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11/23/2012

ゴミを送ってくるんじゃねえ!

(学生への一斉メール)

どうしても self-monitoring ができないようなので、manzoku2は提出前に、最低限、別の誰か1名に聞いてもらい、

L

R

TH

V

F

さらに

リズムの適正さ、

などを批判的にチェックしてもらい、必要に応じて録り直しを何度もし、それで合格した最終バージョンを送りなさい。

チェックしてもらった他人の名前も、ファイル名に。

ゴミみたいな英語の録音を送ってくるな!

自分の very best を送ってこい。

博士号と授業の二律背反

同僚とのカフェテリアでの茶飲み話:

授業が「できる」人は博士号(なんかとっている暇はないからそんなもの)は持っていない。。。

博士号を持っている(ような)人は授業が「できない」。。。

よねえ。。。

だよねえ。。。

今どき、大学だと博士号を持っていないと苦しいし、かといってそういう人を採用しても授業がイマイチじゃあ元も子もないしねえ。。。

博士号を持っていて授業が「できる」人、

授業が「できる」けど博士号も持っている人、

いないかねえ。。。

++

補足:

いや、もちろんうちの大学では、授業が「できて」かつ博士号を持っている人を育てますよ(汗)





11/22/2012

基地の街で

きょうは米軍基地の街、岩国で講演(公演)だったのですが、いくつか面白いことがありました。

最初の1時間弱くらいは、

「私は他人の授業を見たくない。なぜなら見れば90%以上、嫌な気持ちになり、いたたまれなくなり、耳を塞ぎたくなるからだ。それはあなたたち教師が、生徒のダメダメ英語を聞いても英語自体の指導をすることが一切無く、無意味に OK! Thank you! Great! というばかりだからだ。」

という話をしました。で、そこで、ここまで聞いて何か質問とか反論とかありませんか、とフロアに振ったところ、手が上がり、

「(言いたいことはわかったがお前が)実際にどういう指導をするのか見てみたいから、この場で、俺たち全員を生徒にみたてて、模擬授業をやってくれないか?」

というchallengeが来たので、

「じゃあ先生を生徒にに見たてて音読の指導をするので、舞台に上がってください」

と言って舞台に上がってもらい、中学教科書の本文を使って、Rの指導、語末のNの指導をしながら、強弱というか高低のプロソディの指導を、ステップを踏んだり、手で波乗りを表すジェスチャーメソッドで指導デモンストレーションをしたところ、まあまあ納得してくださったようでした。

その後、懇親会に移りましたが、懇談の中でさすが岩国というか、

「自分は中2の頃から米兵と付き合いがあり、ずっとコミュニケーションはとれてきたから、これでいいと思ってきた。しかし今日の話を聞いて、自分がコミュニケーションをとれていたのは、相手が母語話者だったからで、非母語話者同士のインタラクションになるとまた別問題なのかもしれないと思った。また、自分の英語は1ユーザーとしてはこれでいいだろうが、1ティーチャーとしてはまずかったのなあ、と思った。」

という告白をしてくださった方がいました。

なるほどねえ。

基地の街ならでは、の感想ですね。


11/20/2012

バカであった

(学生あての一斉送信メールの一部)

今日の授業にはがっかりした。自分に。

ここまできたらトーナメントをやれば、すぐれたパフォーマンスが勝ち上がってくるだろう、と予測していたのはバカであった。

どういうものが優れたパフォーマンスで、どういうものがダメダメなのか、もう十分教えられたと思っていたのはバカであった。

あれがよくある中高の授業であれば、最後の発表は「どうどうと乗ってやった」からOK!すばらしい!ぱちぱち! と終わる。

しかしあれは3つとも、ダメダメな質の低いパフォーマンスである。

あの3つに手を上げて勝ち進ませたすべての人間が、ダメダメ学生である。

恥を知れ。

11/18/2012

同じ文法でも軽重がある

2つ前の「アカン発言」に補足


英語とはどういう特徴のある言語か、を頭に入れて指導しよう。教科書にでてくる文法事項がすべて同じように重要なわけではない。

言語的に言えば、3人称単数現在 など(意味伝達のためには)不要である。 実際 she don't なんていくらでも聞く。
代名詞の人称変化だって、ほぼ不要である。実際、教養のないネイティブ英語で、 their の代りに them をよく使っている。

