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5/26/2012

今までのことは忘れて

新しい学生たちと出会ってから2か月めに入りました(ね)。

今、とくに1年生に対峙するときに力説しているのが、「知っている単語でも、新しい単語だと思って、1文字1文字スペリングを確認しながら、丁寧に、ゆっくり発音しなさい」ということです。

LはLとして、RはRとして、THはTHとして、FはFとして、VはVとして、BはBとして。

知らない単語であればそれなりに気をつけて発音すると思いますが、なまじ「知っている」と思っているので、自分が6年間かけて自動化した「いい加減発音」を、無意識に発音するわけです。

できるならば一つも単語を知らないならば、こんな無駄な作業(=覚えたものを忘れてまたゼロから覚えなおす)をしなくても済むのに、と感じます。

上唇を動かさず、下唇だけを動かして上前歯につける、などの動きを、英語学習7年目にして初めて(私に)強制してもらう学生が、ひとつひとつ、すこしずつ調音筋肉の動きに慣れてゆくのを見て、たしかな手ごたえを感じます。

かならず彼ら、彼女らに、本当の英語を身につけさせます。

期せずして今日、「文法の正確さを気にさせすぎると発話量が減るから、正確さを気にさせないようにしたい」という趣旨の発表を聞きました。私はまさにその正反対で、

発音の正確さを気にさせないといつまでたってもまともな英語が身に付かないから、どんなにゆっくりでもいいから、どんなに発話は少なくてもいいから、正確に、ゆっくり発音させたい」

と思います。正確さが身につけば、じょじょに自然に楽に素早く発音できるようになるのは単なる時間の問題だ、と思うからです。