後期は、クラス全員が来ても3名、欠席者が出ると2名もしくは1名、という塾のような環境の授業を担当してきた。
こうなるとグルグルも物理的にグルグル回ることはなく、2名いるなら目の前の学生が交互にやることを決めておいて read and look up をさせたり、あるいは同時にさせたりするだけだ。2名なら同時でもまあまあ観察できるのである。1名ならもちろん回ることは必要ない。テレビで見る、落語や狂言の世界の、師匠と弟子の1対1の稽古のようだ。
習熟度としては高くない。がやる気はある程度はある、という感じ。
予習として、教科書として使用している例文つき単語集の、1セクション分 50センテンス を書き写してくることをさせているが、それは必ずやってくる。(ちなみに単語集なので例文の和訳はすべて見開き右頁に載っている。)しかしかといって、英文と和訳を照らしあわせて予習段階できちんと読んできている、という様子は見られない。授業中の態度は真面目である。
という感じのレベルである。
そこで授業中は、できるだけ多くのセンテンスの意味(構造含め)を理解させたうえで、それをきちんと言えるようにし、かつ書かせる、ということ努力を傾注することになる。
日本語と英語の対応をあまり考えずに読ませても read and look up させてもしかたないので、その前に、単語やフレーズの意味を日本語で尋ねることにした。まあ言ってみれば、和訳させてみることにしたのである。
その際、ただ「意味は?」というと、例によっていろいろ考えて日本語として語順が普通の文を言おうとするので一計を案じ、
オレが読んだところだけの意味を言え
ということにした。なんといっても文全体の和訳は右ページを見れば書いてあるので、そういうことではなく、英文の1語1語、1フレーズ1フレーズごとの意味を確認させようとしたのだ。
Animals on this island evolved differently from other places.
(右ページの訳文: この島の動物は、他の場所とは異なる進化を遂げました)
なら、
私: Animals on this island
学生: この島の動物
私: evolved differently
学生: 違うように進化した
私: from other places
学生: 他の場所とは
といった感じ。
これは結構いい感じである。ありそうでなかった(というか、自分の中ではそうです)手法だ。
スラッシュをつけてアタマから訳させるということだが、あらかじめスラッシュをつける手間を省いて単に教師が意味の塊を読み、それを生徒が訳す。
靜イズムでは基本的に生徒には日本語を言わせるな、書かせるな、なのだが、これは応用なのでOKである。
また、延々と何センテンスも訳を言わせるのはやはりNGだが、私の場合は、1文の意味を確認したらすぐ音読し、場合によっては read and look up させるのでよいのである。さらに場合によっては、1文全部をまたずに、フレーズの意味を確認した時点で音読させるから、生徒は「日本語ワールド」に浸りすぎることによって退屈することはない。
もちろんこの手法はチャンクを教師が教えてやっているという点で、補助輪リーディングなので、すこしずつ、チャンクを生徒が考えて音読してそれを日本語で言う、という手法に移っていくのがよいだろう。
まったくのオールイングリッシュでの意味理解活動と、まったくの訳読、つまり生徒に「日本語らしい語順の日本語」で1文全部を訳するのを求めるという形式の中間段階として、教師がチャンクを教えてやりながら、そのチャンクの日本語を言わせてみる、という形はアリだな、と教員生活30年目にして気づいた。チャンク訳ならテキパキと言わせることも可能だし。