英語スピーチコンテストは、
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などで採点されるのが普通だ。細分化すると、テーマの選択、論の建て方、オリジナリティ、英語の表現、話し方、発音、など、となる。
このなかで、テーマの選択や論の建て方や英語の表現(語彙、文法、語法など)は、中学生や高校生の場合、おそらくほぼ100%、出場者だけの力ではなく、指導教員やALTの手が入っている。比率はたぶんいろいろで、本人と指導者の割合が9:1~5:5?と異なるだろうが、10:0 ということはまずないだろう。
すると採点する側は、なにを採点しているのか? 指導教員やALTの指導力や英語力も含めて採点することになっている。つまり、スクリプトのなかに文字化してすでに存在している部分については、純粋に出場者の力とは言えない。
L2話者の場合、英語力のひとつの本質は、知っている単語をいかに使い回していろいろなことが表現できるか、ということである。もちろん単語自体を増やすのは重要だが、手持ちの単語を活用することのほうが重要であると言っても過言ではない(プロダクションの場合)。 これを考えると、日本人の審査員さえもなじみがないような単語や表現が、中学生の英語弁論大会で出てくるのを見て、強い違和感を感じる。
純粋に出場者の力と言えるのは、発音や話し方などの、その場での音声パフォーマンスに関わる部分だけ、である。発音や話し方などは、もちろん指導者の指導をへてのものであるが、その場では、本人ひとりでパフォームするのだから、本人の力になっていると考えて間違いない。その点が、コンテントと根本的に異なる。
純粋に本人の実力だけを競おうとするならば、二つの方向がある。
ひとつは、スクリプトをあらかじめ指定した、暗唱コンテストである。これならば、純粋に英語の音声化能力を公平な条件で比較、評価することができる。
もうひとつは、その場で同じひとつのテーマ(あるいはテーマ群)を与えられ、ある程度(10分~30分)の準備時間(その間は別室で隔離される)を使ったのちに、スピーチをする、順即興(extemporaneous) スピーチだ。辞書の使用も禁止するのがいいと思う。
それこそ、その時点で身に付いている単語力、表現力、文法力、発音力、そして思考力を競うイベントになるだろう。
そのようなイベントで見られる英語のレベルが、現在の日本の生徒たちの本当の英語のレベルなのだ、と思う。それをすこしずつでも向上させていくことが、本当の英語力の向上なのだと思われる。
つまり、prepared speech の大会、というイベントは指導者の存在が大きい中学や高校では、その本質を考えると、ちょっと如何なものか、というのが本ポストの主旨である。
1)スクリプトを指定した暗唱大会
2)テーマをその場で指定される準即興弁論大会
の2本立てがいいのではないだろうか。