「決められた範囲を終わらせる云々」「範囲が終わらないから云々」ということを言う教員は非常に多い。
範囲が終わる、って何だろう?
身につけるべきスキルが身につかないのに、単元だの範囲だのを「終わらせる」ことに何の意味があるのか?
ない。
そういう姿勢では1年たっても3年たっても、マトモな英語が使える生徒が育たない。いや、3年どころか、そういう姿勢だからこそ、6年やっても10年やっても英語が使えるようにならない。
他人が一般向けに作った教科書の単元を単に「終わらせる」より、自分の目の前の生徒が「できる」ようにならせてやることのほうが、ずっと大切だろう。
そんなに「終わらせる」のが気になるなら、前から言っているように、1年の最初に、教科書のすべての本文の丁寧な解説と和訳とCDを与えておけ。それなら最初から「終わっている」だろう?
その上で、教室では、対面のコーチングでしか向上しないスキルに集中して、ひとつでもふたつでも「できる」ようにしてやれ。
「範囲がどうの、終わらせるのどうの」ということを二言目には言う教師は、何かを根本的に考え違いしている。
目の前の生徒を見ろ。
私は、知識の量はその時は少なくても、まず、ひとつでもふたつでも、マトモに言えるフレーズを持っている生徒を育てたい。
ふたつマトモに言えれば、3つ目もマトモに言える。3つマトモに言えれれば4つめも言えるようになる。そしていつか100でも1000でも言えるようになる。
しかし一つのフレーズもマトモに言えなければ、知識量が100あっても1000あってもマトモに言えるフレーズはただの一つもない。
それが、今現在ほとんどの、「英語が使えない日本人」の実態。
「範囲が終わる、終わらない」を死語にしよう。そんな見せかけはどうでもいい。何ができるようになっているか、いないか、が問題なのだ。
「やったか、やらないか」はどうでもいい。「なにができるようになったか、なっていないか」こそが問題なのだ。
What you have and have not (merely) COVERED does NOT matter. What DOES matter is what you have enabled your students to DO. Learning a language is not about what you KNOW. It's about what you CAN DO.