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12/24/2016

メール経由のサイクリカル発音指導

昨日の23:59を締め切りにして、50語程度の英文を音読してファイルにして送ってくる、という課題を出した。対象は約40名。

締め切りのだいたい48時間前から提出ファイルがひとつ、またひとつ、五月雨のように入ってきた。

ひとつのファイルは約30秒だが、5秒聞いてダメなものはダメだとすぐ分かる。パソコン向かって仕事をしながら、ファイルが入ってくるそばから聞き、即、「合格」か、「不合格」かを返信していった。

不合格の場合の文言のバリエーション:

不可でいいのか!? 再提出しろ。

モデル音声をよ~く聞け!

やりなおし!

LはL、RはR! 再提出。

などなど。締め切りまでには全員が少なくとも第一回の提出を終えたが、二度三度四度ととダメ出しをせざるを得なかった者もおり、昨晩は結局 2:00 AM までやりとりが続いた。(というか、実はいまこの時も、まだ数名とのやりとりが完結していない。)

もちろん、単にやり直しだけで気づかないと判断したら、どの単語のどの部分がどうなっているから修正せよ、という具体的な指摘も必要になった。

単にその場限りで終わる、授業中でのグルグルだけでなく、帰れま10ならぬ、発音ダメだといつまでも終われま10、みたいな、こういうメールベースの添削も時折やることが有効であろう、と最近感じている。

音声ファイルという動かぬ証拠も残るので、残念ながらどうしても不可をつけざるを得ない場合も、その評価の裏付けとなる強固なエビデンスにもなる。

生徒のモデルになれないような音読しかできない学生を、うちの大学から送り出して教育実習の教壇に立たせることはあってはならないし、じっさいにそういうことはしない。

We can't and we won't.


12/22/2016

「高校は『クソ』でした」

来春から教壇に立つ教え子が、採用された自治体での事前研修として中学と高校の授業の見学から帰ってきて言ったセリフがこれ。

「靜先生がOK出すような授業はいっこもないんですが、それでも中学のほうは、生徒の英語をなんとかしてやろうという気概を感じる先生が何人かいました」

「でも高校のほうは全員、やる気がないように感じちゃうというか、事務作業のようにたんたんと授業を進めてました」

「ここのところ語研の授業を何回か見ていたので、今の英語授業ってあんなものなのかなぁ。。と思ってたのですが、久々にその辺の『普通の』先生の授業を見てみて、ああぁあああ、まったく変わってないわ、と思いました」

「英語なんか全然つかっていませんね。えんえん日本語で解説してました」

「中学の先生は、『生徒を育てたい』という気持ちがあるのに対して、高校の先生は単に『知識を与えたい』という感じなんですね。初めて実感しました」

「帰国子女の先生がいて、もちろん先生自身の英語はうまいのですが、(ご多分に漏れず)そのうまさは生徒にまったく反映されていませんでした」

「教育実習と違って、どの授業でも自由に出入りしていいので、5分見て『あ、こりゃダメだわ』と思ったらさっさと出られたので、とっても楽でした」

感想:

(1)そんな授業をする教員がいる学校を、大事な採用予定者の研修場所に選ぶのか、教育委員会?

(2)そういう鋭い観察眼を持つまでに育ってくれて嬉しいね。

スタンバイとファストパス

先日の、ゼミディズニーからの話題。

多くのアトラクションは80分待ちとか90分待ちとかなのだが、事前に「予約」してファストパスというものをゲットすると、一定の時間帯に行けばそれほど待たずに乗れる、というシステムだという。

ファストパスって、fast path かな?と思っていて掲示をみると fast pass だった。なるほどね。

アトラクションの入口がふたつに別れていて、一方に

スタンバイ Stand By

他方に

ファストパス Fast Pass

とある。

で、思ったこと:

「スタンバイ」に合わせるなら「ファスパス」だよね。

逆に「ファストパス」に合わせるなら「スタンドバイ」だよね。

耳から入ったスタンバイ、目から入ったファストパス、なのだろう。

今年は良い年だったのは、ふたりのおかげ

大学そばのコーヒー屋に豆を買いに行った折、会計をしながらオヤジさんに「今年は良い年でしたか?」と聞かれて反射的に「良い年でしたよ」と口をついて出た。(するとオヤジさんは「それは良かったね。うちは最悪の年でしたよ。仕入先が何軒も潰れちゃって(云々)。。」と言っていたが。)

深く考えたわけでもないが思わず「良い年でした」と答えられたということは、良いことなのだと思う。

このコーヒー屋でのやりとりをきっかけに改めて振り返ってみて、今年もっとも幸せだったことは、アトムと夢が我が家にやってきたことだ。

このブログのタイトルでもある、わが息子、カイルは、実は2015年が明けてまもなく、天国に旅立ってしまった。

そう、あれはあの年の教職実践演習のまさに最終授業の当日だった。卒業しようとしている学生たちとの別れを惜しんで記念写真をとりつつも、気持ちはその日の早朝に旅立ってしまったカイルのもとに戻るため、一刻も早く家に帰らねば、と。。。

しばらく何をする気も起きず、というよりも世界が終わってしまったような感覚が続き、家からは一切の灯り、火、が消えてしまったようだった。

通勤電車に乗っても「(うちのカイルがいなくなったのに)なんで世の中の人間は何事もなかったかのように普通に生活しているんだ!?」という小学生、いや幼稚園児並みの自己中心的な怒りにも似た感情が沸き起こるのを抑えられない日々だった。

2015年からブログポストの数ががくっと減ったのも、カイルを失ったことが大きかったはずである。

そんな3ヶ月近くがたち、自分に言い聞かせるために、ようやくポストしたのが 「復活」:

http://cherryshusband.blogspot.jp/2015/04/resurrection.html

このポストのイラストと詩(rainbow bridge)は古くからの友人ソウルメイトの「おちいさん」が、ドイツから送ってくれたものだ。彼女のメールのおかげで、すこしは cope するのが楽になった。心から感謝している。

15年間、文字通り毎晩、枕元で一緒に寝てくれていた我が子カイルの一周忌が過ぎてしばらくして、アトムと夢を迎えた。

ふたりともおそらく酷い幼少期を送ってきたせいで、すでにかなり人間に対して偏見が強くなっていた。とくに夢のほうは、家の隅に隠れてしまってずっと顔をみせてくれないような日々が続き、このままひきこもりでずっといくのかなぁ、と半分あきらめにもにた日々を重ねて十ヶ月、いまではまあまあ、毎晩顔を見せてくれるようにはなった。

夢はいまだに目を合わせると、あるいは1m以内に近づくと、脱兎もとい脱ニャンコのごとく泡を食って逃げてしまうが、まあ最初のひきこもり女子の状態から見れば、よくぞここまで。。。

きっといつか心を許してくれて、触れるようになる。。。かな?

なるよ。







12/21/2016

PPAPについて

書こう書こうと思いながら、暇がなく書けなかったが、ようやく一息ついたので書く。

いままで「そんなの関係ねぇ」から「あるある探検隊」から「武勇伝武勇伝」から「ラッスンゴレライ」から「ダンソン!」まで、リズム芸がブレークするたびに、英語リズム練習として取り入れてきたのだが、今回のピコ太郎さんのPPAPは、取り入れる気にならない、マネする気にならない、初めてのリズム芸である。失礼ながらビジュアル的に見ていて不快だからである。

学生がある日、靜先生、これ見たら絶対怒りますよ、この人、I habe a apple って言ってますよ!といいながらピコ太郎さんの動画を見せてくれた。学生が何を思ったかしらないが、芸人さんの芸なのでまじめに起こるもへちまもない。

(ただ世界中でPPAPをやってみたという動画がアップされているが、見てみると、世界の動画はちゃんと I have an apple.となにげに発音している(当たり前か)。)

たしかに英語発音的にはひどいのだが、良い点を見つけるならば、アイハブア でなく、アイハバ と言ってくれていることである。つまり、have だか hab だかに母音挿入をしてハブと言ってからアを発音するのでなく、子音に直接つぎのアをリンクして、haba と言ってくれていることだ。

次はだれか、 マイネーミズ...というような発音のリズム芸を出してくれないかな。

大隅良典さんの英語

もうちょっと前ですが、テレビで5秒ほど流れたノーベル賞の大隅良典氏の英語スピーチを聞いて、そのきちんした英語に感銘を受けました(というか、安堵しました)。

5秒のなかに、truly  と、nurture という語が使われましたが、trulyでの rからlの切り替え、nurと tureの母音の音価から、「きちんと英語」であることが明白でした。

安堵したというのは、今までのノーベル賞受賞者には、どうしようもない英語の人も少なくなく、そのたびに、「ノーベル賞受賞者でもあんな英語なんだから、やっぱり発音はブロークンでも内容があればいいのね」という、よろしくないメッセージが世間に発信されており、英語教員として迷惑な思いをしていたからです。

大隅先生にせよ、山中先生にせよ、ああいう英語を世間の人が聞いて、一流の学者は英語も一流だ、というイメージが強まってくれることを一英語教員として願います。

12/20/2016

東松山キャンパス、年内授業終了し、動物園と、サービスモリモリ

1年生も2年生も、ある程度の達成感(私の側の)をもって終わることができた。授業終了後、開放感にまかせてキャンパス脇のこども動物公園を1時間ほどあるき回り、世界最小のシカ「プーズー」やら放し飼いされているマーラーやらを牛やら馬やらペンギンやらキリンやらシマウマやらを眺め、和む。

