学生に授業の感想を書かせると、
「正直、最初は辛かったです」
「正直、戸惑いました」
「正直、やめようかと思いました」
「正直、面倒な授業だと思いました」
などなど、
「正直...」という枕詞がよく使われているのに気づく。
「正直(に言えば)」というのは to be honest と同じで、その後に続く内容の mitigator であって、次の内容が聞き手にとって耳に痛いとか、悪い意味で驚きであろう、とか傷つけるようなものであろうと利き手側が判断する場合に、その衝撃を緩和しようとするものだと思われる。
つまり、学生は、私の授業が
「辛かったです」
「戸惑いました」(=変な授業だと思いました)
「やめようと思いました」
という感想を私が聞くのが耳に痛い、しんどい、傷つく内容だ、
という判断をしてくれているのである。
考えてみれば面白い。
つまり、そういう判断はなぜ出るかというと、世の中一般の教師(そして生徒も)が、学生や生徒が自分の授業を、
「辛い」「困惑する」「やめたくなる」「めんどうだ」
と思うことをネガティブに捉え、それを避けようとし、さらに言うと、恐れている、
からだと思われる。
しかし私の場合、言われるまでもなく、意図的に
しんどい思いをさせよう、辛い思いをさせよう、ストレスを与えよう、プレッシャーをかけよう、めんどうなことをさせよう、時間がたくさんかかる宿題をだそう、ちょうど一杯一杯になるくらい追い込もう、
としているのだから、そういう感想が出てくるのは予期しているというか、ほとんどそう思うだろうな、というか、そうなってくれないなら、もっとレベルを上げたり、宿題の量を増やしたりしよう、
と思っているわけである。
だから、学生に、
「正直」
と言われても、次に来る内容はほぼ100%予測済みなので、
「(しめしめ。)やっぱりそうだった?そうだよね~。大成功! やめずに頑張った自分に拍手しよう。イェ~イ!! パチパチパチ」
ということになる。