Total Pageviews

9/02/2019

激烈な音痴は . . . いる。

きょうまで、英語教員になるには英語の歌が歌えなくてはならない、別にビブラートとかかけられなくてもいいが、普通に音程をはずさずに歌えなくてはならない、もちろん発音はきちんとしながら、教科書に英語の歌が掲載されているときにスルーするのではなくきちんと取り上げて授業ができなければならない、くわえて帯活動などで授業のルーティーンとして歌の歌唱活動がなければならない、という固い固い信念のもと、教員養成を行ってきた。靜流英語授業道の英語教育事典では、英語の歌がきちんと歌えない英語教員は英語教員失格なのである。

が、英語はまともに話せるが、英語の歌が歌えない人がいるのだ、という厳然たる事実、否定しがたい事実の存在を認めざるを得なくなった。

たった今耳で聞いた音程(音の絶対的な高さというよりも、複数の音の相対的な高さのパターン)が、絶望的に再現できない人がいる、しかも多少はずすというレベルではなく、まったく別のメロディになってしまう、これは人前で歌わないほうがいい、これでは音痴ハラスメントになってしまう、というレベルの人がいるのだ、という事実。

話には聞いていたけど、本当にいるのだ。。。

現象としては、耳からきいた複数音の相対的な高さが知覚できないのか、知覚しても作動記憶に保持できないのか、保持していても、それを自分の口で再現できなのかのどれか、あるいはこれらの全部だとは思うが。。。

う〜ん、こまった。

が、まあ例外中の例外でしょうから、靜流英語授業道の事典を改定するつもりはいまのところ、ありません。