その後、もとゼミ生の4年生がバイトしているお好み焼き屋で夕食。ピリ辛ホルモンを頼むと彼女が「モリモリで!」と持ってきてくれたホルモンが通常の2倍いや3倍はあろうか、という量!う、嬉しい。。。悲鳴とはまさにこれ。もうこちとら高齢者ですからね、この量はさすがに無理だわ。お好みも頼んでるし。気持ちが嬉しので食べられるだけ食べましたが、無理せず残りはありがたく、持ち帰りにさせてもらいました。他にも鶏モモをサービスにしてくれたり、エビ玉のエビの数を増やしてくれたりと、改めて、な、なんていい子なんだ。。。 

卒業を間近に控えて、こういう関係になれていることが、じんわりと心にしみ、お腹も胸もいっぱいになって帰りました。

12/17/2016

あれから2年 ゼミディズニー再び

2013年度靜ゼミに続き、2015年度靜ゼミでも都合がついたメンバーだけでの Tokyo DisneySea でのオフ会を決行。



最高気温9℃の寒さの中、数十分待ちの絶叫マシンを満喫し、やたら高いのにちっとも腹を満たせないジャンクフードを食べ、みごとど真ん中の席を抽選で射止めたBig Band Beatショーを居眠りしつつ楽しみ、震える身体をみんなでスキップして温めてながら、イルミネーションが別世界を創り出す夜8時まで親睦を深めた。この子たちももうすぐ卒業かと思うと感慨深い。



親睦を深めすぎたのか、指導教員の影響が強すぎるのか、最後には女子ゼミ生まで私に風貌が似てきてしまい、行く末が不安である。。。 


(リアル靜+4人のミニ靜)

12/16/2016

260人の授業やりました

今日、生まれて初めて260名の授業を行いました。もっと多い数の大人相手に講演したことはありますが、この人数の生徒や学生に「講義」したのは初めてです。

なぜそんなに多い人数かというと、学科の2年生全員に対して、26名ほどいる学科教員がひとり1回ずつ自分の専門領域に絡めて講義する「知の森を覗く:英語学とその関連領域」というオムニバス講義で、今日1回分の担当が私だったのです。

じつは今日の講義に関しては、日程が決まってからずっと思い悩んでいました。260名のうち今まで一度でも授業で顔を合わせたことがあるのは三分の1より多い程度。残りは初対面で、この後もこれっきり顔を合わせない学生のほうが多いはずです。もちろんほとんど名前を顔もわかりません。そういうラポールもなく、コンロールのききにくい状況のなかで話をきちんと90分間聞かせるには、どういう内容と、どういう方法がよいのか、と。

英語(スキル)の授業をするなら200名でも300名でも30名と本質的には変わらず、いつも通りのイメージでできるはずです。しかし今回は授業の縛りとして「自分の研究領域の講義をする」ということがあり、英語のスキル授業をするオプションはありません。私のことを知っている学生には教室で「先生、きょうはグルグルやりますか?」などと聞かれましたが、そうはいきません。

英語の授業でなく、いわゆる講義をするわけです。そして聞いているのが大教室の260名であっても、たったひとりでも寝られたり、突っ伏されたり、スマホでもいじられたりするのが、私は話し手として我慢できません。ましてやひとりでもふたりでも私語などされるのはアリエマセン。学生の状態がどうであっても、寝ていようがスマホを見ていようがしゃべっていようがお構いなしに、下を向いて講義をするのに痛痒も感じない大学人は多いように見えますが、とてもそんな「芸当」はできません。なんといっても「靜流英語授業道 家元」の看板がありますし。家元の授業で私語があったり、居眠りがあったのでは、看板を下ろさねばならなくなるでしょう。

つまり今日のミッションは、(1)自分の専門領域(今回は、英語授業学ではなく、言語テスト論の話を選択しました)の講義をしつつ、(2)その領域に全員が興味を持っているはずがない260名の大学2年生を90分間、ひとりのこらずとりあえず集中させる、ことにありました。

他の先生がたは、90分のうちおおよそ70分程度講義をし、残りの20分程度でリアククションペーパーを書かせる、などをされているようでしたが、私はそれでは70分の間の学生の集中度合が心配でした。

考えに考えた末、出した結論は、むかしの著書『英語授業の大技小技』に書いた「発問即テスト法」の応用です。

最初にA4の、ほぼ白紙のペーパーを配ります。トップには学籍番号と氏名を書く欄があり、その下は1~14の番号をふった記入スペースがあります。

放っておくとどうしても学生の一部は教室の最も後ろのほうに座りたがりますので、この白紙ペーパーの配布も一工夫。最初の段階で教室の最後列に座っている一団にはこのペーパーを配らず、空いている前列を指して「(このペーパーが欲しければ)あっちに座ってね」と指示し、260名をほとんど空きスペースなく、最前列から座らせました。若干名遅刻してきた学生も、前のほうに誘導しました。

そのうえで、次の説明をパワポで見せました:

<今日のやり方>
配布した紙はテスト用紙です
指定されたことがら以外は書かないこと
→ メモは自分のノートなどにする。
講義をしながら、適宜解答を指示するので、その内容について解答してください。
解答の際、自分のメモを参照してよい。ただし他人と一切コミュニケーションしてはいけない。
最後に提出してもらい、引き換えに「正解例」を記したプリントを渡します。

<あらかじめの注意>
許可なく隣同士で口をきいたら
スマホ等をいじっているのを見かけたら
机に突っ伏している等、を見かけたら
関係ないことをしているのを見かけたら
頬杖をついている等を見かけたら
→その時点で、不正行為 or バーチャル欠席とみなし、テスト用紙を回収した上で、退場を命じます。

事前の想定イメージとすると、私語をした学生がいたらそばまでいって、配布したシートを腕づくで取り上げ、「レッドカード!退場!」を命ずる、という感じです。

かなり勢い込んでこの説明を見せたのですが、そこまで勢い込むことは不要だったようです。

本学の学生の名誉のために言っておきますと、90分間で私語はゼロでした。ちょっとうとうとしかけたのがのべ2件ありましたが、すぐ「そこ、起こしてあげて」と声をかけ、隣の学生に起こさせたので問題はありませんでした。

私が説明している間中、学生たちは必死にメモをとりつづけ、おおよそ5分から10分おきに私が繰り出す発問(たった今説明したことをまとめればこたえられるもの)に対する解答を必死に書きつづけました。

解答を書いている間は教室内を巡回し、一周して教壇に戻った時点でその欄の解答時間は終了、といリズムにしました。

最後は英語のテスト形式の紹介として リスニングクローズとディクテーションを扱ったのですが、リスニングクローズのマテリアルは、私がアカペラで歌う Santa Claus is coming to town で、歌詞の途中に「ピー!」と口で言い、その「ピー」にあたる語を書かせるというもの、ディクテーションのマテリアルは Rudolph, the red-nosed reindeer で、結局最後はみんなで合唱して楽しく終わってしまったあたり、テスト理論の正規分布や信頼性の話で始まりながらも、最後はやっぱり歌なのね、というオチでした。

緊張と集中の90分間、お疲れさま。




12/04/2016

撮影、やりました!

今日、撮影終了しました。

9時半からはじめて19時半までですから、ほぼ10時間でした。

出演学生はそれぞれみんな頑張ってくれました。人選に狂いはありませんでした。

副菜のリズミック音読には、柔道あり、空手あり、剣道あり、バレエ(?)あり、卓球あり、サッカーあり、ボンゴ演奏あり、木魚演奏あり、縄跳びあり、オーケストラ指揮あり、花いちもんめあり、。。。

これだとイメージがわかない人にはわかないでしょうが、わかる人にはわかるでしょうか。すべて、例によって英語の stress-timed rhythm を習得するためのトレーニングです。

厳しいダメ出しに耐えて学生は踏ん張ってくれ、最後はオバマ大統領の広島スピーチの一節を、全員で大縄跳びをしながら合唱(?)して、数度の失敗のあと、見事成功!!

