以前からどうも違和感を感じていたことがある。
教員対象のセミナーで、歌を扱って、全体練習で1~2ラインずつ私が歌って、その後について、全体に繰り返してもらう、という想定で、
「じゃあ歌ってみましょう。後について歌ってください」
と言って始めると、かならず、「後について」ではなく、私と一緒にかぶせて歌う人が中にいる。
どこでセミナーをやっても必ずいる。その歌をもうよく知っている場合は、とくにそうである。
で、
「はい、はい、やめ! 一緒に歌わないでください。 モデルをよく聞いてから!」
と言って、ワハハ、ということになる。
しかし、考えてみると、これはひょっとして根源的なことかも知れない。
一緒にかぶせて歌おうとする人は、モデル音声をよく聞くこと(そして、聞かせること)にあまり価値を見出していない人で、それは、生徒にもそういう態度で接する人で、生徒が音読するときに一緒にかぶせて音読する人かもしれない。
細部よりも、全体になんとなく似ていればいい、というアバウト路線の人かもしれない。
地道にリピート音読するよりも、シャドウイング的な音読に飛びつく人かもしれないし、個々の細かい音よりも、全体のイントネーションとかプロソディをが合っていればいいじゃないか、という人かもしれない。
生徒の音声をよく聞いて、こまかくフィードバックする、などという発想はない人かも知れない。
メロディがどうしても取れないとか、リズムがどうしても取れない時と除いて、かぶせて歌っては、発音の上達はありません(ヘッドセット使用時をのぞく)。
よくモデルを聞いて、そのイメージを忘れないうちに、自分の音声を出しながらモニターして、モデルとの異同を感じる、というのを繰り返さないと。
同じ理屈で、生徒が一斉音読するとき、自分でも一緒にかぶせて読んでいる先生はほんとうによくいますが、考えなおすべきです。なんのために一緒に読む? 景気付けのため? 生徒の音声を聞く気はないのですか?