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4/21/2019

驚くべき提案!

5月に某県の高校英語教育研究会総会に呼んでいただいて150人ほどの先生方に対して講演を行うことになっています。


発音指導の心・技・体 
〜聞き手の努力を前提としない円滑なコミュニケーションを目指して〜

これについてやりとりをさせていただいているのは、その研究会の会長である校長先生ですが、本日、驚くべきご提案をいただきました。それはなんと。。。ご自分(その校長先生)が講師である私(靜)を英語で紹介するので、その自分の英語の発音の良い点、悪い点を指摘することから講演を始めてもらえないだろうか、というものです。そして「自分の発音を正すに際しては自分の会長としての面子を気にしてもらう必要はまったくありません」とまでおっしゃるのです。

ん〜。これは結構すごいことです。

「英語を教えるプロである英語教師の集まりで、お互いに英語の足らないところに気づいたら、面子などきにせず、お互いに指摘しあって、お互いが次の日から教える生徒たちにとってよりよい英語教育につながるような切磋琢磨するのがプロとしての責務である。生徒にとって何が一番いいのか、こを真っ先に考えるべきこと。同僚としてのお互いの面子などはそれに比べればどうでもいいのだ。」というのは、私が以前から言ってきたことです。

しかし現実は全然そうはなっていません。英語教員の研究会というと教え方がどうしたこうしたという話ばかりで、お互いの英語の質はまったく問題ない、という建前で進行するものであり、そこで相手の発音ミスやら文法の勘違いやらを指摘するのはタブーです。

2011年度の全英連奈良大会で、私の基調講演の司会を担当していた若い教師が、Please raise your hand. のつもりで Please laise your hand. と言ったのをその場で私が指摘した、などは例外中の例外です。その後挙手して質問してきた北海道の高校の先生(じつはもともと知り合いだったのですが)が質問のなかで、usually を usuarry と言ったのを私が即座に usually と訂正したときは、2000人収容の大ホールが凍りついたものでした。

たぶんそういう「大人げない」ことをするのは日本中の英語教師のなかで私だけなのでしょう。ですから、上述の校長先生からのお申し出には驚かされました。英語教師たるもの自分の商売道具をつねにより良くせねばならない、という確固たる姿勢を、管理職になっても県の研究会の会長になっても変わらず持ち続けていらっしゃる、稀有な方なのだと思います。そういう姿勢を持つ管理職を戴く学校、会長を戴く研究会は幸せです。

なお、もちろん、ご提案については、もしなにか気づいたことがあればコメントさせていただきます、とお返事しました。楽しみです。