主菜の「英語で英語を読む」授業実演のほうも、中2教科書からオバマ大統領スピーチまで、15本みっちり。

久しぶりの達成感を味わうことができました。こういう機会をくださったジャパンライムのご担当者、協力してくださったすべての方々、そして快調に動いてくれた自分の身体に、感謝いたします。




12/01/2016

最後の共同作業のDVD、撮影に入ります

幸いなことにいままで、そのときどきに教えていた学生に出演してもらって、英語教育関係のDVDおよびオンデマンド映像を出版・公刊させていただいてきました。

関西大の学生と:

英語発音の達人ワークアウト「English あいうえお」


関西大の学生と: 

英語授業の3形態:一斉、ペア、そしてグルグル 


埼玉大の学生と: 

リズムで体感!重要構文~ABCから仮定法まで~


学習院大の学生と: 

『Be Professional! 靜流英語授業道』 | JLCオンデマンド


そして、今回、ありがたいことにまたジャパンライム社よりオファーをいただいてから構想半年、企画が固まり、大東文化大の学生が出演するDVDを作ることになりました。そのスクリプトの執筆にここのところずっとかかりきりだったのですが、ようやく今週の日曜日に、学生との絡みを撮影するところまでこぎつけました。

タイトルは未定ですが、中学および高校の英語教科書の本文およびオバマ大統領の広島スピーチを、いかに英語で教えるかを実演する内容になります。「英語は英語で」を扱った書籍やDVDはありますが、私個人としてはその多くに隔靴掻痒の感を覚えるので、今回のDVDでは「英文読解・理解」自体をいかに英語でやるか、を主菜に、体の動きを伴ったリズミック音読を副菜に持ってきます。

これまでのDVD映像をすべて手がけてくださってきたジャパンライムの担当者との共同作業ですが、彼ももう還暦を過ぎ、もしかするとこれが彼との最後のお仕事になるかもしれません。おもえば80年代に語研の公開授業をビデオ撮影してもらったころからのお付き合いなので、もう25年以上になります。

当時「若手」だった彼も私も、今や残りのキャリア年数を数えるような年齢になりました。

最後の「共同作業」として、最後の「一花」として、悔いの残らないような、後に続く英語教師の少しでも役に立つ作品を作りたいと思います。


11/21/2016

人間の音声の生の力

10月末から11月にかけて6日間ほど、ドイツで行われた The English Week という催しに参加してきました。これは、Waldorf Schools 別名シュタイナー学校で教える英語教師が集まって合宿し、プロの詩人、役者、ストーリーテラー、道化師、音楽家、そして教師が行うさまざまなワークショップを受ける、というものです。

Waldorf では、芸術的要素というものを、英語教育のなかで非常に重視しています。

私は歌のクラスと、clowning のクラスと、小学生を教えるライムや詩のクラスに参加しました。あまりに内容が濃すぎてまたバラエティに富んでおり、いちどにレポートは不可能ですが、少しずつ書いてみたいと思います。

期間中を通じて強く印象に残ったことのひとつは、プログラムの内容もさることながら、マイクが一度も使用されなかった、ということです。参加者は100余名なのでそこそこの集団なのですが、ホールで行われた全体の講演でも、スピーカーのだれもがみな、肉声でした。

そしてその肉声が、ひとりひとり、すばらしいのです。なんといっても舞台芸術の分野のプロばかりなので、その発声、声質、緩急のつけかた、間の取り方など、こちらがおもわず息を殺して聞き入ってしまうような人たちばかり。

これはたまたまではなく、Waldorf Schools では、自分の口から出た音声を、相手の耳に、さらに心にいかに効果的に届けるかという部分を重視していることと関係しているとのことでした。

自分も大学に移ってからマイクが手放せなくなってしまっていますが、言われてみれば、直接の声と、マイクというデジタル処理を通した声では、伝わるものが違うということは感じられます。

仮にも「ことば」を教える者として、人間の音声、human speech というものの本質、原点をremind されたような気持になる体験でした。


11/19/2016

今日の語研の公開授業での不満なところ

1 教師の英語音声がプロソディ面でいまひとつ、1語1語で話しているブツギリイングリッシュで、とつとつとした印象があり、モデルとしてイマイチ。

2 それもそうだし、自分の英語の細部までクリアに聞かせよう、という意識が感じられないし、たぶんない。

3 偏差値72の高校ということで最高レベルの生徒なのだろうが、それにしては教科書のレベルがかなり基礎的。それならばあれだけの1レッスンに5時間も6時間もかけず、1時間で一気に読んだほうが感動がひろがるのでは。

4 テキストは emotional なナラティブ。単なる音読を超えた、朗読、oral interpretation をするにふさわしい題材だが、授業者は、たとえば、地球温暖化にかんする説明文を読んでいるのと同じような、ボー読み。間の工夫もないし、地の文と、セリフを、音声だけで区別できるよう読み分けよう、という意識はそもそもなさそう。もったいない。

5 ああいうストーリーなら、機械的にすべてを音読するのではなく、セリフだけを抜き出して、いきいきと act out する、というような工夫が欲しい。ああいうセリフこそ、うまく、感情を込めて音声化する練習をする価値がある。生徒が聞いているだけで、心を動かされるような、「読み聞かせ」をしてほしい。

6 生徒はそこそこ、あるいはかなり、話す。が、そこそこ、かなり、という程度どまり。それをさらに、非常に、うまく、というレベルにもってゆくには、もっとプロソディをどうしたらいいか、チャンクとチャンクのまとまりをどうしたらよいか、文法や表現をどうしたらよいか、という教師からのアドバイスが不可欠だが、そういうアドバイスはほぼゼロ。
 たとえば、生徒が、If Mike weren't killed in Vietnam, ... という、仮定法過去完了をつかうべきところ過去形をつかった時は、「そう、ナイストライだけど、そこでこそ、文法の授業でやった仮定法過去完了の使い所で、正しくは If Mike had not been killed in Vietnam, ... と言えたらよかったね、さあ言ってみよう」というようなフィードバックをする絶好のチャンスだった。(明示的訂正はよくない教の信者であっても、せめてリキャストくらいせよ。)
 しかしあくまで意味のやりとりに終始していたため、せっかくああやって英語教師の前で英語を話してみた生徒は、一般人の前で話したのかのごとく、意味のやりとりをしただけで、かんじんの形式にはいっさいの指導を受けられずに授業を終了した。
 だから、この1時間の授業を受けたことによって、before / after の向上があったか、というとほぼゼロ。授業開始時の実力が、授業終了時の実力とイコール。たんに、自分の英語を話してみる機会があった、というだけの、場数を踏んだ回数が1回増えた、というだけ。

7 last but not least, 「解説者」(学生向けの部屋ではないです。教員向けの部屋のです。学生向けの解説は必要です。私が聞いていた部屋の学生向け解説は丁寧で、かつバランスがとれており、見習いたいと思いました。)の「解説」が鬱陶しい 。そもそも語研の公開授業とは、会員に対して100%の示範するための授業なのか、それとも、こうベストをつくしてみましたがどうでしょうか、もっとよくするにはどうしたら良いでしょうか、と問いかけるための授業なのかどっち。いずれにしてもひとつ高い立場で横に座っているならば、この授業にはこういういい点はあるが、こういう点が足らないからもっと頑張るべきだ、という「指導」をするのが仕事ではないのか。自分の子分?に飛んでくる矢を払ってやる、あるいは飛んでこないために予防をする露払いのような庇護者なのか。
 そもそもなんでプログラムの公開授業のところで、司会・解説者の名前が、授業者より上にあるのだろうか。保護者か。
 来年からは、teacher talk ならぬ 解説者トークを大幅に縮小して、そのぶん、フロアと授業者本人の実質的な議論を深めることを、一会員として希望する。


10/22/2016

文法授業での目標設定

高1の授業。

テーマは、動名詞。to不定詞と ing型の使い分けに関する例文を主体にした文法メインの授業。

答え合わせを、例えば10題の問題に対して10人の生徒を指名して、解答の文を黒板に書かせ、それを確認、添削してゆく、というオーソドックスな方法で進む。

まず不定詞と動名詞の使い分けの正誤を確認してから、その生徒にその文の訳を言わせて確認する。

うむむ~

それはいいのだが、問題の正解が分かって、訳がわかった時点での、生徒の間にひろがる、「できた、きょうの目標が達成できた」感がハンパない。生徒はひたすらノートに正解を書き写す。

つまり、授業の到達目標が、教師にとっても、生徒にとっても、「動名詞に関する文法問題の答えが正しく選べて、例文の意味がわかる(正しい訳が言える)」になっているのである。

そこで終わらず、それはむしろ出発点にしようよ。

授業の到達目標を、その例文のどれでも、ランダムに、日本語を聞いた瞬間、クリアな発音と適切なプロソディで一気に言える、というものにすれば、そこまで行くためにやらねばならないことはおのずと見えてくるはず。

発音メインの授業でも、非文を使うことはありえない。

それと同じくらい、文法メインの授業でも、非音(というのは造語ですが、英語(的)でない音声、という意味)を言わせて済ませることはあってはならないはず。

文法授業だって、音声授業です。

ライティング授業だって、音声授業です。

リーディング授業だって、音声授業です。

逆に、音声授業だって、広い意味の文法授業であり、語彙授業です。

そういう相互乗り入れの感覚をもっておくことが、とても大切です。

次に見に行くときは、期待してるよ。



共愛学園 revisited 最後はマイクでみんなの前で堂々と

2年前にお邪魔した共愛学園高等学校に再び呼んでいただき、こんどはWhat Makes You Beautiful を題材にした音節感覚養成/発音トレーニングをさせていただきました。

前回は38名が相手でしたが、今回は1年生、2年生の英語科あわせて90名! お客様が多いとこちらのやる気感も高まります。おまけに新装なったきれいな礼拝堂が会場で、プロジェクターを映す画面も大きいし、言うことなし。

2年前も「ノリノリ高校生」とタイトルづけをしましたが、なぜか共愛の生徒さんとはケミストリーがいいようで、今回も、抜群ににやりやすく、きもちよく進めさせてもらいました。

1時間目は音節の話、2時間はWhat makes..の実技。

一斉指導とグループワークを組み合わせて進め、適宜会場内を歩き回って質問を受けたり、コーチしたり、といつも大学でやっている授業の通りの感じです。

「じゃあ今練習したところまでをグループ内で確認しあってください。あとで、グループから一人ずつでてもらって。。。(ここで悲鳴!)  誰が出ても大丈夫なようにしてください!」

とブラフをかけると、必死になってグループないで collaborative learning を始めてくれる素直さ。いいですね。

で、最後の15分くらいになったので、総仕上げとして、ダメ元で、近くの生徒に、「じゃあ君、1行目を歌ってみて」とマイクをつきつけてみました。

無理なら深追いしないつもりだったのですが、な、なんと、ちゃんと歌うではありませんか!

