よく知られているように「発音問題」の典型的な形式とは、4つの単語を示して下線部の音が違うものをひとつ選べ、といったものです。この問題は、当然ながら、以下のようなケースをピックアップして出題します。
(1)同じスペリングでも、発音が異なる: hunger vs. range
(2)異なるスペリングでも、発音が同じである: bet vs. sweat
こういう問題には、すくなくとも以下の弊害があります
(1)英語の綴りはデタラメで丸暗記しかないのだ、と学習者をミスリードすること
こういう発音問題では、「同じ文字は、ほぼいつも同じ音で発音する」ようなケースは決して出題されません。問題にしようがないからです。
しかし英語全体でみると、そういうケースのほうが子音を中心に圧倒的に多いわけです。ごく少数の黙字などを除き、bはいつでもbと発音され、kはいつでもkと発音され、fはほぼいつでもfと発音され、vはいつでもvと発音され、rはほぼいつでもrと発音され、thは有声音・無声音の違いはあってもいつでもth音で発音され . .などなど。
子音を中心に、英語は(英語も)、ひとつの文字は、いつも同じ一定の音を表していることが圧倒的に多い言語であるわけです。ところが上で述べたような「発音問題」」は、「英語は、スペリングと音が一致しないことが多く、すべてひとつひとつ覚える必要がある」という誤解、すくなくとも印象を生み出します。これは大きな害毒です。
大学生になっても、「初めて出会った英単語は辞書を引くか、教師に教えてもらわないと発音はわからない」と思い込んでいる学習者は残念ながら珍しくありません。英語に出会った中学生のころに、英語の綴りは発音を表しているのだ、という当たり前の事実を教えてもらわなかった、あるいは意識するよう仕向けられなかったためでしょう。それに加えて、スペリングが違っても同じ音とか、スペリングが同じでも違う音とか、そういう例外部分だけをねらった「発音問題」にこれでもか、と繰り返しさらされてきた影響も無視できないのではないでしょうか。
(2)発音について習得すべき/教えるべき重要ポイントについて、学習者と教師をミスリードすること
発音についてテストに出題されるのがああいう「発音問題」つまり、「スペリングが同じで音が違う、音が同じでスペリングが違う」ことだけであると、教師も生徒も次のような誤解をしかねません。
「英語学習において、発音に関して押さえるべきは、どういう単語でスペリングが同じで音が違うのか、音が同じでスペリング違のか、を覚えることなのだ。」
そして、そういう発音問題に頻出する語の発音を丸暗記し、そういう問題で得点できるようになった生徒、得点させられるようになった教師は次のように思いかねません。
「僕は英語発音の重要な点はマスターした。」「私は教師として英語発音の重要な点は教えることができた。」
いうまでもなく、これはまったく当たっていません。英語の発音に関して学習すべき知識、習得すべき技能とは、少数のどちらかといえば例外的な「スペリングと音の不一致のパターン」など(だけ)ではなく、たとえば以下のような事柄です。
- vという文字をみたら、下唇が上前歯に接触し、有声摩擦音を出せる
- thという文字をみたら、舌先が上前歯に接触し、無声もしくは有声摩擦音を出せる
- r という文字をみたら、舌先をどこにも接触させずに、半母音が出せる
(などなど。。。) - 不要な母音を挿入せずに、音節数を適切に、単語が発音できる
- 意味のかたまりであるチャンクのなかでは、語と語をリンキングして発音できる
- 適切なイントネーションで発話できる
- ストレス拍リズムで発話できる
- 情報構造に即して、新情報や聞き手に注目させたい部分に卓立をおいた発話ができる
あんな重箱の隅をつつく的はずれな「発音問題」をやる暇があったら、いつでもどこでも適切に、たとえばVの音やRの音が調音できる「技能を」自動化するまで訓練することをやるべきだし、やらせるべきです。
私の印象では、日本の高校を卒業する学生で、自動化どころか、たとえば最高に注意を払っても / r / の音が発音できる学習者、というのはかなり少数派ではありませんか? L/Rのミニマル・ペアはミニマル・ペアのなかでも最も多いと言われている時に、それは優先順位が大きく間違ってはいませんか?「非母語話者だからこれだけでいいよ」必須発音習得項目リストである、ジェンキンズのリンガフランカコアのなかにも、日本人が苦労する音素はほぼすべて残っていますよ。
もちろんああいう「発音問題」で問われていた知識も、発音に関して身につけるべき事項に含まれていたことは間違いはありません。しかしあれだけの貧弱な内容しかないくせにエラそうに「発音問題」などという看板を掲げて、学習者と教師をミスリードするくらいであれば、いっそのことテストから全廃してしまい、「このテストでは英語発音はいっさい測定されていない」ことを明確にするようがまだ害が少ないでしょう。
紙と鉛筆のテストで発音を測る必要はないのです。基本的に測れません。測りたければ普段の授業で教室で対面で測ってください。入学のテストで測る必要はないのです。
しかしテストに出ないことがらは、学習しなくてもよい、わけではもちろんありません。大切なことのすべてをテストで測ろうとするのは土台間違っています。テストに出題させようがされまいが、大切なことは大切なのであり、学習すべきことは学習すべきです。
自分が担当するすべての生徒に適切な英語音声技能を身に付けさせることは、英語教員の務め(の大きな一部)です。