について当該の記事の筆者のコメントがありました。
拙論「生徒が犯しやすい発音上の誤りを見つける」(『英語教育』2013年12月号記事)について
中盤は、
「目の前の生徒を観察していても、起こっている現象が100%認識できるわけではないので、(その生徒たちの発話を?)データベースとして蓄積したものを改めて分析すべきだ」
という主張のように読めます。
ふむふむ。たしかにリアルタイムで観察できる事象には限界があるので、それを録音をしてあらためて分析すれば、より詳細なpictureが浮かび上がるでしょう。
ただ後半は、
「目の前の生徒たちの発音に含まれる現象が十分一般的かどうか保証はないので、より一般性をもとめて(目の前の生徒たちだけでない音声を広く拾った)データベースを研究するべきだ」
と読めます。
こうなるとやはりそれは教師の視点・発想ではなくて、研究者の視点・発想ですね。
これはどちらが良い、悪いではなく、興味の方向が違うのだと思います。
私としては、自分の教え子の英語教師には、あくまで英語「教師」であって欲しいですね。一般性のある「研究」をしようという発想はあまり嬉しくはないです。general で abstractな「日本人英語学習者」ではなくて、specific で concrete で real な、目の前にいる、顔も名前もある生徒たちと(だけ、まずは)きちんと向き合って貰いたいです。一般性云々は、まず自分の守備範囲をきちんと守備してからの話にしてもらいたいです。