よしよし。じゃあ、次、2行目を。。。。君!と、つぎつぎとマイクを向けると、全員ちゃんと歌ってくれて、進んで行きます。

ひとり歌えば、会場の雰囲気はもうそういうものだ、ということになって、全員歌いますね。

もちろん、発音面がいまいちだったり、メロディがちょっと違ったり、という場合も多いので、それはきちんとその場で指摘して、それを修正して、はい、全員で!という

個人指名→フィードバック→一斉コーラス

というサイクルを繰り返しながら、1番はすべて歌えました。

最後の5分は、全員でアカペラコーラスをして、かなりの達成感の中で自然と沸き起こった拍手のなかで終わることができました。

初対面の集団で、マイク付きつけテクニックがうまく機能したのは、いろいろな意味ですばらしことだと思います。

楽しいひとときをありがとうございました。




10/13/2016

英語スピーチコンテスト:あれから7年

今日は、中学生英語スピーチコンテストの埼玉県大会の審査委員を務めさせていただきました。このお役目は、埼玉大学に赴任してすぐに拝命して以来毎年ですから、今年で8回目です。

7年前のあの日、午前中の予選審査を終え、用意していただいたお弁当を食べていると、ん?え?ああまずい。。

焼き魚の小骨が喉にささったような。。

え゛~ う゛~ お゛~ ぐお゛~ 。。。

(取れない!)

いや、これは気のせいだ、無視しておこう。。。

でもこの感覚は気のせいではない。不都合な現実である。困った。

そうこうしているうちにお昼休みも終わり、午後の審査が始まりました。もちろん審査はきちんといたしましたが、その一方で、やはり取れない。。。 

2時間後、大会も無事終わり、同僚のO先生と帰りの電車が一緒でしたが、やはり取れない。なにか喋ると喉が刺激されて吐きそうになるので、なるべく喋らないように、喋らないように。。。しながらなんとかやり過ごそう。。。

そんなこととはツユ知らないO先生がいろいろ話しかけてくださるのですが、私は必要最低限の相槌ばかり。今思えば、正直に状態を告白していればよかっただろう、とは思いますが、魚の小骨が喉にささって困っている?50絡みの大の男が?という自分の思いもあり、言えませんでした。

家に帰って風呂に入りながら感覚を確かめても、やはりある。じっとしていても吐きそうです。これはダメだ。

翌日、午前中に「教職入門」があったのですが、急遽休講の連絡をして自宅近くの耳鼻咽喉科に。

ところが、いくら見ても、「ありません」「見えません」と。

んな馬鹿な。。

とは思いましたが、じゃあ気のせいなんだろうと思い直して、大学に行き、午後の授業だけ済ませました。が、やっぱり吐きそうだ。

ということで、帰りに北浦和駅の関耳鼻咽喉科に駆け込むと、私の口の中を覗き込むなり先生が、

「ああ、あるね~」

と言ったと思うと次の瞬間には、ピンセット?の中に、細~い小骨が。あの時の先生は神に見えました。

ああ。。。良かった。。。

という事件がありました。

で、なぜこんなくだらない話を長々書いているかというと、あのとき小骨のために休講にさせてもらった「教職入門」(1年生科目)にいた学生のうちの二人に、今日の大会で出会ったからです。

ふたりとも今や、教員4年目。片や大会の事務局委員、方や出場生徒の引率教員。

(誤解なきよう申し添えますと、その引率教員の学校名も、引率している生徒名も、審査が終了し、大会が終了するまで私は聞かないよう努め、そして実際に聞いておりません。審査に私情を持ち込む余地があってはなりません。)

あの「魚の小骨事件」から7年。

あの時に休講にさせてもらった大学1年生が、今や埼玉県の中核教員(の候補)として立派に活躍してくれている。

本当に嬉しいです。

7年もたてばこっちも歳をとるわけだ、という思いと、あの時に伝えたことはきっと受け継いでくれている、蒔いた種子、もとい、肥料をあげた種子が元気に育ってくれている、という思いが入り混じって感無量です。

(ふたりとも、しっかり頑張ってな。そのうち授業のビデオ撮りに行くからヨロシク。)

ちなみに、あれ以来、出された弁当に魚があったら絶対に手を付けません。



10/07/2016

キタ~!!!!

祝 ミス・ワンニャン マル!!

苦節◯年。。。 

しかし実は全く苦節ではなく、多くの生徒たちに囲まれ、愛されながらそのなかで自分が教師として着実に成長してきた「楽」節であったはず。

その「楽」節を経て、大きくなった君はスタートラインに立った。

これから君に教えてもらうことができる数千人の教え子たちの幸運にも思いをいたしながら、今日のこの日を喜びたい、いや喜んでいる。

今日の酒は格別にうまそうだ。。。

I thank you for making today one of the best days in my life.

10/01/2016

One after another

なんだか今年は続々と教員採用試験合格の報告が入ってきます。嬉しいな。さあ後は。。。?

9/28/2016

小池百合子都知事の英語

うまいですね。きちんとした英語で好感が持てます。

セグメンタルでは months が month に聞こえる、year が ear に聞こえる、というレベルのマイナーな点しか気になりません。




と思ったら、44:18 に登場する赤い服の記者の英語はひどいね。良い子のみんなは、こういう大人にならないように今からきちんと意識をしよう。

9/27/2016

エライ

大学教員という人種は、なぜ分不相応にエラそうなのか。。

ぐぁあああああ゛~ 胸クソが悪い。。。

G%&%$#98)'('&& H"Roi($#2)(&452$&78akdaf!!!!!!

まあ、もともと根本的に人種が違うんだから相互理解は所詮無理だと思っておかないと、健康に悪いね。

9/24/2016

柏崎にて:グルグルの機能を再認識

昨日は、新潟県の柏崎常盤高校にお邪魔して、出前模擬授業をさせていただきました。

模擬授業は通常1コマですが、今回は「講義」70分のあとに、「ゼミナール形式」を30分を、というご要望でした。参加者が14名だったので、ゼミナールのほうはグルグルをやろうかな、という心づもりで臨みました。

「講義」はいつもどおりの音節プラス歌で、最近やっていた Rose ではなく、もとにもどって You belong with me を使ってみました。

あとで判明したところ、1年生と2年生の混成グループで、しかもクラスもバラバラだということで、講義の中で「隣の人と相談してみよう」といってもほとんど誰もぴくりともしない、という感じでかなりおとなしい集団でした。

結局、ゼミナールのほうは予定通りグルグルをやったのですが、その結果。。。あらためて感じたのはグルグルの威力です。

「講義」の局面では9割の生徒がほぼまったくの無表情で、あれだけでは個々の生徒の心の中はほとんど伺いしることができなかったでしょう。(想像することは出来ましたが。)

それがグルグルになったとたんに、ひとりひとりの生徒の「素」が表れるのです。ああこの子は英語が得意でもっともっとやりたがっているなな、この子がこれまであれだけ無表情だったのは自信がなかったせいだな、ああこの子は照れを克服しながらいま学びが起こっているな。。などなど。

いつもながらの感想ですが、地方都市の真面目な高校生というのは本当に素朴で真面目で、教えていて楽しくなります。今回も、風邪が直りきらず聞き苦しい鼻声で臨んでしまった私のほうがパワーをもらうことができました。

生徒のみなさんお疲れ様でした。お世話をしてくださった先生方、ありがとうございました。歌で英語を鍛える授業が受けたくなったら、是非、大東文化大学に来てください。

授業後には14人全員がその場で感想を書いてくれて、直接ひとりひとり私に手渡してくれました。せっかくいただいたので、下記に紹介します。

**********

洋楽を聞くことが大好きでいつか歌えるようになれたらいいなとずっと思っていましたが、なかなか練習する機会もなかったので、今日たくさん練習できてすごく楽しかったです。また発音の仕方をこれからはもっと意識していきたいなと思いました。もっと英語の勉強をして海外に一人で旅行できるようになりたいです。

音楽を授業に取り入れていてとても楽しかったです。あと母音や子音のこともしていて充実した時間でした。発音についても勉強できたのでありがとうございました。

英語の発音が苦手な僕ですが、歌に合わせて覚えることでとても楽しく覚えることができました。歌詞を忘れて止まってしまったので、リズムに乗ってもっとしっかり発言できるように勉強したいと思いました。英語の歌はリズムがはやくて大変ですが、しっかりついてけるように頑張りたいです。楽しい授業をありがとうございました。

歌を歌いながらの英語の授業は楽しかったし、覚えやすかった。なかなか th は上手くならなかったけど、歌とかを歌って注意していれば出来てくるんじゃないかと思った。英語の授業だとは思わなかった。

もともと英語の発音が苦手な私でも前よりも詳しい発音の仕方が分かって嬉しかったです。これからも英語に触れる機会は多いと思うので今日学んだ音節のことなどを忘れずにいきたいです。英語の歌をこれからも聞いて発音の練習をしたいなと思いました。これからも英語についてもっと理解して行きたいと思います。

今まで来にせずに英語を学習していたので、今日は知らないことをたくさん知ることができ、よかったです。また音楽が好きで英語の歌詞も意味を理解しながら歌うことは過去にありましたが、発音を気をつけることはあまりなかったので、これからも気にして歌いたいです。自分の将来のために、これからも英語を一生懸命取り組みたいと思います。今日は本当にありがとうございました。

英語の歌が歌えて楽しかったです。実際の大学の授業風景も学生のみなさんが生き生きとしていて見ていてとても楽しかったです。今日歌った You belong with me のほかにも自分で歌える英語の歌を増やしていけるよう頑張りたいです!!

