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8/22/2010

英語教師は英語で発表しろ

今日、関東甲信越英語教育学会で発表してきました。

CNNのファイルの書き取りをさせるとき、わからなかったら空欄にするのでなく、

If you do アカリオ エナリ...

のように、カタカナで書かせておいて、あとで、正解の

If you do a cardio and not eat, ...

と照らしあわせると、いろいろ気づくことがあるよ~

という内容です。

それはともかく、自分以外に英語で発表する人がほとんどいないのが気になりました

前から言っているように、日本の英語教育のレベルが低いことの原因であり、かつ結果であるのは、「英語教師が英語が使えない」ことです。そしてそのひとつの現れが、学会や、研修会で、英語教員が英語教員を対象にして英語教育に関して発表したり、討論したりする時に、ほとんど、日本語を使って行う、ということです。

「どうやって、生徒に英語をつかって積極的にコミュニケーションをさせようか」というテーマを、英語教師が日本語でコミュニケーションするのが当たり前、というほとんんど冗談のような状況です。

自分がつかわねえものを、生徒がつかうわけねえだろうが。

話し手も聞き手も日本人なのだから、日本語でもいいのでは、と言う人が多いのですが、問題は、じゃあ聴衆に英語ネイティブがいれば、即、英語に切り替えて、同じように自由に討論や発表できるのか、と問われて、YESと言えない教員がほとんどだ、ということです。

つまり、「英語でやる必然性がないから」というのは、実は言い訳で、本音は、「英語でやる自信がないし、無理にやってみると、お互い話が深まらないから」日本語でやる、のです。

何度も言っているように、教員の英語運用力は、直接、どういう授業テクニックを利用できるか、と決定します。EIYOWはいいな、と思っても、自由にパラフレーズできる自信がなければ、そんな教授法は、使えません。

つまり、まず「体」なのです。

だから、自分の日頃やっている仕事である英語教育についてのことを、リラックスして正しい英語で話せる力がないならば、生徒を惹きつける活動について悠長に日本語で話し合っているヒマがあったら、自分のスピーキングをなんとかする努力をすべきなのです。

その格好の場は、授業であり、英語教員同士での研修や発表なのです。

我々、non-native English teachers は、

日本語より、格段に、英語で話すのがおっくうで、労力がかかって、リラックスできない

からこそ、あらゆる機会をとらえて、英語で話すことによって、自分をimprove する職業的義務があるのです。

英語のほうが苦手だから、その英語を教えてカネをもらうプロとしては、最低限の運用力をつけようするために英語で話す義務があるのです

その意味で、英語教育の学会で、英語での発表が norm になる日がくるまでは、日本の英語のレベルは世界ではもちろん、アジアでも最低のままでしょう。 韓国にももうかなり水をあけられつつあるようです。

私個人は、講演やワークショップで呼ばれると、英語教師がオーディエンスである限りは、主催者の意向は一切無視して、原則として英語で通す、という実践を少なくとも15年以上は続けています。

大きな会場の講演後の質疑応答で、なまりのきついALTに質問されて、わからず、四苦八苦して恥もかいたこともあります。

参照 → https://sites.google.com/site/zukeshomepage/publications/practical-papers/064-gentei

しかし、だから、次からは英語でやるのはやめよう、とは思いませんでした。そう思っては進歩がないからです。

言いたいことが言えない、というフラストレーションを感じるからこそ、やるのです。そのフラストレーションがあるからこそ、辞書をしらべ、次の機会にはすらすらその表現を使おう、と思うのです。フラストレーションを感じたくないから、日本語の世界にとどまって、お互いに、低いレベルで慰め合っていては、進歩はありません。

だから、すくなくとも、私の授業を受けた学生には、将来教師になったら、研修や発表は、相手が英語教師であるかぎり、腕ずくで阻止されない限り、何が何でも英語でやる、自分もそれをメシの種にしているプロだし、相手もそうだから、という強い気持ちを持って欲しい、と願っています。

英語を喋るのに苦手意識があるままで、英語教師をつづけるような人間にはなって欲しくないからです。


I strongly believe that not until Japanese English teachers begin to make presentations in English, not in Japanese, at conferences or meetings where the audience is their colleagues will the average English proficiency of Japanese people stop being the lowest in the world.   The level of your command of English severely limits the range of teaching techniques you can use in your classroom.   When you cannot use English comfortably, how can you put paraphrasing activities at the core of your class?   As someone who is poorer at a language that he or she is being paid to teach, you have a professional obligation to use that second language whenever and wherever possible to improve your proficiency.