発音はジミだ、に関連して。
よく考えれば、「発音指導」という名称自体が misleading だろう。
発音指導というと、LとRの区別など、単音の指導だけしか考えない人がいるらしい。
だから発音だけで6時間もワークショップをする、というとイメージが湧かないのだろう。
そうではなくて、
発音-conscious 文法指導
であり、
発音-conscious 語彙指導
であり、
発音-conscious リーディング指導
であり
発音-conscious ライティング指導
であり、
発音-conscious リスニング指導
であり、
発音-conscious スピーキング指導
なのだ。
だって音声なのだから、言語のすべてについてまわるのだ。
一昨日も、講演のあと、
「先生は、意味を理解させてから発音指導をするのか、それとも。。。。」
という質問があったのだが、
「意味を理解させてから発音。。。。」
という文言の時点で違和感を覚えてしまった。
なぜなら、意味を理解させる時点で、その目標言語(英語)の表現を教員が口にするはずであり、その時点で、
「発音指導」=文字をどのように音声化するかの指導
はすでに始まるからである。
だから、発音=どのような音であるか は、意味の理解と分けられるものではない。
分けて考えている人がいれば、それだけでおかしいのである。
言語はもともと音声の連続なのだから。
極端に言えば、
語彙指導
= どのような音声の組み合わせがどのような意味を表現するか、の指導 であり、かつ、
= どのような意味はどのような音声の組み合わせによって表せるか、の指導
文法指導 (もやはり、結局は、語彙をどう変化させるか、どう組み合わせるか、なのだから)
= どのような音声の組み合わせがどのような意味を表現するか、の指導 であり、かつ、
= どのような意味はどのような音声の組み合わせによって表せるか、の指導
である。
だから、極端な話、
Pronunciation is everything.
なのである。