日本中の大学が現在、少なからぬ教員が経験したことのない非対面授業によって少なくとも前期のすべてを組み立てねばならないという状況に直面し、大混乱である。
こんな状況を望んだ者は誰もいないが、一教師としては、自分の授業スタイルの幅を一気に広げるまたとないチャンスだと捉えるのがよいと思う。まさにピンチはチャンスである。
対面ではあの手この手で学生を90分集中させられていても、それは純粋な内容だけではなく、学生との物理的な距離を変化させたり(例:教師が歩き回ったり、特定の学生に近づいたり)、学生を物理的に動かしたり(立たせたり、スキップさせたり)という、いわばプラスαの要素も使って成し遂げているわけである。
私のグルグルの威力?も、学生との物理的な距離をつめて間近で「圧」をかける、ということによる部分は無視できない。
それが90分のオンデマンド動画になると、そのプラスα要素の部分はゼロになるので、まったくの講義の内容だけでどこまで惹きつけられるのか、という勝負になる。しかも惹きつけられているのかいないのか、はもちろん知るすべがない。相手は見えないというかいないのである。
この状況はあらためて自分のストレートなトークが学生の教育に対してどこまで有効なのか、という問いを突きつけるものだ。いわば視聴者の直接見えないラジオ番組やテレビ番組を録音・録画するようなつもりになり、学生を想像しながら、こころを込めてビデオカメラに語りかけねばならない。
そしてそれはそれで楽しいものである。
リアル授業であれば自分が話している時に下を向いていたり、つまらなそうな顔をしていたりする学生が一人でもいると気になってしかたないが、そういう心配もない。
発音練習や音読練習のためのポーズを設けながらカメラに向かって一人で話すのは、あるいみで授業の一番大切な部分だけを抽出してプレゼンするような体験であり、改めて自分が学生に何がしてやれるかを突き詰めて考えてみる、よい機会となっている。
昔、高校教員だったとき、よく風邪を引いて声がほとんどでなくなったことがあった。そいう状況の時は、まったく声を出さずに授業するテクニックを工夫したものであった。声に頼らずに学生の音読に身振り手振りでフィードバックするのは、やってみるとそれなりにできるものである。そういう極端な体験は、声が戻ってからももちろん役に立つ。
今回のこの強制遠隔授業クライシスを乗り切った暁には、授業方法のレパートリーが以前とは比べ物にならないくらい豊かになっている気がする。