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3/03/2019

「ネイティブのお墨付き」という表現はアリ?(加筆しました)

ある英語学習の月間誌で『発音の教科書』を読者プレゼントとして紹介していただきました。 その紹介文の冒頭:

「その英語力で博士号まで取得した実力は本物!」

お。。。著者の私のことですか。それはどうもありがとうございます。ただ一般論として発音のスキルと博士号の相関はあまりないかもですね(笑 )。また博士号は英語力で取るものではないし。

加筆:ただ、著者はきちんとしたアカデミックなバックグラウンドがあるのだ、ということを言って下さっているのはありがたいです。ここだけの話、英語本のなかでもこと「英語発音本」というのは、文法だの語彙だのスピーキングだのに比べて、なんというか。。著者が音声学はあまりご存知なく、書いてあることもご自分の直感?直観?だけに頼っていてかなり眉唾、というケースの割合が高いというのを最近改めて感じているので、著者の credibilityについて言及してくださっているのは、感謝です。

「大学の英語教授の著者がネイティブお墨付きの発音を伝授。」

ん〜む。「大学の英語教授の著者が」の部分は上の理由でありがたいのですが、そのあとの「ネイティブ...」の下りは正直に言って、少々微妙ですね。おそらくこのPR文を考えて下さったのは英語学習参考書とかテスト対策とか英会話本とかを手がけるような「プロの方」だと思いますが、「ネイティブお墨付き」には引っかかります。やや時代錯誤的かと。今どき「ネイティブ」の認可は要りませんし、しかも「お墨付き」って。。。 「ネイティブ」をお上にたとえているみたいで、少々卑屈なイメージがあります。

加筆:いや、でもよく考えれば、「大学の英語教授」というと悪いイメージとしては自分の専門をボソボソ講義するだけで英語自体はかなりしょぼいというケースも残念ながらそう珍しくもないので、そうではなくこの教授は英語自体もうまいのだ、ということを印象づけようとしてくださった、ということですよね。そう考えればありがたいです。ただその accreditation, authorization にどうしても「ネイティブ」が出てきてしまう、ということですね。

現代においては、英語は我々ノンネイティブのもの「でも」あります。ノンネイティブは国際語としての英語 (English as an International Language) としてきちんとした発音をすることが必要かつ十分であると思います。そして自分の発音が「きちんと」しているのかどうかは、ノンネイティブ自身で十二分に確認かつ確信できるものです。

「日本語を母国語とする私たちの気づかぬ発音の癖、母音の区別の仕方、アクセントの種類などいろいろなことについて教えてくれる1冊。映画のナレーションや洋楽を素材としたトレーニングもあり読者が楽しみながら発音の練習できる作りになっている。」

はい、ありがとうございます。これはその通りです。ここで「母語」でなく「母国語」という我々の分野ではすでに死語になった表現を使っていることを見ても、このPR文の作者が英語教育関係の方ではないのは間違いないと思われます。

以上、すこしやや斜に構えたコメントをしてしまいましたが、拙著を取り上げてくださって大変ありがたいことには変わりありません。感謝しております。しかし英語学習の月間誌にこういう文言がフツーにのるということは、日本の英語学習市場とか、一般の英語学習者の間には、やはり昔と変わらぬネイティブ信仰が根強く存在していることを示していると考えられます。

ちょっと考えさせられました。