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11/30/2013

英語教育研究大会という名のムダ? 【末尾に加筆訂正コメントあり】

今年の全英連の中学の授業がヒドかったです、という噂を聞いた。

何がヒドかったの?

発音です。

生徒の?

いや先生のです。

あ、そう。。

ちょうど2年前の奈良の全英連大会で基調講演をして、その際に、司会者である英語教員の発音のマズさをその場で指摘した。

http://cherryshusband.blogspot.jp/2011/11/blog-post_12.html

高校の研究授業の助言者として壇上にあがったが、合評会の空疎さに暗澹となった。

http://cherryshusband.blogspot.jp/2011/11/blog-post_4845.html


あまりにも暗澹となったので、その場でその旨を発言し、挙句の果ては、研究授業を見ながらグルグルの生徒の音声とそれに対して教員がどういうフィードバックをしているかを聞かずに「ああグルグルやってるわ。20分も長いな。。。」という態度をとっていた会場のかなりの数の聴衆英語教員に対して、「そういうみなさんの態度には非常にがっかりしました」という前代未聞のコメントで締めくくる羽目になった。

「ああいうコメントをされると場の雰囲気が悪くなる」という批判をされた、とあとで聞いた。たしかに仲良しイベントの締めくくりとしては最悪である。

しかしそもそも仲良しイベントに意味があるのだろうか。

持ち回りだからやればいい、上から降ってくるテーマにそって発表しなければならない、「大過なく」終わればいい、というだけのイベントは本当にくだらない。

毎年やっても、今年より来年、来年より再来年と進歩、向上していかなければまったく意味がない。

今年の授業の授業者の英語がヒドかった、という噂をきき、儀式としての、イベントとしての英語教育研究大会がいかにくだらないかということを、残念ながら改めて実感することとなった。

>> と思ったのだが、その後、「いや高校の授業や分化会の発表はすばらしく、大いに参考になるものでしたよ」という情報をいただいた。もしそうであればそれを喜び、認識を改めなければならない。 overgeneralization であったようである。








11/25/2013

50語で簡単にエッセイが書ける教科書です

ジャーン!

50語でミニエッセイを書く、ライティングの教科書を作りました。高校生でも十分使えます。是非、ご活用くださいませ(^^)

Write Your Ideas in 50 Words/50語フリップライティング
 (松柏社)



お問い合せは→ http://www.shohakusha.com/mail_form.php?key_m=6




はしがき

 本書は、日本で英語を学ぶ大学生が、すでに知ってる表現や比較的やさしい語彙を活用して、身近なことがらや日頃感じることなどについて、等身大の視点から肩の力を抜いて、「50語程度」の長さで書けるようになるために編纂したものです。書いてみるとわかりますが、英語の50語とはパソコン画面上では4行程度です。4行ですから、書き始めるのにそれほど大きな抵抗がある長さではありません。しかし主題文(topic sentence)で始まり、いくつかの支持文(supporting sentences)が続き、場合によって結論文(concluding sentence)で終わる、小さいながらもまとまりのある内容を書くことが十分可能である長さでもあります。
ですから本書は、一文ずつ独立したセンテンスしか書いたことがない人が、より本格的なエッセイ・ラィティングに進む前に取り組むのにちょうど良い「ミニエッセイ」ライティングのための教科書と言えるでしょう。
各ユニットには、導入としてイメージをかきたてる写真に続き、Expressions You Can Use, Other People’s Ideas, Flip Writing, My Own Ideaというセクションがあり、最後にThings You Might Want to Write About というコーナーがあります。
ユニットのテーマには「他人の言動で嫌なこと」(Unit 1)とか「今、凝っていること」(Unit 5)など、だれでも必ずひとつやふたつは「言いたい」「書きたい」ことがあるようなものを選んであります。写真も参考にしてイメージをふくらませましょう。