歌で英語を学ぶのはおもしろかったし、ちゃんとした発音もわかったのでとてもよかったです。これからは歌で発音の確認もしてみたいなと思いました。

歌を軸にしていて、個人的にはとても楽しい授業でした。最後は時間がなくてダッシュになってしまったので、家で洋楽聴きます。

初めて英語の歌を歌ったので歌うのはとても難しかった。でも練習していくのうちに、だんだんと歌えるようになってきたと思うので、とてもよかったです。英語の発音のところだけがあんまり上達しなかったので、そこがくやしいです。英語の歌を歌う楽しさがわかりました。英語を発音するときは音節に気をつけようと思いました。

今まであまり音節を意識したことがなかったので、最初はとても難しいと思ったけど、歌で教えてくださったのでわかりやすく楽しく学ぶことができました。

なかなか斬新でよかったと思います。楽しみながら英語の発音を覚えることができました。洋楽などをもっと聞いてみようと思いました。

今まで発音をそんなに気にしないで授業を受けてたけど、この授業で発音の大切さや難しさ、音節がすごく日本語と英語の違いに関わっていることが知れて、とても為になったのでよかったです。

英語の意味は分かっていても、発音までは練習したことが無かったので、今回の授業で少しでも理解することができました。 the の言い方、気をつけます。洋楽もよく聴いてみます。本当にありがとうございました。




9/03/2016

JACETでの「トホホ」

今回もいろいろな人の英語を聞いて思うこと多し:

(1)たぶん海外が長く、かなり上手い話者でも、語頭、語中、語末の破擦音は身につかないものらしい。ただこれはかなりレベルが高い、画竜点睛を欠くレベルの話。

(2)日本人は voice quality setting というか、そういったものに関して、よく聞こえない、こもったような声質、話し方をするひとの割合が、どうも native speakers of English および Non-Japanese-L1 speakers of English にくらべて、高い印象あり。とくに女性か。ひょっとして社会文化的なものか。つまり、40人くらいのグループのなかで、クリアで声の通る話し方をするというのがヨシとされていない(?)いなかった(?)という文化の作り出すものか。

(3)教員養成担当教員がトホホな発音では、おそらく養成されてくる教員志望学生もトホホだ。そうするとその学生に将来指導される生徒もトホホになるから、普通の英語教員がトホホの場合よりも、英語教員養成担当英語教員がトホホの場合のほうが、罪が深い。
  どうしてそういう人がいるのか、信じられない、ありえない。いや残念ながら十分信じられるし、ありえると認識するが、どうしてそういう状態で放置するか、されるか理解できない。どう思っているのか。まさかどうでもいいと思っているのではないとすると、自分では気づかないのか。
 ここで言ってるトホホな発音の定義は、(1)などのレベルとはまったく違って、フリースピーチだと / r / もできない、とかである。この際、th には目をつぶるとしても。よくないよね。ほんとうに良くない。誰か言ってやってくださいよ。私自身はもう結構言っているので。
 L/Rはね、いわゆる functional load も高いんですよ。つまりそれによって担っている意味区別の負荷が大きいんですよ。ミニマル・ペアの数も英語子音のなかでも最も多いと言われます。
 な~んて根拠があってもなくても、仮にも教員を育てる立場なら、そのくらいきちんとしろよ、まったく。
 ああ暗くなる。

8/29/2016

査読、ん?。。。あ!

で思い出したが、そういえば、自分も査読しなくてはいけない宿題が2本もあったのだった。しめきりが先だとおもってしばらく忘れていた。危ない危ない。

人様に査読してもらってコメントをもらって自分の論文を直しているだけでなく、人様にも役に立つと思われるコメントをもどさねば。

論文と査読と消耗

ずいぶん前にサブミットした論文が、修正を経てようやくアクセプト。やっぱり査読付きジャーナルは査読者のコメントが勉強になります。消耗するけれども年に1本は出さねば。

8/19/2016

無念

It's always sad to watch an older champion beaten by a younger challenger.

8/18/2016

マクドナルド、を3音節で言うと. . .

先日の、高校2年生相手の超上達発音ワークショップにて。

私: 「マクドナルド」は、日本人が海外で通じないことばのトップ3のひとつらしいよ。McDonald'sはね、3つの固まり、3つの音節で言わないとだめなんだ。3つだから、「あなた」と一緒だね。高低のアクセントも、

  な
あ    た


と一緒だよ。さあ、McDonald'sを、「あなた」と同じイメージで言ってみよう、はい, A君どうぞ!

     ク
A君: マ   ド !


(爆)
         

8/17/2016

免許更新講習、完了

グルグル発音トレーニング、と銘打った講座なのに、グルグルって知ってますか、という問いに手を挙げた人は数名。むむむ、そんなものなのね。

台風の影響で時間帯がずれこみ、正味100分×3くらいだったが、時間配分としてはいままでいちばんよかったように思う。

最初の1コマ、駆け足で基礎知識

2コマめ、中学と高校のテキストをベースにした音読練習と英語による説明練習

3コマめ、グルグルをちょっと体験、オバマ大統領の広島スピーチ題材の練習、最後は the rose

来年は、小学校の先生を対象にした講座にしようかな。そちらのほうが喫緊の課題か?

8/12/2016

英語の先生はやっぱり英語自体が

うまくないと
何をやっても説得力に欠ける。

8/08/2016

VELC研究会の感想

先日の第5回 VELC 研究会に参加して感じた事を書いてくださっています:

http://tawashisrm.exblog.jp/25571687/

「発音指導に関する神話」を斬る

Grant, L. (2014). Pronunciation myths: Applying second language research to classroom teaching. UMP.

は英語発音指導に関して英語母語話者の教師あるいは研究者が、実証研究からあるいは理論研究からの知見を紹介している文献です。

今回、LETのワークショップで使うために、そこから私が「いいね!)」、と思った箇所をピックアップしましたので、貼り付けておきます。一部、「これは違うね!」と私が思った箇所もあり、それはそう書いてあります。

また、このピックアップはあくまで私の目のフィルターを通したピックアップであって、partial なセレクションであることを断っておきます。

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Contents

Prologue to the myths: What teachers need to know (Grant)
Myth 1. Once you have been speaking a second language for years, it's too late to change your pronunciation. (Derwing & Munro)
Myth 2. Pronunciation instruction is not appropriate for beginning-level learners. (Zielinski & Yates)
Myth 3. Pronunciation teaching has to establish in the minds of language learners a set of distinct consonant and vowel sounds. (Field)
Myth 4. Intonation is hard to teach. (Gilbert)
Myth 5. Students would make better progress in pronunciation if they just practiced more. (Grant)
Myth 6. Accent reduction and pronunciation instruction are the same thing. (Thomson)
Myth 7. Teacher training programs provide adequate preparation in how to teach pronunciation. (Murphy)
Epilogue to the myths: Best practices for teachers (Brinton)

0.     Prologue

0.1 発音指導はカリキュラムの他の部分と無関係にはできない

"Because of the interrelatedness between pronunciation and skills like speaking and listening, experts agree that pronunciation can no longer be taught in a "vacuum" apart from other segments of the curriculum."(p.6)
>>Grant, L. (2014). Prologue to the myths.

0.2 発音指導はすなわちリスニング指導でもある

"… when we teach listening, we often overlook the flip-side -- the role pronunciation plays in supporting listening instruction …. When students are taught speech sounds, word stress, reductions, and connected speech, they are also learning how to decode the speech stream and segment it into recognizable words” (p.7)
>>Grant, L. (2014). Prologue to the myths.

 

0.3 セグメンタルを決めるのはスプラセグメンタル

"even though we may teach the suprasegmental and the segmental systems separately, we cannot view them separately"(p.27)
“. . . the clarity of the segmentals was dictated by the relative importance of the words to the message. In essence, the suprasegmental system was “calling the shots.”  “Segmentals must be somehow very underspecified until their exact places and roles in the discourse have been determined, and only then do they get their final characteristics” (←citing e-mail communication with Kjellin 2004).
>>Grant, L. (2014). Prologue to the myths.

1.     Myth 1

1.1 最初の1年が最も大事

“Don’t wait for fossilization to happen.”(p.51)
… much of the development of a learner’s L2 phonological system takes place within the first year. An explicit focus on pronunciation in language classes, based on intelligibility priorities during the first year, will make intervention for fossilized patterns several years later unnecessaryそうすれば後で苦労しない
>> Derwing, T. and Munro, M.J. (2014). Myth1

 

1.2 発音Feedbackは明示的にせよ

"…it is becoming increasingly clear that a key factor in the success of [pronunciation] instruction is the provision of explicit corrective feedback." (p.47)
"there is no indication that, after the first year in the target language country, pronunciation will improve to any significant extent under conditions of exposure alone." (p.47)
"To defossilize speech patterns that interfere with intelligibility and/or comprehensibility, explicit corrective feedback for both perception and production tasks is required." (p.47)
>> Derwing, T. and Munro, M.J. (2014). Myth 1


2. Myth 2

2.1 発音が悪いと自信がなく、英語力も伸びない、だから最初から発音を!

