず文法事項を簡潔に理解させる説明力、がキーとなると思います(学生がなにかを知らないことが判明したら、簡潔にその場で教えればよいわけですから)。

幸い、11クラスのすべてがやる気のある学生に満ちていて、今年も楽しい一年になりそうです。そう感じられたのはグルグルをやったからだと思います。やる気、は引き出すものです。

Motivation in students is not something already there waiting for you; it's something YOU create in them.

みなさんも是非。

4/07/2012

自己表現よりタコ表現

春爛漫。新学期が始まって新しい出会いにときめいていることと思います。

さてよく「自己表現」させることがありますね。私もこれまでいろいろなクラスで英語で自分の意見を書かせる実践をしてきました。(自己表現、という大げさな表現は、どこかがおかしいと思うので使ったことはありませんが。)

Reading in Action の本文に関連して意見を100語くらい書かせたり、心技体の指定した本文について100~200語くらい意見を書かせたり、でした。

提出されたら目を通し、赤を入れました。力がやや弱い学生なら、訂正表現を赤で書き込み、自力で気付きそうな学生なら下線のみつけたり、「意味わからん」と書いたり、です。

(その際大事なのは、訂正表現を教えてもらったら学生が「なるほど、それなら次からは使おう」と思うレベルの表現、つまりその学生のレベル+1(いわば、i + 1 でなく、o(utput) + 1) の表現を教える、ということです)

典型的で全体でシェアしたいミスなら自分にわかるような記号をつけておき、あとでまとめてPCにうって、授業前に to be corrected という件名とともに、メール送付し、訂正を考えさせ、次の授業では、訂正セッションをしました。

全員立たせて始め、スクリーンにうつした誤文(作者名あり)に対して、訂正方法を挙手して発表させ、OKなら座らせ、最後まで残った学生には、その時々で適当になにかやらせる(最近練習していた歌を1コーラス歌わせる、とか、なにかの英語芸とか)、という感じでした。

学期最後には、それまで自分が提出した作文の修正版をまとめて提出させました。

以上のような「自己表現」は、これはこれである程度の手応えはあったのですが、限界というか非効率さも感じました。それは、訂正表現は教えますが、あくまでベースがその学生が手持ちの表現のなかだけでの勝負になるので、ある程度になるとあとは堂々巡りというか、同じレベルで足踏みを続けるようなことになる、という感覚です。

一方、自分の意見を書く「自己表現」にはなじないようなfactual な授業内容の場合は、自分で英文を考えさせるのではなく、あらかじめこちらが考えた英文を与えてしまい、それを暗記してくることを求める、という実践も昨年から始めました。

例えば、達人マニュアルに関連してテスティング(妥当性がどうとか、信頼性がどうとか)の話とか、音声学の音声事象に関して、とかです。これらの場合は、項目弁別力とは何か、とか、aspirationとはなにかについて100語くらいの英文を予め与えて覚えさせました。

これはその科目のコンテンツを理解させながら、その英語表現も同時に覚えるということですが、自分ではなかなか良い企画じゃないかと感じました。何人かの学生にも好評だったようです。

それで、上の2つの実践を考え併せてみた、今のところの結論ですが、今年は、「自己表現」の比率を減らし、あらかじめ与えておいた英文を覚えて書かせるいわば「他己表現」の比率を増やそうと思っています。

たとえば「心技体」ですが、今までは英文を書かせてくるのは自分の意見だけだったのですが、今年からは、心技体にもとづいて私(靜)の意見を英語で書いたもの(というのは、要は心技体の要約になりますね。心技体は全編、私の独断ですから(^^))を与えておいて、とにかくそれを覚えてこさせる、ほうをメインにしたい、ということです。

こうすることで、ベースがすくなくとも私の英語表現のレベルでの話になるので、学生が自力で考えた英文を部分的に添削するよりも、結果的に表現も増えるのではないかな、と考えています。

表現さえ増えれば、あとは、もし靜の意見が気に入らないと思えば、あとから自分で書きたければ、I totally disagree with
the idea that [靜の意見] とやれば、立派な自己表現になります。

もちろん、ゼロから自分の意見を書くという体験も大切なことなのですが、要はバランスで、それだけでは今自分がいるレベルから上に行くのは難しいのではないでしょうか。

自分自身のことを考えてみても、いつも自分で一からスピーチを書くだけでなく、時にはネイティブが書いた優れたスピーチを暗唱したほうが、表現力は増えるのではないか、という話です。表現さえ自分の手持ちのストックに残っていけば、次に本当の自分の自己表現をする時に使えるわけですから。

中学高校生の場合であっても、2~3種類の 「ready-made自己表現」を教師があらかじめ書いておいてそのうちのひとつを選んで覚えさせる、などの形は可能だと思います。

4/06/2012

fast って ファスト だったのか...

どうやら世の中には、

first は、ファースト 

で、

fast は ファスト

だ、

って思っている人が少なくないらしい、ということに気づいた。

速く言えば fast(速い)になるって、思っているわけでもないだろうが...

4/02/2012

当て推量でもマークさせる理由は?

初めてTOEICの監督をした。

CDに録音されたインストラクションの中で気になったことがあった。

「時間配分に気をつけて、多少分からなくてもとにかくすべてマークすることをお勧めします」

と趣旨の文言がCDに録音してあるのである。

受験者サイドの方略としては、マークしなければ確実に☓だが、マークさえしていれば○の可能性もゼロではないのだから、とにかく全部マークする、というのは正しい選択である。

しかし試験する側、テスターのサイドからすると、答えに確信があろうがなかろうが、何でもかんでもマークされる、というのはテスト得点の信頼性を落とされていしまう、つまり測定の精度を落とされてしまう、困った行為なのである。

それをなんとか防ごうと、昔からいろいろな修正公式(要は、白紙は0点だが、誤答は減点する、という方式によって当てずっぽうを防ごうという試み)が提案されてきているくらいなのである。

当てずっぽうと言ってもいろいろなレベルがあって、まったくのguessing から informed guessing まで無段階の continuum なので、完全に排除するのは不可能ではあるのだが、かといって、テストする側が、「とにかく全部マークしてください」という方略を奨励するというのは、すくなくとも理解に苦しむところである。

実際、試験の後にカフェテリアで昼食をとっていると周囲から、「途中で飽きちゃってさあ、全部同じにマークしちゃったよ」という無邪気な声も聞こえてきた。

それも無理も無いことである。

しかし、とにかく全部マークする、というbehaviorを、他ならぬテストする側が奨励することによって、テスト得点の誤差分散が大きくなっているのは間違いないだろう。テスト機関としては自分で自分の首を絞めているのではないだろうか。

It is not easy to understand, or guess, why TOEIC admins want the candidates to mark all items no matter what, even by guessing.

4/01/2012

「ベルクテスト」を始めました

日本人大学生に特化した新しいタイプの熟達度テストを仲間と共同で開発しました。

ベルクテスト(VELC Test)と言います。よろしくお願いします。

ウェブサイトトップはこちら ↓
http://www.velctest.org/index.html

開発者の声はこちら↓
http://www.velctest.org/group/voice.html