Expressions You Can Use は、各テーマについて書くとき、第1文すなわち主題文に使える表現を5つリストアップしたものです。英語のライティングで大切なことは、最も言いたいことを第1文でズバリと書き切ることです。50語という短い長さで完結する場合にはなおさらこの単刀直入な構成が大切になります。Expressions You Can Useに載せている5つの表現は、そのまま次のOther People’s Ideas 5つのエッセイで第1文で使われている表現でもあります。Other People’s Ideasを学習した後にまた戻ってきて確認、整理にも役立ててください。

Other People’s Ideas は、Unitのテーマについて書かれた5つのミニエッセイです。読めばおおよその意味はすぐに分かるはずですが、そこで油断してはいけません!これらのミニエッセイがすらすら自分で書けますか?この内容をすらすら話すことができますか?これらのミニエッセイには、読み手(reader)としてでなく、書き手(writer)としての視点をもってアプローチすることが大切です。つまり、単に「この文の意味が分かるだろうか」という意識を超えて、「この文を自分で書けただろうか」「この単語を自分はこんな風に使えただろうか」という意識を常にもってください。
このレベルの英文が自分の力で書けるようになるために、まずはこれらのミニエッセイを自然と覚えてしまうくらいまで、何度も何度も声に出して読んでみることが大切です。指示してある①~④のステップを踏んでいけば、ミニエッセイが自分のものになったと感じられるでしょう。

Flip Writingflipとは、「裏返す」という意味です。)は、すでにある程度「自分のもの」になったはずの5つのエッセイをもう一度見て、ページをめくって書き写す、というタスクです。1語や2語ごとではなく、少なくとも意味のかたまりのフレーズごとに書くことが大切です。できれば1センテンスごとに覚えてください。このように何かをいったん記憶することを「ワーキングメモリに格納する」と言いますが、どの程度の長さの英文をワーキングメモリに格納できるかが、その人の英語力と密接に関連していることがわかってきています。一気に書ける(=言える)英文の長さが伸びれば、ライティング力はもちろんスピーキング力も向上するでしょう。

My Own Idea は、Flip Writingで自分のものにしたミニエッセイを参考にして、今度は自分自身の考えを書いてみるタスクです。書き出しは、ミニエッセイのどれかにならいましょう。ミニエッセイのどれかが自分の感じ方に非常に近いならば、場合によってはほとんどそのまま使って一部変えるくらいでも構いません。(昔から「英作文は英借文」と言います。つまり外国語として英語を書く場合は、モデルとなる表現をそのまま「借りて」書くのが良いのです。)
書く内容のヒントとして、ページの下にあるThings You Might Want to Write About(あなたが書きたいかもしれないことがら)を必要に応じて参考にしてください。いずれの場合にも第1文、すなわち主題文はExpressions You Can Useで学習した表現を使うことで、英語らしい単刀直入なオリジナルパラグラフを書くことができます。
とりあえず第1ドラフト(草稿)が完成したら誰か他の人に読んでもらうことをおすすめします。またあなたが別の誰かのドラフトを読んでみるのも大変良い勉強になります。内容の流れは論理的か、文法・語法のミスはないか、などの点について批判的に読みましょう。だれでも自分のミスには気づきにくいものです。別の人の書いた英文を批判的に読むことで、次第に自分が英文を書くときにも同じような間違いをするのを避けられるようになります。
 完成した自分のMy Own Ideaは是非暗唱して発表できるようにしましょう。ひとつの Unit で自分のオリジナルミニエッセイがひとつ完成していきますから、Unit 15が終わった時点では、自分の考えについて15通りのミニエッセイが発表できるようになっているはずです。本書を使って学習するみなさんが、自分の考えを自分の英語でうまく表現できるようになることを願っています。頑張ってください。
著者

 

11/24/2013

問題のある同僚を見逃す同僚が一番悪い

小学校英語の教え方をテーマにしたデモンストレーションで。

A先生:日本人。英語は非常にうまい。発音うまい。運用力も抜群。非常に自然な英語。

B先生:日本人。小学校の担任教師とのこと。デモのなかで使っている英語のやりとりに関しては堂々としており、十分な運用力。イントネーションやリズムはやや不自然な点はある。発音が、一部、決定的にまずい点があり。ほとんど / l / が / r / になっている。

