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3/16/2017

歌を教材とする場合の歌詞に関する考察:満たすべき3条件と訴求力の折り合い

最近、歌を教材にするさいの選曲について改めて考える機会がありましたのでポストします。

中学の学年行事として、20人ほどの10数チームが、それぞれが選んだ英語の歌を歌い踊るというコンテストを見せていただきました。パフォーマンス自体は、発音の指導がきっちりなされたうえで、そのうえにプラスアルファとして振付やフォーメーションの演出があり、チームの団結や学年の雰囲気の良さを感じさせる、微笑ましく、すばらしいものでした。

文化祭などで行事として英語の歌を歌う取り組みはあると思いますが、私が直接見た限りにおいては、今回ほどきちんと発音指導がなされたうえで行われているものはないと思います。司会者の生徒の英語も徹底的に指導されており、巷の英語教育研究大会や弁論大会で司会をする多くの英語教員よりもきちんとした発音でした。指導にあたった先生の努力がしのばれます。

そのうえで、なのですが、パフォーマンス以前の問題として、いくつかの曲に違和感をもったのです。それは歌詞の内容が、中学生の男女が集団で公式行事として歌うのにそぐわないように思われたからです。いわば子役が演歌を歌っている時に感じるような違和感です。

「あなたのジーンズがびりびりに破れていて、そこから覗く肌を見たとき、ああ! 出会ったばかりでクレージーだけど、電話して!」 (ある曲の歌詞の一部の内容を私の解釈でデフォルメしてまとめたもの)

は、まあ、ジーンズびりびりの肌露出がちょっと下品だな、という程度ですが、

「なあ彼女!会ったばかりだけど、恋してるってことにして、今夜は朝まで、クレージーなことしようぜ、考えすぎないで、さあ、本能のままに、止まらず最後まで!」(ある曲の歌詞の一部の内容を私の解釈でデフォルメしてまとめたもの)

は明らかに10代くらいの「性衝動ホルモン」ソングだと思いますし、

「今夜は最後までいきましょうよ、私のピチピチジーンズであなたのハートをバクバクさせるわよ、ピチピチジーンズの私に触って、あなたが10代のころに見た夢になってあげるわ、肌にふれてみたら、ああこれは本物よ、いちかばちかやってみて、後悔しないで、後ろをふりかえらないで!」(ある曲の歌詞の一部の内容を私の解釈でデフォルメしてまとめたもの)

に至っては、たぶん20代から30代の刹那的セックス万歳ソングで、実際、プロモーションビデオのなかではKaty Perry がどっかのモーテルで男性と激しくからみあってます。

さらに 別の曲 は、f**kingやら、s**tやらのbad language や俗語のオンパレードで、全体として「パーティしようぜ、ガンガン飲もうぜ、はちゃめちゃ騒ごうぜ!」と言っているのは分かりますが、1行1行を見ると、もはや私を含め、普通のEFL話者には意味をとるのもむつかしい感じです。

誤解しないで欲しいのですが、セックスや飲酒をテーマにしている歌だから即、不適切だといっているのでは、必ずしもありません。もし中学生たちが、本当に歌詞の意味を理解したうえで、「私は燃えてるの、セックスしたいの、出会ったばかりだけど今夜は朝までやりたいの!」「がんがん酒を飲んで、朝まで騒ぎたいの!」と実感として歌いたくて歌っているのなら、それはそれで自己表現ですからよしとする、という立場もあるでしょう。15歳といえば人によっては性ホルモンは十分ですから。

でも、日本で育った日本人である彼ら、彼女らのまだまだあどけない顔や、表情、様子をみていると、セックスをしようよ、酒を飲もうよ、という歌の歌詞を理解して歌い上げているというようには思えません。そうではなくて誰かが歌っている映像を見て、メロディやリズムやノリに惹かれて選曲し、あとは単なる音として歌っている、というほうが近いのではないでしょうか。

もしそうだとすると、それは、英語学習として英語教育として英語の歌を歌う・歌わせる場合には、よろしくない状況のように思えます。意味を考えずに音読する「空読み」にも似た、「空歌い」になってしまいます。

音楽の力は偉大です。メロディとリズムは、それだけで聞く人の気分を左右する力を持っています。iPhoneの「写真」アプリには、同じ日にとった写真のグループを勝手に?まとめて、勝手にBGMつきのスライドショーにしてくれる機能があります。

ちょっと前、私がネコのケージを分解する際に、いつかまた組み立てるときの参考にと、分解過程を撮影しておいた10枚程度の写真が、知らないうちにBGMつきのスライドショーになっており、それを見たときの驚き。。。 なんだか感傷と感動をさそうような作品に仕上がっている!ただの即物的なネコのケージの部品が写っているだけなのに!まったく感動のない写真でさえ、感動をさそう錯覚を創り出す。音楽恐るべし!

なんじゃこりゃ~の歌詞が、メロディとリズムと重なった時、総体として「いい歌」になる、いや、なってしまう、時が十分あるのが、歌というもののすばらしさであり、また同時に難しさ、落とし穴ではないでしょうか。

個人の趣味として歌うぶんには、どんな歌でも自分で「いい歌」だと思う歌を歌えばよいのだと思います。

しかし、英語教材として扱う歌は、その学習者にとって、(1)英語として明示的な意味が明らかで、筋が通っていて、(2)学習・記憶するに値する表現、単語(のみ、でなくとも、多く)が使われており、(3)歌詞の内容が広い意味でその歌い手にとって適切(educational だったり、inspirational だったり、instructional だったりと、romanticだったり、encouraging だったり、と適切さの方向はいろいろだと思いますが)である、という条件を満たしているべきだと思います。

今回のコンテストでも、これらを満たした歌がほとんででした。ただ中にごく少数だけ、むむ、という歌が混じっていた、ということです。

単に雰囲気作りだけのために音楽を流すのはもったいないのと同じくらい、覚えた歌詞がその後の自己表現や発信のためにあまり使えない歌を、時間をかけて練習するのは、別の意味でもったいないのではないか、と思います。

今回のコンテストとは無関係ですが、たとえば、Queen の We will rock you は、(1)(2)(3)のどの条件も、どちらかと言えば満たさないように思います。私自身も今年、学生(大学生です)からのリクエストで使ってみたのですが、たしかにあの「ズンズンチャ!ズンズンチャ!」で気分アゲアゲにはなるものの、歌詞の小テストに使える(テストとして取り上げるに値する)単語、表現の少なさに改めてあとから気づきました。来年度使うかどうかは思案のしどころだと思っています。

これらの3つの条件を満たすということと、歌う当事者である生徒・学生に対する訴求力がある、という条件の両方の折り合いをつけるのが、選曲時における moderator, mediator としての教員の役割・腕のみせどころかと思います。