Pronunciation difficulties affected intelligibility and confidence to speak or caused them to avoid speaking altogether (Zielinski, 2011)
Pronunciation difficulties had a negative impact on their interactions in English (Zielinski 2012)
自信がない練習しない上達しない
 "it is, therefore, of utmost importance that pronunciation instruction be of an integral part of the process of learning English from the beginning and not regarded as an option added at a later stage.”(p.59)
>>Zielinski, B. & Yate, L. (2014). Myth 2

2.2 フィードバックは「その場」と「後で」を使い分けよ

at the control or practice stage → give immediate explicit feedback
"at the extension stage(自作の対話文、皆の前で発表時), we would be ill-advised to shatter their confidence or potentially embarrass them in front of the class by drawing attention to incorrect pronunciations." → そういう時は、provide delayed feedback when the rest of the class is usefully engaged in another activity (p.70)
>>Zielinski, B. & Yate, L. (2014).
Myth 2
(靜コメント:それでは効果はない。extension stageでこそ、「ほらそこ!」と指摘しなければ直らない)

 

2.3 すべての授業で発音を扱い発音ゴールを意識せよ

“Integrate pronunciation into every lesson and always have pronunciation goal” (p.71)
"… always have a pronunciation goal in mind regardless of what we are teaching" (p. 71)
>>Zielinski, B. & Yate, L. (2014). Myth 2:

2.4 初心者は発音を直されるのを歓迎した

"Baker (2011) found that the beginning-level learners in her study wanted feedback from their teachers on their pronunciation and liked being corrected, even if this occurred within earshot of their classmates." (p.69)
>>Zielinski, B. & Yate, L. (2014). Myth 2

2.5 通じるのか通じないのかはっきり、何を直すべきか具体的に

"Students need to know when their pronunciation is intelligible and when it is not. If they do need to change some aspect of their pronunciation, they need to know _what_ to change and how to change it. Feedback needs to be targeted to the learners' needs." (p.68)
>>Zielinski, B. & Yate, L. (2014). Myth 2:

3.     Myth 3

3.1 音素の多様な異音を頭のなかに蓄積させるが大切。だから単音レベルではなく、音節やチャンクレベルの聞き取り、発音練習が必要だろう

… exposing learners the phonemes of a second language in many different realisations. (p.96)
“the point is that the sounds of speech are so variable that it may only be through learning to identify them in larger units that the leaners can come to terms with the many different forms a particular phoneme is like to take.” (p.94)
>>Field, J. (2014). Myth 3:

4.     Myth 4

4.1 発音指導は英語指導のなかの「孤児」だった

“pronunciation has been something of an orphan in English language teaching for almost four decades.” (p.112)
>>Gilbert, J. (2014). Myth 4:

4.2 英語は多言語より意味区別をプロソディに頼る

English depends more than most other languages on musical signals (prosody) for this crucial task = calling attention to the point that the speaker most wants to the listener to focus on
Ex. THIS is my bag. Vs. Kore-ga watashino kaban desu. (p.121)
>>Gilbert, J. (2014). Myth 4

4.3 プロソディはNSにはあまりに自然(1歳までに獲得)で意識できない

… people rarely recognize the source of misunderstanding (プロソディの文化差によって引き起こされる誤解) because the basic signals of rhythm and melody specific to one’s L1 are generally learned by the time a child is one year old. (p.111)
>>Gilbert, J. (2014). Myth 4:

4.4 プロソディの誤りは深刻な社会的(人間関係)誤解を起こすことがある

failure to learn the “musical signals” of English can (also) have serious social consequences (p.111)
例:ロンドンのカフェテリアの、インド人店員とイギリス人客
Drop in pitch = this is the end of what I have to say(イギリス人)
Drop in pitch = they are about to make the main point (いつかかのインドの言語)
>>Gilbert, J. (2014). Myth 4

4.5 すべての語を強調しては強調しないのと一緒・興奮しやすいと思われる

“if the learner loudly emphasizes every word in an eagerness to be understood, the listener may think the speaker is just excitable.” (p.119)
A white butterfly among shaded flowers is easier to see than a shaded butterfly in shaded flowers
>>Gilbert, J. (2014). Myth 4

4.6 プロソディの役割は、聞き手が情報を追いやすくすること

“intonationally emphasized words are easier to hear” (p.131)
>>Gilbert, J. (2014). Myth 4

4.7 プロソディは(1)新情報を目立たせ(2)意味グループを作って処理しやすくする

the main two uses of prosody = highlighting new information and separating thought groups for listeners (p.124)
a. John said, “The boss is an idiot!”
b. “John,” said the Boss, “is an idiot!” (p.125)
a. I prefer beef SOUP.  Not stew?
b. I prefer BEEF soup. Not chicken? (p.126)
>>Gilbert, J. (2014). Myth 4:

4.8 質の良いリピートはプロソディを身に付けるために重要

 “Through quality repetition of a template sentence, students are given ample opportunity to absorb into their personal long-term memory banks an accurate sample of spoken English in which all the levels of the prosodic system are present.”(p.130)
“A solidly memorized accurate template is probably the most useful reference tool a student can possess” (p.130)
>>Gilbert, J. (2014). Myth 4

4.9 身体動作をつかった補強は強力な武器だ(手をあげたり、歩いたり!)

"Kinesthetic reinforcement is a powerful tool" [for teaching intonation]
"You can ask students to raise hands, or even raise their eyebrows with the primary stress as they say a word or sentence"
"if there is a space, you can actually get them to do a “walkabout” of the room, in physical synchrony with the rhythm and emphasis of the sentence they are repeating. This has a major advantage of also being fun." (p.131)
>>Gilbert, J. (2014). Myth 4

4.10 Kazooはピッチパタンの提示によい

[If you use a kazoo,] you reproduce the pitch pattern stripped of distractions of grammar, vocabulary, and individual words (p.131)
>>Gilbert, J. (2014). Myth 4

4.11 ストレスのある母音を伸ばすこと学ぶのは極めて重要

“The rhythm of many languages depends on a relatively regular length of all syllables, whereas English rhythm depends on irregular length. One of the most important functions of lengthening a syllable in English is to give the listener time to notice the emphasis. Therefore, the English cue of lengthening must be learned” (p.132)
“It is necessary to train students to notice the English way of using length difference and the change of pitch on the peak vowel of the primary stress of the most important word” (p.133)
>>Gilbert, J. (2014). Myth 4:

5.     Myth 5

5.1 英語教師になるならより高い発音レベルが必要

A student who intends to teach English or provide call-center computer support by phone, for example, may want to attain a higher level of pronunciation accuracy than someone who expects to return to the home country and use English only occasionally with other non-native speakers. (p.150)
>>Grant, L. (2014). Myth 5

5.2 ネイティブのような発音だとアイデンティティが脅かされる

"…long-term speech characteristics can become an integral part of who we are. In the case of L2 learners, losing a first language accent or sounding more like a native speaker of English may threaten the sense of self."  (p.138)
靜コメント:こんなことは日本人の場合にはある?
>>Grant, L. (2014). Myth 5

5.3 意識・無意識でできるレベルを分けて考える

Four levels of competence
Level 1: Unconsciously incompetent
Level 2: Aware of the new pronunciation features but has limited ability to use the features or correct the error
Level 3: during controlled and guided practice, can use the feature and correct the error (only when conscious of it)
Level 4: unconsciously competent. Can correct without thinking about it. (p.152)
これを示して、進歩しているのだよ、と元気づけよ、という話
靜コメント:靜(2009) will do stage level 4, can do stage level 3 にあたる。
>>Grant, L. (2014). Myth 5:

6.     Myth 6  ピンと来た箇所、なし

7.  Myth 7

7.1  NNS教師のほうが発音指導に有利な点がある

The truth is, NNESs have several advantages over NESs when it comes to pronunciation teaching.  (1) know the experience of learning the pronunciation of English firsthand. à more likely to understand the process of acquiring English pronunciation from a learner’s perspective.   (2) … more likely to be perceived as attainable by students (p.205)
>>Murphy, J. (2014). Myth 7

 

8. Epilogue

8.1 セグメンタルはやはり大切。ただし精選し、かつプロソディと統合的に扱うべし。

"Research findings: Segmentals, long considered the staples of pronunciation instruction, are critical building blocks of the sound system." (p.232)
" . . . Does all this imply that the teaching of segmentals constitutes wasted time in the classroom? I'd suggest not. Teaching segmentals is still important and for many learners, difficulties producing the vowels and consonants of English may be a significant part of their foreign accent as well as a barrier to their intelligibility. However, we should teach segmentals selectively, . . .  And most importantly, the teaching of segmentals should be integrated into an overall pronunciation curriculum that also recognizes the importance of the suprasegmental aspect of the language." (p.232)

>>Brinton, D. M. (2014). Epilogue to the myths

涙が出ました

きょうのLETのワークショップでも、105名グルグルアクティブスィンギングのビデオのごく一部を見せたのですが、終わった後、ある大学の先生が近付いできて言ってくださったのが、上の言葉。

