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12/24/2016

メール経由のサイクリカル発音指導

昨日の23:59を締め切りにして、50語程度の英文を音読してファイルにして送ってくる、という課題を出した。対象は約40名。

締め切りのだいたい48時間前から提出ファイルがひとつ、またひとつ、五月雨のように入ってきた。

ひとつのファイルは約30秒だが、5秒聞いてダメなものはダメだとすぐ分かる。パソコン向かって仕事をしながら、ファイルが入ってくるそばから聞き、即、「合格」か、「不合格」かを返信していった。

不合格の場合の文言のバリエーション:

不可でいいのか!? 再提出しろ。

モデル音声をよ~く聞け!

やりなおし!

LはL、RはR! 再提出。

などなど。締め切りまでには全員が少なくとも第一回の提出を終えたが、二度三度四度ととダメ出しをせざるを得なかった者もおり、昨晩は結局 2:00 AM までやりとりが続いた。(というか、実はいまこの時も、まだ数名とのやりとりが完結していない。)

もちろん、単にやり直しだけで気づかないと判断したら、どの単語のどの部分がどうなっているから修正せよ、という具体的な指摘も必要になった。

単にその場限りで終わる、授業中でのグルグルだけでなく、帰れま10ならぬ、発音ダメだといつまでも終われま10、みたいな、こういうメールベースの添削も時折やることが有効であろう、と最近感じている。

音声ファイルという動かぬ証拠も残るので、残念ながらどうしても不可をつけざるを得ない場合も、その評価の裏付けとなる強固なエビデンスにもなる。

生徒のモデルになれないような音読しかできない学生を、うちの大学から送り出して教育実習の教壇に立たせることはあってはならないし、じっさいにそういうことはしない。

We can't and we won't.


12/22/2016

「高校は『クソ』でした」

来春から教壇に立つ教え子が、採用された自治体での事前研修として中学と高校の授業の見学から帰ってきて言ったセリフがこれ。

「靜先生がOK出すような授業はいっこもないんですが、それでも中学のほうは、生徒の英語をなんとかしてやろうという気概を感じる先生が何人かいました」

「でも高校のほうは全員、やる気がないように感じちゃうというか、事務作業のようにたんたんと授業を進めてました」

「ここのところ語研の授業を何回か見ていたので、今の英語授業ってあんなものなのかなぁ。。と思ってたのですが、久々にその辺の『普通の』先生の授業を見てみて、ああぁあああ、まったく変わってないわ、と思いました」

「英語なんか全然つかっていませんね。えんえん日本語で解説してました」

「中学の先生は、『生徒を育てたい』という気持ちがあるのに対して、高校の先生は単に『知識を与えたい』という感じなんですね。初めて実感しました」

「帰国子女の先生がいて、もちろん先生自身の英語はうまいのですが、(ご多分に漏れず)そのうまさは生徒にまったく反映されていませんでした」

「教育実習と違って、どの授業でも自由に出入りしていいので、5分見て『あ、こりゃダメだわ』と思ったらさっさと出られたので、とっても楽でした」

感想:

(1)そんな授業をする教員がいる学校を、大事な採用予定者の研修場所に選ぶのか、教育委員会?

(2)そういう鋭い観察眼を持つまでに育ってくれて嬉しいね。

スタンバイとファストパス

先日の、ゼミディズニーからの話題。

多くのアトラクションは80分待ちとか90分待ちとかなのだが、事前に「予約」してファストパスというものをゲットすると、一定の時間帯に行けばそれほど待たずに乗れる、というシステムだという。

ファストパスって、fast path かな?と思っていて掲示をみると fast pass だった。なるほどね。

アトラクションの入口がふたつに別れていて、一方に

スタンバイ Stand By

他方に

ファストパス Fast Pass

とある。

で、思ったこと:

「スタンバイ」に合わせるなら「ファスパス」だよね。

逆に「ファストパス」に合わせるなら「スタンドバイ」だよね。

耳から入ったスタンバイ、目から入ったファストパス、なのだろう。

今年は良い年だったのは、ふたりのおかげ

大学そばのコーヒー屋に豆を買いに行った折、会計をしながらオヤジさんに「今年は良い年でしたか?」と聞かれて反射的に「良い年でしたよ」と口をついて出た。(するとオヤジさんは「それは良かったね。うちは最悪の年でしたよ。仕入先が何軒も潰れちゃって(云々)。。」と言っていたが。)

深く考えたわけでもないが思わず「良い年でした」と答えられたということは、良いことなのだと思う。

このコーヒー屋でのやりとりをきっかけに改めて振り返ってみて、今年もっとも幸せだったことは、アトムと夢が我が家にやってきたことだ。

このブログのタイトルでもある、わが息子、カイルは、実は2015年が明けてまもなく、天国に旅立ってしまった。

そう、あれはあの年の教職実践演習のまさに最終授業の当日だった。卒業しようとしている学生たちとの別れを惜しんで記念写真をとりつつも、気持ちはその日の早朝に旅立ってしまったカイルのもとに戻るため、一刻も早く家に帰らねば、と。。。

