Total Pageviews

10/12/2014

怖くないです

たまたま、昨日、今日と、たてつづけに似たようなことを言われました。

昨日(初対面の方) 「ものすごい怖い先生だと思っていましたが、厳しいというより愛を感じました」

今日(2回めに会った方) 「先生、優しくなりましたね。以前、講習を受けた時は、鬼のような顔をしていましたよ」

そういえば、

「著書から受ける印象よりずっと柔和ですね」

みたいなことも言われることが何度か。。。よっぽど著書では怖い、厳しい、高圧的、居丈高、なのでしょう。

怖くないのは、いいのか悪いのか。

印象が穏やかなのは良いことなのでしょうが、昔のような熱血ではない、と言われているようにも聞こえ、好々爺になったねえ、とも聞こえるし。

これはたぶん3つの要因があります。ひとつは、文字にしたときのニュアンスと実際のギャップ。たしかに書いたものだけ読むと、なんというエラそうなオヤジなんだという印象があるのだろうと思います。これはいまさら仕方ないですが。

もうひとつは、生徒/学生に対する態度と同業者たる英語教員に対する態度の混同。おなじグルグルをするにしても、相手が初対面なのか、いつも教えている学生なのか、高校生なのか、英語教師なのかによって、こちらの態度が変わらなければ、むしろおかしいです。

そして最後は年齢と経験を重ねたことによる、こちら側の気持ちの変化。

三十代後半から四十代は、ある意味で、他の先生方を同業者として「対等」に見ていたので、ふがいない相手を見ると怒りも強く、「英語教師なんだからしっかりしろよ!それでもプロかよ!それでも同じ教員かよ!」という感情をストレートにぶつけることが多かったように思います。

五十代半ばになると、中高でいうと60歳の定年もすぐそこという年齢層になり、セミナーでも研修会でも参加者の半分以上は歳下で、経験年数も少ない方を相手にするようになります。また「現実」がよくわかってきたので、もうある意味では「対等」に見ていないような気がします。そういう意味では失礼なのだと思いますが、同じ土俵に立っていないので、表面に出てくる部分では柔和になるのでしょうか。

(おじいちゃんが孫にやさしい、みたいなもの? ちょっと違うね。。)