中学の研究授業を2本見た。
どちらも見始めて1分でお里が知れた。
一人目は、please が言えない。prease のような発音だ。thも言えない。thing が sing に聞こえる。
おまけに文法もアヤシイ。冠詞が使えない。
生徒に対する指示で、
Please do the same thing.
というべきところ、
Prease do same sing.
と言っている。
そういうインチキ英語を生徒に聞かせてどうする?
二人目は、play が言えない。prayに近い発音だ。しかもまずいことに、その日のポイントは、can の導入だったので、
I can pRay XXXX.
をすくなくとも20回は言って、生徒にもリピートさせていた。なお、そのさいの指示は、Repeat after me. でなく、
りpeat aftAR ME.
だった。
かなり、アイタタタ...である。
もちろん、こうして教えられている生徒の英語はもっと下手である。
救いは、両授業者とも、授業後の協議会での私の指摘に納得し、きちんとしよう、という姿勢がみせてくれたことである。きっと次の授業から変わってくるだろう。
この会には、小学校の先生も三分の一参加していて、ひとりから帰り際にこう聞かれた。
「他の研修会では、カタカナ英語でもいい、という指導をされるんですが、それは違うのですね?」
「はい、それは大嘘ですね」
「すると、私たち小学校教員にも、英語指導に際して専門性が求められると考えていいのですね?」
「専門性、とは思いません。小学校の先生も含めて日本人はほぼ全員が最低でも6年間は英語を学校で学んでいるのですから、基本的な発音ができることは専門領域でもなんでもなく、基本のキです。 red, yellow, green ... などいう基本語がきちんと発音できることは、誰にでも必要な、英語学習の最初の一歩です。」
「よくわかりました」
このひとに限らず、ほんとうはきちんとした英語をおしえるべきだ、それができるようになりたい、と思っている小学校教師は多いと思われる。
そういう良心的な芽をつんでいるのはだ~れだ?
どちらも見始めて1分でお里が知れた。
一人目は、please が言えない。prease のような発音だ。thも言えない。thing が sing に聞こえる。
おまけに文法もアヤシイ。冠詞が使えない。
生徒に対する指示で、
Please do the same thing.
というべきところ、
Prease do same sing.
と言っている。
そういうインチキ英語を生徒に聞かせてどうする?
二人目は、play が言えない。prayに近い発音だ。しかもまずいことに、その日のポイントは、can の導入だったので、
I can pRay XXXX.
をすくなくとも20回は言って、生徒にもリピートさせていた。なお、そのさいの指示は、Repeat after me. でなく、
りpeat aftAR ME.
だった。
かなり、アイタタタ...である。
もちろん、こうして教えられている生徒の英語はもっと下手である。
救いは、両授業者とも、授業後の協議会での私の指摘に納得し、きちんとしよう、という姿勢がみせてくれたことである。きっと次の授業から変わってくるだろう。
この会には、小学校の先生も三分の一参加していて、ひとりから帰り際にこう聞かれた。
「他の研修会では、カタカナ英語でもいい、という指導をされるんですが、それは違うのですね?」
「はい、それは大嘘ですね」
「すると、私たち小学校教員にも、英語指導に際して専門性が求められると考えていいのですね?」
「専門性、とは思いません。小学校の先生も含めて日本人はほぼ全員が最低でも6年間は英語を学校で学んでいるのですから、基本的な発音ができることは専門領域でもなんでもなく、基本のキです。 red, yellow, green ... などいう基本語がきちんと発音できることは、誰にでも必要な、英語学習の最初の一歩です。」
「よくわかりました」
このひとに限らず、ほんとうはきちんとした英語をおしえるべきだ、それができるようになりたい、と思っている小学校教師は多いと思われる。
そういう良心的な芽をつんでいるのはだ~れだ?