日本のセンター試験にあたる通称 Korean SAT は、100語程度のパッセージにひとつの設問 というのが50題(だったか40題だったか?)。
で、現在までに収集した高校の定期試験を見ると、どの高校も教科書題材を使って、それとほぼまったく同じ問題形式。
瑣末な問題やミニクイ問題や韓訳問題はゼロ。
「では個別大学は独自試験はしないのですか?」
「しません。文部省が許さないのです。それをすると、予備校通いが加熱しますから。」
むむ。
すばらしい。
同じ強権発動でも、「英語は『勉強』してはいけない。文字は見せてはいけない。無理に繰り返させてはいけない。発音を直してはいけない。覚えなくてもいいのです。」などのオイオイ発言ばかりを繰り返す日本のauthority (オカミ)とは何たる違いか。
やっぱりトップがまともな場合には、「トップダウン」だと物事がいい方向に進むんだね。
2002年の『テスト作成の達人マニュアル』では、大学入試から英文和訳をなくして、リスニングを5割にすれば全国の高校生の英語力は確実にアップする、と書いたのだが、わが国ではいっこうにそんな気配はなし。
さらにさらに、数年後にはその全国版 韓国SATに、なんとスピーキングテストを導入すべく着々と準備している!
「どうやって全国の学生をスピーキングテストを受けさせるのですか? PCでしょうけど。」
「はい。PCでやるのですが、会場をいくつも用意しておいて、年に数回受けられるようにします」
「なるほど。すると一回一回の問題(スピーキングのテーマ)が違うのですね?」
「そうです。そして採点は pass / fail だけなのです。」
「なるほど。それなら実行可能ですね。で、誰が採点するのですか?」
「私たち、高校教師です。いま、高校教師を選抜して、採点トレーニングをさせられています。採点者間信頼性と採点者内信頼性が確保されるように。」
なるほどねえ。それなら十分全国レベルでも可能だよね。一定レベルのスピーキングなら合格にする、資格試験みたいな感じか。
だけど日本の状況を見ると、高校生にスピーキングテストを導入するまえに、英語教師にスピーキングテストを受けさせて、ダメなら合格するまで教員免許を取り上げたくなるような