Total Pageviews

11/22/2010

授業は稽古で本番じゃない

ひとつの芝居が完成して公演にいたるまでには何週間、何ヶ月にもわたる厳しい稽古がある。

また本番が始まってからも、その日、その日の本番が終わってから、反省会のようなものがあって、微調整がなされる(のかも知れない)。

当然ながら英語の授業の本質はそういう「稽古」や「反省会」のようなものであって、最終的に「観客」に見せる「本番」ではない。

公開授業や研究授業というのは、授業を公開してみんなで研究するもだから、とうぜん、そういう「稽古」の公開のはずだ。

ところが、どういう勘違いだか、芝居の本番にあたる段階を見せているような公開授業が多くないだろうか。

生徒にディベートさせて、褒めて拍手して、はい終わり、みたいな。


稽古であるかぎり、ダメだしや、修正点の確認の繰り返しこそがその中心であるはず。演出家、監督からのダメ出しや注文付や演技指導がまったくない「稽古」って、何の意味がある?

授業もまったく一緒。昨日より今日、今日より明日、と向上させるための地道な努力を見せるのが公開授業であるはずだ。

A demonstration class is just that: a demonstration of a class, which is an activity to improve each student's performance until students measure up to the teacher's expectation, just like practice sessions of a play is an occasion where players are trained receiving feedback and directions by the director.  Why do I have a feeling that I always see a demonstration class where there is no feedback or directions from the "director"?