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5/18/2013

/ r / が出来ない子を出来るようにする、ことについて

アルクの


音声指導入門
音ティーチング授業DVD
生徒が変わる、英語の「音」の教え方
(アルク)

のなかで、二人の高校1年生に対して発音の個人教授をしている場面がある。

テキスト本文を題材に1文ずつ音読させながらすこしずつ発音を矯正してる場面である。製品になっているDVDのなかでは一人数分~5分程度に編集されているが、実際にはその何倍も長く指導した。なかなかうまく読めなかったからである。撮影現場でもひとり15分くらいしか使えなかったと思うが、本当はその2倍くらいやりたかった。どうしてもうまく読めるようにしてやりたかったからである。

どうしても / r / ができない、/ l / ができない、/ f / ができない、あるいはできることもあるのだがすぐもとの発音に戻ってしまう、という生徒がいた時に、それを「だいたいいつでもできる」という状態に持って行くには時間がかかる。その日はできないかもしれない。何日も、何日も、少しずつ繰り返し前進することが必要かもしれない。

こういうことを言うと、「そんなに時間をかけてひとりひとりの発音を見ている時間はない」と思う教師が多いと思う。

しかし、こう思えないだろうか。

中学、高校、大学と英語の授業をやるが、通算何時間になるだろう。すぐは計算できないくらいの多くの時間だ。何百時間か何千時間か。

その何千時間の中で、先生が個人的に向き合ってくれる時間が1時間だけでもとれないのだろうか。

何千時間のなかで「たった1時間」でも使って、/ r / が出来ない子が出来るようになったとしたら、それは素晴しいことだ。一生の財産になる。

逆に、通算何千時間も費やしながら、/ r / / l / も/ f / も発音させられないとしたら、その何千時間の意味は、なんなのだろうか?

ひとりひとりの発音を治すのは時間がかかる。時間がかかるからしない、のはおかしい。時間がかかるからする。時間がかかるから時間を「かける」。時間をかける価値があることに時間をかける。

We should take time on what is worth the time it takes.

1対1で、対面で、生身の人間教師が指導しないと上達しないことがらは、発音やスピーキング関係以外にはほとんどない。あとは自学自習が十分可能だ。

だから、生身の人間がその場で時間をかけなければ成果が上がらないことがらに、時間をかける。

私の priority はそうなのだ。