CNNのファイルの書き取りをさせるとき、
If you do アカリオ エナリ...
のように、カタカナで書かせておいて、あとで、正解の
If you do a cardio and not eat, ...
と照らしあわせると、いろいろ気づくことがあるよ~
という内容です。
それはともかく、
前から言っているように、
「どうやって、
自分がつかわねえものを、生徒がつかうわけねえだろうが。
話し手も聞き手も日本人なのだから、日本語でもいいのでは、
つまり、「英語でやる必然性がないから」というのは、
何度も言っているように、教員の英語運用力は、直接、
つまり、まず「体」なのです。
だから、
その格好の場は、授業であり、
我々、non-native English teachers は、
日本語より、格段に、英語で話すのがおっくうで、
からこそ、あらゆる機会をとらえて、英語で話すことによって、
英語のほうが苦手だから、
その意味で、英語教育の学会で、英語での発表が norm になる日がくるまでは、日本の英語のレベルは世界ではもちろん、
私個人は、講演やワークショップで呼ばれると、
大きな会場の講演後の質疑応答で、
参照 → https://sites.google.com/site/
しかし、だから、次からは英語でやるのはやめよう、とは思いませんでした。そう思っては進歩がないからです。
言いたいことが言えない、
だから、すくなくとも、私の授業を受けた学生には、
英語を喋るのに苦手意識があるままで、
I strongly believe that not until Japanese English teachers begin to make presentations in English, not in Japanese, at conferences or meetings where the audience is their colleagues will the average English proficiency of Japanese people stop being the lowest in the world. The level of your command of English severely limits the range of teaching techniques you can use in your classroom. When you cannot use English comfortably, how can you put paraphrasing activities at the core of your class? As someone who is poorer at a language that he or she is being paid to teach, you have a professional obligation to use that second language whenever and wherever possible to improve your proficiency.