教案についてのポストに反響が大きいので驚いた。
しかし、自分で段取りを考えておくことと、それを「教案」という形式的な文書に手間隙かけてまとめることとはまったく別である。後者はまったく、時間と資源の無駄。
誰のための授業だよ。
学習指導要領の文言を入れて書くように指導主事様に指導されることもあるそうな... 純粋に現場の(訂正→公立の中学と高校の)先生方に同情を禁じえない。
誤解ないように書いておくが、教員が自分のなかで授業の段取りのプランを立てておくことはもちろん絶対必要である。
誤解ないように書いておくが、教員が自分のなかで授業の段取りのプランを立てておくことはもちろん絶対必要である。
私もいまだに、前もってすべて段取りが頭のなかにできている状態でないと授業には臨めない。自分のためにメモならしておく。
しかし、自分で段取りを考えておくことと、それを「教案」という形式的な文書に手間隙かけてまとめることとはまったく別である。後者はまったく、時間と資源の無駄。
誰のための授業だよ。
「教案」がなければ授業観察ができない人間に、授業の講評、指導助言する資格はない。
(Disclaimer: 以上のコメントは英語の授業に関するもので、他の教科のことは知りませぬ。)
You obviously need to have a teaching procedure ready in your mind or in your own notebook before you start your class. However, writing up a formal "Teaching Plan" studded with phrases copied from the infamous Course of Study is simply a very silly, frightful, and complete waste of time, energy, and precious natural resources.