「挨拶する心のない生徒に、Hello! という表現だけ教えてもしょうがない。」
そうかな...?
それはそれ、これはこれ、じゃないかな。
挨拶する心、と言っても、いつでもどこでも誰にも挨拶しない、というよりも、teenagerとして、ある特定の状況下で挨拶をしないことを選択している、のではないだろうか。教師には挨拶しなくとも、部活の先輩には挨拶しているのではないだろうか。
ま、ともかく。挨拶に関する生徒指導は生徒指導としてきちんとすべきである。
しかしそれと英語授業を連動させるのは、逆におかしな事態を招くような気がするけど。
私なら、その時、その生徒に、その「アイサツスルココロ」があろうがなかろうが、Helloという言語形式はきちんと教える。発音を含めて。Lは決して日本語の「ロ」じゃないよ、というのも含めて。
その生徒がその挨拶をしたくなった時、きちんとした発音とイントネーションでそれを使えるように、自分の英語の授業では、道具としての英語自体をきちんと教える。その道具を使う日がくるかもしれないから。
英語の授業は道徳や倫理ではない。
「世界平和を願わない生徒に、英語の文法を教えてもしょうがない」
「イジメを卑劣なことだと思わない生徒に、発音を教えてもしょうがない」
とは全然思わない。
I disagree with the view that it is a pointless endeavor to teach how to pronounce "hello" to someone who does not feel like greeting in the first place, or put differently, that moral education should come before language skills education.