ライブではなく録画だが。
中学3年生。
iPadを駆使した授業で、そういうICTを活用したどうのこうの。。という視点での感想は放っておいて、もっともいいのは、その授業を受けている生徒たちに、
英語らしい発音をしよう、英語らしい発音をしないとダメなんだ
という雰囲気というか暗黙のルールというかがみなぎっていることである。
それはもちろん担当の先生の持って行き方の賜物である。
ご自身も発音を意識しながら、生徒にもことあるごとに、
「カッコイイ発音な!」
という声掛けを絶やさない。
外見的にはたぶん「やんちゃ系」予備軍ぽい男子でさえ、一生懸命英語らしい発音をし、それをクラスが良い意味で笑っている、という楽しい雰囲気だ。
あの雰囲気さえ作り出せれば教師の仕事は8割OKであり、逆にあの雰囲気なければ他の何があっても8割失敗なのである。
発音コンシャスを貫きながら1時間じゅう、終始一貫して、生徒に英語を口にさせる、生徒の記憶に英語表現をのこさせる、という口頭練習を徹底してやった授業であった。
その授業に対して、
「音読(発声)ばかりやっていた印象を受けるが、あの授業で生徒に何が残るのか疑問である。教科書本文を深く読み取るためにじっくり考える時間が必要なのではないか。英語ができる生徒はいいが、できない生徒はわからないままに授業が進んでいるのではないかという気がする。」
というコメントをしたのがいるそうである。
意味がわからない。
この人は何がいいとおもっているのか疑問である。
音読ばかりやっている。すばらしいじゃん。
意味がわかった英文の音読をする。それ以上価値があることがあんのか?(自分の意見を正しい英語で言う、以外にはないでしょう。)
教科書本文を深く読み取るって、現代国語じゃあるまいし、深く読み取る内容なんてないし、ある必要はない。浅い内容でもとりあえず単語を覚え、表現を覚えたほうがよっぽど時間の有効な使いかだである。
教科書の内容は、紙辞書VS電子辞書 みたいなほんの短いもので、そのなにをどう、「深く読み取る」というのか?その内容について考えろ、とでも? それとも、本文のイントネーションに込められた微妙なニュアンスを考えろ、とでも?
一般的にいって、中3だの高1だののレベルは、内容がどうの、考えがどうの、と言っている暇があったら単語をクソ暗記し、表現をマル暗記し、英文を何度も音読したほうがよっぽど有効な時間の使いかただ。
深い内容を考えるにしても、考えるための単語をしらなければ始まらないので。
何を考えとんねん!?