「2分間で何回読めるかやってみよう」 (speeded activity)
のようなspeeded/timed activityというのは、正確さを保った状態で、という条件内でスピードを向上させるのだ、ということをすべての生徒が熟知して臨むのでないならば、しないほうがよい。
やるのであれば、教師は40人の生徒に耳をすまし、適宜、ダメ出しをし、「急ぐな! 正確に!」という叱咤を絶えず飛ばす必要がある。ということはつまり、速さを求めるのは原則はやらないほうがよい、ということ。
英語専攻の大学生のような比較的高いレベルでさえ、スピード訓練はよほど気をつけないと、インチキ英語に逆戻りさせるだけである。ということは中高のレベルではスピード訓練は要らない、ということ。そもそも基本的な姿勢として、「これをなるべくすらすら速く読もう」というのは向いている方向が間違っている。
「これを各自のペースで、正確さ、強弱に気をつけながら、平板にならないように、英語らしくうまく読みなさい。」という方向が正しい。
私が自分の学生(学部生、院生)にスピード訓練(含むシャドウイング)をさせるときは、横につきっきりりで、発音をミスったらすぐに中断してその部分を何度でもやりなおさせる、という「つきっきり正確さreminding」をする。あくまで目指すのは、正確に速く英語が話せる人間だからである。
私が自分の学生(学部生、院生)にスピード訓練(含むシャドウイング)をさせるときは、横につきっきりりで、発音をミスったらすぐに中断してその部分を何度でもやりなおさせる、という「つきっきり正確さreminding」をする。あくまで目指すのは、正確に速く英語が話せる人間だからである。
正確に話せるようになった人間が徐々にスピードアップするのは可能だが、インチキ発音で速く話しながら徐々に正確さをアップするのは(考えればすぐ分かることだが)あり得ない。現在教えている大学生にも、中高時代の指導の影響で、
「いままでは極力スラスラ大きな声で読もうとしていました。先生もそう指導していたので、そう思い込んでいました。すらすら読んでいるうちに、発音もうまくなると思っていました。ちょっと考えればそんなはずはないことは分かったはずなのに、自分の愚かさが腹立たしいです。」
という感想を書いた者もいる。罪作りな指導である。「大きな声で読もう。」とか「すらすら読もう」というのは封印したほうがいい。正確に読めれば放っておいても徐々に自信ができて声は出てくるし、すらすらと読める。
英語学習は、早口コンテストや応援団ではないのだ。
At least at junior and senior high schools levels in Japan, timed or speeded activities do more harm than good, and hence should not be attempted in principle. With students lacking automatized articulation skills, what those activities do is make them fail to stick to the barely emerging desirable habit of pronouncing properly and revert to the good (well, bad) old habit of speaking garbage Japalish.
Never pursue fluency prematurely. Fluency will take care of itself, in time, when accuracy is established.