ライティングをさせても書かせっぱなしで、「よく出来ました」というハンコウを押すだけとか、Well written.という内容のないコメントをするだけとか、あるいは、英語自体には触れずに、内容に対するフィードバックをするだけ、というのは、スピーキングに直せば、発表やプレゼンをさせても言わせっぱなしで、"Wonderful!" "Great!" という空疎な褒め言葉を発するだけ、とか、英語の発音や表現や文法にはいっさい触れずに、内容に対してコメントをするだけとか、内容どころか、「積極的に話そうとする態度が良かった」などのコドモダマシのフィードバックをするだけ、というのとちょうどパラレルだ。
また、スピーキングで発音や語法など英語自体にコメントしても、コメントするだけでそれを incorporateして再度言い直させないのは、ライティングに置き換えれば、添削しても添削しっぱなして、その添削を反映した書き直しをさせない、のとパラレルだ。
添削されたらそれをすべて学生が咀嚼して自主的に肝に銘じて書きなおしてパフォーマンスを向上させるなどというのが多くの場合は期待できないのと同様、スピーキングでも、これこれこうしたほうがよかった、と後から言われただけで次からそのようなパフォーマンスができるようになることは期待できない。
スピーキングでもライティングでも、まず、必ず英語自体の添削をしよう。そして添削したらそれを取り入れた望ましい形にして、言い直させよう、書きなおさせよう。
よく出来ましたマル、のハンコウを押し続ければライティング力が伸びると思う人はおとぎの国に生きている。
Wonderful! と言い続ければスピーキング力が伸びると思う人は、どうかしてる。
内容についてコメントしていれば書く英語も向上すると思う方がおかしい。
話す英語についてもまったく同じ。
誤りを指摘しただけで終わってはいけない。かならず言い直させなければ。
そうすると英語が嫌いになるのでは、という発想自体が腐っている。生徒をバカにしてるんじゃないかね。
生徒はうまくなりたいんだよ。
自分の英語が下手なことはわかっているんだよ。下手な英語をほめられても嘘っぽすぎてうれしくないよ。
下手な英語をほめていないで、下手は下手だ、何が下手の原因か、どうすれば上手になるか教えてやり、実際に上手くしてやって、上手くなったらほめようよ。