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9/13/2011

母語だけをつかった気持ち良い授業

先日、とても気持ちのいい授業を見た。

ソウルの公立高校2年生、男子クラス。教師は3年目の女性。

「普段通りの授業ですからほとんど韓国語ですよ。わかりやすいように英語でやりましょうか?」

という申し出を断って、そのまま韓国語でやってもらった。

題材は、韓国版SATの練習問題(100語程度のパッセージに読解問題が1つだけ、のパタン)を、その時間は2つ扱っていた。

すべて韓国語で説明して、説明する対象のフレーズだけが英語なので、言っていることはわからないのだが、事前にもらっていたハンドアウトのおかげで、何が起こっているか、どのような説明をしているのか、は概ね推測できた。

要は意味を母語で確認しながら、必要に応じて関連事項(表現、語彙など)の説明をしてゆく、という伝統的なパタンである。伝統的ではあるが、訳読というのとはちょっと違うように思ったのは、センテンスを母語に訳す、訳させる、というではなくて、母語で説明する、母語で説明させる、というように思えた点である(確信はないが)。

もうひとつ、典型的な日本の授業と違うと思ったのは、全体に対しての発問に対して、生徒たちが口々に答えたり、どんどん手を挙げたりして、指命されなくとも積極的に参加することであった。

それから、手を上げて正解したらしい生徒には、先生がオーバースローで何かを放り投げ、生徒がうれしそうにそれをキャッチしているのである。キャッチしたものはキャンディのようなもので、ゲットした生徒はその場で開けて口に入れたり、隣の生徒に分けて二人で食べている者もいる。いやあ実に楽しそう!

アレは何ですか、とあとで聞いた所、キャンディではなくてキャラメルで、すべてのクラスであれをやっているそうである。じゃあけっこうキャラメルを買っておかないとダメですね、と言ったら、そうなんですフフフ。。。という感じ。

英語でのプロダクションは、時折個人を指名して1センテンスを音読させるくらいである。これもあとで聞いたところ、最初のひとりは先生が指名し、二人目からは前に読んだ生徒が次に音読する生徒を指名するシステムなのだそうだ。

授業時間の三分の二は目標語でのプロダクションを、という私の基準からすると全然の授業のはずなのだが、見ていて、なんだか気持ちがよく、嬉しい気持ちになってくる。なぜだろう。

ひとつには母語で解説している先生のトーンだ。韓国語だからなのか、彼女のキャラクターなのか、たぶんその両方だが、実に聞いていてパワフルで、一生懸命、ガンガンと言葉が放たれていて、テンポがあり、心地良いのだ。

ふたつは、使っている大学入試問題の質がよいからだ。あれこれ散漫な問題がなく、1パッセージに対してポイントだけズバリ聞いておしまい。

みっつめは、生徒との関係がとてもよいからだ。先生も生徒も実に楽しそうで、その時間をエンジョイしているのがわかる。生徒の問い掛けに対してすべての生徒が考えて反応しているのがわかる。

もう15年も前、私は、「力のない教師がやるオーラル・イントロダクションとかコミュニカティブアクティビティよりも、力のある教師がやるガンガンやる訳読授業のほうがずっと力がつく」という意味のことを雑誌に書いたことがある。

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結局、私は昔ながら文法訳読式の授業でよいと言っているのか?つい昨日、ある学生が訴えた。「○○先生の授業は、毎日、読んで訳して、読んで訳して...それだけでした...。クラスのみんなはほとんど誰も聞いていませんでした...。」これを聞くとはやり訳読式の授業は、と思いがちかもしれない。しかしおそらく問題は「英語」教授法ではなく、この教師の生徒掌握力、授業運営法、人間力、そしてその根本の「どんな手段を用いても実力をつけてやる!」という命がけの愛情、の欠如にある。これさえあれば、英語教育に難しい理屈などいらない。単語を教えて、文法を教えて、あとはどんどん使わせるだけ。他に何かありますか?
https://sites.google.com/site/zukeshomepage/publications/practical-papers/026-shirakeru
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要は、解説的な授業であってもスリリングで緊張感をもって進めることもできるし、コミュニカティブな授業であっても下手くそがやればダルイ、ということだ。要は、活動の内容よりも、活動のテンポだ、といってもいいかな。

それをあらためて実感した、韓国語メインの英語の授業であった。

ちなみに生徒の発音はほとんど問題なさそうであった。どうしてかと尋ねると、

「韓国ではほとんどの家庭で、こどものときに英語圏に1年くらい暮らさせるから、発音は身につくのです。」

「何歳くらいで?」

「6~7歳。どんなに遅くとも10歳までには」

うぐ....

やっぱり、良くも悪くも、国として英語に対する気合が全然違う。