この二人が、A先生がALT役、B先生が担任教師役になって、「ビジュアル・ワード・ブック」的な教材を使って、やりとり。

やりとり自体は非常に見事で、ティームティーチングの理想形とも言えるものと感じた。

ただ、Bさんは、escarator, regs, cholorate を連発する。 butter のつもりで、batter と言う。 wool のつもりで、ool と言う(これは中高教員でもできない方が多いので、致しかたないが。)

この状況は絶対にまずいものである。

誰が悪いのか。

じつはBさんは悪くない。なぜなら、おそらくBさんは、自分が escarater と言っていることに気づかないのだから。気づいていないものを直しようがない。児童の前で、escarater を連発すること自体は、罪である。罪であるが、その罪はBさんの怠慢に起因する罪ではない。気づかないのだからしかたない。

誰が悪いかというと、Aさんが悪い。あれだけ発音がうまいAさんが、Bさんの発音のマズさに気づかないはずは絶対にない。あのデモもきっと事前に練習しているはずである。その時にも気づいているはずだ。気づいていながら、おそらくBさんに指摘してやらなかった。あるいは指摘したかもしれないが、修正されるまで面倒をみてやることを怠った。

それはAさんの罪である。同僚に対する遠慮か、人間関係に対する配慮か、それはわからない。

わかるのは、Aさんがそれをしなかったために、Bさんは児童に対して、世界から馬鹿にされる 

Engrish 

を垂れ流し続けている、ことである。

そういう同僚メンタリティが、口から Engrishを出すような児童・生徒を産み、悪循環がまた繰り返される。




教え方ばかり問題にするな

英語教育の研究大会では教え方ばかり問題にするが、教えている中身の英語がまともかどうかをもっと問題にしたほうがいい。

発音がおかしい、文法がおかしい、意味もなさない英語に気づかず? 教え方を論ずるナンセンスさ。生徒に対する罪深さ。

また、深い読みとか行間を読むとか解釈をする、という前に、行内に書いてある英語をきちんと教えるほうが先決。

安易に、解釈の問題だ、などと逃げてはいけない。

答えが決まらない問を問題にするのは、答えが決まった問の答えは分かった段階にだけ許されるluxury である。

安直に現代国語の真似をすな。

11/23/2013

担任だから、は免罪符?

小学校の担任が英語活動で、escalator を escarator 、chocolate を chocorate、 legs を regs というのは、担任だから許容されるべきだというのか?

児童に対する大罪である。

だいたい中高大と10年も英語をやってきてLも発音できないほうがおかしい。

そういう小学校教師を養成した中高大の英語授業がおかしい。

「担任の発音がダメな場合は視聴覚教材を活用すればよいと思います」

冗談を言っちゃいけません。視聴覚教材を活用して、まず自分の発音を改善すべきである。

それから児童の前に立つべきである。

自分たちが教師になった時は英語は要らなかった、などといつまでも文句を言っていてもしかたがない。いまは必要になったのだから。それも給料のうちになったのだから対応するのが職業的な義務である。

だいたい、LとRなんてやる気になれば一晩で身につく。 Rはできるようになっている日本人が、Lについてはとりあえずもともと使っていた日本語のラ行の弾き音を使うように とにかく舌先をグッと歯茎に押し付けるように意識して発音するする、のは一晩でできる。

11/22/2013

拍数とストレス

標記を、なかなかうまく説明している動画みつけました。

ストレスはともかく、拍数について説明してくれる学校の先生は残念ながら少ないと思います。

(department の真ん中のtをはっきり解放しているのと、mentのeがはっきりしすぎているのがイマイチではありますが、言っていることはまったくその通りです。)