あんなに生き生きして楽しそうで。。。と。

それはどうもありがとうございます。

あれ楽しそうでしょ~? 私もやっていて楽しいし。

でも授業はいつでも基本、楽しいものではないかと。

アクティブラーニングはアクティブティーチングから

「学び」とか悠長なことを言っていないで、教師なのだからもっとグイグイ教えるべきだと思う。

アクティブラーニングなどより、まずは教師の側が、アクティブに、グイグイティーチング。

どういうわけか、学生ができるようになろうがなるまいがどうでもいいと思っているようにしか見えない教員は少なくない。

「これは大事な事柄だ、スキルだ、だからお前たちにはどうしても身につけてほしいのだ、いや絶対に身につけろ」という気合とスタンスでグイグイ迫る教師がもっといてほしい。

そういう気合は必ず学生にも伝わり、その結果自分からグイグイ学ぶようになる。

だから、

つまりグイグイティーチングが学生を触発し、結果的にグイグイラーニングを引き出すのである。

ティーチ・モア・グイグイリー

8/06/2016

猛獣使いショー、満員御礼

本日、なつかしい再会が2件。

ひとりは、大学の同級生が、今年から中学の校長だ、と。あと4年くらいだから、最後まで楽しい学校づくりに奮闘しろよ。それ以上、腹を出さないように、健康に気を付けて。

もうひとりは、マチュア(決してアマチュアではないです)な教え子が、雌伏数年間のお役所勤めから解放されて、教頭だ、と。ようやく現場に戻れる。今までの欲求不満を教頭特別授業でブチかませ!

8/05/2016

105名を動かすグルグル・アクティブ・スィンギング、明日!

いよいよ明日ですが、発表ビデオの最終的な編集を終えました。「親」バカですが、何度見ても、ひとりひとりの学生が見せる表情に対して、愛おしさが沸いてくるのを抑えられません。

手持ちカメラなので、自分でグルグルをやっているのとほぼ同じ感覚で見ることのできる学生のアップ映像が満載。

本からだけではわからない、グルグル接近戦の50センチにある真実を見逃すな!

お申し込みはこちら

http://www.velctest.org/misc/160806_lecture/

英語能力測定・評価研究会[VELC研究会]

第5回研究会 8月6日(土) 13:30 ~ 16:30

1. 基調講演「VELC Testの概要と妥当性について」
水本 篤(VELC 研究会・関西大学准教授)
熊澤 孝昭(VELC研究会・関東学院大学准教授)
2. 基調講演「VELC Testの導入とその活用法: 大阪工業大学知的財産学部」
井村 誠(大阪工業大学教授)
3. シンポジウム
テーマ「私の考える アクティブ・ラーニング 大学生をやる気にさせる英語授業の提案」
シンポジスト:
 淡路 佳昌(大東文化大学准教授)
 望月 正道(VELC 研究会副会長・麗澤大学教授)
 靜 哲人(VELC 研究会会長・大東文化大学教授)
コーディネーター:水本 篤


8/03/2016

アクティブ・ラーニングやってみたところ、教師には不評。アクティブ・ラーニングは教える側の怠慢か?!

先日のエレックの英語教員対象の講習会で、一部、「アクティブ・ラーニング」もどきを取り入れてみたのですが、結果的には課題が残る結果となりました。

誤解無いように書きますと、「「アクティブ・ラーニング」手法で英語を教える方法」を講習したといういみではなく、その講習会のコンテンツの一部であった音声学的基礎知識を「アクティブ・ラーニング」で学習してもらってみた、という意味です。

基本的には読めばわかるように書いた(つもりであった)調音音声学の基礎知識のプリント5ページほどを渡し、4人グループになってもらい、ひとり進行役を決めてグループ内で確認しつつ読み進めてもらい、不明なところをグループ毎にチェックしてもらい、その状況を巡視しながら、適宜、私が質問を受けたり、全体に私が補足解説する、という形式を、6時間の講習のなかの2時間くらい実施してみたのです。

講習後のアンケートの文面には、このフェイズに関しては、

「間延びしていた」

「自分たちは先生の話を聞くために来ているのです」

「知識の不確かな者同士で話し合いをするのは時間のムダでした」

的な内容の否定的なコメントがちらほら。

確かに、私自身、かなり前、講習会を聞く側に回っていた時に、講師がかなりの時間をつかって受講生同士の話し合いをさせた時がありました。

あの時、「講師の話を聞くためにお金を払ってきている受講生に、受講生同士で討論をさせるのは詐欺じゃないか。受講生同士のディスカッションなんか、講師がいなくてもできるよ」と感じたことを思い出しました。

もちろん今回はそうならないように、講師である私がその場で supervise していなければできない介入やコメントを適切タイミングと適切な頻度で、私はやっていたつもりではあったのですが、そうは思わなかった受講生もいたようです。

「アクティブ・ラーニングは、受ける側にとっていは教える側の怠慢だと感じられることがある。」

「ゼロ✕ゼロ=ゼロであって、基礎知識のない者同士が話し合っても、文殊の知恵は出てこない」

という真実を、今騒がれている「アクティブ・ラーニング」も一方的な講義も嫌いな私が、教員対象の講習会で、アクティブ・ラーニングもどきを試してみて、改めて気付かされるという、皮肉な形になりました。






7/30/2016

宗教(^^;)のように真面目に楽しく

. . .
あんな大人数なのに、宗教のように学生の皆は真面目に楽しそうに取り組んでおり、こんな一体感のある授業はこの英語教育学入門だけなんじゃないかな、と思ってます。
. . .
やっぱり学生からも、あの授業は「宗教」みたいに見えるのか、と大笑い。105人の信者が飛んだり跳ねたりのグルグル教の様子をビデオでお見せします。

お申し込みはこちら↓

http://www.velctest.org/misc/160806_lecture/

7/29/2016

8月6日 の猛獣使いショー、はっきり言って見に来る価値があります

再々度の告知ですが、8月6日、見に来てください。

シンポジウムという名前で授業の様子をビデオも交えて紹介するわれわれ3人は、憚りながらいずれも「ただの」(失礼。)大学教員ではなく、中学で、あるいは高校で、あるいはその両方で、かなり実質的な年数、teen-aged beasts を相手に猛獣使いをやっていた経験を土台にしながら、今は大学という現場で教えている、筋金入りの、いわば猛獣使い教員です。

ちなみに、3名とも、若林俊輔門下生。

淡路先生と靜は、若林師匠曰く、「英語教育界でもっともヤクザなふたり」だそうで。。(光栄なことです)

モッチー望月先生は、ヤクザどころか見かけは穏やかで大人の紳士の魅力が武器ですが、どうしてどうして学生に対する「圧」は並ではありません。

そういう猛獣使い3人が、猛獣使いにしかわからないノウハウを余すところなく公開しますから、学生がやる気がないとか、予習をやってこないとか、居眠りしているのがいるとか、ペアワークに参加しないとか、クラスの人数が多すぎるとか、面白い授業ができないとか、基礎力がなさすぎるとか、そういう、純粋培養(=大学を出て、大学院に行って、そのまま大学にもどって教えている)大学先生にありがちな--しかしわれわれ3人の授業ではありえない--悩みを抱えている方は、必見です!

猛獣にくらべれば人間の大学生の扱いなんてオチャノコサイサイですから。

後日、例年通り YouTubeでも様子は公開される予定ですが、学生の生の表情がでているようなビデオはさすがにYouTubeでは見られません。

さあ、生で猛獣ショーを見ましょう。

お誘いあわせの上、お申し込みはこちら↓

http://www.velctest.org/misc/160806_lecture/

英語能力測定・評価研究会[VELC研究会]

第5回研究会 8月6日(土) 13:30 ~ 16:30





1. 基調講演「VELC Testの概要と妥当性について」
水本 篤(VELC 研究会・関西大学准教授)
熊澤 孝昭(VELC研究会・関東学院大学准教授)
2. 基調講演「VELC Testの導入とその活用法: 大阪工業大学知的財産学部」
井村 誠(大阪工業大学教授)
3. シンポジウム
テーマ「私の考える アクティブ・ラーニング 大学生をやる気にさせる英語授業の提案」
シンポジスト:
 淡路 佳昌(大東文化大学准教授)
 望月 正道(VELC 研究会副会長・麗澤大学教授)
 靜 哲人(VELC 研究会会長・大東文化大学教授)
コーディネーター:水本 篤

ダメなところはズバズバ斬り、イイところは褒める: 孫弟子にも分かっていたこのシンプルなやり方

1年生の歌の授業の感想を読んでいたところ、前勤務校の教え子がその学生の高校時代の担任であった、ということが判明。実は今教えているのは、教え子の教え子だから孫弟子でもあるのだ、という妙な(?)感激。

しかもその学生が、なんと
ダメなところはズバズバと言い良いところは褒めてくれる先生のスタイルが私達のやる気を高めてくれました!英語を勉強している以上正しい英語の発音が出来ないという事は恥ずかしい事だと思わなければいけなく、学生のうちに学べる事に誇りをもって授業に参加する事が出来ました。
などとtoo good to be true なことを書いてくれており、いやあ、かなりかなり嬉しいなぁ。。。

7/27/2016

生徒は褒めて伸ばそう

西日本で教えている2年目の教え子に聞いた話。

ALTとのTTでグルグルを分担してやったところ、そのALTが、ダメ出しをすることによる生徒のその後の向上具合に驚いた、と。

それまでALTの研修ではずっと、Super! とか、Awesome! とか言うようにということを口をすっぱくして叩き込まれたので、これまではずっと、生徒のパフォーマンスが、どんな "Crap" (という本人の言葉とのこと)でも、褒めてきた。しかし、(当然のことながら)生徒のパフォーマンスのレベルはずっとクラップのままだった、と。

ところがグルグルでダメ出しすると生徒のパフォーマンスが変わる!という当たり前の事実に驚愕し、いままでのはなんだったのか、と思ったと。

そらそうでしょ。

ダメなものをダメといい、良くして、良くなった瞬間すかさず、それだ!! その感覚を忘れるな!と褒めるのが、大切なのだ。

あたり前田のクラッカー。(古!)