しばらく何をする気も起きず、というよりも世界が終わってしまったような感覚が続き、家からは一切の灯り、火、が消えてしまったようだった。

通勤電車に乗っても「(うちのカイルがいなくなったのに)なんで世の中の人間は何事もなかったかのように普通に生活しているんだ!?」という小学生、いや幼稚園児並みの自己中心的な怒りにも似た感情が沸き起こるのを抑えられない日々だった。

2015年からブログポストの数ががくっと減ったのも、カイルを失ったことが大きかったはずである。

そんな3ヶ月近くがたち、自分に言い聞かせるために、ようやくポストしたのが 「復活」:

http://cherryshusband.blogspot.jp/2015/04/resurrection.html

このポストのイラストと詩(rainbow bridge)は古くからの友人ソウルメイトの「おちいさん」が、ドイツから送ってくれたものだ。彼女のメールのおかげで、すこしは cope するのが楽になった。心から感謝している。

15年間、文字通り毎晩、枕元で一緒に寝てくれていた我が子カイルの一周忌が過ぎてしばらくして、アトムと夢を迎えた。

ふたりともおそらく酷い幼少期を送ってきたせいで、すでにかなり人間に対して偏見が強くなっていた。とくに夢のほうは、家の隅に隠れてしまってずっと顔をみせてくれないような日々が続き、このままひきこもりでずっといくのかなぁ、と半分あきらめにもにた日々を重ねて十ヶ月、いまではまあまあ、毎晩顔を見せてくれるようにはなった。

夢はいまだに目を合わせると、あるいは1m以内に近づくと、脱兎もとい脱ニャンコのごとく泡を食って逃げてしまうが、まあ最初のひきこもり女子の状態から見れば、よくぞここまで。。。

きっといつか心を許してくれて、触れるようになる。。。かな?

なるよ。







12/21/2016

PPAPについて

書こう書こうと思いながら、暇がなく書けなかったが、ようやく一息ついたので書く。

いままで「そんなの関係ねぇ」から「あるある探検隊」から「武勇伝武勇伝」から「ラッスンゴレライ」から「ダンソン!」まで、リズム芸がブレークするたびに、英語リズム練習として取り入れてきたのだが、今回のピコ太郎さんのPPAPは、取り入れる気にならない、マネする気にならない、初めてのリズム芸である。失礼ながらビジュアル的に見ていて不快だからである。

学生がある日、靜先生、これ見たら絶対怒りますよ、この人、I habe a apple って言ってますよ!といいながらピコ太郎さんの動画を見せてくれた。学生が何を思ったかしらないが、芸人さんの芸なのでまじめに起こるもへちまもない。

(ただ世界中でPPAPをやってみたという動画がアップされているが、見てみると、世界の動画はちゃんと I have an apple.となにげに発音している(当たり前か)。)

たしかに英語発音的にはひどいのだが、良い点を見つけるならば、アイハブア でなく、アイハバ と言ってくれていることである。つまり、have だか hab だかに母音挿入をしてハブと言ってからアを発音するのでなく、子音に直接つぎのアをリンクして、haba と言ってくれていることだ。

次はだれか、 マイネーミズ...というような発音のリズム芸を出してくれないかな。

大隅良典さんの英語

もうちょっと前ですが、テレビで5秒ほど流れたノーベル賞の大隅良典氏の英語スピーチを聞いて、そのきちんした英語に感銘を受けました(というか、安堵しました)。

5秒のなかに、truly  と、nurture という語が使われましたが、trulyでの rからlの切り替え、nurと tureの母音の音価から、「きちんと英語」であることが明白でした。

安堵したというのは、今までのノーベル賞受賞者には、どうしようもない英語の人も少なくなく、そのたびに、「ノーベル賞受賞者でもあんな英語なんだから、やっぱり発音はブロークンでも内容があればいいのね」という、よろしくないメッセージが世間に発信されており、英語教員として迷惑な思いをしていたからです。

大隅先生にせよ、山中先生にせよ、ああいう英語を世間の人が聞いて、一流の学者は英語も一流だ、というイメージが強まってくれることを一英語教員として願います。

12/20/2016

東松山キャンパス、年内授業終了し、動物園と、サービスモリモリ

1年生も2年生も、ある程度の達成感(私の側の)をもって終わることができた。授業終了後、開放感にまかせてキャンパス脇のこども動物公園を1時間ほどあるき回り、世界最小のシカ「プーズー」やら放し飼いされているマーラーやらを牛やら馬やらペンギンやらキリンやらシマウマやらを眺め、和む。

その後、もとゼミ生の4年生がバイトしているお好み焼き屋で夕食。ピリ辛ホルモンを頼むと彼女が「モリモリで!」と持ってきてくれたホルモンが通常の2倍いや3倍はあろうか、という量!う、嬉しい。。。悲鳴とはまさにこれ。もうこちとら高齢者ですからね、この量はさすがに無理だわ。お好みも頼んでるし。気持ちが嬉しので食べられるだけ食べましたが、無理せず残りはありがたく、持ち帰りにさせてもらいました。他にも鶏モモをサービスにしてくれたり、エビ玉のエビの数を増やしてくれたりと、改めて、な、なんていい子なんだ。。。 

卒業を間近に控えて、こういう関係になれていることが、じんわりと心にしみ、お腹も胸もいっぱいになって帰りました。