圧雪斜面というのは圧雪車で雪を踏み固めて凸凹をなくしてある斜面のこと。そういう斜面であれば、私と本当の上級者はそれほど違わないように見えるかもしれない(素人目には)。
しかし非圧雪斜面でコブコブになるとそうは行かない。コブのてっぺんにストックをつくとかコブを膝で吸収するとか、頭ではわかっていても身体がついていかないので、とたんにヘロヘロフォームになってしまう。私と本当の上級者の圧倒的な差は誰の目にも明らかになる。
こういう現象は発音でもある。発音にフルに注意を注げる状態であれば見えない二人の学習者の差が、そうでない状態になると見えるようになる、ということがある。たとえば
- 単語を独立して読む時は見えないが、文を読むとボロがでる
- 文を見ながら読んでいると見えないが、read and look upさせるとダメになる
- 文を自分にcomfortableなスピードで読んでいると見えないが、自分以上のスピードを shadowingなどで強制されるとボロボロになる
- 与えた文を言わせていると見えないが、即興のやりとりで話しながら自分で文を組み立てる必要がある状況だとヘロヘロ発音になる
などである。
私のスキーはもう上達することはなさそうだが、英語学習者は上に掲げた左の状況から始め、左の状況で適正な発音ができるようになったら、徐々に右の状況になってもできるようにスキルアップしてゆかねばならない。教師は状況の負荷を調整することで、学習者が1ステップずつ上の状況にも対応できるように導いていく必要がある。それが技能の自動化への道である。
以前、「発音なんてさぁ、注意しているときは出来てても、会話になるととたんにボロボロになっちゃうからね。(だから指導してもしょうがないよ。)」と威張っている英語教師の友人がいたが、現状認識は正しくても結論がおかしい。「ウェーデルンなんてさぁ、緩斜面ではできても、急斜面でコブコブになるととたんにぼろぼろになっちゃうからね。(だから指導してもしようがないよ。)がおかしいのと同じ。会話になるとボロボロになるからこそ「そういう状況下において指導しなくてはならない」のである。
つまり「コミュニケーション活動では、発音は指導しません」というあるあるの指導指針は間違っているということである。間違っている、の意味は、そういう指導指針のもとで生徒の発音がそれ以上上達することはない、ということである。(それでもいい、という人との話はそこで終わり。)
音読活動の時だけは、あるいは発音コーナー?のところだけで発音を指導するが、発音にフルアテンションを払えない発表活動とか即興対話の時には発音の指導をやめてしまう、というのは、斜度のゆるい滑りやすい斜面だけでパラレルターンの指導はするが、急斜面のコブコブになると指導をやめてしまうスキーインストラクターのようなものだ。(ちょっとアナロジーが苦しいが。。)コブ斜面でこそうまく滑れるように指導してこそインストラクターである。即興のやりとりの中でこそ、フォームの指導をしなくては、生徒に変化は起こらない。
生徒のスキルの上達にあわせて滑らせる斜面のレベルを上げ、最終的にはどんな斜面でも自由に華麗に滑れるように、教師なら導いてゆきたい。
(オレも導かれたいなぁ。。ひょっとして渡辺雅之・ハンターマウンテン・ベテランインストラクターに教えてもらえばまだイケるか?!)← イケるみたいです。