7/26/2016

英語教育改革のカギは、ICT と アクティブラーニングにあり!

なんて言っている輩にロクな奴はいない。

間違いなし。

ICTくだらん。

チョークと黒板が基本。

チョークと黒板でできないことはほとんどない。

チョークと黒板でいい授業ができる人が、ICTを使えば、多少はもっと便利な授業はできる。

が、

チョークと黒板で効果的な授業ができない奴が、機器の力を借りて効果的な授業ができることはありえない。

ICTに逃げるな。

電子黒板に逃げるな。

電子黒板、ほとほとクダラン。

生身の人間教員こそが、もっともインタラクティブで、アクティブで、コミッティッドな存在なのである。


烈火のごとく怒る理由は

今日は英語科教育法の前期最後の授業だったが、数名、怒鳴りあげた。

何を怒鳴りあげたかというと、特定の発音を意識していないということについてである。

できないのは仕方ない。しかしできるのに無自覚でやらない者は許せない。

/ l / で、意識して舌先をしっかり歯茎に長めに接触させる、というポイントを何度なく教えてきたにもかかわらず、無自覚な発音をする者に対して、烈火のごとく怒った、のである。

以下、再現ドラマ:

お前、やる気はないのか?

あります。

じゃあ、いまのポイントは何だった?

Lです。

Lのポイントは何だ?

舌を歯茎につけることです。

つけようとしていたか?

いませんでした。

何でしないんだよ? あ~!? 何でお前はそうやって、自分の時間と周りの時間を無駄にするんだ?! 自分の口なんだから自分で責任もってコントロールしろや! なんで5メートルも離れた俺からお前の舌がついてない、なんて指摘されなければならないんだよ。自分の口なんだからきちっとやれよ。

LもRもわけがわからんやつに、大学の名前を背負って教育実習の教壇に立たせるわけにはいかねえんだよ。実習先の生徒に害毒だから。

半年やってんだから、いいかげんに学習しろや!!

---

Lができない学生をこれだけの勢いで全員の前で怒鳴りあげる大学教員はたぶん日本で私だけだと思う。

この学生は今日の授業中を通じていじめたが、終わったあとやってきて礼を言っていたので、後期に期待したい。

7/20/2016

部活はアウトソーシングしたほうがよい

一つの流れとして、中学校、高校の部活動の指導をアウトソーシングしようというものがある。

ほとんどのスポーツのベースが学校の部活動にあるという日本の特徴的なパターンを所与のものとしての話だが、それならば、その学校の部活動の指導・監督に当たる担当者を、学校教員でなく、外部から導入した専門家にする、というものだ。

いつ全国的に実現するのかは予想がつかないが、大賛成である。この動きを私は大いに歓迎したい。

学校の教員が部活指導に当たることの意義はある。うまくいっているケースもたくさんある。教師が部活を指導するなかで生徒の人間的な成長を保証し、また授業だけでは得られない関わりを形成ているケースはたくさんあると思うし、個人的に見聞きもしてきた。その意味で、現在の形の部活は一定の成果を上げているのは間違いない。

それを好む人がやっている場合には問題は少ない。

しかし好むと好まざるとにかかわらず、部活顧問に割り振られてしまい、土曜も日曜もなくなってしまう。それはシステムとしてアウトだと思う。

「プライベート」がゼロで、何もできない。そういうブラックな職種である。

そういう認識が広まる結果、「生徒に英語は教えたい。教えたいけれど、プライベートがゼロになるような仕事はちょっと。。。 」ときっと優秀な英語教師になるにちがいない人材が、この業界に入らない選択をしてしまうケースが現実にある。

そして、業界に入った人間も、忙しくて十分に授業の準備もできない。

それでは本末転倒を絵に描いたようなものである。

自分は、◯◯部の顧問になりたいので、(教科としては成り行き上)英語の教師を目指しています、そういう人種も一定数、かならずいる。

そういう人種は、システムとして(特に運動部)部活顧問のアウトソーシングが定着すれば、片手間とはいわないまでも第二次的な希望である英語教員免許などとる必要がなくなるのである。

授業は授業のスペシャリスト、心のケアは心のケアのスペシャリスト、スポーツ指導はスポート指導のエクスパート、そのそれぞれが自分の本業に磨きをかけて、ちゃんと土日は休み、リフレッシュし、それなりの収入も得て、充実した人生を送る。それがあるべき姿であるし、それが、生徒に対して質の高い授業、質の高いスポーツ指導を保証することにつながる。

教育実習から帰ってくると、きまって「教師は授業だけではないのだ、と実感しました」という感想が出てくる。それは今の現実だが、それを肯定してはいけないのだと思う。

部活「も」命の英語教師を(まともな授業をやっているという条件において)否定はしないが、そうではなく、本業である授業に時間とエネルギーを注ぎたい、という種類の若い教師を否定するような、あるいはそういう教師が生きる余地がないようなシステムは、ダメなシステムなのだと思う。

若林俊輔先生は生前、よく「君たちの免許は英語科教諭の免許であって、その他の免許ではないのだ!」と力説されていた。ようやく時代が追いついてきたのかもしれない。



7/18/2016

悪と恥部の結合:いつまでファドを追い求めれば気が済むのか

90年代に某シンポジウムで、現在の英語教育に望むことのひとつとして、

「コミュニケーション騒ぎをやめること」

と発言したことがある。当時は、「実践的コミュニケーション」というのが学習指導要領のキーワードで、猫も杓子も「コミュニケーション」の大合唱だったので、いいかげんにうんざりしていたのだ。

あれから20年。バズワードの栄枯盛衰は激しく、いまのファドは悪恥部裸亜忍具である。

どうしてこうもコロコロコロコロ、あたらしい用語に飛びついては騒ぎ、飛びついては騒ぎ、をせずにはいられないのだろうか。いい大人が恥ずかしく無いか。

もうちょっとどっしり構えて、一本筋の通った(英語)教育行政はできないのかね。

どうかんがえてもスキル科目の英語と、アクティブ・ラーニングは相性が悪い。

そういう fancy なことに惑わされずに、もっと泥臭く、暗記し、反復しろ。

何をするにせよ、単語を知らなければ、文が組み立てられなければ、アクティブになりようもない。

「アクティブ・ラーニング騒ぎをやめること」

どうせすぐまた消えるが、それまで振り回される現場の若い先生方が気の毒である。


7/15/2016

死んだはずだよ、おチイさん

♪ 生きていたとは、お釈迦様でも
知らぬ仏のおチイさん
エッサオー、ハノーファアー

しばらく消息をたち、一部で絶望視されていた(?)旧友が、海を超えて来板(=板橋)!

生きててよかった。。。

考えてみると我々は、二人ずつの組み合わせではいずれも同じ職場の同僚だった時期があるが、3人同時に同僚だったことはない、という妙なトリオです。

さて、では3人同時に同僚になる日が、いつか来るのか . . .



Reminder 8月6日(土) 授業の様子を公開します

再度、告知させていただきます。

下記の日程で今年もベルク研究会を行います。

今回、私個人は、学生をアクティブに学習に取り組ませる試みとして、昨年から始めている、歌「のみ」をメイン教材とした100人超のクラスでのグルグル授業の様子を紹介いたします。

現在、ビデオ編集中ですが、グルグルに関しては、やりながら手持ちで自分で撮影しましたので、私と学生の間の 50 cmの距離で何が、どういうふうに起こっているのかの空気感を、臨場感をもって体験していただけます。

また大学の大教室で100人超のクラスをどうやって動かして活発な空気を維持しているのか、どういう空気感でひとりひとりマイクを持って皆の前で歌わせて音声指導を行っているのか、などもよくわかるビデオになっています。

シンポジウムでご一緒する淡路先生、望月先生もそれぞれ工夫をこらした授業の様子をご発表になると伺っています。

どうぞお誘い合わせの上、いらしてください。

お申し込みはこちら↓

英語能力測定・評価研究会[VELC研究会]

第5回研究会 8月6日(土) 13:30 ~ 16:30


1. 基調講演「VELC Testの概要と妥当性について」
水本 篤(VELC 研究会・関西大学准教授)
熊澤 孝昭(VELC研究会・関東学院大学准教授)
2. 基調講演「VELC Testの導入とその活用法: 大阪工業大学知的財産学部」
井村 誠(大阪工業大学教授)
3. シンポジウム
テーマ「私の考える アクティブ・ラーニング 大学生をやる気にさせる英語授業の提案」
シンポジスト:
 淡路 佳昌(大東文化大学准教授)
 望月 正道(VELC 研究会副会長・麗澤大学教授)
 靜 哲人(VELC 研究会会長・大東文化大学教授)
コーディネーター:水本 篤