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11/18/2012

同じ文法でも軽重がある

2つ前の「アカン発言」に補足


英語とはどういう特徴のある言語か、を頭に入れて指導しよう。教科書にでてくる文法事項がすべて同じように重要なわけではない

言語的に言えば、3人称単数現在 など(意味伝達のためには)不要である。 実際 she don't なんていくらでも聞く。
代名詞の人称変化だって、ほぼ不要である。実際、教養のないネイティブ英語で、 their の代りに them をよく使っている。

そういう、語形の変化に関わるような「文法」というのは、相対的に、言語としての重要度が低いのである。

それに対して重要度が高い、これを間違えると意味が通じなくなる、というのは、語順に関わるような「文法」である。「てにをは」があるためにご順にそれほど頼っていない日本語と比べて、英語は語順が絶対だ。

Mary love(s) Tom. と Tom love(s) Mary.
では、単語はまったく同じでも意味が変わるのが英語なのだ。日本語は、「てひをは」さえあれば、語順はかなり自由が聞く。

だから、生徒の英語を見て、聞いたときに、「また間違えている」という単純発想ではなく、「また減点対象の間違えをしている」という減点教師根性だけではなくて、

「たぶん意味は通じるね、でも、教養がないと思われるよ」

なのか

「まったく意味が不明だよ、なぜなら。。。」

なのか

「意味は通じる。でも実は違う意味になっているよ。。」

なのか、

英語という言語としてどうなのか、一段上の、言語学的な、鳥瞰的な立場から切り分けてやるひつようがあるのだ。

上の Are you like tennis は、 are you と、like tennis という語順はそれぞれ定着しているのだから、そこから出発して、一歩上を目指せばいいではないか。

コップの半分の水にたいして、「半分しかはいっていない」という発想はやめよう。「半分は入っている」と発想をしよう。