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5/17/2013

ついて行く気にさせない文科省

英語の授業は英語でやれ、とか、CAN-DO を使え、とか、どれもこれも、文科省が言っていることは基本的にはそれを目指すのが望ましい方向を示してはいるのに、現場がやっていること、現場がいまいるレベルよりも極端にかけ離れたこと、2歩も3歩も先を行ったことをやれ、と言っているために、現場の多くの教員が「よし、ついてゆこう」という気にならないことばかりのように思える。

そしてそういう現場教員がついて行こうという姿勢を見せないので、「指導要領は法律だ! 公務員なら法律を守れ! 守らない奴はクビだ!」と、根拠もあいまいな強権を振りかざさざるをえなくなり、現場は萎縮、あるいは反発を強め、文科省はさらに強権的になる、という悪循環だ。

まるで、生徒が教師について行こうとしないから、「オマエラ校則を守れ!守らない奴は退学だ!」とやたら強権的な生徒指導をして、ますます生徒の心が荒れる、ダメな生徒指導の見本のようなもんだ。

国の教育のリーダーなら、確かにそうだ、これならできそうだ、と生徒(=教員)が思えるような、1歩ではなく、半歩だけ先をゆく施策を打ち出すべきだ。そしてその半歩だけ先をゆく具体的な方法を自ら示すべきだ。

そういうリーダーには自発的について行こうとするフォロワーは増えるはずだ。

視学官とか教科調査官とか指導主事とかが、各学校に行って自ら飛び込みで模範授業をして、これこの通りやればよいのだから、君たちももこうやりなさい!と胸を張って率先垂範し、その授業を現場教師が納得するならば、状況はいい方向に変わるだろう。

そうでなければいい方向には変わらないだろう。