拍数とストレス

11/21/2013

どんどん間違えてください

電車で見かけた英会話学校の広告に、大きく「どんどん間違えてください」とあった。

ああ、また例によって、間違いを恐れずにどんどんしゃべるのが上達の秘訣だ、というお決まりの勘違い無責任コピーだな、困ったもんだ、と思って読み進むと、意外や意外、

「どんどん、安心して間違えてください。○○の講師が、ぜんぶ、丁寧にひとつづつ直してさしあげますから」

といった趣旨のコピーであった。

おお。それなら話はわかるよね。

全部きちんと直してあげるから、遠慮せずにどんどん間違えなさい(=間違えることをおそれずに、どんどん使いなさい)

というのはとても良いアドバイスである。

「『間違えてもいいよ。間違えるのは構わないから。そのままどんどん使いなさい。』と言いながら間違いを放っておく」のとは、似て全く非なるスタンスだ。

英会話学校なのに(というのは偏見ですね、スミマセン)、学校英語教育で昨今言われることよりも良いことを言っている、と、ちょっと感動した。

says や said の発音を教えないのか?

says は、セイズ said は セイd

だと思い込んでいる大学生がかなり多い、ということに最近気がついた。決してうちの大学だけではないと思う。うちの大学の学生は日本の大学生としてかなり典型的だと思われ、また非常勤先でも同様な現象が見られる。

三人称単数現在による語尾変化自体が英語という言語のなかではどうでもよいこと、says を sez、said を sed と発音するのはフォニックス的には例外であることはは分る。

その上で、だが、この現状は、中高英語教員の、発音軽視のひとつの (英語でいうと another になるが)表れではないだろうか。(これは、これらの形をはじめて学ぶのが中学または高校だから、中高英語教員の、と言っているのであって、大学英語教師が発音を重視しているという含みはまったくない。)

そのくらいまともに教えましょうよ。

データベースを調べないとわからないのか?

今月号の『英語教育』で、

授業に活かす言語学――文法、語彙、発音、作文、テスト作成から家庭学習まで

という特集がなされており、その中で、「生徒が犯しやすい発音上の誤りを見つける」

という記事がある。

大学生が英文を音読した音声ファイルがデータベース化されており、それを調べてみると色々分る、ということで、その例として、/ p / が取り上げられている。

/ p / は日本人には比較的容易だと思われていて、せいぜい帯気音が弱いというか帯気が短いのが問題だ、と思われることが多いが、実際にデータベースにある音声を調べてみると、破裂音でなく両唇摩擦音であることが全体の5分の1を越える。これがわかるとと / p / の指導にあたっての心構えも変わってくるはずだ

といった趣旨である。

なるほど、やっぱりね、p, b, m の両唇音できちんと両唇を閉じていないという現象が数値的に確認されたな、と最初はよろこんだのだが、よく考えると記事の趣旨はおかしいと感じた。

この記事の趣旨は

「こういうデータベースを調べてみると、発音指導の目標(というか発音に関する現状認識)をより適切なものにできる」

というものだ。

しかしこれはおかしい。

なぜなら、自分の担当している目の前の40人なり80人なり120なりの生徒たちの発音をきちんと聞いていれば、p, b, m がダメだということはよくわかるからである。

私など、グルグルをしていて、学生の唇をつまむ(男子の場合)、あるいはつまむ真似をする(女子の場合)ことがない日はない。それくらいよくある現象である。

全体の5分の1だという数値はわからなくても、よくある現象だ、ということはよくわかるのだ。

それを、顔も知らないどこかの学生が録音した音声ファイルを数多く分析しないとわからないほうがおかしいし、わからないと思うのもおかしい。

それは、学生に接していない一般人のはなしである。

教師は教室でいつも学生に接しているのだから、日本人学習者がどういう誤りをするのかは、よくよく身を持って知っているはずである。

もしこの記事の趣旨が、「日頃の発音指導ではわからないことが、音読データベースを分析するとわかることがある」というものであるならば、それはまったく当たっていないと考える。

自分の学生(という小さなサンプル)では出現しない現象が、より一般的には出現しているかもしれない、と言うだろうか?

しかしもしそんなことがあるとしても、自分の学生に出現しない現象ならば、教師としての自分には関係ないこと irrelevant なことである。

教師の仕事は目の前の学生の英語をうまくすることなのだから。