(1)手書きすれば時間がかかる長いセンテンスも一瞬で提示できる
(2)それを一瞬で消せる
(3)また一瞬で提示できる
(4)intact文を一瞬で虫食い文にできる
(5)内容語だけ欠けた虫食いん文を一瞬で機能語だけ欠けた虫食い文に変えられる
などなど、変幻自在の提示能力につきるだろう。
アナログでは、read and look upとして、自分で視線を下げたり上げたりするところを、スクリーンから消せば、バーチャル read and look upというか、視点は動かさずに、文字をみずに音声を再生する、という活動が手軽にできる。
アナログの黒板では、文を書いて、それを一部消して読ませて、さらにもっと消して読ませて、最後は全部消して読ませて、などとやっていた(やっている)ことがデジタルならもっと手軽にできる。
そしてこういうシンプルな提示にはシンプルなパワポなどが最も良いというかシンプルな普通のPCの機能で十分なわけである。電子黒板がいくらするか知らないが、わざわざそんなものを購入する必要はないはず。
それを、電子黒板にシコシコ手書きで生徒に背を向けて何十秒もかけて「板書」するのでは、まったく何のための電子黒板かわからない。単なる電気の無駄。赤チョークを赤ハイライトに代えて、手が汚れないのはいいが、ただそれだけ。
なんだかICTはICTを使うことありきで、それが自目的化しており、電子黒板を売る業者を設けさせるだけで、授業の改善には全く役立っていないケースも結構多いのではないだろうか。。。
冒頭に述べたような本質的な考察をしたことがない人が多いのだろうか。
淡路先生から教えてもらった次の名言が思い出される:
“Any problems the schools cannot solve without computers, they cannot solve with them.”
"In the end, technology can amplify great teaching, but great technology cannot replace poor teaching.”
OECD (2015), Students, Computers and Learning: Making the Connection, OECD Publishing, Paris.
DOI: http://dx.doi.org/10.1787/9789264239555-en