そういう、語形の変化に関わるような「文法」というのは、相対的に、言語としての重要度が低いのである。

それに対して重要度が高い、これを間違えると意味が通じなくなる、というのは、語順に関わるような「文法」である。「てにをは」があるためにご順にそれほど頼っていない日本語と比べて、英語は語順が絶対だ。

Mary love(s) Tom. と Tom love(s) Mary.
では、単語はまったく同じでも意味が変わるのが英語なのだ。日本語は、「てひをは」さえあれば、語順はかなり自由が聞く。

だから、生徒の英語を見て、聞いたときに、「また間違えている」という単純発想ではなく、「また減点対象の間違えをしている」という減点教師根性だけではなくて、

「たぶん意味は通じるね、でも、教養がないと思われるよ」

なのか

「まったく意味が不明だよ、なぜなら。。。」

なのか

「意味は通じる。でも実は違う意味になっているよ。。」

なのか、

英語という言語としてどうなのか、一段上の、言語学的な、鳥瞰的な立場から切り分けてやるひつようがあるのだ。

上の Are you like tennis は、 are you と、like tennis という語順はそれぞれ定着しているのだから、そこから出発して、一歩上を目指せばいいではないか。

コップの半分の水にたいして、「半分しかはいっていない」という発想はやめよう。「半分は入っている」と発想をしよう。

11/16/2012

うまくなってきた

1年生がようやく少しうまくなってきた。

鱒寿司の竹へらメソッドがじわじわと効いてきたのだ。

2012年一のアカン発言 Are you like tennis?

「うちの生徒はレベルが低いです。be動詞と一般動詞の区別もつきません。Are you like tennis? なんて平気でいいます。ほとほと嫌気がさして、次の異動では行き先が◯◯工業と◯◯工業だったら、金の問題じゃなくて仕事を辞めます、と申し入れているんですよ。」

そういう気持ちでいるなら次の異動といわず今すぐ辞めたほうが生徒のためである。

だいたい、Are you like tennis? がどれだけ悪いのか。

Are you は身についている。 Are you a student? などが頭に残っているのだろう。

like tennisも身についている。 「テニスが好き」が、tennis like じゃなくて like tennis という VO になっているのだから大したものである。

I tennis like. じゃなくて、 I like tennis. と言えたら、英語の根本はクリアしていると思わねばならない。

高校で教えていて、中学レベルの事項があやふやな生徒がいたら、ラッキーと思えないのだろうか。

高校にいながらにして、バーチャルに中学でも教えるような体験ができるのである。楽しいではないか。

中学の初期というのは英語教育においてもっともエキサイティングで、もっともクリティカルな時期なのである。そのような時期に、高校にいながらにして立ち会えるのだ。

ABCから教えるのは楽しいではないか。文字と音の結びつきの最も大切な部分を教えられるのだ。

「うちの生徒はとても英語で英語を教えるなんてことができるレベルではない」と、できないのを生徒のせいにするのは発想が腐っている。それは生徒のレベルではなくて、そう言っている教員のレベルの問題である。

大学から高校、中学、小学校と降りていくにしたがって、「英語で」授業をするのはより易しいのである。限られた語彙だけ使えばイイのだから。

(もちろん英語で授業するというのは英語をたくさん生徒に言わせるということであって、コーチングは日本語でやったほうがずっとよいのはいうまでもない)

できる生徒には先生はいらないのである。先生はできない生徒のためにこそいるのである。

できない生徒がいるから、我々の商売が成り立つのであって、大変ありがたいことである。そんなにすぐみんな英語ができるようになってしまったら、英語教師はいらなくなってしまって、我々は商売上がったりだ。なんどもなんども繰り返しが必要だから、われわれの出番があるのである。ありがたいことだ。

できないのが当たり前なのだ。やる気がないのが当たり前なのだ。やる気があってできる生徒なんか、いま時、ネットでもなんでも教材を探して自分でどんどん勉強できるのだから、先生なんかいらないのである。やる気がなくてできない生徒のためにこそ教員は存在しているのである。

やる気がなくて出来ない生徒を、やる気があって出来る生徒に変えることこそが我々のしごとのコアなのである。