「過度の限定的(あるいは禁欲的)な態度は大局を見失う恐れもある」
とある。
英語教育は英語を教えてこそで、それができていなければ他の何ができても意味がない、という私の主張あたりを指しているのかもしれない。
しかし別に限定的じゃないでしょ。英語以外を「教えてはいかん」と言っている覚えはないから。
そうでなくて、「他の何かを教えるのは、英語をきちんと教えられている人間だけがやれ」と言っているだけ。
「生きる力」でも「国際理解」でも「人権教育」も「国際平和」でも「異文化理解」でも「言語というものに対する理解」でも何でもいいけど、そんなものはスキルとしての英語をきちんと学習して、その上で余力があったら場合にのみやってもいい、というレベルの話。
そうでなく、そのコアの部分を適当にしながら、上の「 」に入れたほうのことばかり騒いでいる連中が多く、それが本末転倒だ、と言っているだけです。
全然、「過度」じゃないです。
八百屋はまず新鮮でおいしい野菜を消費者に供給することによって、地域に貢献するのが、その本分です。
魚屋はおいしい魚を売るのが第一(あるいは唯一)の仕事です。
それができた上で、プラスアルファで地域のなんとかサークルを立ち上げたり、商店会のイベントをやったりすればいいけど、そっちばっかりやっても、肝心の野菜や魚がいまいちの品質だったら、八百屋として、魚屋としては、失格。
それと同じ。
英語教師は英語を教えるのが仕事です。単純な話です。
別に世の中全員(←英語教師を指す)が、「英語とは何か? 言語の本質とは何か? 英語をやる意味は何なのか?」 といった理屈をこねる哲学者になる必要はないし、そんなことは望ましくもない。
発音教えて、単語教えて、文法教える。そういう「低レベル?」の「語学屋」「職人」としての仕事に誇りをもとうよ。少なくとも私は持っています。
別に言語学者になったり哲学者になったりする必要はないよ。
また柳瀬さんは、実務家は、英語は「外国人にしてはうまいな」と思われるぐらいがちょうどよい、と述べている。
それはその通りでしょう。
だが問題は、「発音に関して」どのくらいが「外国人にしてはうまいな」と思われるのか、という点だ。「発音に関して」明石氏が「外国人にしてはうまい」と思う人が多いとは思えない。ちなみに緒方氏は間違いなくうまい。
それから、「大局を見失う」件だが、私のとっての「大局」は、なりふりかまわず努力する韓国にますます水をあけられ、相対的に国民の英語力が世界のなかでますます落ちこぼれていき、ますます国際競争力が落ちてゆく日本、という構図だ。先日、ある方から次の事実を知らされて、ショックを受けた:
【プレジデント・6月11日記事】
サムスンの2009年12月期の売上高は、10兆9000億円、
一方、ソニー、パナソニック、日立製作所や東芝、シャープなど、
6400億円(10年3月期見通し)。
理屈をこねていないで、英語のスキルを上げた方が身のためだと思うよ、日本は。
I am not at all being too restrictive about what an EFL teacher should and should not do. I am just stating the truism that an English teacher's top priority is to develop his/her students' English proficiency and that if that is not happening, whatever else happening is meaningless.