「多少発音が違っても分かってもらえるからいい」
と言う人がいる。
それは相手が瞬間的に文脈からの想像を働かせてくれているからなのだが、それはともかく、そういう人が想定している聞き手はネイティブスピーカーなのだろう。
ネイティブは守備範囲が広いから、多少想定と違う音が来ても、瞬間的に文脈等を活用して補ってしまう。
話し手の英語の明瞭さが 0.8 であっても、ネイティブの理解度が 1.0 であるので、通じる度合いは、
0.8 × 1 = 0.8
で、そこそこ通じる。
しかし、「世界の英語」の時代になり、非母語話者同士が話すとなるとそうはいかない。この夏の国際学会でも改めて体験したが、イランからの発表者の英語は、非常にわかりにくかった。最大限に集中して聞いて、なんとか筋を追えるかどうか、という程度に苦労した。しかし、その同じ英語を聞いているネイティブはまったく問題なくラクラク理解しているように見える。
非母語話者同士が話す場合、話し手の英語の明瞭さが 0.8 であると、その 0.8 はそのまま理解されない。なぜなら、聞く方の聴解能力が 0.8 だからだ。その場合、通じる度合い、伝達される情報量は、
0.8 × 0.8 = 0.64
と格段に落ちる。お互いに 0.7 であれば、
0.7 × 0.7 = 0.49
と、なんと半分を切る。
非母語話者同士であればあるほど、「通じるからいいや」などという他力本願な姿勢はとんでもない話であって、きちんと話そう、わかりやすく話そう、という姿勢が今まで以上に求められるのだ。