最近、多くの小学校の先生がたに英単語を発音してもらう、という機会を得た。なかで印象に残ったことのひとつに、
delicious
を見て、
ディファレント とか、 ディフィカルト
と読む方が結構いた、
ということである。もちろん、普段、英単語を見ていないので慣れておらず、緊張して読み間違ったのだとか、もしかすると視力的に細かい文字が読めなかったのかもしれない、とか、その前の文脈に実際に different があったので、それに引きずられた、とかの解釈は可能である。そして、それらはいずれも一理あるとは思う。
しかしここでは最初の文字 d しか共有してない、delicious と difficult あるいは differentを見誤る、というエラーがあったという点に関してこだわってみたい。
これは、その先生方が中学生、高校生だったころにも、ひとつひとつの文字がどういう音に対応していて、どうして different というスペリングで ディファレントという音になり、どうして、delicious というスペリングで、デリシャスという音になるか、というのを、実はいちどもきちんと教師から教えてもらわなかったせいではないか、と思う。
いぜん、「フラッシュカードやめろ」のポストの中でも書いたが、日本の英語教育だと、単語全体を見せて、全体として、「~」という発音の単語だ、という乱暴な教え方しかしていない場合がほとんどのように思う。
だから、大学生になっても、新しい語は辞書をいちいち引かないと読めないと思っている学生が珍しくない。
それどころか、英語教師の中にも、いまだに文字と音がきちんと対応していない者が珍しくない。
たとえば、 textbook という語は、クラスルームイングリッシュにも頻出なのだが、これを、
テ「キ」ストbook
という発音をする人が結構いる。つまり、
text ... もしくは、 tekst ....
でなく、
teKIst.. (te-kissed)
という綴りに対応する発音をする、ということだ。
これなど、
te は テ で、 x は、ks で、 t は tだ、
という意識がない証拠である。
ようするに、textbook 全体で、カタカナ語の「テキストブック」と読むのだ、というレベルの意識だ。そいう意識の教師から、まともに文字が読める生徒が育つはずもない。
とくべつに「フォニックス」などというコーナーも設けるまでもなく、普段の授業中から、単語の一部の綴りだけを読ませてみたり、最初から読み方を教えずに、規則的な綴りの部分は、自力で読み方を当てさせてみたり、ということを繰り返して、はやいうちに、自分で英語の綴りがある程度読める生徒を育てるべきである。
You should pay more attention to the letter-sound correspondence when introducing new words. In many cases, Japanese learners develop only a vague notion about how a certain word as a whole is pronounced as a whole, without being conscious of what sound each letter or sequence of letters represents. As such they will never learn how to read a new word.