またしんどい授業を観た。
英語の授業は英語で行うことを基本とする、というオカミの命令をうけた、モデル校。
教師の英語は、ひどい。
発音ひどい。
文法あかん。3単現さえも使えない。
なのに、タスクの説明からフィードバックまで、無理に英語で通す。
教師の英語のリズムひどい。母音挿入しまくり。
「ひどい英語と思いますが、あえてやっています。学習者として頑張って英語を、自分なりにしゃべっている、というのを見せています」
アホか。
ひどいと思うなら、ひどくないようにしてから「お客さま」の前に出てこい。自分で「ひどい」というのは言いわけだ。
「自分ではOKと思うレベルに精一杯やっています」というなら、まだ勘弁できる。自分ではそう思っていても、ここが足らないよ、あそこがダメだよ、と指摘してやる。
が、最初から「ダメな英語とは思いますが」とは、何事か。
自分でダメな英語と思うなら給料もらうな。
自分の英語もひどいし、教え方もひどい。
単語の導入を「英語でやる」ということで、
society
という単語を「英語で導入」するのが、
What does "society" mean in Japanese, A-kun?
A君「社会」
Yes! "Society" means 社会 in Japanese.
だと。
要するに、従来の「文法訳読」授業を、単に direction を英語に変えているだけ。
英語でやる、というならば、
What does "society" mean?
Society means people. When there are a lot of people living in one place or living together, we call it a society. So, "society" is like "a group of people."
などのように、やれ。
生徒が可哀想である。生徒は立場が弱いので、教員の言うとおりのことしかできない。わからないなあ、いやだなあ、と思っても、教室ではボスである教員の指示にしか従うことができない。
だから、教員はまともな授業をしてやる義務がある。
そうでないとほとんど、児童虐待 と変わらなくなる。
生徒は悪くない。
生徒は一生懸命やっている。
生徒はまじめにやっている。
だから、「まじめに」やらせるタスクが「意味のない」ものでなくする責任は、100%、教室のボスである、教員にある。